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茨木県土浦市8人殺傷事件の犯人の犯行動機及び供述…「死刑になるため」、「俺を殺さないとまた殺す」

本当にこんな人間(もはや人間ではありませんが)に殺された・傷つけられた方々やご遺族を思うとやり切れません。 絞首刑の他に『拷問刑』も導入してください!! と声を大にして言いたいですが、これってどうなんでしょう? 実際、現実的ではないことはわかっていますが、こういう理不尽極まりない事件と被告の供述が出てくると、 一瞬で殺すな!「お願いですから一思いにやってください」と哀願されるくらいの拷問刑があってもよさそうなものです。 みなさんはどう思いますか? 私の考え方が過激すぎるのでしょうか?

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  • myth21
  • ベストアンサー率100% (2/2)
回答No.2

昔から罪を憎んで人を憎まずという言葉があります。しかし、自分が死ぬために道連れにするのはだれでも良かったという被告人の供述は、許せないものがあることも確かです。そこに至った経緯をもっとよく知るべきだと思います。  拷問刑は人道上から禁止されています。今被害者(関係者)が法廷で意見を述べられる制度が導入されましたが、刑罰は、応報主義に陥っては絶対にならないと思います。ややもすれば、被害者の言い分に沿って世論が形成されがちですが、それは間違っていると思います。  犯罪者を構成させるほうに力点を置くのか、それとも許せんと切り捨てるのか、社会は切り捨てる方に向かっているようですが、もっと優しいぎすぎすしたところがない社会作りがなされたらと思います。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言われることは重々承知しております。私が考えた拷問刑にしても、現代の日本では非現実であることも。 犯罪を起こす理由は様々です。 例えば、1人の人間を死に至らしめた被告人。 (1)逆恨みや無差別的に犯行に至った場合 (2)被害者から長年脅迫を受けたり、家族の過去のプライバシーを公にされそうになり、カッとなって犯行に至った場合 (例ーベタですが結婚前に娘の過去のレイプ事件を婚約者の男性に知らせるなど) まぁこれは極端な例ですが、私個人としては、この犯行に至った理由次第で、切り捨てるか切り捨てないかの線引きをするでしょう。 犯罪者を更生させるには、我々一般人の協力は不可欠ですよね。私達が刑を終えた彼らをどう受け入れるのか・受け入れられるのかという問題もあります。 一言で言えば、我々が偏見を持たずに彼らを受け入れることができるなら、myth21さんの言われる「優しいぎすぎすしたところがない社会」になるのかなぁと考えています。 言葉で書くと簡単ですが…。 でも、私達一般人も努力が必要ですが、刑期を終えた方々もそれ相応の努力が必要ですけどね。 ※以上は、myth21さんの回答を受けて、私なりの考え方であり思った事です。一般化しようとしたり皆様に押し付けるものではございませんので、この事に関するレスはご遠慮願います。

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その他の回答 (12)

  • ginga2
  • ベストアンサー率12% (576/4564)
回答No.13

#5です。 再度失礼します。 被告人が死刑を望んでいるのに量刑が死刑では云々についてですが 被告人や私も含めてみんなそうですが、死刑を経験した事ありません。 死刑の話をするのでしたら  くどいのですが、合田士郎氏の著書をお読みになられた方が良いと思います。

noname#128488
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。

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  • topy7014
  • ベストアンサー率14% (211/1499)
回答No.12

NO7再び もしこいつが収監中に自殺でもしたら、今までの裁判がすべて吹っ飛んでしまいます。自殺は年間3万人。絞首刑と自殺による結果が同じというのが納得できないのです。 刑罰の最高峰・・憲法が禁じている拷問でしょうか、永久に流罪とか。

noname#128488
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。

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回答No.11

 冒頭に、茨城であって、茨木ではない。 関西系の人に多い有名なケアレスミスなのでしょうが、地元民にすれば不快なので注意してほしい。 >絞首刑の他に『拷問刑』も導入してください!!と声を大にして言いたいですが、これってどうなんでしょう?  法的には日本では無理です。 これは国内法、国際法からして無理です。 ただし、”声を大にして言う”だけなら、ご自由に。 現実社会の秩序を破壊しても持論を主張する自由があります。 その自由を行使することは、同じように人権の領分であって、 拷問を認めるべき、という主張を正当化したいならば、貴方の自由権を放棄する必要性があるでしょう。あなたの私権だけが優先されて被疑者の私権だけが制約される道理はありません。 ちなみに、世俗的には、理不尽だと思われる人もいるでしょうが、被疑者の思考回路に問題があるにしても、彼は己に素直だった存在と言えるでしょう。  自らの願望を実現するために、社会制度を悪用した、という意味では悪質でしょうが、社会が、そのシステムを認めているのは事実です。(死刑制度)  本質的に、人間活動は理不尽なものが多いわけで、犯罪に限ったことではありませんし、感情論に溺れて人を裁くような近代法の常識は通用しません。     それとも、被疑者は全て犯罪者という前提で拷問を行いますか? 冤罪事件の賠償含めて不可能ですが、私刑でなされる分にはご自由に。 >一瞬で殺すな!「お願いですから一思いにやってください」と哀願されるくらいの拷問刑があってもよさそうなものです。  物事は考えようです。被疑者は「死を渇望している」わけで、屈辱的に生かし続けるのも拷問になりえるでしょう。 もっとも、質問者や下卑た世俗は、肉体的な苦痛の方が理解しやすいし、頭を使わないのでいいでしょうが、私のような変人ならば、被疑者を苦しめるためには、生き地獄に落とします。  例の被疑者を精神的に拷問する方法はいくらでもありそうです。少なくとも、被疑者の要望を適える『死刑』は、むしろ本望であることを考える程度の知性を期待したいものです。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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noname#105587
noname#105587
回答No.10

私自身は、遺族や被害者の方の想いを主な理由として、罰の重さを大きく左右するのは間違いであると想います。 たとえば、飲酒運転していた車にひき潰されるのと、刺し殺されるのとでは、どちらが辛い思いをしていたかというのは、断言できない問題です。 ご遺族の方も、ご家族を車にひき潰されたのと、たとえば、ある種の毒物でたいした苦しみなく殺された場合と……どちらの苦しみが大きいか小さいか? ということはいえない。 しかし、たとえ、飲酒運転をしている運転手が操る車によってひき殺された人間の苦しみが、刺し殺された人間の苦しみを上回っていたとしても 私は、過失致死を負わせた運転手が、殺人罪を犯した人間よりも重く罰せられるべきではないとおもいます。 私達は理性的に罪の重さ、罰の重さを判断するべきで、感情によって左右されるのは、間違いであるとおもいます。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.9

親に介錯をさせてやるってのが情と言うものです。 子どもが駄々をこねて死刑を求めているのですから親が叶えてあげなきゃ。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • Ae610
  • ベストアンサー率25% (385/1500)
回答No.8

死刑大賛成!! 死刑は刑罰の頂点なり! 序でに、-金川-のような畜生の扱いは、中国のように公開処刑にして貰いたい!

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • topy7014
  • ベストアンサー率14% (211/1499)
回答No.7

私のような死刑廃止論者には、彼の存在は追い風になりますね。 だから死刑は刑罰の最高峰にはなりえないのです。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#128488
質問者

補足

では、topy7014さんにとっての『刑罰の最高峰』は何だとお考えですか? もちろん、個人的回答で構いませんので、またお時間あるときに再度回答をお願いいたします。 参考にさせてください。

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回答No.6

私が特務部隊の班長さんか将校なら、一人や二人くらいはそういう部下を持ちたいですね。 勿論、敵に対する攻撃主眼とした人道目的用にですが。 人は誰でも立場を変えれば役に立つ。 彼は深い配慮無く事件を起こしてしまったのかもしれないが、事件を起こす前なら私の部下にさせて敵地に乗り込み敵を虐殺する兵員に加えたい。 当面、敵民間人のソバには寄せないでおくが。 事件を起こしてしまったのであれば、即刻偽装死刑に処し、戸籍欄に死亡と記載させ、特殊任務に付かせる。とか。 えと、アメリカやヨロッパの映画にこんなのってよく有りませんでしたっけ? 日本は平和ボケしているので、そういう性格の人達を上手く活用できていない。ある一面、不幸な事だと思う。 また、彼の虚勢の張り方が、特務機関班長さんから見れば、「ある一面において」好ましいかもしれない。悪い意味で意志が強い。プライドが高い。ある意味努力家だ。 悪人面をして生真面目に信念を通し、攻撃精神を失わない。 捕虜になっても監視兵を虐殺して逃げおおせる素質はある。その脱走劇で死ねば彼も本望だろう。 ある意味、特殊な時代においては、ある意味で、英雄になれる素質は有る。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 興味深いお話でした。

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  • ginga2
  • ベストアンサー率12% (576/4564)
回答No.5

先進国では拷問なんて行いません。 望まれるのであればそのような国に行って下さい。 今回の被告は死者2名と言う事で必ず死刑となるかは分かりませんが 仮に死刑だとすると死刑が行われるまでの間は 死の恐怖に脅えて過ごす事になるのですから 実質的になんら拷問と変わらないのではと思います。 合田士郎氏の著書をお読みになられたら考え方が変わるかも知れません。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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  • QES
  • ベストアンサー率29% (758/2561)
回答No.4

ひとつは死刑を覚悟の犯人を死刑にしても本人の望むところであり何の抑止力にもならないこと。 死刑にするのなら、自分の行ったことが間違いであったことを認め、一からやり直したいのでなんとか命だけは助けて欲しいと改心し懇願した段階で死刑にしないと意味がありません。 惨たらしい死刑の方法をすべきというのは、遺族が直接死刑執行を行うことを認めるのなら理解できます。 しかし死刑執行をするのはあくまで(妻も子どももいる)普通の公務員であり人殺しでなく給与所得者です。 必殺仕置人でも、極悪犯人が後悔する間も痛みを感じる間もなく一瞬に仕置きします。 銃殺刑でも至近距離から拳銃を一発撃てば十分なのに、離れたところから複数の射撃人が何発も発射するのは、一瞬で痛みを感じさせず刑を執行することと、誰の発射した弾で死んだのか明らかにしないことで射撃人を殺人者にしない配慮がされています。 質問者さんが遺族の立場で(もし許されるなら)自分の手で惨い殺し方が出来るでしょうか。 また死刑執行を行う公務員の立場なら、(自分にとっては何の恨みも無い人間を)惨たらしく扱うことが出来るでしょうか。

noname#128488
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ひとつは死刑を覚悟の犯人を死刑にしても本人の望むところであり何の抑止力にもならないこと。 >死刑にするのなら、自分の行ったことが間違いであったことを認め、一からやり直したいのでなんとか命だけは助けて欲しいと改心し懇願した段階で死刑にしないと意味がありません。 まさしくその通りだと思います。すべての死刑確定者(犯行を疑う余地のない)がそうであることを願うばかりですが、彼にとっては目標に一歩近づいただけですからね…。 >質問者さんが遺族の立場で(もし許されるなら)自分の手で惨い殺し方が出来るでしょうか。 >また死刑執行を行う公務員の立場なら、(自分にとっては何の恨みも無い人間を)惨たらしく扱うことが出来るでしょうか。 あくまで仮定の話ですが、前者に対しては確実にできます。こう言い切る自分も本当は嫌ですが…。 後者に関しても、現時点ではできそうです。つい感情移入してしまうので。というか、そうしないと執行できない気がします。

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