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思い出はそんなに大事なものですか。

人は経験や思い出を大事にしますが、そんなに経験や思い出は大切なものでしょうか。 この世を去る人は、私を忘れないでほしいと思い、 残された人たちは忘れないことを誓うでしょう。 過去の戦争も忘れないことで未来の戦争を回避しようとします。 心情的には分かるのですが、あえて問いますが 『そんなに思い出や経験は大事ですか?』 人にとって記憶とはなんでしょう。 *脳の機能としての記憶は否定しません、これほど便利な道具はありませんので。 あくまで心理的な記憶(思い出)です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • minumteh
  • ベストアンサー率21% (43/196)
回答No.4

いい生き方に思えます。 思いでに浸るということは、良きにつけ悪しきにつけ、 何かを引きずっているかもしれません。 過去は風と過ぎ去るんですか。とらわれない感じですね。 そのようにしようとしても、簡単そうで難しいことではないかと思います。 参考URLは、ちょっといい文章だったのでリンクさせてみました。

参考URL:
http://web.soshisha.com/archives/tamatebako/2007_1213.php
shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 素敵なリンクありがとうございました。 読んでいて思ったのですが、他人との関係において思い出は作られやすいのだろうと思いました。 故に思い出を大切にするという事は、それに関わる人達を思いやるに通じているのかもしれませんね。

その他の回答 (3)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

>私には人間関係における足がかりがあまりないことになりますかね。 :忘れるという行為も記憶の取捨選択の一種でしょう。 記憶が無ければ忘れることもできません。 忘れるにせよ覚えているにせよ、記憶をポンと踏んで前進しているに違いはないわけで、単にスタイルの違いと私は思います。 罪とは関係ないでしょう。 いずれにせよ、跳んだあと何処へ行くのか、ということじゃないでしょうか。 しかし、忘れたつもりでも脳が覚えているということはは多々あるわけで、この脳科学的な記憶が心理的記憶と切り離せないのが厄介、という場面はあるかもしれません。 『悼む人』が発売された頃、天童荒太が作品について語っているのをテレビで見たことがあります。 瑞々しい神経が剥き出しになった因幡の白兎といった印象を受けました。 彼の作品では「永遠の仔」を読んだことがあるだけです。  

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、忘れるというのも一つのステップと言えるのですね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

たとえば草花の種を蒔きます。 やがて種から芽が出ますが、その力はどこから湧いてくるのかと思います。 どのような仕組みになっているのか、という説明は可能なのかもしれませんが、なぜそのようになっているのかの説明はおそらくついていないでしょう。 また、人は元々本能丸出しの動物であったのでしょうが、いつ頃からか、本能以外の何かを求めるようになり猿人とは進む道を異にするようになりました。 よくも悪くも超自我性の萌芽ということだろうと思います。 種が芽を出すのも、超自我性の萌芽も、未知の可能性を目指そうとする意思がそこにはあるような気がします。 shift-2007 さんは、何の(誰の)意思か、とお聞きになると思うので、よくはわかりませんが、この宇宙を含む世界というものを存在たらしめたエネルギーとだけ、とりあえずお答えしておきます。 このように「未知の可能性」を手探りする場合に、やはり足がかり、手がかりというものが必要になるように思います。 これはあくまで物理的にです。 (因みに、心理の根本原理は物理学であろうと勝手に推測していますが) 何かが過去であったという認識があればこそ、新しい体験は常に未知の可能性を含むことが可能になります。 人にとっての記憶とは、未知の可能性を探るための足がかり、といったようなことになるでしょうか。 尤も、ここでいう可能性というのは何か大それたものを想定しているわけではありません。 葉末に落ちた一滴の雨水が、自身の行方は海であるといつか知るような、そんな程度のことなのでしょう、たぶん。  

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 話が壮大になりましたね。 足がかりですか、私には人間関係における足がかりがあまりないことになりますかね。 なんとなくあたっている気がします。 人と人の関係において、忘れること(思い出を捨てていくこと)はある種の罪なのでしょうか。

shift-2007
質問者

補足

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3903311.html 昔こんな質問をしました。ある意味私の求める状態ではあるのですが。

  • minumteh
  • ベストアンサー率21% (43/196)
回答No.1

難しそうな質問ですね。心情的には分かるとのことですが、 それでは、どういった意味で分からないのでしょうか。 質問のきっかけになったことなどを具体的に示してもらえると、 答えやすくなるかもしれません。 ただ、忘れたい思い出というものもあると思いますし、 思い出が邪魔になって、何かをやりにくくて困るということもあると思います。 その意味で言うと、必ずしも大事に持っていたいものとは限らないと思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 これといってきっかけになった事件はないのですが、 最近『悼む人 天童荒太著』という本を読みました。 この中で主人公は全国を回りながら死者を悼む旅を続けます。 毎日どこかで人は死んでいますが、生きている者は時間とともに死者の事は忘れていきます。 それでいいのかと自問する主人公が描かれていました。 きっかけといえばこれです。 個人的に私はあまり昔の思い出に浸るという事はありません。 誰かに覚えていてもらいたいとか、忘れないようにしようという強い思いもありません。 経験を否定はしませんが、原因と結果の関係を知るだけのことで方程式のようにさえ感じます。 私にとっては過去の出来事は風のように過ぎ去るばかりなのです。 かといってまったく理解不能というわけではないのですが、人は思い出だけで生きていけるようにはできていないだろうと冷静に思うのです。 故に思い出に浸るという行為は何を意味しているのだろうかと思うのです。

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