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浄土真宗の教義では神道をどう説いていますか?

neil_2112の回答

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  • neil_2112
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回答No.3

そもそも「神道」という枠組みは後代になって遡及的に作り上げられたもので、親鸞を含めて当時の僧侶が神仏習合の世界観を持っていたのは当然のことです。親鸞は今でこそ、ひたむきな絶対他力主義を根幹にした神祇不拝の先駆とされますが、彼自身は神道を排除すべきだとは考えていなかったでしょう。それはそもそも「神道」を切り出して認識する視座が存在しなかったからです。 明白な文献は多くありませんが、例えば親鸞作の和讃にはいくつか神仏習合を伺わせるものがあります。 天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり また、歎異抄には、 信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし とも示されています。 さらに消息文の中には次のようにもあります。 此世の祈りに仏にも神にも申さむことは、そも苦しく候まじ。後世の往生の為には、念仏の外にあらぬ行をするこそ、念仏を妨れば悪しきことにては候へ。此世の為にする事は、往生の為に候はねば、神仏の祈り更に苦しかるまじく候。 仏法をふかく信じるひとをば、天地におはしますよろづの神は、かげのかたちにそへるごとくして、守らせたまふことにて候へば、念仏を信じたる身にて、天地の神をすてまふさんと思ふこと、ゆめゆめなきことなり。 要するに、神祇信仰は往生のためには(専一なる念仏に違背するので)いささか不向きだが、現世利益のためには誠に効験があるものであるし、護法神としての神々は念仏者の守護神でもある、ということが説かれているのです。 これらを見ると、親鸞における神仏習合の姿勢にはあまり疑いをさしはさむ余地がないのではないでしょうか。 親鸞の後、覚如「親鸞伝絵」や存覚「諸神本懐集」「六要抄」などにおいて神仏習合を明確に教義の中にくみ入れていることは、自然に見れば親鸞の時点において少なくともそれを否定しなかったことが反映されているとみるべきでしょう。よく言われるように、覚如や存覚が封建体制におもねたとか、親鸞の本意を汲んでいない、といった非難は私にはあまり正当なものに思えません。 ただもちろん、存覚が「諸神本懐集」の中で、権社の神と実社の神を区別したうえで阿弥陀仏を本地とする垂迹神は権社に限られる、などといった区別を設けているなどというレベルに至っては、これは親鸞のあずかり知らぬところ、と言えるでしょう。 むしろ親鸞の意識の中では、本当の神は阿弥陀仏を信ずるものも助けるものであるし、生霊や死霊の類であるところの仮の神は拝む対象ではないが、そうなればなおのこと阿弥陀仏の救済によって成仏せしめる必要がある、という風に考えたのではないでしょうか。言わば阿弥陀救済への絶対的な自信ゆえに神の細かな区別は二次的なもので、あまり親鸞の眼中にはなかった、と言えると思います。 私は個人的には、親鸞の神祇不拝のイメージは後代に教義が先鋭化されるなかで“捏造”されたものだと思っていますし、親鸞の本当の凄みは、日本の神々が古来持っていた祟り神としての性格のほうに「代受苦」の菩薩の誓願を見ようとした点にあるだろうと思っています。 神道の細かな点については私はお手上げですが、少なくとも言えることは、いかなる凡愚でも往生を遂げられる、という親鸞の思想は、全ての衆生に仏性を見る天台系の本覚思想の同工異曲であるということです。阿弥陀仏という絶対者を一旦おいて考えれば、一切衆生が念仏という易行によって即得往生するというのは、涅槃経や華厳経に説く仏性遍満がその根底にあることは指摘するまでもないことですし、そのことは親鸞の青年時代の経歴からはむしろ当然と言えるでしょう。 本覚思想に基いて善人・悪人を問わずに往生の可能性を信じた親鸞にとってみれば、神仏の細かな区別すらこだわる必要はなかった、ということが言えると思います。 ※少し余談にそれているかも知れません。必要なところだけ取捨してくださるようお願いします。

totan
質問者

補足

どうもありがとうございます。 これだけの博識がありながら自称「自信のない一般人」とされる奥ゆかしさに敬服します。 さて、親鸞の和賛と消息文でみると明らかに敬神を説いているように思えます。なのになぜ神祇不拝の先駆と後に言われるようになったのでしょうか? また、歎異抄では逆に神を否定する響きが読み取れるように思うのですが、このとらえ方は間違ってますか?

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