• ベストアンサー

イエスの両親のマリヤはヨセフのいとこですか? ルカ伝はマリヤの系図?

Zoharの回答

  • Zohar
  • ベストアンサー率0% (0/4)
回答No.8

出かける前に。 私は、イエスとマリアの実在を証明できないけど ルカ福音書によると 洗礼者ヨハネの母エリサベトはアロン家の娘の一人。 夫はザカリア。 ルカ福音書1章36節 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。 不妊の女といわれていたのにもう六ヶ月になっている。 マリアはエリサベトの親類になっている。

zatousan
質問者

お礼

こんにちは、再度のご回答ありがとうございます。 >出かける前に。 だから、誰も『引きこもり』と呼んでないから安心してください。 >私は、イエスとマリアの実在を証明できないけど 誰もできません。 >マリアはエリサベトの親類になっている。 すいません、そこまでは分かっていたのですが、質問文に分かっている範囲を書き忘れました。 お手数をかけさしてしまって、すいません。 改めてご回答ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 聖書におけるイエスキリストの系図の意味

    キリスト教でがはイエスキリストは処女から生まれたといいますが、そうであれば聖書に記載されている系図の記載の意味はあるのでしょうか。一方、イエスの本当の父親はヨセフ以外の人だったという話もありますが、そうなるとますます系図を記載する意味がわからなくなります。このへんのことをクリスチャンの方はどのようい納得しておられるのでしょうか。

  • 聖母子像でマリアは左側の胸にイエスを抱く?

    聖母子像で、聖母マリアは幼いイエスを抱いていますが、そのとき、構図としてイエスを左側の胸に抱くのが正しい・・・というのはあっていますか? 以前、どこでだったかは忘れたんですが、ひとの心は左側にあるので、左側に抱くんだと聞いたような気がするのですが、いろいろな聖母子像の絵をネットで探して見ると、ときには右側に抱いてるのも見かけるので、この考え方は間違ってるのかな・・・と、迷っています。 あと、リングを左側にするのも、やはりひとの心は左にあるから・・・というのも聞いたことあるんですが、それともやはり関連はあるんでしょうか? お分かりの方、どうぞよろしくおねがいします!

  • 必要(大切)なものはひとつだけ?

    ルカ伝・第10章38節~42節より エルサレムに向かう途中のイエスに、マルタという娘が家に招き入れ、マルタは献身的にもてなし歓迎しています。けれど、同居している無頓着な妹マリアは手伝うこともせず、イエスの話に聴きいって動きません。 それでマルタはイエスに「妹は私にだけ用事をさせています。イエス様からも手伝うようおっしゃってください」と懇願した。 イエスは「「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを奪ってはならない」だった。 そんな返事を貰ったマルタに女としても同情しちゃいます。家を守って晩御飯の用意をして待っている奥さんよりも、キャバクラの女の子に癒されていたいんだよって聞こえます。でも仮にもイエス様ですよ!? 慈愛の人です。 マリアが良い選択をしただ一つの必要なものを選んでいるとはどういうことなのでしょうか?

  • イエス・キリストの系図(なぜマタイとルカでは大きな相違があ

    マタイに記されている系図と、ルカに記されている系図では、かなり違っている箇所があります。ヨセフの父親の名前からして相違が見られます。なぜこんなにも違っている箇所が多いのでしょうか?

  • イエスはヨセフとマリアとの子であり神の子でもある。

     (あ) イエスは ナザレの人たるヨセフとマリアとのコイトスによって生まれた子であり ふつうの人間であると同時に 神の子でありみづからも神である。  言いかえると  (い) マリアは 許婚のヨセフとの性交によってイエスを身ごもり生んだと同時に 神なる聖霊によっても身ごもったと言われる。  (う) イエスは 神の子でありみづからも神であるゆえに イエス・キリストと呼ばれるわけであるが その《人間であるイエスが キリストなる神である》というのは 大嘘でありひとつの物語である。  (え) ただし この虚構によって 神は――世界のどんな名の神も 神という神は  《無い神》をもふくめて―― すでに要らないと見なされるかたちで 揚棄された。  (お) だから もう神を知れ・うやまえとか神を信じなさいとか神などはいないとか いや いるんだとか いちいちあらそうこともなくなった。理論上 そうである。  どうでしょう?

  • イエス・キリストの系図

    イエス・キリストの系図 日本の古典や旧約聖書のユダヤ人には系図が あり、非常に人間的に出来ていますが、 新約聖書のイエス・キリストには処女マリアから 産まれて系図がありません。なぜでしょうか?

  • クリスマス会@教会 聖誕劇のシナリオについて

    プロテスタントもカトリックも、クリスマスには教会学校(日曜学校)が子供達に指導する「聖誕劇」のプログラムがあります。 そこでお尋ねしたいのは、そのシナリオの内容について…。 「先ずは受胎告知から始まり、マリアとヨゼフがベトレヘムに向かい、途中でイエスを生み、そこに星に導かれた羊飼いが駆けつけ、最後に三人の博士が拝みに来て、神さまイエスさまをありがとう」というお話だったかと。 質問のポイントは、カトリックとプロテスタントのシナリオで、この内容に差があるかどうかということ。 ★ベトレヘムへ行く理由が人口調査なワケですが、この時に「さぁベトレヘムへ登録に行け」という宣布をする「ローマ人兵士」がキャストに上がるかどうか? というポイントを押さえながらお願いします。 プロテスタントではどうだ。カトリックではどうだ。という書き方でご協力いただければ嬉しいです。ご存じの方、よろしくお願いいたします。

  • 羽毛布団の手入れについて

    羽毛布団は干さなくてもいいという話を聞きましたが本当なのでしょうか?ネットで検索してもそれらしい話は見つかりません。 もしご存知の方がいらっしゃいましたら真相と根拠のほど教えてください。 よろしくお願いします。

  • イエスの血脈 : 聖杯伝説とダヴィンチコードへの不気味な疑問

    ダヴィンチコードを読了しました。いま、種本とされている『レンヌ・ル・シャトーの謎』を読んでいます。 読んでいてふと疑問に思ったのですが、この手の聖杯伝説では、 「マグダラのマリアがイエスと結婚して、フランスにてその子を産んだ。その血はメロヴィング家に受け継がれた」とあります。 さて、世界史に詳しい方なら「あれ?」と思いませんか?いま、「フランスで」「メロヴィング家に」というキーワードが出ましたね? 世界史の教科書的には、メロヴィング家フランク族は、今で言うドイツ地方、ライン川東岸から移動してきたとあります。ですから、「フランスに」マグダラのマリアがやってきて、そこでイエスの子を産み、その子孫がメロヴィング家…というのは文脈的につながらないんですよ。 ダヴィンチコードを読んでいて、どれだけの人がここに注目したかは分かりませんが、「メロヴィング家=イエスの子孫」説を打ち消したい派閥の人にとっては、ここは最大の攻撃の急所ですよね…。 「フランク族はドイツ発祥で、フランスにいたわけではない。もし始祖メロヴェ(クローヴィスのおじいさん)以前にイエスの子孫との混血が行われたとしたら、その母マグダラのマリアはフランスではなくドイツに渡ったはず」(←私の仮説) この謎、何か私が見落としているのでしょうか?それとも、この話自体が子供でも見抜けるでっち上げ? 「ああ、ダヴィンチコード自体がフィクションだからねえ」という投げやりな回答は無しでお願いします。私はレンヌ=ル=シャトーやダヴィンチコードの話が真実なら面白いなあと真剣に思っているので。

  • イエス・キリストと女性信者

    よく宗教の教祖や教祖的な存在である人が、女性信者に対して性的な関係を要求した、 という話があります。 私はクリスチャンではありませんが、新約聖書に対してずっと特別な思い、愛情のような そんな感情を持ってきていました。 大学の史学科でも、卒論では原始キリスト教を取り上げたくらいです。 時々、TVや本で、イエス様とマグダラのマリアとの関係が取り上げられます。 福音書も、今は4つですが、本当はもっともっと沢山あったと言います。 極端な言い方ですが、イエス様は既婚者だったり、恋人がいたりしたと思われますか? ※仏教の釈迦牟尼がどうか知りませんが、煩悩を断ち切ったと言います。 キリスト教等では、教祖は煩悩を断ち切った、超越した存在だったのか。。。