• 締切済み

全世界の人々が貧困でなくなったら・・本当はどうなるの

 「世界を100人の村にたとえると」、「6人が世界の富の59%を所有する」らしいですが、じゃあ、その富を全世界の人々が均等に配分するとどうなるんだろう。  とりあえず、お金(どこの通貨かな)をもらっても、それに対応するだけの物はないし・・  風が吹けば桶屋が儲かる式に、思いもかけない結果が出そうで。  おもしろそう。  だれか、教えて

みんなの回答

  • nightowl
  • ベストアンサー率44% (490/1101)
回答No.6

趣味に走った話をしてもよろしいですか? SF的発想では、地球人口が飽和する前に「宇宙に飛び出す」ということになるでしょう。 実際、スタートレックの世界では物質の分子を組み替えて別の物質に変換する 「レプリケーター」という機械の恩恵で食糧危機は解決し、 貨幣経済は全廃、貧富の差のない社会が実現されているという設定です。 まあ、そのエネルギーをどこから持ってくるかといえば原子力なんですけどね。 エリートたちは惑星連邦のアカデミーで学び、宇宙艦隊の一員として 活躍することに生きがいを求めています。 しかし一般の人たちがどのような暮らしをしているかは故意にぼかされており、それが この作品の泣き所の一つといえましょう。その点を補って余りある魅力があるにせよ。 もともとは原作者ジーン・ロッデンベリーの追った、 明るい未来を謳いあげた理想論ですから。 悲観論ばかりが並んでも辛気臭いので付け足してみました。

参考URL:
http://www.m-nomura.com/st/repli.html
shinchann
質問者

お礼

現在ある紛争の原因の一つがエネルギーですね。 食料(エネルギー)、宗教が世界を動かしていると言いますが、情報が世界を動かすのも近いですか?

  • void2000
  • ベストアンサー率17% (41/229)
回答No.5

 世界中の富が世界中の人に平等に分配されたらデフレになります。  もともとお金は有るところから無いところへ流れます。つまり不平等が通貨流通のもとです。  金持ちや大企業の課税を増やし、低所得者を保護するという、平等主義の政策が成功すると、お金は流れなくなります。  ただ私は平等やデフレを悪いことだとは思っていません。インフレにはインフレの、デフレにはデフレの良いところと悪いところがあると思っています。  

shinchann
質問者

お礼

そうですね。 私は、炭素の結晶や、ビニールの高級袋はいりません。 貴金属や宝石で飾らなくても、まだ若さと元気があります。 長く使える、気に入った、最小限の実用品で十分です。 金持ちは、結局ほとんどの人が生きた金の使い方を知らないのじゃないかと思っています。(ごめんなさい > お金持ちの人) 「金は天下のまわりもの」ですね。景気よくなれ。

noname#29456
noname#29456
回答No.4

地球全体を共産主義的な計画経済にでもしないと、 富を均等に分配しようとすることは不可能でしょう。 なんか世界全体がとんでもないことになっちゃいそう。 結局多くの民衆を飢えさせて、 一部エリートが私腹を肥やすだけに終わってしまいそうですね。 「地球の人口の定員」には諸説あるのだけど、 参考URLで引用した分によれば、 ・全員がアメリカ人並みの生活-地球の定員 27億人 ・全員が日本人並みの生活-地球の定員 61億人 ・全員がインド人並みの生活-地球の定員 120億人 という説があります。 とすると、現在の60億人全員にアメリカ人並みの生活をさせることはもう不可能。 でも落とし所は「日本並み」にはならず、 「インド並み」、いや「北朝鮮並み」かもしれませんね(笑)

参考URL:
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/new2001/db/kurasu/db4-gomidoku3.html
shinchann
質問者

お礼

興味深い試算ですね。ありがとうございました。 一時病気でHPが下がっていたとき、インドにあこがれていましたが、回復した今、インドではちょっと満足できなくなりました。(悲しいね)

  • fgsr
  • ベストアンサー率20% (10/48)
回答No.3

大くのものをひっぱって動かすには、力(パワー、エネルギーなど)の集中が必要といわれます。 たとえば、アメリカのような大陸で、100台の車に均等にガソリンを積んで(残念ながら満タンにはなりませんでした)、次のガソリンスタンドがあると思われる町まで走って行くとして、大半の車は寄り道をしたりムダな道を走ったりして、結局ガソリンを使い果たしてしまいました。道しるべも娯楽もない荒野を走っているのですから、あたりまえかもしれません。おまけに、個々に勝手な走り方をしてしまったので、なおさら完走できた車は少なかったようです。 しかし、10台の車のみ(全体の10%)にガソリンを使うことを許し、タンクに入りきらないガソリンはトランクに積んでいいとします(備蓄)。 ガソリンが入っていない車も、チェーンでひっぱってもらいます(一般市民、貧困層)。 すると、その10台は、他の90台の車を目的地(次の町)に引っ張っていくという義務を負ってしまいました。 10台はお互いに無線で連絡をとり、ベストと思われる道を探して(政策や経営)、他の車も牽引し次の町にたどりつきました。 ついてみたら、一部、自分でチェーンを切って、やりたいように走ってしまい、どこに行ったかわからなくなった車もありましたが、大半の車は、次のガソリン補給町までたどりつきました。 というわけで、均等配分すると、混乱や無秩序が生じる可能性があります。 なお、富の分配に関しては「パレートの法則」も調べてみることをお勧めします。

shinchann
質問者

お礼

「働くアリ」の話ですね。 みなさんに質問したのですが、それが社会なんじゃないかとも考えていました。 最近、自分の居場所は、なるべくしてそこになっている。 それが自分の居場所であると感じています。 そんなもんなんだと。

  • ma_
  • ベストアンサー率23% (879/3732)
回答No.2

物やサービスが常に均等に配分されるなら、人は沢山働こうという意欲を失います。働こうという意欲を失えば、将来の商品やサービスの供給量や質が落ちていきます。

shinchann
質問者

お礼

そうですねー でももし、一回こっきりの配分だったら、しばらくすると元の状態に戻るかも。

  • Hiyuki
  • ベストアンサー率36% (2604/7183)
回答No.1

たぶんすべての人が少なからず貧困になるでしょうね。

shinchann
質問者

お礼

すいません、もう少しわかりやすく教えてください。 m(__)m

関連するQ&A

  • 相対性貧困率が世界第2位の日本ということを聞きましたが・・・

    相対性貧困率が世界第2位の日本ということを聞きましたが・・・ これは、アメリカなどの影響を受けて、いわゆる小泉内閣時に「格差、いいじゃないですか!」 っていうことで当時の自民党が行った政策が原因なのでしょうか!? たとえば、一部のリッチな層の人々は子供に幼少の頃から高額な塾などに通わせることができ、 その結果、金持ちの子供は、有名大学に進学できる可能性が高くなる。 一方で、経済的にそれほど余裕のない家庭の親は、子供を高額な塾に通わせることができにくい、 つまり、有名大学に進学できる可能性が比較的低くなる。 その結果、金持ちの家庭と、そうでない家庭に教育の機会均等というものにも格差が顕著に 出てきているということなのでしょうか!?

  • 「風が吹けば桶屋が儲かる」の具体例は?

    私が好きな言葉に「風が吹けば桶屋が儲かる」というのがあります。 ある事柄が思わぬ結果を生じたりする意味ですが、 ついこの間大騒ぎしていたサブプライム問題が世界経済に影響を及ぼしたのがこの「風が吹けば~」の具体例かと思います。 それ以外に具体例はありますでしょうか? 皆さんが経験したことでも社会問題でも何でも構いません。 よろしくお願いします。

  • 《これは俺のものだ》は 自己意識のあらぬ拡大か?

       【Q:所有とは 何ぞや?――職務発明の所有にちなんで】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8799388.html  上の質問で得られた回答内容から 問いを立てました。  その回答者にあっては 《自我の肥大》といった表現を用いておられます。要するに《所有》とは それだという意味合いです。  次の議論をたたき台として あらためて《所有とは何ぞや?》を問いたいと思います。  ▲ (私的所有権の発生について) ~~~~~~~~   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_2001.html  (5) 日本的「富」の観念  これに対して日本では、そのようなキリスト教の精神(*)はもともとなかったのであるから、   * そのようなキリスト教の精神: ~~~~~~~~~~~~~    勤労はあくまでも神への奉仕という形をとって行われるものであり、そこに本来的な形があるものであった。そこではまだ勤労の結果としての私的所有権の意識はあいまいであったのだが、これがカルビニズムによって勤労の結果が得られた富そのものに、価値が与えられるようになると、勤労の結果得られた報酬に対する私的所有権の意識がはっきりとした形をとって現れてくるようになる。    しかしその場合でも、信仰がある限り、結果としての富だけが重視されるわけではなく、その過程としての勤労の精神そのものにも、十分な価値が与えられていた。そのような意味で、道徳的な根拠はまだ失われていなかったのである。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  勤労は富を得るためであるという目的意識はかなりはっきりしたものであった。ただその結果としての富が価値あるものであるためには、その富をどのように使うかということが問題であった。  その富が誰のものであるかということに対しては、そこではヨーロッパほどの私的所有権の意識は明確にされず、自分の得た富そのものが社会全体の役に立っているという意識が重視されたのである。  日本の場合には、神による自己の承認という意識はなかったのであるから、自己の承認はどこまでも社会の他の人々から与えられるものであった。正当な自分の労働によって得た富は、必ず社会に還元されなければならないという意識があった。  例えば農民が額に汗して働いてコメを作ることは、そしてそのコメを年貢として上納することは、それを食べる町方の人たちの役に立っているのであった。また、箪笥職人が一生懸命働いて、見事な箪笥を作ることは、その箪笥を必要とする人の役にたっていることであった。  そしてまた、自分が箪笥職人でいられることは、そのような箪笥を必要とする人がいてくれるからこそであった。そのような意味で自分が働いて得た富は、他の人から与えてもらったものであるから、いずれそれは他の人々にも還元しなければならないという意識もあった。  そのような認識は、自分の力で生きているということを戒め、他人の力によって生かされているということを説いた鎌倉時代の浄土宗系の仏教思想によって深められ、徐々に社会に浸透していったものと思われる。  つまりそれは、自分が働いて得た富、つまり私的所有権は必ずしも自分の私的な都合で使うことを許されない富なのである。  この点がヨーロッパ的な私的所有権の考え方と大きく違うところである。  そしてそのような富の使い方をすることによって、「神の承認」ならぬ「人の承認」を得ることが日本人にとっては人生の最終目標であった。  そしてこのことは日本だけの例外的なことではなく、キリスト教のような一神教が誕生する以前の社会では、多くの人々がこのような他人からの承認によって自らの人生の価値を納得していたのである。  一神教というものは人間の歴史のある段階で発生した歴史的な産物であるから、それが発生する以前の圧倒的な長い時間においては、人間は自己の社会性を他者からの承認という形で得ていたのである。そこに日本人の勤勉さの道徳的根拠があった。  つまり一言で言うと、ヨーロッパ社会は「神からの承認」を必要とする社会であったのに対して、日本の社会は「人からの承認」を必要とする社会であったのである。  そうだとすれば、最も恐ろしいことは、ヨーロッパ社会が「神からの承認」を必要としなくなることであり、日本の社会が「人からの承認」を必要としなくなることである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《これは俺のものだ》は 自己意識のあらぬ拡大か? 自我のまぼろしなる肥大によるものか?

  • 世界連邦制度 、その進展は?

    “この「天才政治に基づく世界政府」は、地球上のあらゆる地域を代表する、天才たちによって構成されることになるだろう。 これらの地域は、民主的にその境界が定められる必要がある。現実の諸国家はおおよそ、自分の富の増大を望む有産階級によって仕向けられた、殺りく戦の結果である。これは、植民地主義時代のことだ。フランスとスペインの国境の両側に住むバスク人たちは、単一「国家」の樹立を望むかもしれない。これは、かれらの問題であり、またかれらだけの問題である。自分たちが一緒に住むか、それとも他の国に併合されるかを選択するのは、かれら自身である。バスク人は、地球上のあらゆる所にいる。独立した組織を持つことを望むある地域の住民は、人類全体の一部を成しているのだ。各々の地域の住民が、自分たちの政治組織を自分で決めることである。フランス国内の実例のみをあげるなら、コルシカ人、ブルターニュ人、オック人、そしてアルザス人たちがそうである。 したがってまず手始めに、各市町村の住民に、自分たちがどの地域に属すことを望むかを、天才政治の方法に則り投票させる必要がある。こうすれば、あらゆる国家主義的な思考を除いて、各地域の境界を定めることができるようになるだろう。そして、この投票はその後も、ある市町村の住民が投票を望むたびごとに行なうことが可能である。なぜなら、住民の移動に応じて、特定の市町村が、隣接する地域への帰属の変更を望むこともありうるからである。” “地球上のあらゆる人々は、世界政府を樹立するために団結すべきである。 世界中の学童には、世界語を課すべきだ。ほかに適当な言語がなければ、以前からあるエスペラント語でもよい。貨幣を廃止するまでは、まず、各国の通貨に代わる世界通貨を採用しよう。これが通貨危機の解決策となる。もし、だれもほかによい制度を提案できないのなら、世界連邦制度を採用しよう。各国を宗とした世界連邦を設立するのである。どうしても独立したいという区域には、彼らが望みの組織をつくるのにまかせておけばよい。世界が、国家から構成されておらず、地球の運命の責任を取るべく、連邦となって結びついている各地域から構成されていれば、世界平和も維持できるであろう。 _ラエル” 世界語が無理ならば世界連邦制度を採用することが提案されて(指示)いますが現況など ? 中国人民共和国とか面積・人口共に大きいのですが現況など ? 世界が、国家から構成されておらず、地球の運命の責任を取るべく、連邦となって結びついている各地域から構成されていれば、世界平和も維持できるであろう..、現況など ? 所見など?

  • グローバル化からフラット化が進んでいるといわれるのに

    グローバル化によって、途上国には多く仕事・雇用・などのチャンスが生まれ順調に経済発展を遂げている一方、安い労働力によって途上国へ仕事が移り、先進国の多くの国々では雇用難が発生していると言われます。これはグローバル化によってもたらされ、世界がフラット化へ進んでいるという事であると解説されます。 実際、多くの途上国の人々の生活水準が上がり、通貨価値もこれまでの主要通貨の価格が下落する一方で、途上国などの通貨は相対的に上がって行っています。 しかし北欧などの一部の国を除いては、多くの国々では富の偏在が起こり貧富の格差は拡大していたり、地球を一つの括りで見た場合でも人類史上これまでにないほどの格差拡大が起こっているそうです。 国家という単位ではフラット化が進む一方で、なぜ二極化、富の偏在などの拡大が進むのでしょうか? この辺りにお詳しい方、政治的な面、経済的な面、その他などからご解説をください。よろしくお願いします。

  • 金やダイヤの価値

    通貨の価値というのは国がきめているものですね。なので不安定な国とかでは、いきなり貨幣の価値が0になってしまう、ということもおきてますね。 でも、歴史からみても、金やダイヤモンドなどの宝石というのはいつでも価値があるものですね。 金は安定した金属でダイヤモンドは一番固い、というのはあとからわかったこととしても、なぜ、歴史からみても世界的にみても金やダイヤモンドは価値があるものなのでしょうか? 塩やスパイスが通貨(?)につかわれた時代もありますね。これはわかります。人の食にかかわるのに塩やスパイスは重要だからです。 単にきらきらひかってきれいだから?ということは、人間の富(お金)に対する欲望というのは、極論でいえば光物がすきなカラスと同じことということなのでしょうか?

  • 自分の心と周りの世界について

    「自分の心で思っていることが、自分が見ている世界だ」 というようなことをよく耳にします。 世界は心の投影である、など、言い方は様々ですが、確かになるほどと思います。 最近ではこういった内容の自己啓発本もよく見かけます。 しかし、自分が見ている世界が全て自分の心を投影しているとしたら、幼いころから虐待されている子供や、生まれたときから紛争地域にいて、難民として暮らさざるをえない人々なども、すべてその人たちの思いが投影されているのでしょうか? 具体的な書名をあげると、「原因と結果の法則」などは、自分の見ている世界全てが自分の内側に存在している、と述べています。 たしかに、自分が落ち込んでいたり、成長したいと思っているときには、この考えはすごく納得できるんです。 けれども、上の例のような不可抗力でそうなっている場合でも自分のせいになるのでしょうか? 私のこの考えは、上から目線の自分勝手な考えかもしれません。 しかし、このことについてはあまり記述を見かけないので、質問させていただきました。 皆さんのご意見をお聞かせください。

  • 日本人は甘すぎる

    政府の集団的自衛権の閣議決定が成された模様です。 これまでアメリカの核の傘の下、平和を享受してきた日本 という国が大転換を向かえた瞬間です。 しかし考えてみれば、日本という国はこれまで世界に対し て、どんな貢献をしてきたでしょう。 全て我田引水、自国の発展の為外国へのアプローチを してきたのではないてしょうか。 世界中の穀物、魚介類、動物などの食料品を輸入して その三分の一は棄てている。こんな勝手が許されるのは 経済大国だから仕方が無い。とはもう言えません。 もう世界の人口は七十億人を越えています。その人々を 飢えさせないための努力を日本人はしなさすぎた。 おそらく戦争は起きます。それもきっかけは日本への攻撃 です。それに対抗するための今度の閣議決定でしょう。 食料配分がままならない国にとって、一番憎い国はどこで すか。 それは富を撒き散らし、世界中から食材を食い漁る日本 という国でしょう。 皆さんはどう思いますか。

  • 世界を貧困・飢餓・紛争から救済する活動の行方は..

    『  あなたがたは平等に生まれついています。これは聖書にも書いてあることです。為政者は、あなたがたが財産の面で、ほとんど平等に生まれてくるようにしなければなりません。知性もろくにない子供たちが、父親が蓄えた富のおかげで豪華な生活をし、それに引き換え、天才たちが空腹で死にそうになり、食べるためにどんな卑しい仕事でも引き受けざるを得なくなり、人類全体に利益をもたらす発見を可能にするような仕事に就けなくなるというのは、許しがたいことです。  これを避けるためには、私有の財産制度を廃止する必要があります。しかしだからといって、共産主義を樹立するわけではありません。  この世界はあなたがたのものではないのです。これも聖書に書いてあります。あなたがたは賃借人にすぎません。ですから、すべての財産は、四十九年間賃借するようにすべきです。これは、遺産の不平等をなくします。あなたがたの遺産や、あなたがたの子供への遺産は、この世界全体のものなのです。もしもこの世界を住み心地のよいものにするために、あなたがたが結束することができれば、の話ですが。  この人類に対する政治的指針は、共産主義ではなく、人類の将来に関わるものなので、お望みなら「人道的人類主義」と呼んで差し支えないでしょう。  一例を挙げてみましょう。人は二十一歳で勉学を終えて実社会に入り、職業を選んでお金を稼ぎ始めます。もし両親が健在で、自分の家を見つけたいと望むならば、家を一軒「買い」ます。実際には、政府が建てた家またはアパートを、四十九年間賃借するのです。  もし住宅の評価額が十万フランとするならば、その金額を、四十九年間で完済するように毎月支払います。七十歳に(21+49)になれば、家の値段を支払い終え、そのあとは死ぬまで、無料でその家に住むことができます。  彼の死んだあとは、この家は政府に返還され、もし死者に子供がいれば、子供たちには無料で権利が譲られます。もし子供がひとりいるとすれば、父の家を死ぬまで無料で利用できます。彼が死ぬと、その子供が家族の家を引き継ぎ、これが永続的に続きます。遺産は、家族の家を除いて、完全に廃止されなければなりません。これは、各人が報いを受けるということを妨げるものではありません。  別の例を挙げましょう。ふたりの子供を持つ男性の場合、ひとりは勤勉で、もうひとりは怠け者だとします。二十一歳になると、ふたりはそれぞれの道を歩むことを決めます。彼らはそれぞれ、評価額が十万フランの家を借ります。  勤勉な者は、怠惰な者より多くの金を短期間に稼ぎ出します。だから彼は、最初のものより二倍も高い価格の家を借りることができます。もし金銭的な余裕があれば、二軒の家を借りることもできます。一つは別荘としてです。また貯蓄がもっと上手くいけば、自分で家を一軒建てて、四十九年間、この家を自分自身で貸してお金を受け取ることもできます。しかし、自分が死ねば、子供たちに引き継がれる家族の家を除いて、すべては共同社会のものになります。  このように、個人は自分の能力に応じて財産を作れますが、子供には残せないということです。各々は、その能力に応じてということです。商業や農業についても同じです。  ある事業を創始したなら、それは生涯彼のもので、貸すこともできますが、四十九年間だけです。農民も同じで四十九年間、耕作地を借りてそれを耕すことはできますが、そのあとはすべて政府のものとなり、政府は再び四十九年間貸し付けることになります。子供たちも、その土地を四十九年間借りられます。  利益を上げられる財産がどんなものであろうと、すべてがこのようでなければなりません。物の価値については何も変わりません。株・金・事業・現金・不動産など、価値を生み出せるすべての財産は共同社会に属していますが、自分の能力と労働で獲得した人たちに、それらは四十九年間貸し与えられるのです。  従って、四十歳頃で一財産を築いた人は、ビルを建て、アパートを四十九年間貸して、そのお金を死ぬまで享受できることになります。  そのあとは、この賃貸からのお金は共同社会に返還されます。この人道的人類主義は、すでに聖書の中に規定されているのです。  「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である」(『レビ記』第25章第8節)     〔 ラエル  1973年 〕 』 『 所得格差の是正から貨幣の廃止へ  世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。  そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がゼロになる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、その時何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、 次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」   配給経済 「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。  この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。  人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。  社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。  国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。  もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。 』 『 人口過剰  ――あなたは私に、あなたが何らかの方法で不死であると言われました。それでは、あなたがたは人口過剰には、どのような対策を立てているのですか?  「実際この問題は、地球でも急速に出てくるでしょう。あなたがたもかなりの人口なので、早急にこの問題を解決しなければなりませんが、それには避妊を普及させ、ひとりの女性には子供をふたりまでしか認めない、厳しい法律を制定する必要があります。二が二のままなら、人口は増加しません。  これについても、私たちは、あなたがたがどのようにしてこの難関を切り抜けるのか、見守るつもりです。これはまた、あなたがたが私たちの遺産を受け継ぐ資格があるのかどうかという、知性の程度を証明することにもなるでしょう。  私は、平均寿命が七十五年しかないあなたがたに、現在の問題について解決策を教えてあげました。 私たちにとっては、実際のところ問題の様相が違っています。私たちは不死ではありません。私たちはちょっとした外科手術のおかげで、命を長らえることができるのです。これが聖書の「生命の樹」(『創世記』第2章第9節_訳注)で、あなたがたより十倍も長生きできるのです。私たちも子供を持ち、先ほどお話ししたように、ふたりの両親にはふたりの子供という規則を施行して、人口が一定になるようにしています」  ――あなたがたの人口は?  「約七十億です」 人口問題 「もし世界中で、望まない子を妊娠しないようにするならば、人口問題のかなりの部分は解決されるであろう」(人口問題審議会副議長)   生活空間の欠乏によって「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」の時代は過ぎ去った。幸いにも人間は、有史以来初めて人口増加をコントロールする手段を有している。 けれども一方では、そのことを、嘆き悲しんでいる無責任な連中もいるのだ。「近隣の人民の数が増えて、いつの日か脅威となる危険性がある」ことをこけおどしに用いる。 しかしかれらは、もし諸国家が経済的な競争を続ける(これは絶対に避けなければならないが)ならば、その窮地から最もうまく脱する国は、より少ない扶養人口のことや、人手が無くてもそれとほとんど同様な生産を可能とする自動化のことを考慮すると、最も人口の少ない国であるということを理解していないのだ。   』  人類・地球規模にての問題として ‘人口爆発/人口増加’ による地球空間・地球環境の食い尽くし問題それによる貧困・飢餓の慢性化の問題があり、 また、  偏る富、偏る財産、枯渇する各国政府の資産/予算、逆に増加する政府巨大赤字の問題があり、また、 それらに早急な対策、健全な未来創造が求められる時代であろう と考えられますが、  地球の人口70億人弱(去年にて)、地球の空間/地球の能力的限界(食糧生産能力/資源調達能力)もそろそろ、 世界は人口の抑制コントロールそして人口・長期安定化一定化に向かう、 残るは世界の富の再分配、所得格差の是正がはじまり 世界の人びとへの黄金文明 (現在のあなたがたの科学技術を、暴力や軍備、少数者の個人的利益といった誤った目的にではなく、人々の幸福のために使うなら、あなたがたは、すぐに本当の意味でのエデンの園、つまり地上の楽園に住むことができるでしょう ) のみが世界の選択肢となり、地球滅亡を意味とする飢餓/貧困/紛争/暴力/戦争等は永遠に排除され放棄される時代の到来それが予想される..、 それを目指しそれに至るまでの活動、整備等どのようなものが考えられるのでしょうか?  また、否定的見通し、困難な状況などありましたら、訓えてください?

  • 100人の村 は何がいいたいのかわからないのですが・・。

     もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・  57人のアジア人  21人のヨーロッパ人  14人の南北アメリカ人  8人のアフリカ人がいます  52人が女性です  48人が男性です   70人が有色人種で  30人が白人  70人がキリスト教以外の人で  30人がキリスト教  89人が異性愛者で  11人が同性愛者  6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍  80人は標準以下の居住環境に住み  70人は文字が読めません  50人は栄養失調に苦しみ  1人が瀕死の状態にあり  1人はいま、生まれようとしています  1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け  そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています  もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。 というチェーンメールが以前はやりました。100人の村にすると、色々な性質の人がいる、豊かな人は少ない、ということがわかります。しかし、その統計は 相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。 と、どう関係しているのかわかりません。事実を知るための教育は必要でしょう。しかし、「自分とは違う人っていっぱいいるんだよ。だから相手をありのままに受け入れてね。それはこの統計を見ても明らかでしょ?」 っていってますよね?この文章。私には意味がわからないのですが、作者はどのような考えで述べられているのでしょうか?