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神道には「神から授かった命」という思想は存在するのですか?

以下に問題の文を引用します。 2ちゃんねるなので見苦しい点もあるかと思いますがご了承ください。 ------------------------------------------------------------- 9歳少女が継父にレイプされ妊娠 → 大司教「強姦よりも中絶のほうが大罪だろ・・・宗教的に考えて」 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1236886098/190 190 名前: すずめちゃん(catv?)[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 05:40:54.67 ID:ljYsK/jh >>173 基地外日本人。キリスト教だけじゃねーだろ。 お前らの好きな神道も言ってるぞ。 「どんな命でもそこから”繋がって人類がある”。それが神の意志だ。」←これは妊娠の話ではなく 神々と過去の人達と今生きる人の繋がりを語っていたものだけど、思想は神様から授かった命ってことだろ? 七歳までは神の子だから七五三やるって習慣を押しつけてる文化の癖にキリスト教批判かよ 世界を知れよ ------------------------------------------------------------- 本当にこのような思想が神道にもあるのでしょうか。 自分は神道には詳しくないので教えて欲しいです。 PSなんでこの「教えて!goo」には「宗教」カテゴリーが存在しないのでしょうか…いくら無宗教国家日本であっても、宗教学のカテゴリぐらいはあって然るべきですね。

みんなの回答

noname#132403
noname#132403
回答No.8

神から命を授かる 例えばこれは食事ですね 幸せになることこれは 皆 神様のおかげです。神道研究者IK

  • kigurumi
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回答No.7

<七歳までは神の子>と言われていた理由は、昔は子供は死にやすかったから。 7歳をすぎると、抵抗力が増し死亡率が低くなるが、その前まではよく病気で死んでいたので、7歳になるまでは共同体の一員だと認められていなかった。 7歳になると共同体に参入する通過儀礼としてお祝いをした。 自分たちの仲間だって承認されたわけです。 もう一つの理由は、子供や精神障害者は神側の世界にいる人だとされたから。 子供は大人からみてよくわからないことをする。 精神障害者も意味不明のことをする。 神の真似をする踊り、なんでしたっけ? 神楽? あれは動物を真似た動きですよね。 神も動物も子供も精神障害者も理解できないことをしたりするので、神側のものだとされた。 7歳くらいになると、大人でも理解できる言動をするようになるので、通過儀礼をして、仲間に加えて一人前の仲間として対応した。 これが7歳までは神の子 という意味。

noname#80093
noname#80093
回答No.6

●表題のご質問につきまして。 神道のある一宗派の教義には、 太陽の如き神霊の分御霊(わけみたま)として人命が授けられた、 という趣旨の一文があります。 ●宗教カテゴリ-につきまして。 他のサイトの宗教カテゴリーを見たことがありますが、 閲覧に不快を感じる投稿も多かったような記憶もあります。 そのサイトの哲学系は一応大丈夫でした。 教えてgoo様は全般的に今のところ好感が持てる内容が多いですから、 宗教カテゴリーを設けてももしかしたら大丈夫(?)かもしれませんが(?)、 上述のようなケースもありますので、何とも言い難い面もあります。。 ただ、おっしゃっている御趣旨としましては、 本来宗教は真剣誠実に取り扱われるべき大切なものである、 ということでもあるかと思いますので、 このサイトで現状のような世情のまま取り扱うのがいいかどうかは別としまして、 ご趣旨自体は賛同したいです。

noname#80116
noname#80116
回答No.5

 《まつり(祀り・祭り)》とは 土地の神々に 特にはその年の初穂を 差し上げることです。捧げた上で 神々と共に 村の人びとは 感謝をもって 共食します。  たぶん 人びとは 《共生》が その人生の真骨頂だったでしょう。    そのあと 賢い人びとが この《まつり》を 概念として まつりあげました。われ考えるなら われありと言わんばかりに その思考・その理性こそが 神々の現われであり その思想を体現した人間も 神々であると 唱え始めました。  したがって このように 村々の共生である《まつり》を 一段と高いところから 束ねるようにして 統治することは 《まつりごと》というわけです。たぶん どうしても大将にして欲しいと だだをこねたのでしょうね。人びとは これには ゆづらざるを得なかったようです。(《国ゆづり》)。  したがって 村々の人びとが 共食するまつりは 二階への税金を払って そのあとの残りで 共同自治し共生するかたちを採りました。これは 《まつらふ》と呼ばれ やがて 《まつろう=服する》という意味の言葉となっていきました。  《神道》には いくつかの段階が あります。初めの《まつり》を 村の神社を中心として おこなう段階のあとと前とで 違いがあるでしょうし この村々の神社が 中央集権の下に 格式を与えられ序列化された情況において 神道として捉えられた場合などです。  そもそもは それほどの思想というものも なかったのではないでしょうか。ただし 生命のとうとさは 知っていたようです。  人は死ぬと自覚してからの古代日本人は 死の神から 一日に千人死ぬようにしようと言われれば ぢゃあ われらは 千五百人生むんだと言い返したと言いますから われらが祖先は 素朴で明るい人びとだったのではないでしょうか。  米や作物が育たず 食べるものがないときには 間引きというようなことも おこなっていたようですが 品種改良にも 励んで来ています。社会全体としての分配や再分配が うまく行っていなければ 生命存在を大事にするのが シントウイスムの真骨頂だと思いますが 昨今は うまく行きませんかねぇ。学費が払えずに 高校をやめていく生徒が 増えているようですね。  七歳というふうに 歳を区切ることもないと思います。もともとの共生の生活態度としての思想に そんな限定は 要らなかったと思われますから。

noname#82952
noname#82952
回答No.4

こんにちは。 日本神道の最も古い文献は古事記・日本書紀・風土記だと思います。 風土記については読んだことがないので、 なんともいえません。 しかし、私は古事記や日本書紀を読んで「神から授かった命」 というテーマは感じ取れませんでした。 ギリシャ神話などで、神々が実に人間臭いドラマを繰り広げていますが あれに近いですね。 個人的には古事記や日本書紀のテーマは 「天皇家は神であり、日本を統治する正当な権利を持っている」ということであるように感じました。 ただし、その後、神道は仏教と習合していく中で (明治の廃仏希釈まで神仏は習合されて信仰されていました。) 「神から授かった命」というテーマを持った、とはいえるかもしれません。 このように書くと、批判される方もあるかと思いますが 個人的な意見ということでご容赦ください。 そうであると断定しているわけではありません。 古事記や日本書紀を読んでみられて、ご自身で判断するのが一番だと思います。 図書館に行くと、わかりやすく現代語訳されたものがあると思いますので ぜひお読みになってください。 内容も因幡の素兎とか、ヤマタノオロチとか よく知っている内容のものが多くて、難しいものではありません。 近年、古事記や日本書紀は為政者(藤原氏)によって改竄されていると 歴史学者などが指摘していることも、申し添えておきます。 初代神武天皇が日向より東征して畿内入りを目指すさいに 「東にはニギハヤヒ(物部氏の祖神)がすでに天の磐船を操って天下っている」 と発言しており、ここから神武以前に物部王朝があったとする説があります。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

[思想は神様から授かった命] 神道もそうですよ。伊邪那岐神・伊邪那美神が地に降臨して結婚して、その子孫が日本人のルーツということになってますから。みんな神の子なんですね。「伊邪那岐神・伊邪那美神」で調べるとでてきますから。抜粋:「イザナギ神・イザナミ神は天の神様たちの命を受けて、国作りを始めました。まずは天の浮橋に立って、まだ混沌としていた地球の表面に棒を入れてかき回すと、そのしずくが落ちて重なり淤能碁呂島(おのごろしま)という島になります。そこで二人はその島に降りて結婚しました。 」 参照:http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/naginami.htm 子供は生まれていようがいまいが神様から授かった命ですから 神道でも、殺人罪のほうが強姦罪より重いことは同じですね。 尚:宗教学のカテゴリ:宗教も哲学ですからね。

  • Ringo_JP
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.2

宗教学なんてくだらないものは必要ありません! 神や仏は人が大昔の作り話を信じてなにもない時代を経てきたから続いているだけです そろそろ神の存在を捨て人が人のために生きることを考えて行きましょう >大司教「強姦よりも中絶のほうが大罪だろ・・・宗教的に考えて」 宗教など馬鹿げたものがあるからややこしくなるんです >「神から授かった命」 なんてある訳ないですよ 母親と父親でしょ? ふざけて答えてるんじゃなくて当たり前のことじゃないですか 神を信じるというのは人間がまだまだ理性というものが進化していないんだとは思いますが・・・ 私も子供の頃は神様を信じていましたけど、ま~あれですかね ここは哲学の場所で神を信じる人が多いから回答も無駄になるけど反対意見もあって良いでしょ^^ 仲良しクラブ(この場所)にいれば何も変らないでしょうからね・・・ だけど・・どうしてこうも神の存在を認めたがるのか不思議でならないですね 宗教がなければそれだけで人の命がどれだけ救われることか・・・ 現実逃避しているようなよもやま話をしているから宗教で人の命を救うのではなく奪っているのではないですか 太古から比較しても人類にとって大きなマイナスになってる出来事が多いですよね ないものを信じている限り”おれおれ詐欺”や”振込み詐欺”などで騙される人も減らないと思います さて、中絶の問題ですがここではこの宗教でいくと反対=子供を生かす方向ですが、しかし母親の方はどうでしょうか? それで良い方向に行くのでしょうか? こればかりは分かりませんよね ただ、人は経験して学ぶことが出来るのでその人の環境でそれぞれが考える事だと思います 日本の宗教でも有名なところでそれを信じている人は、どう見ても裕福に見えない多くの人がそこが発行する書物を買い込んで無料で人にあげたりするのは洗脳されているとはしか思えないですよね 洗脳っていうとオーバーだから言い換えると人の弱みにつけこんで利用しているもしくは知らぬ振りをしているでしょうか そのお金はおそらく立派な建物になるだけのもので気の毒だとは思います 実際そこの建物をいくつも見ましたが必要以上にお金をかけていることは間違いありません 嫌な例をあげましたがこんなものはどこでもたくさんあります 神や仏は数えられないぐらいありますが、何故そんなにたくさんあるのでしょう? 得する人が必ずいるからですよね そういう現実があるにも関わらずどして神を信じることが出来るのでしょうか? 不思議です・・・ 現実逃避して想像の世界にいるほうが精神的には楽なんでしょうかね それがあるために生きていける人もいるので無くした方が良いとは言い切りませんが、そういう方面から出来事を見るのではなく現実を見て考えていけるような人が多くなればと考えます

回答No.1

神道は、どちらかというと、「万物全てに神が宿る」という、原始宗教に近い考えを持っていると思います。 お米の一粒一粒にも神様はいるのだから、こぼしたり残したりと粗末にせず、きちんと食べるとか、あるいは古木、奇岩、滝、山等、それらにも神は宿るという教えだと思っています。 私も神道に関してきちんと教えを受けたわけではないですが、根本にあるものは、命は神様から授かったのではなく、自然に発生するというものだと思います。 日本神話がよい例です。 神道では、神は敬う対象であると同時に友人であり、仲間であるという感覚のほうが正しいと思えます。 自分自身が自然に生まれ、父母家族の慈しみを受けて育ったように、道端の石っころ、毎日食べる食物にも神は宿る、そう考えることにより、無駄を戒め、他に施しをする、日本の精神風土が出来上がってきたと思います。 また、だからこそ、日本人は、新来の宗教すら受け入れ、自分達の生活の一部とすることに違和感を感じないのでしょう。

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