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欧州ブランド商法は、西洋哲学の勝利か

neue_haasの回答

回答No.3

【Q-1】 ブランドは哲学というよりも 民話などの物語に近いものとして 考えた方が正確ではないかと思います。 「シャネルは女性を解放した。」というのは物語であって、 「シャネルは女性解放運動をしていた」という事実はありません。 ブランドイメージを強化するため物語と ブランドを支えている哲学は分けて考える必要があり、 ブランドを支える哲学は、社会全体を支配している哲学であって 個々のブランドとは関係ないように思います。 現在のブランド戦略の実情に照らしても、 ブランドイメージを確立するために必要なのは、 芯の通った哲学ではなく、 わかりやすい物語だと私は考えます。 この物語を「ブランド哲学」と、かしこまって表現することそのものが ブランドの物語化ではないでしょうか。 【Q-2】【Q-3】 西欧ではありませんが、マクドナルドは 「全ての人間は平等な食事を与えられるべきである」という哲学が 顕著に表れたブランドです。 この哲学は、産業革命にともなってヨーロッッパで生まれ、 食事を工業製品のように生産し、画一化された同じ品質のものを 安価に作り出すという発想の転換につながりました。 そもそも、かなり共産主義的な思想だったものが、アメリカに渡って、 なぜか資本主義の代名詞として具体化されたのです。 なぜヨーロッパではなくアメリカだったのかという疑問は、 西洋哲学との相関があるのかもしれません。 私は哲学の専門家ではないのでわかりません。 ただ、マクドナルドはその哲学には無自覚で、 (自覚していてもブランドストーリーに組み込んでいない) 買う方もそれをブランド哲学だと考えていないのは確かです。 私は狭義の意味で考える限り、 哲学はブランドとは関係ないと考えます。 【Q-4】 日本の民話の成功者は、 多くの場合、殿様にほめられたり、大判小判を手に入れたりします。 日本の老舗ブランドが自社のブランドストーリーとして 採用しているのも、幕府御用達であった事、皇室御用達であった事、 大きな寺社の祭りで愛されてきた事などです。 欧州のブランドが採用しているストーリーにも王室御用達といった 物語がありますが、根底には個人の意思が皆に受け入れられ、 その意思によって社会が幸福に近づいたという物語あるように思います。 もっと詳しい方にお話を伺いたいところです。 ブランドを物語として捉え、 家と個人の物語の違い、国家の持つ物語の違い、 そのような視点で見た方が、ブランドというものを語る上では、 ヒントが多いように思います。 ファッション業界で欧州ブランドが日本で人気なのは、 単純に日本のファション業界の老舗が、 開国と戦争の間に全部つぶれてしまって存在しないため、 競争相手が少ないからではないでしょうか。 また、西洋ブランドであるということ自体が、 幕府御用達と同じ意味合いを持つからだと思います。

pokoperopo
質問者

お礼

ご回答をいただきありがとうございます。先程、補足質問をいたしました。  ご指摘いただいたとおり、固有のブランドが特定の哲学よりも、物語性を重視していることは、各々がブランドストーリーを、高々と掲げていることからも明らかですね。浅知恵だったようです。ココ・シャネルは、女性に関する物語を紡ぎましたが、ボーヴォワールなどのフェミニストの後押しなくして、成功できたのかは、少し疑問が残ります。自らは唱えなくとも、哲学が社会に影響を与えている、その風潮を読み取ることに、長けていたのではないでしょうか。  また、マクドナルドこそ、哲学そのものではないでしょうか?あそこでは、ハンバーガー以上の何かを提供しています。消費者は、それに無関心かのように見えますが、言語化こそ試みないものの、多くの共通認識が醸成されて、今日の繁栄に到ったのでしょう。それは、画一化、標準化が結果の安定をもたらすというもので、マニュアルが守られているかぎり、不満を募らせる客は、稀であるということ、世界中でほぼ同じサービスが行われることです。  皇室御用達に関してはどうでしょう。日本の老舗は、自ら進んで献上したのではないでしょうか?御用達は、献上と愛顧が継続した恩賜として、与えられたのではないでしょうか?それに比べてて西洋の王室は、圧倒的な権力と財力でもって宮廷芸術家を囲い、自己犠牲のもとに芸術を昇華させたと考えます。強烈な個性の発露は、抑圧された歴史と、絶対への自己犠牲から生まれたのではないでしょうか?  ともあれ、ブランドそのものは、哲学よりストーリーを重んじる、感性の世界であることは、間違いありません。拙文中に、錯誤がありましたら、ご指摘いただけると勉強になります。

pokoperopo
質問者

補足

ブランドとは、すなわち物語とのご指摘ですが、興味深いご考察です。それならば、神話性に置き換えて考えることも、可能ではないでしょうか?  例えば、クォーツショックからしばらくして、機械時計の復権がありました。その際、数百年もの休眠ブランドを、その創業者の末裔から買い取りました。創業者神話を全面に押し出して、廉価な汎用部品を搭載し、歴史的イメージをデザインに盛り込んでいます。  実態としましては、創業者とは、時計製作の技術もブランドの歴史も、何の連続性もないものです。これがヒットすることは、まさしく神話のなせる業ではないでしょうか?  よろしければお答え願います。ご回答へのお礼は、のちほどお送りします。この欄と併せてお読みください。

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