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欧州ブランド商法は、西洋哲学の勝利か

wiz0621の回答

  • wiz0621
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回答No.1

なるほど言われてみれば確かにブランドとは、 ある概念が顕著に現れた例のようにも思えます。 その概念とは『売方注意』です。 Q-1,3について。 現在の商慣行の根幹に『売方注意』というものがあります。 およそ230年前、イギリスで起きたバブル崩壊の調査委員が 解決法として提案し、以後、世界に広まった考え方です。 中世以前の商取引は『買方注意』により行われていました。 つまり、『悪い商品を買った方が悪い』という考え方です。 この考え方は当然売り手優位であり、同時にある問題が 生じる思想でもあります。 端的に、購買者の負担を増大させるのです。 それは同時に、購買意欲を奪い、結果的に市場そのものを 萎縮させていき、結果として物が売れず、購買者を騙して いかないと商売が成り立たないという悪循環を招く。 経済を発展させる上では完全に誤った考え方と言えます。 市場と利潤を否定する"共産主義"や"社会主義"の経済観念は この発想を念頭に置いたものです。彼らにとっての商行為は 単に人を騙す行為であり続ける。しかし、繰り返しになりますが これでは中世以前の発想です。第二次大戦時のイギリス首相 チャーチルが社会主義者らを『敗者の哲学、嫉妬の福音、無知の宗教』 と評したのも頷けるのではないかと思います。 一方、『売方注意』とは。つまり『悪い商品を売ったほうが悪い』 という発想の大転換でした。この発想に何が起こるかというと 販売者は正しい効果のある商品を売る責任が生じ、 同時に商品の効用を正しく説明する必要が生じます。 ここに生まれるのは『信用』です。 いわゆるブランドとは、常に優れた商品を販売するという 価値を追及した企業であるのです。その積み上げた『信用』が 同時に、何者にも代えがたい『価値』を生みだすのです。 もちろん、購入者もより良い商品を手に入れることが出来ます。 ここに、購入者と販売者が相互に発展していく構図が成立します。 現在の信用取引システムは、つまり『取引相手に得をさせる』ことを 目指すものなのです。 Q-4について。 しかしながら、日本の老舗店舗は、安易にこの信用を手放すケースが 多々見受けられます。彼らは信用の価値を理解せず、中身の無い商品を 販売し、商取引を単純なパワーゲームにしてしまうのです。 さらに共産主義という『敗者の哲学、嫉妬の福音、無知の宗教』を 賛美する声すらあります。これは一体何故なのか。 日本の経済理論の始祖とも言える本に 福沢諭吉の著書『帳合之法』があります。 彼は"翻訳の理由"を以下のように述べています。 『学ぶべきことを学ばないで悪い慣わしに陥っている。 (学者と商売人の)いずれも皆商売を軽蔑して、 これを学問と思わないのは罪なことである』 つまり、商売人は学がいらないと自らを蔑み、学者は商売を卑しいものとして蔑む。 こういった認識が日本人の根底にあるという指摘です。 解決法はただひとつ。彼の"学問のススメ"に従い、まず実学を重視し、 経済を理解すること。現在の自由主義の根幹である『信用』の意味を もう一度考えることではないでしょうか。

pokoperopo
質問者

お礼

ご回答をいただきありがとうございます。先程、補足質問をいたしました。  なるほどですね。『売方注意』ですか。これは大きなパラダイム転換ですね。逆に、江戸時代の日本では、欧州より『買方注意』のコモンセンスが、強くはなかったのかもしれません。欧州は階級社会ゆえに、高級品以外は、品質が軽視されていた反動かもしれませんね。このあたりはいかがでしょうか?  ご指摘のとおり、取引に継続性がなければ、繁栄は望めませんから、信用が大切です。創業数百年の商店が、横文字に社名変更をしてしまうお国柄ですから、自らの財産を評価できていないのでしょう。このことを共産主義はまったく無視しています。ヘーゲルの影響を強く受けた学説を、私は敬遠しています。  それにしても、福澤諭吉は、まさに天才ですね。これほど日本を知り尽くし、外国の概念を咀嚼して、うまく導入できた人はいないでしょう。それほどまでに斬新で、際だった反発はなかったのでしょうか?他にも、渋澤榮一などは素晴らしい働きをしましたね。むしろ、長期に渡って日本経済を脅かす勢力がなかったから、老舗までもが無原則でいられるのかもしれません。しかし、原則に縛られて、新しいものに移行が遅れる、欧州ならではの弱点もあり、それについても、お話しいただけるとありがたく思います。

pokoperopo
質問者

補足

あるいは拙問を、マーケティングに投稿すべきだったのかもしれません。しかし、西洋哲学がブランド商法に与える影響について知りたかったので、哲学の質問としました。経営に関わる、社会的な哲学のご説明は、大変に参考になります。また、アカデミズムの継承や、記号論の進化による抽象化など、デザインアイデンティティについてのご考察なども、合わせてお聞かせいただけると、ありがたく思います。  例えば、ルイ・ヴィトンのモノグラムは、日本の家紋にヒントを得たものだそうです。記号論を意図的に具現した好例でしょう。ご考察の範囲をご自由に拡げていただいた上で、顕著な要素に収斂された、質疑応答になればと願っております。浅学の身ゆえ、物足りなさをお感じになるかもしれませんが、しばらくお付き合いいただきたく、よろしければ再回答を願います。ご回答へのお礼は、のちほどお送りします。この欄と併せてお読みください。

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