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戦前の日本に重機がなかったのはどうして?

戦前の日本では、ブルドーザー、ショベルカーなどの工事用重機を作ってなかったようですが、どうしてでしょうか? 戦車を作っているので、技術的には問題なかったと思います。 あれば飛行場や陣地の構築、建物の間引きなど、随分と役に立ったと思うので、不思議です。 全くなかったわけではないようで、戦争動画で、飛行場の地面を均す小さな重機を見たことがあります。

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  • buchi-dog
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回答No.2

その件については、下記の本で考察されています。 「技術戦としての第二次世界大戦」 (PHP文庫) 兵頭 二十八 (著), 別宮 暖朗 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/4569668100/ 簡単に言いますと、 * 戦前の日本は欧米より貧しい国であり、低賃金でいくらでも土方を集めることが出来たので、土木工事は、高価な工事用重機を購入して機械力で行うより、土方の人海作戦でやる方が安くついた。よって、戦前に建設重機を国産しようという機運は生じなかった。軍でも民間でも、戦前に建設重機に関心を有していた形跡は見られない。 * 大東亜戦争開戦後、米軍が遺棄した重機を見てその威力に驚いた陸海軍は、現在の小松製作所などにそれを真似たブルドーザーを作らせた。それらしいものは出来たが、米国製のものと比べると問題にならない低性能のものしか出来なかった。大きな理由は「冶金技術が、欧米に比べ圧倒的に遅れていた」ため。 といったことのようです。 ちなみに「冶金技術の遅れ」は、日本軍の兵器全てに影響を及ぼしており、例えば * 同じ口径・初速で砲弾を撃っても、徹甲弾に使う特殊鋼の品質が低いため、敵戦車の装甲を打ちぬけない。 * 機関銃や大砲の砲身に使う特殊鋼の品質が低いため、寿命や強度が劣る。同じ強度にすると欧米製より重くなる。 * 最も作るのが難しい特殊鋼である「バネ用特殊鋼」は戦前は多くを欧米からの輸入に頼っていた。これが不可能になると、バネを国産特殊鋼で作ろうとしたが、兵器の性能レベル低下がアチコチで生じた。 などです。

その他の回答 (5)

  • zep19
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回答No.6

日本に技術力がなく、無理して国産化するより海外から輸入した方が安上がりで高性能なものが手に入ったためです 日本は第一次大戦後重工業化が進展しますが それでも製造工業生産額に重工業生産額が占める割合は 1925年23.7% 1930年32.8% に過ぎません 特に工作機械は日本の不得意部門で簡単な旋盤機械はどうにか国産化できましたが、複雑なものは殆ど輸入でした 30年代後半から急速に重工業化は進みますが、それは保護的輸入規制と経済封鎖による輸入代替の意味合いが強かったです 日本が戦時中に捕獲した米戦闘機の全くオイル漏れのないエンジンルームを見て技術陣は驚嘆しました 逆を言えば日本の物はオイル漏れは日常茶飯事ということです 戦後も 現在は世界のトヨタでも50年代には北米市場では技術的に米車に全く歯が立たず全面撤退 後に世界トップになる鉄鋼業もオーストリアからLP転炉法の技術輸入があったからトップになれたのです

  • tande
  • ベストアンサー率12% (22/179)
回答No.5

>あれば飛行場や陣地の構築、建物の間引きなど、随分と役に立ったと思うので、不思議です。 それは言い換えると、あればあったで役立つけど無いとどうしても駄目ってわけじゃない、ですよね。 あとリソースの問題で、重機を作るとなるとどれか他の生産を削らないといけません。 また戦前の土木事業は雇用対策としての位置付けとしており、金のかかる機械を導入してなるべく少ない人よりとにかく沢山人をいれたかったという事情があります。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.4

関心はありました。使ってもいました。でも、それは満州でのはなしで、しかも満鉄限定のハナシでありました。 当時(日本の戦前における国力のピーク昭和13年)、世界列強の技術力と対等に勝負できたのは、日本では南満州鉄道株式会社だけです。鉄道運営だけではなく、建設、建築、学校運営、治安警備、高級ホテル経営、石油調査、と、あらゆることをやっていました。そこだけが日本国内より頭一つ飛び出た組織だったのです。 ブルドーザー自体の研究は、戦前からやっていましたし、京都大学にはアメリカ製のブルドーザーが実際にありました。 あと、帝国陸軍が兵站を軽視したといわれるのは ・島嶼への補給は海軍の所管だった。陸軍ではどうしようもない。 ・インパール作戦はもともと物資がなかった状態で、無理にスタートした。牟田口の無能がこれに輪をかけた。作戦計画は完璧に動いて、手持ちの物資がつきるまで、英国第14軍は空から補給を投下してもらい陣地に立てこもっているありさまでした。 ・補給路の通じていた大陸では、ソ連軍以外には負けていません。大陸だ通作戦(一号作戦)は、44年3月にはじまりましたが、師団単位で自動車道路を構築・確保して兵站を維持。弾薬の集積、砲の移動を迅速に行って、計画された目標以上の戦果をあげています。

  • 1ro3
  • ベストアンサー率19% (6/31)
回答No.3

2の方に便乗させていただきまして、 技術的に課題があった。 それとともに、旧軍の伝統的な癖ですが、正面兵器の開発には熱心ですが、兵站への理解が上層部に薄くなっている傾向があり、それも理由に入れていいかと思います。 なんせ、東郷艦隊がバルティック艦隊を破ってしまったわけですから、あの奇跡の海戦を肯定的に考えては兵站の重要性が薄れてしまいます。 旧軍というより、兵站を考えなくても国土が整備できてしまえる日本人の民族性かもしれません。

  • okormazd
  • ベストアンサー率50% (1224/2412)
回答No.1

経済力が無かったからです。 材料も資金も無かった。技術も米英独ソなどと比べれば劣っていた。 仮に材料・技術があって作れたとしても、軍(国)がそれを購入して配備する財政力はありませんでした。 >戦車を作っているので、技術的には問題なかった 戦車といっても当時の米英独ソのものと比べればおもちゃのようなものです。まるで実用にならなかった。 その他にも見た目は仰々しくてもまるで実用にならなかったものがいくつもあります。戦艦大和が代表。本格的な戦争などできなかった。

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