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記憶というものはそんなに大事でしょうか

人間は記憶や思い出を大事にしますが、そんなに記憶とは大切なものでしょうか。 この世を去る人は、私を忘れないでほしいと思い、 残された人たちは忘れないことを誓うでしょう。 過去の戦争も忘れないことで未来の戦争を回避しようとします。 心情的には分かるのですが、あえて問いますが 『そんなに記憶が大事ですか?』 人にとって記憶とはなんでしょう。

みんなの回答

回答No.9

shiftさん。こんばんわ。 記憶がなければ未来はありません。 「わたしは何者である。」 「周りの状況はこうであった。」 このような記憶があるからこそ、 「何者かであるわたし」は望むことができるのであって、 人間は望むことをするようにしかできていませんから、 記憶がなくなる、つまり、望むことができなくなる、 ということは未来がなくなるということです。

shift-2007
質問者

お礼

こんばんは、 そうですね、記憶がなければ記憶の投影物としての未来はないでしょうね。 過去のつらい記憶を捨てる代わり未来もなし。 過去の記憶を保ちつつ未来に希望をみる。 究極の選択としてどっちがいいですかね。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.8

人間の知覚というものは、素晴らしいものです。ただ、人は聞こえているはずの自分の心臓の音が聞こえているはずなのに、認知しません。血管の中を流れる血液の音は、それを認知すると「耳鳴り」になってしまいます。 つまりまず、人は知覚という情報を取捨選択していると言うことを理解しましょう。脳にとって必要のないことは認知しないように出来ているのです。 また、「認知」した情報も、脳がこしらえた「整理棚」の中に組み込まれなければ、後日利用することは出来ません。どうもこのあたりは、海馬という脳の部分がやっていることのようですが。「海馬」によって整理されていない知覚されたものは、破棄されるのではなく、未整理のもの(深層心理)として保存だけはされます。ただ、これは自分の都合のいいときに「記憶」として利用することは出来ません。 このように「脳」の身勝手によって「記憶」は出来ているのでしょう。 つまり、ヒトが意識できる「記憶」とはそのようなものです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人間の脳はまだまだ未知ですね。

noname#154451
noname#154451
回答No.7

記憶がないと確かに生きていけません。 ある程度は大事です。 でも人の記憶と言うものは完璧ではありません。人によっても同じ環境にあって全く記憶が違うこともあります。 間違って記憶したり、過去のことを自分の都合よく記憶が書き換えられることもあります。 もしくは、全く体験していないことを、まるであったかのように記憶に残してしまうこともあります。 過去の記憶から反省があっても、人間はまた同じ過ちを繰り返します。 そういう意味では、記憶はそれほど重要なものでないかもしれません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに記憶はあいまいなものですね。 それでもわれわれは思い出を大事にするのはなぜなんでしょうね。

noname#100496
noname#100496
回答No.6

記憶は、脳の思考による自我意識の事です。だから勝負事のように、無に集中する時は、逆に邪魔になります。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私も勝負事は苦手です。

  • naoagu
  • ベストアンサー率21% (25/116)
回答No.5

記憶とは、現在を支える柱のようなもの・未来を探る指針になるものであると感じています。 また、記憶は経験と切り離すことの出来ない関係だとも思えます。 経験したことは、良いにしても悪いにしても、多からず少なからず身に付き、学んだこととして自分の中に存在しています。 この記憶(経験)無くして、現在の自分や成長はあり得ないし、未来に予定や希望を定めることも出来ないと思います。 精神性を重視した場合も、思い出・追憶・懐古などの思いは、それらが無いより、ずっと豊かで彩りに満ちた人生を形づくる大切な要素だと考えられます。 記憶とは、自分を知るため、高めるためそして、人生を抑揚のある無二のものにするためにあるのでは、ないでしょうか。。。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 現在を支える柱は実際には何を支えているのでしょう。 脳の機能としての記憶はとても便利で、人間という種が他の動物たちとの生存競争に勝ち残ったのはこのおかげであることは言うまでもないですね。 ただ、精神にとっての記憶はかなり諸刃の剣だと感じているのです。 トラウマだ何だと他のカテゴリではお祭り騒ぎです。

  • Us-Timoo
  • ベストアンサー率25% (914/3620)
回答No.4

逆にお尋ねしますが、あなたにとって『記憶』は そんなにその存在を疑問視しなければ いけないほどの不要な、或いは 余計なものなのですか? 仮に記憶がなければ、さっき自分が言ったこと・やったことすら 忘れて消えてしまうことになり 人間としていきていくのにも差し支えますけど? 実際に私にはまだら痴呆の入ってしまった 高齢の叔父がいますが、体はお医者様にお墨付きを貰うほど 健康であるのにも関わらず ヘルパーさんに手助けしてもらわないと 自分の身の回りのことすらできません。 忘れてしまいたい記憶も 絶対に忘れたくない大事な記憶も 忘れたいけど、忘れてはいけない記憶も 人間が『生きていく』上で絶対に『必要』なものです。 忘れたい記憶だけ都合よく消せるわけもありませんし どんなに嫌なことがあっても 絶対に忘れたくない大切な記憶があるからこそ 『生きていく勇気』 が湧いたり、これから先に 『望みをかける』 『実現できるように努力する』 のです。 もし、記憶がないなら、それはもう動物以下の存在でしかありません。 動物だって根気よく教えれば、少しずつでも覚えていきます。 それでもあなたは 『記憶』の存在 を疑問視しますか? あなたはどんなに大切な記憶もなくしても 人生を生きられますか? 最後に世の中には、痴呆症に限らず 『記憶障害』 の病で苦しんでおられる方々が あなたの見えないところに たくさんいらっしゃる事実を どうお考えですか? それでも『記憶』の存在を疑問視しますか?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まず、私は私の現実を生きていますのでそこだけはご理解ください。 >不要な、或いは余計なものなのですか? >人間としていきていくのにも差し支えますけど? そうです、生きるためにはとても便利な脳の機能です。 そこは否定しません。 >『生きていく勇気』が湧いたり、これから先に『望みをかける』『実現できるように努力する』のです。 ここは私にはあまり理解できません。 私はつらいことがあっても昔の良い思い出に浸ることはしません。 >もし、記憶がないなら、それはもう動物以下の存在でしかありません。 その通りです、私は脳の機能としての記憶を否定しません。 >『記憶障害』の病で苦しんでおられる方々があなたの見えないところにたくさんいらっしゃる事実をどうお考えですか? 生活の上での不便さは想像できますが、質問している内容とは別の話ではないでしょうか。 例えば、なぜ人は他人の記憶に残ることを望むのかという事です。 そしてなぜ昔の思い出に浸るのかという事です。

noname#99640
noname#99640
回答No.3

生きた証です。 私は自然とそう思う歳になってしまいました。 同じ時間が過ぎてゆくのに以前とは全く違う、時間の質が変わってしまったように感じます。 過去の時間の質を取り戻したいと思うときがあります。 年寄は昔の事はよく覚えているとよく言いますが、過去の時間への願望かもしれません。 出来事そのものよりも、常に新しい世界が開けてゆく生き生きとした時間であったように思えるのです。 それはこれからの時間に夢を失いつつある者にとっては、かけがいのない宝のようなものです。 愚痴っぽい悲しい説明になってしまいましたね。 でも本当です。 たまには年寄の昔話でも聞いてやってください。 それでは。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 生きた証ですか。 あまり昔を振り返らない私にとってはまだピンとこない言葉です。 全ては良い思い出となるのでしょうか。 生命としての体は衣食住によってほとんどオートマチックに寿命をまっとうするでしょうが、精神にとって生きるという事はまた違う次元をもっているのかもしれませんね。

  • nemoax006
  • ベストアンサー率14% (343/2433)
回答No.2

自分という認識は記憶で成立します。 記憶が無い状態では自分というオリジナリティある個体は存在できません

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そんな気もしますが、それだけでもないような気もします。

回答No.1

人間以外の動物は本能に従って生きていけます。 でも人間には本能がありません。 犬は生まれてすぐ親から離れても犬に成長します。 人間の赤ん坊は食べ物と食べられないものの区別も できず、煙草を食べたりします。 親が教えたり、自分が経験して覚えたことを 記憶して本能の代用品にします。 記憶できない赤ん坊がいたら、何年たっても赤ん坊のままです。 人類から記憶がなくなれば滅亡しかありません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 生命活動のために記憶を利用するのは合理的で理解はたやすいですね。

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