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本当の宗教

nontro_08の回答

  • nontro_08
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回答No.19

学会の者です。 貴殿は宗教に関して、不信感を抱かれているようですが、神や教祖におすがりして、多額のお金をお布施すれば救われると説く宗教なら、確かに不信感を抱かざるを得ないでしょう。カール・マルクスが言うように「阿片」で、有害ですらあります。しかしながら、こう言えばおそらく貴殿は反感を持たれるでしょうけど、宗教には正邪があるのです。 正しい宗教とは、「神や教祖、仏に盲従して助けてもらう」といった他力本願的なものではなく、「自分自身に内在する無限の可能性(仏性)を引き出す」ものなのです。教祖とか絶対者といった「外部のもの」に頼るのではなく、だれの内面にも秘められている、限りない知恵と生命力を開発していくものです。よってそこには、「自分自身で自分の行動を決定付ける」という自律性があります。他の者に盲従して、自分を見失うことなど決してないのです。そしてその引き出した「知恵や生命力」があれば、目前の課題や困難があっても、それらに立ち向かい、乗り越えていくことができるのです。あたかも山登りで、体力、脚力が弱ければ、登ること自体大変で、辛く感じられますが、体力も脚力も強ければ、周りの景色を悠々と楽しみながら登っていくことができるようなものです。 しかし、そのためには「生命と宇宙とを貫く根本法則」に則る必要があります。それを「南無妙法蓮華経(妙法)」といいます。日蓮大聖人が認(したた)められた本尊に向かい、「南無妙法蓮華経」と唱えることが、その「知恵や生命力」を引き出す具体的な実践です。これによって、生活上の行き詰まりが打開され、不可能だったことが可能となり、自在の境涯になれるのです。これを「宿命転換」とも「人間革命」とも言います。 こういうことを言うと、「なんだ、お前はただ創価学会の宣伝をしたいだけではないか」「独善だ」と貴殿は思い、反発するかもしれません。しかし、真の力ある宗教には「文証」、「理証」、「現証」の三証がなくてはなりません。文証とは、ある教義・主張が経文等の文献上で裏付けられているか否かという基準。理証とは、その教義が道理に適い、また理性のうえから普遍妥当性があるか否かという基準。また現証とは、教えを実践した場合、現実のうえでその通りの結果(功徳)が現れるか否かという基準のことです。三証の中でも「現証」こそが重要です。この三つが創価学会における信心の実践の中にすべて具わっているから学会は正しいと言えるのです。 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」(池田名誉会長著、小説『人間革命』第1巻「はじめに」から)

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