• ベストアンサー

邪馬台国って北朝鮮平壌付近?

muanakataの回答

回答No.14

No.10の者です。  戦争をした痕跡が無い戦争の具体的な事例を示したのに、それは関係ない別の話になるのですか?質問内容を的確にわかる、というのは「絶対に痕跡が残っていない日本に戦争はなかった、これを前提に質問に答えよ」ということですか?  私とおそらく回答者の皆さんも、あなたの疑問を解決するのに役立つ、関連する情報だと思ってコメントしています。はっきり言ってしまうと、私はあなたの思い込みが間違っていると思い、具体的な反例を示しています。それを無視されては、最初から意見を聞く気がなく、自説を出すだけが目的なのではないかと疑ってしまいます。  露骨に感情をぶつけてしまってすみません。  よかったら話がずれてしまっても、源平時代についてどのような認識か、お聞かせ願えませんか?

関連するQ&A

  • 邪馬台国の女王「卑弥呼」とは何者か?

    魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王「卑弥呼」とは何を意味するのでしょうか。当時の日本に邪馬台国という小国があって、その領袖は女性であり、「卑弥呼」という名前だったと、素直に読むべきでしょうか。それとも、一部の歴史家が言う様に、邪馬台国とは初期の大和朝廷のことであって、女王というのは当時の中国人の誤解であり、当時の日本人が領袖を「日御子(ひのみこ、ひみこ)」と呼んでいた。それを中国人が聞いて「卑弥呼」の文字をあてた。「日御子」は後世になって「天皇」と呼ばれるようになった、と考えるのが正しいのでしょうか。

  • 出典とは??

     現在日本史で大和政権の範囲をやっているのですが、朝鮮の日本(倭)に対する書物(漢書)で、どこの部分が「出典」なのか分かりません。  3つあるのですが、 1.『漢書』地理志   夫れ楽浪郡海中に倭人有り、分れて百余国~…。(原漢文) 2.『後漢書』東夷伝  建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝貢す。使人自ら大夫と称す~…(原漢文) 3.『魏志』倭人伝   倭人は帯方の東南大海の中に在り~…。(原漢文) 4.倭王武の上表文   興死して弟武立つ。自ら~…。(『栄書』倭国伝、原漢文) 一体どの部分が「出典」なのでしょう??()の中ですか?それとも『』でしょうか?

  • 楽浪郡はどこにあったのですか?

    楽浪郡はどこにあったのですか? (学校の先生が作った)歴史の問題に 「漢書地理志にある楽浪とは,朝鮮半島(1)部に設けた直轄植民地4郡のひとつの楽浪郡のことで,その中心は今の平壌付近にあった.」 (1)に当てはまるのはどれですか? A.北 B.中 C.南 D.東南 という問題が分かりません. 平壌の位置は調べてみたのですが,北部か中部かが分かりません.

  • 「宮内庁制限の古墳、航空レーザー計測で3D画像」なんて言うニュースが出

    「宮内庁制限の古墳、航空レーザー計測で3D画像」なんて言うニュースが出てきて 掲示板とか見ると天皇のルーツ云々まで書かれてますが、 日本神話や邪馬台国含めその他諸々の真実は 当時の先進国である中国や朝鮮の歴史書などに詳細に書かれたり、証拠が残ってたりしないものなんでしょうか? すなわち、中国や朝鮮の中の歴史の事実から外国である東の倭の国の事を特定出来ないものなんでしょうか?

  • 邪馬台国(卑弥呼)と天皇の系譜

    私は古代の日本史を学んで以来、邪馬台国の卑弥呼が大和朝廷 つまり現在の天皇に繋がる存在だと思っていました。 ところが最近、九州出身の方から興味深い話を聞きました。 その内容は邪馬台国は朝鮮半島にあって、天皇とはあまり関係ないらしいこと。 現在の天皇に繋がるのは高天原族という騎馬民族で、 これまた大陸から朝鮮半島を経由して日本を征服していったということです。 この説なら謎とされている邪馬台国が日本に存在しないことも 未だに高天原が見つかっていないことも説明がつきます。 取り敢えず、これらのことはいったん置きまして、 今回お聞きしたいのはタイトルにあるように卑弥呼と天皇の関係です。 上述したように卑弥呼と高天原族は関係が薄いようですが、 この説は既に学説として定着しているものなのでしょうかということです。

  • 室谷氏が語ったケンチャナヨ精神で分かった韓国文明が

    存在したのは事実で有ったと! 前方後円墳、朝鮮半島から日本に渡ったと 力説する韓国考古学者 なぜか、放射線検査では日本の古墳の方が 100年ほど古いと出る、 のは、古来より半島に寝ず居ていたケンチャナヨ精神 が原因だったのではあるまいか? ケンチャナヨ精神で作った古墳は1発の台風で根こそぎ ぶっ飛んだ! 後に日本で改良された古墳建造技術が半島に逆輸入され 日本より100年ほど新しい古墳は残ったという解説は どうだろうか? また、9千年前には既に文明があったとされる 世界6大珍事ではなく、世界最古の文明 朝鮮文明の 遺跡が一切砂ほどの欠片も出ないのは、ケンチャナヨ精神 で、作られた遺跡であるから、 逆に言えば、何もないのが、朝鮮文明を語っていることに 繋がるとは、言えなくはないでしょうか?

  • 邪馬台国の謎について

    考古学には素人ですが、興味があっていろいろな文献を読んだりしています。考古学の最大の謎は邪馬台国が畿内にあったか北九州にあったかの議論だと思いますが、私はどっちにあったにしても、もう一つ同じ時代に同じ規模の集落(クニ)があり、同時に栄えていたと思うのです。そうしてそのどっちかがいわゆる邪馬台国で、もう一方は別の国だったと思います。 そもそも当時の倭国にかんする記述は魏志倭人伝の2千文字しかなく、それ以外の記録は一切ありません。もしこの魏志倭人伝すらなかったら、「邪馬台国」の存在自自体が分からなかったことになります。同様に、記録には残らなかったが実在した国は多数あったはずで、仮に邪馬台国が北九州だとしたら畿内の纏向遺跡や箸墓古墳は別の同じ規模の国王が住んでいた場所で、邪馬台国が機内だったら北九州は別の王が住んでいた巨大集落だったということだと思います。 要するに記録が1つしかないから畿内か北九州かの一元論になってしまい、実際にはいろんな大規模集落があちこちにあり、それぞれに倭国の王とおぼしき人物がいたんだろうと思います。 けっして当時の倭王が卑弥呼だけだったとは思えません。 従って魏志倭人伝だけを根拠にして邪馬台国がどこにあったのかを議論すること自体ナンセンスで、そこは倭国全体の中心地点だった証明にはならないと思います。 邪馬台国論争はいつの時代でもいろんな学者がいろんな意見を戦わせていますが、私としては上記のように思います。 いろんなご意見をいただければ幸いです。

  • ハングルが作られる前の言語

    歴史の質問になってしまいますが、ハングルがセジョン大王に作られた前の朝鮮半島の言語を教えてください。考古中国語だったのでしょうか?また、日本語と韓国語には、発音が同じ言葉がたくさんあるのはなぜなんでしょうか?私の知る限りでは、邪馬台国が朝鮮半島と貿易をするときに同じ言葉を話していたのではないかということと、韓国併合のときに日本語が朝鮮に流れ込んでそれがハングルになったのではないかということを知っています。知っている方がいたら、詳しく教えてくださいませ。

  • 邪馬台国までの距離で・・・

    女王国まで帯方郡より1万2千里と魏志倭人伝にあり、1里を漢の基準で約400メートルとした場合、太平洋に行ってしまいますが、単里の約76メートルとした場合はちょうど九州になるという説を読みました。 魏志倭人伝の陳寿の仕えていた西晋は短里を使っていたとか・・・ また、 「韓は帯方の南にあり、東西海をもって限りとなし、南は倭と接す。方4千里」 これは朝鮮半島の事だそうですが、4千里を約400メートルで計算すると、その大きさは朝鮮半島にはおさまらず、日本海に飛び出してしまうけれど、短里で計算するとちょうどあうそうです。 ですが、Wikipdiaの邪馬台国を見ても短里については書かれていません。この短里というのは信憑性が低いのでしょうか? 邪馬台国の九州説を否定する研究家は短里について、どう考えているのでしょうか?

  • 邪馬台国について

    前々から思ってた事ですが、 「邪馬台国」は「やまたいこく」と呼ぶのではなく 「やまと(大和)の国」=大和政権、 「卑弥呼」は「ひみこ」ではなく、漢文的に「ひめ(姫)と呼ばれていた」 =女帝の1人とは考えられないのでしょうか? 「魏志倭人伝」で地理や年代の記述が合わないと言われてますが、 中国はまだ三国騒乱の時代で、どこまで辺境の日本の事を 構っていられたか分りませんし、 当時の中国人にとって行った事もない日本の地理が どこまで正確だったのかも分りません。 邪馬台国がその後の大和政権に繋がったと考えるのはナンセンスなのでしょうか?