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平安時代の美人の条件は教養だけって本当?

よく平安時代の美人の条件は、顔や体型などの外見とは関係なく、和歌など教養の高さが第一だと聞きます。 顔も見た事のない女性の歌のうまさに惚れ込んで、強引にプロポーズ、という話も聞いたような気がします。 たしかに、「美」 という観念は時代とともに変化するとは思いますが、教養が高いので美人だと信じて会った女性がどんな外見であっても、やはり美人と評価されたのでしょうか? 平安時代より古い飛鳥時代には、高松塚古墳の壁画に代表されるような、ふくよかな面立ちの女性が美人の条件だったと説明を受けました。  この時代では、やはり外見が重視されたのでしょうねえ。  でも、その後の平安時代にはこの条件が全く変わってしまったのでしょうか? 時代はずっと下りますが、江戸時代には浮世絵の題材に美人画が多くありますので、やはりこの時代でも外見が重視されていたように思います。 これらを考えると、美人の条件というのは、教養や品格などの内面性も大事ですが、まずは顔・形、というのが時代を超えた真理のように思えてしょうがないのですが ・・・

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  • my-mi
  • ベストアンサー率20% (158/785)
回答No.1

有名な源氏物語の中に末摘花という高貴な女性がいて、光源氏とライバルの頭中将が求愛をして、最後に光源氏が競り勝ち、いざ朝になって恋人の顔をみてビックリし、そのあと足が遠のくというお話があります。 実際、顔をみることもできず、うわさや歌、その女性の兄弟からの話で判断しなければいけなかった時代だからこそ起こることなのかもしれませんが、やっぱり顔ってその時代から重要だったのかもしれませんね。 あと、その時代は髪が長く、黒く、豊かであったことも美人の条件だったそうです。

noname#8234
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございました。 平安時代でも、やはり顔が重視されたんですね。 勉強になりました。

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noname#113260
noname#113260
回答No.7

>江戸時代には浮世絵の題材に美人画が多くありますので、やはりこの時代でも外見が重視されていたように思います。 これで思い出しましたが、美談として伝わる吉川元春の嫁取りですが、単に彼が「ぶす専」と言うか変な美的感覚の持ち主ではと睨んでますが、識者の見方はどうですかね? ---------------------------------------- ある日、年頃になった元春の所に、父の毛利元就が家臣の児玉就忠を遣わし、「誰か、嫁に迎えたい女子はおらぬのか」と、尋ねさせると元春は、「熊谷信直の娘が望みである」と言ったという。 就忠は驚いた。 信直の娘は、またとない不美人で有名だったからだ。 もしや、元春はそのことを知らないのではないかともう一度確認すると、元春は笑って言った。 「信直の娘は醜いため、だれも娶ろうとはしない。もし、そのような娘を元春が妻とすれば、信直は喜び、元春のため、父上のために懸命に働くであろう・・・」 この話を聞いて熊谷信直は感激し、毛利家のために忠誠を尽くし、また、信直の娘(新庄局)は、合戦のため家を空けがちな夫の留守をよく守り、元気な子をたくさん生み育てた良い妻だったという。 『陰徳太平記』巻十六 「元春娶熊谷信直之女事」より -------------------------------------- 彼ほどの身分の男性が当時としては珍しく、側室も持たず正室との間に四男二女も生まれて仲のよい夫婦ですから、お義理で結婚したのならこんな事もないし、将に男女の仲は姿かたちではないのですね。 脱線してスイマセン。

noname#8234
質問者

お礼

すごい男がいたものですねえ。 女性に対する考え、というのは千差万別ですね。 私にはちょっと真似できないです。 面白い逸話、有難うございました。

noname#113260
noname#113260
回答No.6

平安時代の結婚は「妻問婚」、今で言う「夜這い」になります。 しかも現在と違って月明かりが明るいとされた時代ですから、新婚であれば朝になってみないと自分の相方がどんな顔か分からない状況です。 こんな時代ですから、短歌などをやり取りして、相手の姿かたちを想像して・・・と言う事になりますから、センスのよい方はもてますし、センスの悪い方はもてません。 幾ら姿かたちがよくても教養がないとそれ以前の段階で、異性との接点が少ないのではないでしょうか。 まあ、庶民は別とおもいますが。

noname#8234
質問者

お礼

有難うございました。 やはり、まずは教養などの内面から、という事でしょうねえ。 今とは随分違っていたでしょうね。

  • No51
  • ベストアンサー率18% (25/136)
回答No.5

昔はグラビア雑誌もテレビも無し、 「どういう姿形が美人か?」 の基準も、確たるものは無かったと思いますよ。 「美人画」についてですが、浮世絵にせよ、 平安時代の絵にせよ、あんな顔の人が現実に 存在していたとはとても思えません。 しかも、皆同じ顔で、服装以外では区別できません。 (今のアニメや漫画みたいです) 顔の各部位を数理的に計測し、純粋に外見だけ から「美人」を定義しようとする考えは、 近代になって、西洋から入ってきたもので、 それ以外の時代や場所ではどうだったのか? はなはだ疑問です。 西洋的表現では、女性の美しさを表すのに 髪の色、巻き具合、ボリューム感、 目の色、睫の長さ、大きさ等を延々描写 したりしますが、 古典的な東洋世界では、 あまりそういう表現は見当たらず、 「瞳に光あり」 とか、そういう表現です。 ついでですが、古代世界では、 あの美人の代表、クレオパトラですら、 「どこがどう美人だったのか?」 は、文献には全く残っておらず、 彼女のハイセンスな教養に、ローマの将軍達は 参ってしまったようです。 よって、美人の基準は時代や場所によって、 「外見重視」だったり「教養重視」だったりで、 その「外見」や「教養」の良し悪しも、 マチマチであった、とは言えると思います。

noname#8234
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 無理だとは思いますが、歴史に登場する絶世の美女って、本当はどんな顔をしていたのか、見てみたいものですね。

  • yoko_18
  • ベストアンサー率30% (77/256)
回答No.4

いろんな時代の美的感覚について知ってるわけではないので、とりあえず恐縮祝ですが平安時代についての解答です。 平安時代では教養とは、主に(1)和歌・漢詩をよく知っていて自分も作れる。 (2)管弦楽器がひける。 (3)おしゃれな身だしなみとおしゃれな会話ができることでした。 周囲の人々の評判で「お、あの女性はいいんだなぁ」と知り、手紙(和歌)を交換し合い、相手の教養やセンスを確かめ結婚。(通い婚ですが、) やはり内面重視ですね!!いいことだ!!(何) でも実際会ってみて、月明かりに照らされ見えた女性の顔があまりにもひどかったとか、源氏物語の末摘花のように露骨に赤っぱながみっともないと書かれたりしています。 でも源氏は生涯末摘花を養ったとか。(これは愛情か同情かわかりませんが) うーむ、この辺の話は書物に残る話・・つまり上流階級でだけの話です。 庶民は普通に今と変わらぬ恋愛というようなものをしていたのでしょう。 上流階級はやっぱ特殊ですし。(政の中心近くは政略結婚多いですし。) 個人的意見ですが、上流階級は特殊として省いて、いつの時代でも愛は愛。 美人の条件というのは、教養や品格などの内面性が大事。 でも一目ぼれだって平安でもいつの時代でもあります。 美しいものは魅力的ですし。 そのとりこになるかどうかはその人の感性しだいです。 やっぱ、根本的には今と変わってないんじゃないかなーって思います。 なんか、あんままともな回答になってなくてすみません。(汗)

noname#8234
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 今では、顔さえよければ多少、中身が無くてもオーケーという感じがしますが、平安時代では (程度問題でしょうが) 内面重視だったようですね。

  • z-knight
  • ベストアンサー率36% (112/304)
回答No.3

こんにちは 平安時代でも顔は重要であったようです。 むしろ自分は古代から近世までの女性の肖像画を見ると化粧の仕方や外見美の基準がほとんど変わっていないのでは?と思ってしまいました。(実際にはちょっとづつ変わって来ているようですが…)

参考URL:
http://www.union-net.or.jp/cu-cap/heiansiki.htm
noname#8234
質問者

お礼

ありがとうございました。 サイトを拝見しました。 顔が大きいのが好まれる時代だったんですねえ。

回答No.2

昔の日本で身だしなみのお手入れがどこまでできたかです。 …顔など拝見してもしょうがなかったのかもしれないですが… 顔でいうなら…男のヒゲは普通ですが、女でも毛深い人結構いますよね。体もです。 子供のうちは大抵の人がふっくらしてるけど、大抵大人になると大人風にゲッソリしてきます?ところがならない人もいます。成長が止まってるとかそういうことではなくて… そのごく少数を描いたものなのではないでしょうか 実体はみることができないので・・・・ フランスの高貴?なひとがなんかかつらかぶってた時期ありませんでしたっけ? きれいな髪の人は髪をうることで生活できたんですよね確か?日本でもあったのかな?

noname#8234
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 フランスの貴族階級では、とても大きなかつらが流行した時代があったとかTVで見た記憶がありますね。

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