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欧州ブランド商法は、西洋哲学の勝利か

noname#91067の回答

noname#91067
noname#91067
回答No.2

得意になってブランドを纏わない主義で、それなりにしか語りたくあり ません。とは建前ですが、本音はお察し下さい・・・。 【Q-1】 各ブランドのコンセプトは、特定の哲学を念頭に置いてい るのでしょうか? たぐい稀なる才能・・・といってもやはり扉を開く機会に恵まれたこと や、鍛錬を重ねた人間の中から選ばれた強運が伴っていると思います。 これをプライドとすることもあるでしょうね。ありふれた娯楽をことご とく犠牲にしてまで優先させた価値があるから、ありふれた日常で、小 さな幸せを重ねて自由を感じたり、現状維持で満足してしまうような庶 民には似つかわしくないものかもしれない。 【Q-2】 特定の哲学の影響が、顕著に表れているブランドは何でしょうか? トヨタ、ソニー、シャープ、パナソニック…信用度の高さですよね。庶 民の憧れって日系企業も多いのでは? 私はおしゃれセンスないに関わらず、英字プリントのTシャツは値段に 関わらずなるべくなら着ないというポリシーがあって(何となくです) 昨今は妙な日本語がプリントされたTシャツも流布してて、本当に妙な ので(“あのね”とか“俺の波”とか)欲しくはならないですが、アル ファベットは中身の正体までは曖昧にしておいてくれ、文字だけでは不 十分な感じでいいのでしょうね。ロゴは捺印とか家紋と同じだけど。 日本語は衣装としては個性的過ぎでしめ。人間と動物の違いは衣装を纏 うこと、衣装も本音だったり偽装だったり背負う。けど背負うしかない。 【Q-4】 日本の老舗商店と欧州の伝統ブランドとでは、どのような共通点と相違 点とがあるのでしょうか? 成功哲学とか帝王学というのもありますね。皇室は欧州と違って、敗戦 しても亡命したり命乞いせず、質素にして上品に立ち振る舞われてい る。国民にずっと慕われている。これは西洋人、他国の英雄には出来な い奇異な国民性の表れであると思います。

pokoperopo
質問者

お礼

御子弟子さん、ご回答をいただきありがとうございます。先程、補足質問をいたしました。  ブランドの蘊蓄についての質問ではないので、ご安心ください。私は、欲しくても買う余裕がありませんorz西洋には、芸術のためならすべてを犠牲にしてもよいといった、狂信的な情熱がありますね。ルネッサンス時代のテンペラ画を観ると、それを強く感じます。当時の日本では、考えられなかったことです。  日本製品のブランド力は、安定した品質にありますね。欧州ブランドのそれとは、趣が異なります。ご指摘のTシャツのロゴは、アルファベットが大きく簡略された意味を持たない記号だから、機能的なデザインにマッチするのではないでしょうか。私もロゴ物は好きではありません。  そう言われたら、ご皇室こそ、日本が世界に誇れる老舗ですね。万世一系は、比類なき哲学です。日本人にも、これに無関心な人がいるのは残念です。日本の老舗商店の創業精神が、骨抜きにされているのとは対象的です。権力に固執させない智恵なのでしょう。西洋が政治力学にこだわり続けているのは、地政学的に仕方がないのでしょうね。

pokoperopo
質問者

補足

欧州のブランド哲学が、ご指摘のように、鍛えぬかれた類い稀なる才能に支えられたものだとすれば、ギルドの理念の影響が大きいのではないでしょうか?また、他にも理由は考えられるのでしょうか?よろしければお答え願います。ご回答へのお礼は、のちほどお送りします。この欄と併せてお読みください。

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