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そのままに見て

tumaritou1の回答

回答No.5

「そのままに見て」是は心のままに見ると言う意味です。自我意識が関与していないという意味です。例えばゴルフの優勝が掛った一打を打つ時に、或いは剣豪が命のやり取りをしている時の心を想像して見て下さい。その時に如何に自我意識が「引っ込んだままに」しておけるかがカギになります。 分かり難いなら、歩く事を想像してください。野原を一人で歩いています、これが心のままに歩いていると言う事になります。自我意識が歩く事を命じていないはずです。心のままにと言うよりも、体が勝手に動いているという言い方が適当かも知れません。 「錯視」とは見たものを自我意識が一旦受け取って、自我意識の「分別」と言うフィルターを通して見たという意味になります。その時の分別、或いは好き嫌いというフィルターが掛かっています。そのままには見れてはいないはずです。 この事を分かりやすく説明するなら、分離脳の研究成果を語ってからの方が話が早いと思いますので、書いてみます、とは言ってもコピーですが。 ロジャー・スペリー 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 ノーベル賞受賞者 受賞年: 1981年 受賞部門: ノーベル生理学・医学賞 受賞理由: 大脳半球の機能分化に関する研究 ロジャー・スペリー(Roger Wolcott Sperry、1913年8月20日 - 1994年4月17日)はアメリカ合衆国の神経心理学者。デイヴィッド・ ヒューベル、トルステン・ウィーセルとともに、1981年にノーベル 生理学・医学賞を受賞した。1989年にはアメリカ国家科学賞(行動 ・社会科学部門)を受賞している。 ハートフォードにて生まれ、西ハートフォードにて育つ。11歳のと、 父親が死去。オベリン大学に通い、1935年に英語の学士号を取得、 1937年に心理学の修士号を取得した。1941年にシカゴ大学より動物学 のPh.D.を取得。その後ハーバード大学の心理学者カール・ラシュレー のもとで研究を行った。 発達期を 過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん 治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片 方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの 脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。左右の大脳半球の機能分化の理解に大きくに寄与した。 この二つの意識が、貴方の疑問となっている事のカギを握っています。左脳の意識が自我意識です。機能は分別する事です、好きと嫌いに分ける能力と言う事になります。その他には、論理的に計算をする能力と言う事になります。但し一つ付け加える事が在るとするならば、計算すると言う事は割り切れる問題にしか適用できないという意味が在ります。従って有限の問題しか解く能力がないと言う事になります。自我意識には永遠という概念は理解出来ないと言う事です。 右脳にも意識が在ります、自我意識にはたいへんわかりにくくなっていますが、この意識は言葉を持っていません、この意識が書かせた言葉が「禅問答」と言う事になります。自我意識には理解できません。 東洋思想の「無」と言う由来は此処から来ています。言葉にはならないからです。従って分かりやすく言うならば、禅等における悟りとは、自我意識が右脳の意識である仏性と出会うと言う事です。 その為には「一切皆苦」と言う処を通過してきます。是は自我意識が「仏性」の存在が分からなくて、苦しんでいる事です。仏教や禅等では「生死の問題を明らかにせよ」と言う事が言われています。是が「一切皆苦」とい言葉に繋がっています。 人間の苦しみは苦しい現在を肯定できない処から生まれています。人生最大の危機と言っても良いのは「自分の死」と言えます。現実に自分の死を肯定するのは難しい問題と思います。その苦しさ、辛さを生み出しているものは「心の矛盾」と言えます。 それは有限の自我意識が永遠を求めて七転八倒している姿の事です。自我意識は自分の肉体の死で全てが終わってしまう事を嘆いている事になります、処が人間には苦しみが付きまとっています。それは有限を越えられない苦しみとなっています。処がその心の圧迫は右脳からの圧迫です、永遠が有限を掬い上げようとして、その救いを遮っている事が苦しさや、辛さの正体と分かります。つまり心の矛盾の正体と言う事です。 その事が分かる事が「生死の問題の解決」と言う事になります。つまり苦しむ者と、苦しませる者とが出会うと言う事です、言い方を替えたなら、問う者と問われる者が出会うと言う事です。それが自分の性を見たと言う事です。自分自身がもう既に永遠そのもので出来ていた事を知ることになります。 そこで心の矛盾が解消します。不安の解決と言う事です。不安の元を知ったことで不安や、恐怖と言うものが根本から解消します。それが絶対の安心、涅槃と言う事です。 子供の時は脳の機能が分化していません。心は一つしか有りません。この心が天国と言う事になります。 大人になってきて脳の機能が分化してゆきます。心が二つになってゆきます。是が失楽園と言う事になります。つまり分別が付くと言う事です。その時に自我意識が「心の使い方を」忘れてしまう場合が在ります。自我意識と本来持っている命そのものの意識にずれが生じる場合が在ります。それが心の病の正体ですが、是は自我意識が単独で生きてゆこうとしている姿です。 もう一つの意識が自我意識を助けたいと手を差し伸べています、それが精神疾患の症状となっています。その事の解決が、本当は、そのままに見てと言う事なのですが、今の世は誰もその事には触れません。 薬を出して置きます、合わなかったら薬を替えてみます、心の問題は複雑で治ったとしても、寛快が限度かも知れません。 本当は心の矛盾が心の病の元になっています。その元をただすならば完治はあります。それはお釈迦の教えの中に在ります。お釈迦の教えは宗教ではありません。究極の心を癒す心理学です。 自我意識に対して我を捨てよと言う事になります。そうして自分のもう一つの意識仏性に身を任せなさい、と言う事になります。 禅に生きると言う事はもう一つの意識が主となって自我意識がそれに従うと言う事になります。それは子供の心を取り戻したことになります。何故ならば「心は一つ」になっているからです。人間の苦しみは、一つのものを、天国と地獄という風にものを二つにして見る、その見方から始まっているからです。 分別を捨てよ、と言う事は今言った事によります。

noname#106800
質問者

お礼

熟読して、再度質問します。 ありがとうございました。

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