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阿頼耶識に相当する現象は?

こんばんはー。 血がたぎる、全身の毛という毛が逆立つ、身の毛がよだつ、防衛本能、闘争本能と呼ばれるもの、腹の底からわく怒り、命の炎を燃やす、お化けが怖い(非存在に対する恐怖) 直観、 などは、阿頼耶識に属するものでしょうか? マナ識からでるものとしては、どのような事例があるでしょうか? マナ識と阿頼耶識の違いがよくわかりません。 言葉の説明でなく、できたら事例で言っていただけると非常にありがたいです。 よろしくおねがいします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.2

>血がたぎる、全身の毛という毛が逆立つ、身の毛がよだつ、防衛本能、闘争本能と呼ばれるもの、腹の底からわく怒り、命の炎を燃やす、お化けが怖い(非存在に対する恐怖) 直観、などは、阿頼耶識に属するものでしょうか? う~ん、いずれも「阿頼耶識に属する」と言うよりも、むしろわれわれが阿頼耶識の支配下にある、つまり無限の過去世から続く、無限の因果の連鎖の虜囚となっていることから生じたにすぎない、その意味ではどんなにわれわれがリアルに体感しているつもりでも、本当は虚妄に囚われているだけのことと説明されます。 何であろうと、われわれがそうと意識するからには、必ずわれわれにそうさせているいろんな原因があってのことと考えると、阿頼耶識とはこれら無数の因果に関する根本的規定であると言えます。 だから、そういった無数の因果の貯蔵庫という意味で、阿頼耶識は「蔵識」とも呼ばれます。 ちなみに、ヒマラヤとは、「雪him」+「阿頼耶(=蔵)alaya」の合成語のようです。 また、原因の結果としての現象が、そのまま次に起こる現象の新たなる原因となるという意味で「異熟識」とも称されます。 >マナ識と阿頼耶識の違いがよくわかりません。 「マナ」とはサンスクリットのmanasの音写でして、英語のmanと語源は同一のはずで、一般に自意識のことです。 ただし、他人の目を気にしすぎるという意味での自意識のことではなく、cogito ergo sum(われ考える、故にわれあり)と盲信して、自分が考えるにしても本当は阿頼耶識に囚われているだけにすぎないということに全く気付こうとしない、浅薄で短絡的、かつ傲慢な自意識のことです。

sheep67
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 ちょっとこの話は、また一人で考えてみたいと思います。 基本こういうのは好きなんです。 ちょっと混乱してるところもあるので、時間をおこうと思います!

sheep67
質問者

補足

こんにちは! お答えありがとうございます。 むつかしいですねー! 下のmmkvさんの答えとも照らし合わせて考えてました。 僕自身が、マナ識、アラヤ識に当てはめたいものとして、 下に書いた、「直観」、「運命」、「現実」などの要素があります。 これは、kadowakiさんや、mmkvさんのご説明では、時間の流れの中での変化、という視点からのご説明ですが、 僕は、今この自分が主観に感じる、「感覚」を、2つの識に当てはめたい、と考えてます。 それで、質問文では、人が普段感じる感覚の中では、もっとも深いであろう、と想像する感覚を、色々並べ立ててみました。 つまり、運命や、直観などは、僕の人格の、そのまた外側からやってきます。そういう人格外の部分は何なのだろうか?? という話になります。 腹の底、と言われる感覚や、闘争本能、と呼ばれるものは、どう考えても、それを作り出しているものは、僕自身の内部にはありませんので、それは、なんだろう?という疑問です。 もちろん感じ取った地点で、それは僕の内部にあるものですし、6識に当たるんだ、とは思います。 でもそのフィーリングの出所は、明らかに、僕の人格外からやってきています。 そこから今回の質問が浮かびました。 今回の回答をいただいて、人格がある、主観世界がある、と感じることは、おそらくマナ識だろう、と想像しました。 つまり、僕等が普通「現実」と呼ぶものは、マナ識に相当するのでは?と今思いました。 自意識を感じるたびに、それらの経験が無意識の習慣の中に堆積して、 深い意味で自分が存在する、と意識することもなく習慣として感じている、 と、それがマナ識のできかた? かと、kadowakiさんの説明を受けて、考えました。 つまりイコール、今ここにいる自分はマナ識だ、ということになりますが・・・ 僕は、論理的な仕組みである唯識の階層の仕組みを、「感覚、フィーリング」に飜訳したいのだ、と思っているみたいです。 自分が感覚人間なので、あまり自分というものを感じることもないのですが、その代わり、深い深いフィーリングを感じるので、そちらになんとしても訳したい、と願ってます。 多分こうじゃないか、という推測に過ぎないんですが、 ご意見いただければうれしいです。

その他の回答 (2)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

追伸: >>もしよければ、直観や運命は、どう位置づけられてると思われていますか? これらは、どの識に当たるでしょうか? 僕も考えてはいるんですが・・ 直観や運命は唯識論で十分に論じられるものではないのですね。唯識論はあくまで心の構造論ですからね。 あえて、といえば阿頼耶識に種子が複数あるといいましたが、一つの種子が選ばれて現在の私という意識を構成し、その意識は阿頼耶識にある種子をよりよくするためにいろいろな経験をするようにプログラムされているのですね。これが世にいう運命論ですね。特定のプログラムがあらかじめあるのですが、そのプログラムから外れないように、あるいは身の危険などから回避するように他の種子から直接的な指導があるのです。それが直感ですね。 こういうと更に理解不能かもしれませんが、阿頼耶識も次元構造体なのですね。そこにある複数の種子も同一次元には存在していないということなのです。いろいろな次元に存在して独立に存在する一部が現在のあなたであり、他に5つの種子、つまり5人のあなたが存在し、時々において他のあなたが現在のあなたを指導するのですね。それがインスピレーションですね。辛気臭く言えば守護霊論ですね。 あなたの手に負えないで尚且つあなたの全ての種子に手に負えないこは、あなた以外の種子、つまりことなる人格が指導する。これが指導霊と呼ばれるものですね。 こういうことは心の構造論だけでは説明できないでしょう。ということですね。阿頼耶識といっても摩訶不思議な世界なのですね。

sheep67
質問者

お礼

う~~ん、これは難しい~~。 ぱっと読んだだけで意味を取れなかったので、これは・・・ 人格が、複数ある、という話みたいですねー。 次元構造体ですか~~。興味はあるんですが、まだそこまで考えられないです。 自分でも納得いくまで考えてみるつもりです。 また考えが進んだら、読み返してみたいです。 色々参考になるお話を、ありがとうございました!

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

弟6、第7、第8意識の役割についてでしょうかね。 弟6識を表面意識といいますね。 表面意識は五感を統合する意識ですね。怒りや動物のような行動はこの表面意識のなせる業ですね。「血がたぎる、全身の毛という毛が逆立つ、身の毛がよだつ、防衛本能、闘争本能と呼ばれるもの、腹の底からわく怒り、命の炎を燃やす」こんなのは全て表面意識ですね。本能的感情や行動は、動物も同じですからね。 末那識からでるものとしては、どのような事例があるでしょうか? 弟7識、末那識は潜在意識ともいいます。おぎゃと生まれたときはこの潜在意識は白紙、何も記憶されてない状態ですね。潜在意識に書き込まれるものは主に幼少時のものですね。幼少時の強烈な思い出が書き困れるのですね。お化けが怖い。にんじんが嫌い。ピーマンが嫌い。など大人になっても割りと残ってますね。長い間思い続ける、やり続けるとこの潜在意識に書き込まれて、更にそれが阿頼耶識に記録されるようになりますね。紙に書く、印刷する、石に書くという具合ですね。いい癖、悪い癖が徐々に深くしみこんでいくわけですね。 生まれたときはみな平等に白紙の状態というのはこの意識のことですね。 一方、弟8識 阿頼耶識の記録が潜在意識(弟7識)に現れるのは人にもよりますが染み出すというようなでかたですから非常に遅いのですね。 子供のうちは親や回りの影響を受けて「何々になりたい」といいますが青年期をへて大体、自分の進路が決まりますね。遅い人だと40や50才に自分の進路がわかる人がいますが、天職などはこの阿頼耶識からの影響ですね。蛙の子は蛙になりやすいというのは阿頼耶識の影響の出方が遅いのではじめからそういう環境を選んで生まれてきてるからでしょうね。 どのような環境で生まれても、年とともに阿頼耶識の影響が強く現れるということですね。この阿頼耶識は自分の傾向性、職業・考え方・行動を決めてきますので、意識して変えるように長年、努力すると書き換えることが出来ます。特に遊び好き、勉強嫌い、変な癖のある人は意識して変えないといつまでも変わらないところですね。良いことを推し進め悪いことを押しとどめる。「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」ということですね。

sheep67
質問者

補足

こんばんは! お返事ありがとうございます。 ちょっと説明が下手だったのですが、腹の底や、本能とはなにだろうか? という疑問でした。 質問例で言うと、血、とは何か?具体的になにを示しているのか?というとき、それは、自己の自我の殻を破って吹き出てくるものなので、マナ識か、あるいは阿頼耶識かな? と思ったのです。 直接の感情ではなく、その感情を作る源はどこ?、という意味でした。 >末那識は潜在意識 そっか、そうですねー。なるほどです。こうシンプルに捉えられるんですねー。参考にさせていただきます。 阿頼耶識のほうの例も、とてもよくわかりました。これもなるほどです。 2つの例とも、なんというか、いわゆる、時間軸上に現れてくる、マナ識阿頼耶識の現れ方、を捉えてられる、と思いました。 僕の質問のほうは、今この瞬間に、現在に、マナ識阿頼耶識は、どういう感覚として現れるのかなー? という疑問だったんだー、 というふうに思いました。 つまり、直観や、それより深い、運命宿命、といわれるものの、具体的な位置づけに興味があります。 こういうふうに質問したらよかったのかもしれません。 もしよければ、直観や運命は、どう位置づけられてると思われていますか? これらは、どの識に当たるでしょうか? 僕も考えてはいるんですが・・ お返事ありがとうございました。

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