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欧州ブランド商法は、西洋哲学の勝利か
巷には、欧州のブランド商品が溢れており、買い物客を魅了しています。欧州には、階級文化が根付いているとはいえ、共産主義が吹き荒れ、民主化が進む現在において、なお貴族的なブランドが、隆盛を誇っている理由について考えてみました。 そこで、私が着目したのが、ブランド哲学です。ブランドイメージを確立するには、芯の通った哲学が欠かせません。欧州ブランドと西洋哲学との相関について、いくつか質問いたします。 【Q-1】 各ブランドのコンセプトは、特定の哲学を念頭に置いているのでしょうか? 【Q-2】 特定の哲学の影響が、顕著に表れているブランドは何でしょうか? 【Q-3】 あるいは、欧州のブランドは、既存の哲学の影響を、大きく受けていないのでしょうか? 【Q-4】 日本の老舗商店と欧州の伝統ブランドとでは、どのような共通点と相違点とがあるのでしょうか? 以上、拙問における認識に対するご指摘も含めて、よろしくお答え願います。
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前回はコレ↓ http://okwave.jp/qa/q7711979.html どのくらい読みやすくなったか評価して助言してください。 わたしは普段簡潔かつ断定的に短い文章で考えを述べてこそ、そも明白さが知性の表れなのだと考えて実践してきました。 このように言葉を膨らませて柔らかくする事は不慣れです。 どちらかと言うと国語的な質問ですがよろしくお願いします。 書店で入門用の哲学書を購入すると、特定の哲学者が著作者である場合には、まずその著作者特有の神との係わりに関する個人的見解と、そこから知性を発達させる手法に関して考え方が述べられています。神と個人の関わりの限りでは哲学であり、広く、神と人とのかかわりであればそれは宗教である。 おもにこのような手法をとる西洋哲学を理解しようとして、日本人が哲学を研究するとなると、文献を理解するためにキリスト教文化への見識が必要になります。 すなわち哲学研究が西洋の精神文化や宗教の研究と混在して日本を含むアジア人が知の探求に取り組むことを困難としています。 その哲学を私なりに定義すると、人間が知性を備えるという事実は哲学が表すように神の存在と関わり、神に対して真剣な答えを求めることが、哲学の問いかけそのものであった、 だからこそ日本人が独自に哲学研究する場合には西洋と同一の手法でありながら日本人としての信仰の風土を尊重し、仏教や神道に関して自らの考えを持つことが大事だ。 なぜなら自らの信仰心からしか神に問いかける事はできないからであり、それこそが人間が知性を持つことの果実だからだ。 知性とは神への言葉である必要があるのだ。 信じてこそ神と通じる。 その言葉は真となる。 そのように信仰を問うことが哲学の前提であり、日本人として自らの考えを正すために西洋から哲学を学ぶとすると、自らの信仰を明らかにする必要がある。 哲学を志とすれば、宗教そのものについて考えることと、哲学として考えることの違いがおのずから出てくるのだが、それは同一であり、哲学の起源から知性とは神を問うことに生かされ神の発見が人間知性の起源ではないかと類推します。今まで日本人が行った哲学は、仏教文化により無我でありながら、あえて我として考える、とでもいうような苦し紛れの言い回しがあったのでその点に焦点を当てようと考えています。
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お礼
理論さん、ご回答をいただきありがとうございます。先程、補足質問をいたしました。 これはまた、一つ利口になりました。「本質は実質に優先する」、まさに至言であります。しばし、足りない頭と浅い知識と脆い顎とで、咀嚼いたします。私の本質は、「ぽこ」ですと?いえ、私の本質は、それ以前に「珍」なのです。露骨すぎるニックネームを避けたにすぎません。 化粧品ほど、マーケティングに力を注いでいる分野も、珍しいのではないでしょうか。そのデザインや広告イメージは、ブランディングの肝でしょう。これらの広告は、構造主義の影響を、色濃く受けているように感じますが、時代と共にその戦略も、変遷するようです。 内と外と言いますと、日本は四方の海に囲まれています。国境線が目まぐるしく変わる欧州とは、外国ブランドに対する捉え方が異なりますね。それを差し引いても、欧州ブランドのほうが、愛用者への訴求性が強いように感じます。「お前はこうなんだ」ですか。私の、愛車も時計も、欧州の物ばかりです。アクセサリーだけは、地元ブランドで統一していますが、山積みの服には手を出さないようにしていますので、「お前はこうだ」と身につける物に、規定してほしいのかもしれません。 今でも涙を流しますよ。存在の軽さ、自己の弱さを痛感しています。何だか、泣かされているものに、慰めを求めているって不条理ですね。「ぺろぽ」の欠如を補うか、「ぺろぽ」を放棄するのか。これこそが命題でしょう。ご自身も_とgとを省けば、文字通りの本当の理論家となられることでしょう。最初は支那人かと思いましたが、理論一辺倒よりも、ありのままのほうが幸福かもしれません。にんげんだもの みつお。
補足
そうですね。それらの化粧品や香水は、何とも言えない甘い香りが漂います。その香りに加えて、ブランド化粧品の価値は、むしろビンにあるとは思われませんか?よろしければお答え願います。ご回答へのお礼は、のちほどお送りします。この欄と併せてお読みください。