• 締切済み

この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか

この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか。 善も悪も視点を変えればそれらはいつでもひっくり返ります。 正負は常に抱き合わせで存在しています。 あちらを立てればこちらが立ちません。 生まれるという事は死ぬという事です。 人や社会を良くしようとする試みはもちろん良く分かるのですが、 ただ、この世界は不完全であることを前提に作られているように思われるのです。 そうでなければ今頃は理想的社会及び人間が誕生していてもおかしくはないのではないでしょうか。 この世界が不完全であるという事は、 この世界は不完全でなければ意味がない。 言いかえれば、不完全であることに意味がある。 という事になりませんか?

みんなの回答

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.21

 はい、思いて学ばざれば即ち危うし、学びて思わざれば即ち暗し 「神との対話」が強烈な、その後の体験と、よりいっそうの思考を促す結果ともなります。  もちろん、対話をしたところで、答え をそのまま得られるものではありません。解らないところは解らないし、共感する部分は共感するだけです。  ニール・ドナルド・ウォルシュの神が完全だとは思いません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 神様に会ったらよろしく言っておいてください。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.20

No.12です。 では角度を変えて、回答します。 根本的に、完全であるか不完全であるかは、定かではない。 それは、あくまでも人間の頭の中にある理屈でしかなく、実際のところは定かでないからです。 そう言う意味においても、人間が考える完全が完全であるかどうかも定かではない訳で、不完全であるかどうかも分からない訳です。 こうして考えると、完全・不完全は、人間の概念でしかなく、その意味も価値も人間の概念の中でしか存在しない事になる訳です。 そして、こうした概念や人格は、人体の経験や知識、性質の積みかねによって形成されたものなので、全く同じものは存在しない事になります。 なので、考え方によっては、「不完全であることに意味がある。」必要はないと言う考え方も出来る訳です。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >それは、あくまでも人間の頭の中にある理屈でしかなく、実際のところは定かでないからです。 それだけで十分ではないでしょうか。 私たちの概念も世界の一部と私は思います。 世界の一部である我々が実際に不完全であると感じているのであれば完全とは言えないのではないでしょうか。 世界とは私たちの外にあるだけのものではないと私は考えます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.19

 言っている意味は解りますが >ある視点で見ると正しいく、ある視点で見ると正しくないという事です。  善悪、正しいかどうかで判断しようとした場合、どちらでもなかった時、当然のごとく 解らない と言う事になりますね。何がどうなっていたのか、どのようなことだったのか を理解すれば良いだけの話です。  しかし、そうだとすれば、「お前は悪だった」あるいは「お前は間違っていた」と他者が言うなら、バランスをとるためにも、弁明、弁解しなければなりません。日本人は、言い訳を嫌う、特に軍人などはプライドが高かったから、「無駄なこと」を喋るのを嫌ったのだが、もっと主張するべきだったのです。自分のプライドだけを考えないで、第三者に理解してもらう努力をもっとするべきだったのです。潔いと言えば、そうなのかもしれませんが。 >つまり善悪どちらの側面も持っているという事です。  はい、そうであるとすれば 極東軍事裁判(の結果) は間違っていたと言う事になりますね。 >人間の歴史はずっとこの繰り返しだったのではないですか。  そうですか、人間の生き方、物的、精神的豊かさは昔と変わらないと。逆に私などは、「なんとかここまでこぎつけた」と思うのですが。  そうですか、それなら尚更、極東軍事裁判をこのまま ほっとくのもどうかと。 >私は神様ではないですが  「神との対話」をすれば、少しは神に近づけるかと。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >何がどうなっていたのか、どのようなことだったのか を理解すれば良いだけの話です。 その通りだと思います。 神様から回答をいただこうとは思いません。 考えることが好きですから。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • h1r0s13
  • ベストアンサー率12% (61/497)
回答No.18

その通りですよwww これは自作です。良かったら読んでみて下さい。                二話  亜衣姫と羅夢王は、自分の家に帰って来た。  半円形の透明なガラスのような樹脂で覆われている。遠くには、摩天楼のビル群が立ち並んでいた。  今は西暦三千年代中期の四月である。亜衣姫は、羅夢王と桜を見に行くことにしていた。 ああ、何ていう美しい桜ふぶきなのだろうか、二人は反重力推進装置を作動させながら、一キロにも及ぶ、沿道の桜並木の、桜ふぶきの中を飛んだ。  淡いピンク色の花びらと、やや白い花びらが交錯していて、おりからの風に舞い上がっている。亜衣姫も、長いしなやかな髪をなびかせ、羅夢王と桜の花びらの中を舞った。  羅夢王は、「亜衣ちゃんは、まるで天女のようだなあ」と思った。  亜衣姫は、「らむちゃん、また城跡に行ってみようよ」と言った。  それで湿原まで飛んで行った。その道すがら、森の大木の間に、二十一世紀に作られたビル群が蔦に絡まれ、見え隠れしていた。その森の中には、万作や木五倍子が薄緑の花を咲かせていた。また、湿原の水車小屋の辺りには、紫色の片栗、水仙の花々、フキノトウ、水芭蕉の花が咲いていた。城跡に降りると、キエビエの黄色い花が、木立の中を照らして咲いていた。  「地球は強いなあ、あんな大戦があったのに、こんなに花が咲いて」と羅夢王が言った。  「二十一世紀の後半でしょう。あの第三次世界大戦は」と亜衣姫も言った。  「うん。やっぱり地球は愛で持っているんだなあ、人も宇宙も」と羅夢王は言った。  「宇宙も地球も愛ってこと」  「そう。純粋な愛の意識で出来ているってこと」  「純粋な愛」  「うん。至高な愛の意識というか、それは無償の愛の姿そのものであるってことなんだ」  「見返りを求めない」  「いや、違う。ちゃんと宇宙の意識は見返りを求めている」  「なんで」  「だって僕達は何も知らないじゃないか、始めから不完全な人間を創っている」  「それで」  「見返りを求めないのなら、始めから完全な人間を創っている、そうだろう」  「でも、不完全な人間のままでも好いんじゃない」  「それじゃあ、宇宙の創造主は、無限の愛のお方ではない。文明も進歩しないし、宇宙も人間も進化しない、でも確実に、この宇宙も人類も進歩している」  「うーん」  「この世に完全なものはない。だからこそ敢えて、僕達に無限の進化が残されている。そうは思わない。始めから完全な人間を創ったら、この地球もいらない。僕達もいらない。そして、この宇宙もいらない。始めから創らなくっても良かったんだ。でもそうすると、それは愛ではない。創造主のお心とは違う。だから、僕達に未熟さを持たせ、更に高みへと、至高な愛の道のりを、永遠に残された、正に宇宙の創造主様はお見事に、僕達の魂が、無限に進化するように創られておられる。亜衣ちゃん、そうは思わない」  「すごいわ、らむちゃん。それこそ無限の叡智ね」  「これから話すことは、二十一世紀の人が聞いたら笑うだろうな」  「どうして」  「偉い脳の生理学者が、肉体の生存の不安からくる、脳内で創る幻想だとか言ってさ」  「私には、らむちゃんの言いたいことが分かるよっ」  「うん、それは生まれ変りのことだよね。これは秘中の秘だったんだぞ。仏陀以外は、どの神様も、敢えてこのことには触れられてこなかった。それは知る必要がなかったからなんだ。人は知らないでいた方がいい場合もあるんだ」  「どうして」  「科学が進歩しないからなんだ。お医者さんとか物理学の先生とか。それはそうだよね、お医者さんが、死んで生まれ変れ、なんて言えないものな。当分は知らない方がいいんだ。本当は、人は幾度と無く生まれ変って、不得意な部分を直しに来るんだけど」  「ええ。そのことは知っているわ」  「亜衣ちゃん、僕も生意気なことを言ったかな。実は、人は読みかけの本を読みに生まれて来ているんだ。そしてそのページこそが、その人の今の悟りの境地なんだよ」と羅夢王は言い、水仙の花をいちりん渡した。 ああーあ、書いてしまった…ごめんなさい!!

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 一つ質問してもいいですか。 人も社会も科学も、なんで進化する必要があるのでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.17

善とは何か、正義とは何か、という問題になっていそうですね。 この点に関しては、他者をどこまで自分に引きつけて、つまり想像力を働かせて、我と我が生き様を構築していけるか、という辺りを考えていますけどね。 ほんの半世紀前までは似たような、あるいはもっと酷いことをやっていたにも拘わらず、一点の曇りもないかのようなツラッとした顔して北朝鮮なんかを非難している日本人であるような我々にとって道は遠いのかもしれません。 参考 URL からですが、 >すると、記憶を参照しなければ永遠に連続した現在が続くということになりますか。 :とおっしゃるのはその通りと思いますが、これは熊や兎やライオンなどと同じになるということですが、その通りと思います。 意図していることがもうひとつよく見えて来ないような気もするんですけどね。 衣を取り払って具体的に提示していただくほうが、この混迷の世の中、何かと有意義な論議になるような気もしますね。 あ、また要らんことを・・・。 悪い癖です。   

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 戦争というやつは私にはよくわからないです。 先日テレビで戦前の日本人は徳を心得ていた、今の日本人は恥を知らないと言っていた人がいましたが、 そんなに立派な日本人がなぜ戦争をしたんだとテレビに一人突っ込んでおりました。 そこでも思いました、あちらを立てればこちらが立たずだなと。 参考URLは参考ですので深く考えないでください。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.16

No.15です。 完全さは「~してくれた、してくれている」そして「お任せします」と いう心象を現して至ることで、不完全は「~してくれなかった、してく れないから」「人任せにしない、出来ないけれど」という事情もある社 会で、単独の世界では価値を表明してくれる人間が生じてない(人と人 の間が人間というものだから)それが不完全さだろうと思いました。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ??ちょっと分からないです??

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.15

>この世界は不完全であることを前提に作られている この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか この世界を「3次元物質世界」として、人間の生活も物質を基盤にして いるので不完全や不平等があって、発情しない男女の恋愛も不完全とい えるし、子を産んでも子育てしない親や社会も不完全であるので不満、 不安となる意味が後からですが、付きまといます。善いとされること、 順風な時に意味は必要にされないから。 物質以上の現実的な世界があるかどうか?ですね。 いくら光を感じようと物質がないと見えてこないもので、見えなくても いいもの、「大切なものは目に見えない」愛は盲目といいますが、次元 に愛という構築要素を入れて愛の流れに乗るしかないでしょう(言い切 ってる自分で意味わかりませんが)

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 現実とは何かと考えると、 目に見えるのは物質とそれに伴う運動法則位かと思います。 ただ物質と運動法則だけが現実なのかといえばそうではなく、 我々が一般に言う現実とは人間社会のごたごたを指していますね。 私たちが問題にしているのはスイヘーリーベーではなく、人の生きる社会です。これは物質以上の現実ではないでしょうか。 愛については分かりません。 愛を構成要素に出来るのかも私には分かりません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.14

>その程度の善悪の意識しかなかったのでしょう当時の日本人は。  スローガンと、実際に戦争に動いていった歴史的背景及び心理的背景とはまったく別だと思われますが。 >そのために自国民を三百万人も死なせる結果になったのです。  では、日本がそのとき世界に対して動いたことで、どれだけの植民地が解放され、どれだけの人々を結果として救ったのか。  三百万人死なせた結果、「もし」その後の何億もの魂を救ったのだとすれば、正義が行われたことになる。それは善と言えるのでは?  今の人間が、当時の人間よりも善悪に対してシビアに生きているのだろうか?未だ、善悪の定義もままならない者が、善悪を語れるものだろうか。  質問者は 「東京裁判」についてよく調べたほうがよさそうですね。  結論として、No.7さんが一番良く本質を言い当てていると思う。  完全 とか、不完全 とかいう言葉が、不適切であると言うことです。  この世界の本質は変化、創造にあるでしょう。完成していて、動かなければ、創造が出来ない。 >その程度のものです、善悪とは。  善悪という言葉を使うから、「その程度」になってしまうのです。  なるほど、確かに 悪 と言うものがあったとして、それが社会が善に転じるきっかけ、皆が善に気づくきっかけになるかもしれないから、反面教師として、必要悪として、善である、必要であると言えるかもしれない、しかし、それは当事者がその場で、自分で言う言葉ではないのです。  不完全でいい という言葉も、やる前から、自分で言う言葉ではないのです。テストで良い点が取れなくてもいい というのは、実際に結果が出てから言う言葉であって、勉強する前から言う言葉ではないのです。  「悪であることに意味がある」と言うなら、確かにそうですね、しかしそれは、悪を表現している人間が自分で言う言葉ではないのです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >スローガンと、実際に戦争に動いていった歴史的背景及び心理的背景とはまったく別だと思われますが。 そうですね、これは言いすぎましたね。 私の言わんとすることはあの戦争は正しかったのかではなく、 ある視点で見ると正しいく、ある視点で見ると正しくないという事です。 日本人は日本人の正義で、アメリカ人はアメリカ人の正義で戦っているのですから。 日本から見ればアメリカが悪、アメリカから見れば日本が悪ではないでしょうか。 300万人の犠牲が善であるとは思う人もいれば、ばかげていると思う人もいる、とは思わないでしょうか。 つまり善悪どちらの側面も持っているという事です。 ご理解いただけるでしょうか。 >今の人間が、当時の人間よりも善悪に対してシビアに生きているのだろうか?未だ、善悪の定義もままならない者が、善悪を語れるものだろうか。 人間の歴史はずっとこの繰り返しだったのではないですか。 絶対善、絶対悪があると信じてきた結果だと思います。 事実としてのそれしか私は見ていないつもりです。 善と何か悪とは何か、不完全であるという事実は何を意味しているのかと問うているのであって、不完全だから努力なんて無駄であると言っているわけではないのです。 私は神様ではないですが、問うという事に資格や立場は関係ないと思いますよ。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.13

こんにちは 質問者さんの文の「不完全」の後に「と感じること」を付け加えて読んで見てください。 不完全だと思う理由は、負を感じているからですよね! でも「善も悪も視点を変えれば・・・」とか「正負は常に抱き合わで・・・」など 相対的にしか人は物事を見れない事は分かっていらっしゃる。 極論ですが 原爆に対する日米の感覚の違いとかですね! (後 鞭で打たれる人が、Mの人とそうじゃない人の場合とか・・・) 長くなるので結論を言うと 「不完全(相対的)を感じられる完全(絶対)な世界だ」という事です。 これは「神との対話」という本の受け売りなのですが、神様どうのこうのというより、有る哲学者の話として読めば面白いと思います。 質問者さんの疑問が明確になると思いますよ。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「不完全(相対的)を感じられる完全(絶対)な世界だ」という事です。 なるほど、うまいことをおっしゃる。 「神との対話」機会があれば読んでみたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.12

不完全でなければ意味がないと言うのであるならば、ある意味、不完全で在る事が完全と言う事になる。 なのでこの場合は、不完全である事に意味があると解釈した方がいいのでは? 考え方によるけど、世界が完成するまでの過程で今の世界があるなら、不完全な世界で在っても、意味は完成するまでの過程と言う事になると思います。 分かり難い説明ですいません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >不完全である事に意味があると解釈した方がいいのでは? はい、質問の中でそう主張しています。 私はこの世界は完成しないと思っています。 なぜなら、不完全であることに意味があると思われるからです。 そういう意味で回答者さんのおっしゃるように不完全であることが完全なのかもしれません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • この世界に悪は不必要ですか? 

    この世界に悪は不必要ですか?  あらゆるすべての物が美しく 正しく 善の世界、例えば天国のような場所では 価値判断はどうしますか? 対立する悪を失った時、善の姿は見えますか? 教養のない私がふと思った疑問です もし全くトンチンカンな事を言っているの なら御許し下さい

  • 絶対善世界における悪の役割

    私たちは日々様々な選択を行いますが、共通して言えることはもっとも良いと思われる選択を常に行うという事です。 商品の購入、進路の選択、他人の相談に対する回答、日々のありとあらゆる行動の基準が最善を選択しようとしています。 最善とは今持っている選択肢の中で最も良いと思われる選択肢です。 時間の経過に伴いこの選択は必ずしも最善ではなかったと思われる場合も出てきますが、その時点では最善を選んだはずです。 逆に言えば最善以外を選択することはできません。 この「最善を選択しようとする人の性質」を絶対善と呼べないでしょうか。 ・絶対とは逆らえないという意味です。どんな場合も最善以外は選択できません。 ・善とは最も良いと思われる選択です。 道徳的善悪にはその判断となる対象ががあります、人助けは善、人の物を盗むのは悪など。 しかし、絶対善には特定の対象はありません。最善と思われるものを選択するという原理だけです。 絶対善の法則に従い他人を傷つけることが最善と思われればそれを選択します。 この単純な原理は道徳的善悪を含んでなお最善を選ぼうとします。 では。すべての選択が絶対善に基づいているとすると悪とはなんでしょうか。 地獄への道は善意によって舗装されているなんて言葉が示すとおり、本質的に独善としての側面を持っています。 この『善』の暴走を阻止するため、リミッターの役割として「悪という概念」があるのではないでしょうか。 本人は最善を選んではいますが、他者から見ればそれは行き過ぎた善、或いは他者の存在を考慮しない善です。 見方を変えれば「悪」とは独善という名の『善』なわけです。 絶対善が支配するこの世界で悪(相対悪)の役割は善に対するブレーキのようです ちなみに絶対悪はこの世界にはありません。 コインの表のどこを探してもコインの裏がないのと同じです。 たまにはこんなことを考えてみるのはどうでしょう。 考えることを止められないなら、いっそのこと世界の仕組みについて考察するのもいいんじゃないでしょうか。

  • 絶対善が支配する世界における悪の役割

    私たちは日々様々な選択を行いますが、共通して言えることはもっとも良いと思われる選択を常に行うという事です。 商品の購入、進路の選択、他人の相談に対する回答、日々のありとあらゆる行動の基準が最善を選択しようとしています。 最善とは今持っている選択肢の中で最も良いと思われる選択肢です。 時間の経過に伴いこの選択は必ずしも最善ではなかったと思われる場合も出てきますが、その時点では最善を選んだはずです。 逆に言えば最善以外を選択することはできません。 この「最善を選択しようとする人の性質」を絶対善と呼べないでしょうか。 ・絶対とは逆らえないという意味です。どんな場合も最善以外は選択できません。 ・善とは最も良いと思われる選択です。 道徳的善悪にはその判断となる対象ががあります、人助けは善、人の物を盗むのは悪など。 しかし、絶対善には特定の対象はありません。最善と思われるものを選択するという原理だけです。 絶対善の法則に従い他人を傷つけることが最善と思われればそれを選択します。 この単純な原理は道徳的善悪の基礎になっています。 善行も悪行もその基礎に絶対善が含まれています。 ではすべての選択が絶対善に基づいているとすると悪とはなんでしょうか。 「地獄への道は善意によって舗装されている」なんて言葉が示すとおり、本質的に独善としての側面を持っています。 この『善』の暴走を阻止するため、リミッターの役割として「悪という概念」があるのではないでしょうか。 本人は最善を選んではいますが、他者から見ればそれは行き過ぎた善、或いは他者の存在を考慮しない善です。 見方を変えれば「悪」とは独善という名の『善』なわけです。 絶対善が支配するこの世界で悪(相対悪)の役割は善に対するブレーキではないでしょうか。 ちなみに絶対悪はこの世界にはありません。 理由は簡単でコインの表のどこを探してもコインの裏がないのと同じです。 ですから絶対善が支配するこの世界のどこを探しても絶対悪は存在しません。 お盆ですからこんなことを考えてみるのも一興ではないでしょうか。

  • 絶対善世界における悪の役割

    私たちは日々様々な選択を行いますが、共通して言えることはもっとも良いと思われる選択を常に行うという事です。 商品の購入、進路の選択、他人の相談に対する回答、日々のありとあらゆる行動の基準が最善を選択しようとしています。 最善とは今持っている選択肢の中で最も良いと思われる選択肢です。 時間の経過に伴いこの選択は必ずしも最善ではなかったと思われる場合も出てきますが、その時点では最善を選んだはずです。 逆に言えば最善以外を選択することはできません。 この「最善を選択しようとする人の性質」を絶対善と呼べないでしょうか。 ・絶対とは逆らえないという意味です。どんな場合も最善以外は選択できません。 ・善とは最も良いと思われる選択です。 道徳的善悪にはその判断となる対象ががあります、人助けは善、人の物を盗むのは悪など。 しかし、絶対善には特定の対象はありません。最善と思われるものを選択するという原理だけです。 絶対善の法則に従い他人を傷つけることが最善と思われればそれを選択します。 この単純な原理は道徳的善悪を含んでなお最善を選ぼうとします。 では。すべての選択が絶対善に基づいているとすると悪とはなんでしょうか。 地獄への道は善意によって舗装されているなんて言葉が示すとおり、本質的に独善としての側面を持っています。 この『善』の暴走を阻止するため、リミッターの役割として「悪という概念」があるのではないでしょうか。 本人は最善を選んではいますが、他者から見ればそれは行き過ぎた善、或いは他者の存在を考慮しない善です。 見方を変えれば「悪」とは独善という名の『善』なわけです。 絶対善が支配するこの世界で悪(相対悪)の役割は善に対するブレーキのようです ちなみに絶対悪はこの世界にはありません。 コインの表のどこを探してもコインの裏がないのと同じです。 相対的な善悪で自分自身を責めるのはその辺でやめた方がいいんじゃないでしょうか。 どのみち私たちは絶対善からは逃れられないのですから。

  • 善と悪の捉え方

      善と悪の捉え方について見たとき、人間には3種類いるよーである。 1つは善と悪は絶対的なものであり、人の立場や社会情勢に関わらず常に明確に区別できると考える人。 2つは善と悪は相対的なものであり、その時々の人の立場や社会情勢により善が悪にもなり悪が善にもなると考える人。 3つはもともとこの世に善も悪も存在しないと考える人。 果たしてどちらがより真っ当であると言えよーか、 どちらがより真理に近いと言えよーか。  

  • 神とは「悪」なのか?

    私はいつも善と悪について考えています。 それを生んだ神という存在についても考えています。(この神とは何々教の神ではありませんし、神の存在について問うものではありません。創造されて何かがこの世界にある。森羅万象を作る源と扱います) これまで「善」=「神」だと思っていました。 人間については性善説ではなく、性悪説をとっています。 善と悪の戦いです。ですが、あまりにもの世の中の不条理に出会うたび、神はいないのではないかと思うのです。つまり神に失望したのです。 もし神が善なる存在でしたら悪は排除されるはず(べき)です。 では、神に対する人は希望なのでしょうか。 人が悪に対する希望だとしましょう。しかし人が善を求め、成長するために心や魂をもつものとしたら悪はそのための概念です(物語は絶えず悪を排除し、カタルシスを求めるところに人は善を求めている証しもみられる)。しかし悪というものの実態は破壊そのものであり存在意義すら許されることではありません。 善は善のままであってもよいはず。二律背反の法則で(?)悪があるとしたら、善そのものの美(という表現が適切かどうかはわかりませんが)が悪のためによって傷つけられ、汚され、破壊されるのが「現実」です。それでしたら善が善である存在意義がありません。 なぜ悪はあるのか。そして強烈に悪をしらしめるのがこの世の実相でしたら、もうこれは愛や創造のためではなく、破壊がこの世の、人のなかに前提として存在を許された(では「誰」に?)ものなのでしょうか。 このようなことを考えると、神はもしかしたら悪なのではないかと思ってきました…

  • 競争の社会的意義

    競争の社会的意義 という課題のレポートを書かなければなりません。授業は「経営科学」です。 私は工学系の学生であり、授業は教養科目として履修しております。 競争は悪だと教わったゆとり世代の私ではありますが、レポートは真面目に自分で作成します。 ミクロな視点だと競争は悪に見えるかもしれませんが、マクロな視点で見ると競争は善の様にも思えます。 皆さんがどのような視点で、競争の社会的意義についてお考えを持っているのか知りたいです。 よろしくお願いいたします。

  • 人間6割悪4割善

    人間の6割は誰も見ていないと悪さをするといいます。 4割は誰も見ていなくても悪さはしないといいます。 科学的データです。(善悪二元論?) この事から一見悪そうな人も善だったり、善良な市民だと思えた人が悪だったりします。 たいてい悪の側の人間は、人をいじめたり排除したり、陰口、悪口が好きです。そのわりに社会的にはまっとうな人間に思わせてきますから見抜くのは難しいです。 宗教やっている人が善かといえばそうではなく、やっている人も集めれば6割悪、4割善でしょう。 しかしなんで悪が宗教やってるのかよくわからないです。教えてください。 また悪同士で友人、恋人関係を築いているわけですが、私には友情や愛といった感覚があるのか分からないです。どうやって結びついているのか・・・。 私自身、このデータにたどりつくまで、6割悪だと気づかずに人と付き合い、傷つき、損してきました。 これからは4割の方々とだけ付き合いって行こうと思っています。 これは何も悪を排除する事にはなっていないです。だって悪は6割もいて悪同士で結束しているんですから。 私は今まで悪と関わらないって事は悪を排除している事につながり、悪が善に転化するのを妨げてるんじゃないかって思っていました。 ですが最近は悪が善に転化することってないのではって思い始めています。 つまり人間は生まれたときから気質的に善と悪にわかれているのだと・・・。 まあ、ここまではデータは出ていないのですけれどね。 私のいってる事がほぼ真実に近いとしても、社会って6割悪だから、この考えは猛反対を受けて抹消されるとは思っています。

  • 文章の意味を教えて下さい。

    斎藤緑雨の次の文章の意味を教えて下さい。 「偽善なる語をきく毎に、偽りにも善を行ふ者あらば、猶可ならずやとわれは思へり。社会は常に、偽善に由りて保維せらるゝにあらずやとわれは思へり。」

  • 世の中綺麗な世界なんて作れませんよね?

    世の中綺麗な世界なんて作れませんよね? それとも作れるのでしょうか? ここからはちょっと後悔も含めた話となります。(長くなるので読まなくても良いです) 私が小中学生の頃そんな綺麗な世界を夢見ていました。 だから、世の中の差別主義者とか過激な発言をする人とかそういう類いの人がいる事がなんとなく理解できます。 例えば職業差別や生まれによる差別。 これは自分が卑しいと思った(というか嫌いな)職業や集まりを排除し自分に見えないようにすることで、自分が望む(しかし実際は見せかけだけの)ユートピア世界を作り出そうとする一種の理想主義に思えます。 私は差別発言などはしませんでしたが、現実離れしたユートピアを求めたことについてはなんとなく自己嫌悪があります。嫌いだろうが好きだろうが、それから目を背けても、世の中の隅に追いやろうとしても現実は変わらないのにです。 漫画デスノートの夜神月(キラ)は、容疑者をどんどん始末することで、犯罪の無い綺麗な世界を作ろうとしました。犯罪が許せないというのは同感ですが、これも美しい世界を無理矢理に(非合法な方法で)作りだそうとする考えが、夢を見ていた時代の私に重なって見えました。 綺麗な世界なんて100回夢見ても夢だし、綺麗事は100回唱えても現実にならないのにです。 もちろん私は悪い事はしていませんよ。悪い空想はしていたと思いますけど。 私はそんな空想をしていた反省があるから、キラが嫌いなんだと思います。 映画マトリックスのパンフレットには、この映画に楽曲を提供した米ロック歌手のマリリン・マンソン(marilyn manson)は、この世のものは善と悪で成り立っており、善のみまたは悪のみでは成り立たないと考えているというような事が書いてあった記憶があります(うろ覚え)。 私は今、定期的に募金をしています。世の中から目を背けず、しかし、世の中を良くしようとする現実的なやり方は今のところこれしか無いと思ったからです。 やっぱりこういう非現実的な空想っておかしいですか。

PCのDVDトレイが開かなくなった
このQ&Aのポイント
  • PCのDVDトレイが開かなくなった。DVDをトレイに入れようとしてもなかなか開かず、再生できなくなった。
  • PCのDVDトレイが開かなくなり、DVDの再生もできなくなりました。エクスプローラーにもDVDが表示されません。
  • 富士通FMVのPCのDVDトレイが開かなくなり、操作でも取り出せなくなりました。DVDの再生も不可能です。
回答を見る