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日本神道の信者さんに質問です。
日本神道は、「神の多様性を何よりも強く重んじ、受け入れることができる。」と聞いたことがあります。 そこで質問なのですが、「神の多様性を何よりも強く重んじ、受け入れることができる。」とはどの程度まで受け入れると言うことなのでしょうか? (キリスト教を例にします。) 1、日本全国に教会が建ち、神道そのものが滅ぼされたとしても、最後まで争わずにその多様性を尊重し受け入れる。 2、キリスト教は尊重するが、神道(天照大神)にとって代わるようなことがあってはならない。もし、そうなった場合はクリスチャンを徹底的に弾圧し排除する。 神道の信者さんは、どちらを選択されますか? 回答お願いします。
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2です 日本の神道の法皇は天皇陛下です 神道が排除されると言う事は天皇が排斥されるということです 日本国としてそんな事は絶対にあってはならない そうなったらキリスト教は徹底的に叩きます
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- eroero4649
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まず、「日本神道は宗教なのか」という根源的な問題があります。宗教にはいくつかの共通する項目があります。 ・教祖・開祖がいる(例:仏教は仏陀、キリスト教はイエス、イスラム教はムハンマド) ・経典がある(例:お経、旧約聖書、新約聖書、コーラン) ・信者が守るべきルールがある(例:仏教の肉食禁止やイスラム教のラマダンなど) ・様々な宗教儀式がある(例:ミサや法要、聖地巡礼など) このうち、神道には開祖(教祖)も経典もルールもありません。ただ、儀式だけが存在しています。これは宗教学などの立場からすると宗教というより「アミニズム(精霊信仰・土着信仰)」と呼ぶべきものとなります。ギリシャ神話とかケルト神話とかそういうのに近いですね。ま、ほぼそれに近いといっていいのではないかと思います。ですから、これを「宗教」と呼ぶべきかどうかは難しいですね。 また、日本神道はかつて一度大変な危機を迎えたことがあります。仏教の伝来です。仏教を信じるか信じないかで戦争にまでなり、結果、仏教推しの蘇我氏と聖徳太子の一派が勝利して仏教が日本の国教となりました。 ところが日本人はこの外国渡来の宗教に対してものすごい対応をしました。「神仏習合」です。取り込んで、ごちゃ混ぜにしちゃったのです。結果、お寺の中に神社(祠)があるということが自然にできてしまいました。この日本人の土着に取り込む寛容さというか鷹揚さというかいい加減さというのは他の国では見られない現象で、後にキリスト教のお祭りであるクリスマスがここに組み込まれ日本人の生活の一部となり、今はハロウィンが仮装のお祭りということで組み込まれつつあります。 で、もしここに他の宗教がやってきたら仏教がそうなったように「取り込まれて一体化する」という流れになるかと思います。そして、ユダヤ教やイスラム教のようなそういう一体化を拒む宗教というのは、日本人は好まないのです。日本人のイスラム教徒とか滅多に聞きませんでしょ?ああいう「ムハンマド以外は絶対に拝んじゃだめだ」みたいなのは日本人は生理的に嫌がるんです。「いいじゃねえか、ムハンマドさんもイエスさんも仏陀さんも拝んで」って思うんです。これは数千年来の日本人の民族性によるものですから、よっぽど外国から移民でも大量に来ない限り変わるものでもないでしょうし、仮にイスラム教徒が大量に日本に移民としてやってきたら、200年くらい経ったら日本化されて独特のイスラム教になるんじゃないかという気がします。
- cutustia
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どちらも無いんじゃないですかね? 1は1500年前に実際に仏教と神道で起こりましたよね。その後うまく融合したのはご存知のとおりです。同じ道を辿るのではないでしょうか? 2も戦後に同じようなことが有りましたよね。 神社で二拝二拍手一拝を疑問も持たずに行ってませんか? これって敗戦後にキリスト教徒が日本人に強いた作法ですよ。 こんなことを疑問にも思ったことが有りますか? 普通の人は無いでしょうね。 つまり排除しないで受け入れるのではないでしょうかね。 僕は中学生ながらにそう思います。
- fujic-1990
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> 日本神道は、「神の多様性を何よりも強く重んじ、受け入れる > ことができる。」と聞いたことがあります。 そう、言っている人もいる、というダケでしょう。 「私の愛は永遠だ」とか、「永遠の愛を君に捧げよう」とか言っている人がいる、というのと同じです。人の命は有限なのだから、永遠の愛も論理的には存在しません。 同様に、それは神道教義に則っての発言ではありません。 そもそも神道には教義らしい教義がありませんから、教義に則った発言などできるはずがナイのです。「これは個人の感想で、教義を説明するものではありません」という注釈を入れるべき言葉です。 したがって、そう言った人に質問するべきで、神道信者一般に質問しても、正しい回答は得られません。 > どの程度まで受け入れると言うことなのでしょうか? どこだったか場所は忘れましたが、イエス・キリストを祀る神社があるはずです。 異教の神を神社に祀るほど、受け入れます。 > 神道そのものが滅ぼされたとしても 言葉遊びでないとすると、「滅ぼす」とは具体的にどんなことですか? 論理としては、神道の信者がいれば、滅ぼされたことになりません。自発的に改宗したのでも滅ぼされたことにはなりませんから、信者に対し無理矢理「改宗を強制」したり「殺した」り、ということですか? 生き物を殺すな、と教える仏教だって、それを信じる人たちが戦って生き残って、仏教の教えを伝えてきたから存在します。 「信仰の自由」などと言う言葉もなく、信仰を巡って殺し合った時代を経ているのです。黙って殺されていたら、仏教はこん日まで残りません。 殺されそうになれば戦います。片方の頬を叩かれたら反対側の頬を出せ、でしたか、そんな教えの宗教でも倍返しで戦いました。 神道信者でも同じでしょう。殺しに来れば反撃する。考えるまでもナイことです。 2,取って代わる、というのが具体的にどういう状態なのか分からないのですが、仏教と神道では「本地垂迹」説が唱えられて、仏教は日本化しました。 キリスト教の神様でも、同じような考えで、取り入れられるのではないでしょうか。 その結果、キリスト教も日本化されるものと思います。 弾圧、排除は・・・ 秀吉がキリスト教を禁止したのは妻以外との・・・ を禁止していると知ったからのようです。神様が天照大神に取って代わることを恐れたせいではないですね。 イギリスのなんとか王がイギリス国教を始めて、カトリック教を排除したのは、ローマ教会が離婚を認めなかったからではなかったですか? 日本で、江戸時代始め、幕府がキリスト教を弾圧したのは、キリスト教の神の存在が天照大神の存在とバッティングするからではなく、その教えの結果、自分たちの政治体制がひっくり返されそうに感じたからです。 私個人の感想ですが、天照大神の立場は、何も言わない、何も要求しない、という人畜無害な「沈黙」の立場です。 天照大神は何も要求しないのに、取って代わった神様が、いやカネを寄進しろ、いや日曜に礼拝に来い、来ないと祟るぞ、政治はこう変えるべきだ、とか、取って代わった以上のことを言い出すと排除したくなるかもしれませんね。 でも、大神様と同じ沈黙の立場に取って代わるのなら、弾圧する価値も排除する価値も感じません。ほかの人も、弾圧だの排除だのはしないと思います。 要するに、キリスト教徒の「行動」しだいでしょう。思想ではなく。
- hekiyu
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日本神道は、「神の多様性を何よりも強く重んじ、受け入れることができる。 ↑ 少し説明が必要ですね。 神道は多神教です。 この点、一神教であるイスラムやキリストとことなる わけです。 神道の神は、自然発生的に生じた神で、山川草木など ことごとく神が存在し、俗に八百万の神々がいる、 つまり無数に存在する、という宗教です。 神道は、キリスト教のように教義らしい教義はありません。 信者である、との自覚すら不要の宗教です。 先祖を想い、自然を畏れていれば、それだけで信者です。 だから、文科省も、神道の信者は1億1千万いるとして います。 ”「神の多様性を何よりも強く重んじ、受け入れることができる。」 とはどの程度まで受け入れると言うことなのでしょうか?” ↑ 中国、朝鮮経由で仏教が入ってきたときが 参考になると思います。 神道の親分みたいな天皇ですら、仏教徒になった ことがあります。 仏教の内容も、神道に適合するよう変容し、インドの 仏教とは別のモノになってしまいました。 明治になって廃仏毀釈が行われたことがありましたが、 歴史を通じて観察すれば、仏教が神道的にい変容して 神道と共存していることが判るでしょう。 ”1、日本全国に教会が建ち、神道そのものが滅ぼされたとしても、 最後まで争わずにその多様性を尊重し受け入れる” ↑ その場合は、キリスト教も仏教と同じ運命を たどるでしょう。 つまり、神道的に変容したキリスト教になると 思われます。 ”2、キリスト教は尊重するが、神道(天照大神)にとって代わるような ことがあってはならない。もし、そうなった場合はクリスチャンを 徹底的に弾圧し排除する。” ↑ 神道みたいな多神教では、宗教戦争は起こりにくい のです。 だから弾圧云々にはならないでしょう。 皇族にもクリスチャンがいるのが神道です。 ちなみに、文科省は仏教徒は9千万いるとしています。 神道と合わせて2億になります。 ”神道の信者さんは、どちらを選択されますか?” ↑ こういう質問をすること自体が、神道を理解して いない証拠です。 つまり、ワタシも質問者さんも神道の信者である 可能性が高いわけです。 何しろ自覚が不要な宗教なのですから。
「神の多様性を受け入れる」という意味を多少誤解されておられるようです。 キリスト教はどのように変質しても唯一絶対の神であるヤハウエ(エホバ)以外の神の存在は認めません。 ヤハウエ(エホバ)を信じる限りは、その信仰の表現方法が異なっていても受け入れるとしているのが現在のキリスト教です。 この信仰の方法の自由を認めろ!としたのが世界史上の宗教改革と呼ばれる運動です。 ヤハウエ(エホバ)の他の神を信じることを認めろと言った訳ではありません。 キリストをこの神(ヤハウエ)の子としたり、ヤハウエと一体のものであるというのが三位一体論です。 これを認めるかどうかで宗派が分かれているだけです。 ユダヤ教はこのキリストの神性を全く認めません。 あくまでも預言者の一人として扱います。 唯一絶対神であるヤハウエ(エホバ)」は共通です。 結果として、旧約聖書は共通ですが、ユダヤ教ではキリストの神性を認める新約聖書を用いません。 同じようなことが唯一絶対なる神をアラーとするイスラム教でも起きています。 アラーの言葉であるコーランをどの様に解釈するのかということでシーア派とかスンナ派と呼ばれる宗派に分かれているだけです。 アラーを唯一絶対なる神である、としている点では同じです。 この唯一絶対なる神をヤハウエとするのかアラーとするのかで長い間戦争を続けているのがキリスト教とイスラム教との関係です。 ヤハウエの他にアラーを認めろとかアラーの他にヤハウエを認めろとか言っている訳ではありません。 これに対して日本の神道の神の多様性というのは、神様そのものが沢山いるということです。 逆に唯一絶対なる神などというものを認めません。 天照大神も沢山いる神様の中の一人です。 靖国神社などは無数の神様の集合体です。 神様が沢山いますから、その時々で違う神様のところへお参りにいきます。 初詣に明治神宮へ行って、受験の際に天神様へ行って、結婚相手を見つけられるように出雲大社へ行って、子供ができれば子安神社へいき、子供が生まれれば近所の神社へお宮参りをします。 全部違う神様です。 キリスト教では神様は一人ですから全て教会が一手に引き受けます。 神道では神様だけではなく仏教の仏様も認めます。 現在は減りましたが、神様を祀った神棚と仏様を祀った仏壇が同じ家の中にあり毎日両方にお詣りりするのに何の違和感も持ちません。 そもそも仏教を受け入れる際にも沢山いる神様の中の異国の神様として受け入れました。 この延長線上でキリストも神様の一人です。 クリスマスパーティーが終わって、除夜の鐘をついて、初詣にいくなどというのを敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の目から見れば「何やってんの?」ということになります。 「神道の信者さん」と言われますが、明治神宮に初詣している人をつかまえて「オマエハ明治神宮の信者か」と聞けば皆さん返答に困惑するでしょう。 従いましてご質問の1.2.ともに前提が日本の神道が持つ性格とは違いますので、回答は不能ということになります。
- bunjii
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日本人は殆どが神道の信仰者と考えて良いかも知れません。 しかし、「神道=天照大神」ではありません。 八百万の神々の中の1つとして「天照大神」が存在すると考えるべきでしょう。 天皇の系譜を辿ると「天照大神」に行き着くされているようです。 他の神々が各地に多く存在しますので、キリスト教と神道を比較するのは如何なものでしょう?
お礼
回答ありがとうございます。
- IDii24
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良く分かりません。前提が信仰の自由を排除されたらってことになりませんか?その時点で暴動が起きるのでは? 自由があるならだれが何を信仰しようが勝手じゃないですか?日本人の大多数がキリスト教になるって意味はどこから来る発想なのですかね。全員がそれを信じるなら別に今と同じじゃないでしょうか?神道は仏教に比べて信者は少ないですよ。でも仏教を排除しようとはしてませんよね。これがキリスト教になっても同じでしょう。なんか質問が無意味なような気がします。
お礼
(回答ありがとうございます。) azuki-7さんの言ってることが日本人の本音だと思います。