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皆を信じて皆を信用しない

信じれば馬鹿をみて 信用しない程冷たく生きたくはない。 皆を信じて皆を信用しない方法はあるのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

信じるということと、 具体的事象で不測の事態に備えることとは別の話です。 気持で、心で、信じればいい。 裏切りには、頭で備えればいい。 その備えは信じることとは関係がない思考にできるでしょ。 信じるというのは、●●にちがいない、●●のはずだ、●●になるだろうということで、それはそれでいいでしょ。 不測に備えるというのは、××になるかもしれないから、△△をやっておこうっていうこと。

m-----c
質問者

お礼

いいですね。 なるほど。 わたしは若干頭が固いのかもしれません。 随分と軽くなりました。 お世話になりました。

その他の回答 (2)

回答No.3

 こんにちは。  ★ (α) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  信じれば馬鹿をみて  信用しない程冷たく生きたくはない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この考え方でよいのではないでしょうか?    わたしの場合 そのさらに大前提に次のような考えもあります。  ○ すべての人を人間であると信じる。  ○ その具体的な姿勢としては 自分と同じ程度には相手を大切にし愛する。  ○ 同じ程度と言っても 同等というのはむつかしいものです。一歩あるいは半歩は 相手を先にしてその――基本的に信じたところの――人間性を守る。  ○ 《ゆづる》という基本方針です。  そうすれば こうなります。  ○ 冷め切ったこころの持ち主なら そのような基本方針の持ち主であるあなたを《馬鹿にして》去っていくでしょう。  ○ 冷めているのだけれども 冷め切っていず あたたかい心をなお持ち合わせている人なら 戸惑うでしょうし あなたを味方か敵か決めるのにも惑うでしょう。  ○ 惑った結果 敵ではないかとうたがった場合には あたかも犬のごとく咬みついてくるでしょう。あなたの発言や振る舞いに対して 百年のかたきを見つけたかの如く 喰いつきけんかを仕掛けてくるでしょう。  ○ そのほかの場合には おおむねだいじょうぶです。信じ続けてもです。  ☆ でも 上の基本方針もしくは(α)の考え方で臨んでください。

m-----c
質問者

お礼

ドライな私には... はい。 性に合う考え方かもしれません。 しっくりきました。 ありがとうございます。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

皆のどういう所は信じて、どういう所は信用しないのか。 「どういう所」に関して識別ができるように自己研鑚することですかね・・・。 信用できる部分と信用できない部分を、人は誰しも合わせ持っているものだと思います。 その部分の識別眼でしょう。 あの人はああいう人、この人はこういう人、と決め付けないことです。 信じる信じないの判断を主体的に決定していくこと、とも言えます。 普通はこうだとか、この人ならこうだとか、いった曖昧で根拠の無い判断は主体性があるとは言えません。 本当に主体的に判断した結果であれば、たとえ「馬鹿をみて」も自身で納得がいくことでしょう。   

m-----c
質問者

お礼

そうですね。 柔軟さが足りない、というか無い。余裕が無い。 人というものが分からない。 そこに行き着くには時間がかかりそうです。

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