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太平洋戦争について。

astute_2wdの回答

回答No.8

どの時点で「負ける」と悟ったかはわかりませんが、 太平洋戦争末期、最前線の兵士達が絶望的な戦いを強いられ、都市部の一般市民が空襲に逃げ惑っていた頃、大本営の面々は東京の安全な地下施設の中におり、 このまま降伏したら自分達は戦争犯罪人として処刑されてしまう、なんとかそれを回避する方法はないものか? などとわが身のことばかり考えていました。 そして、 前線の兵士達には降伏は許さず最後の一人まで徹底抗戦させ、 合わせて神風特攻隊などの玉砕戦法も駆使することで可能な限り敵の戦力を削らせれば、 損害の多さに驚いた米軍が本土上陸をあきらめるかも知れない。 また終戦直前になると日本はソ連に連合国側との停戦の仲介を頼んでいたため、 敵軍の本土進攻を食い止めておけばその間にソ連が米英を説得し日本側に有利な条件で講和(戦争指導者の責任を問わないなど条件付の降伏)が可能になるといったことにも一縷の望みをかけていたようで、 大本営は終戦工作の時間稼ぎのために沖縄で女子供も含む市民を総動員しゲリラ戦を行うよう命令を下したりもしています。 結局、決断できないままダラダラと先送りにしていたら広島と長崎に核爆弾が落とされてしまい 己が身にも直接危険が及ぶにいたり(核相手じゃ地下施設も役に立たない)ようやく負けを認める決心がついた形でしょうか。

noname#119960
質問者

お礼

返信ありがとうございます。 上に立っていた方々がこの体たらく。怒りを通り越して呆れてしまいます。 優秀な将官もいたという話は、いくつか聞いた覚えがあります。 ですが、軍の最高機関でふんぞり返っているだけのお偉方の方が多かったのでしょうね。 そういった意味でも、日本には万に一つも勝ち目がなかったと考えてよさそうですね。 戦うため、守るために存在した軍人が被害を受けるのなら、多くの人が納得できたでしょう。 しかし、女性や子供などを含む民間人が被害を受け始めた段階で、どうして戦いをやめることができなかったのか。負けを認めることができなかったのか。 ……考えたところでどうしようもないことなんですけどね。

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