• ベストアンサー

自我の解体なさってますか?

noname#100496の回答

noname#100496
noname#100496
回答No.4

補足質問にお答えします。自我の脳の発達は、人の退化です。中国の老子は、脳を否定し無知を奨めてます。仏教では自我を否定し、座禅などで、無我をすすめています。脳の思考は、人を迷い苦しめています。大学の先生が、日本人の脳という本で、日本語を話して育った人は、脳の音感の構造が変化して、自然の音に敏感になるという、論文を発表しています。つまり風や川の音、鳥や虫の声が、日本人には美しく聞こえるが、外国人には雑音に聞こえます。また世界中で大自然の心を表現する言葉が、日本語の情緒しかありません。だから日本人は自然を無我を理解する事が出来、自我を嫌い、個人が無くて、内と外があります。脳、自我と自然、無我は対立しています。だから脳が思考してる時は、人と自然の交流が遮断されて、ストレスになります。脳の思考が休んだ時、人と自然が交流して、心が癒されます。人は最初は無我でした。その後脳の自我と合体しました。そして迷い苦しんでいます。だけど2012年に脳を分離して無我にもどります。

noname002
質問者

お礼

わざわざ補足に おこたえいただき有難うございます。 …従来伝えられている瞑想法は、例えば呼吸に集中したりマントラ(真言、神の名前や聖典の言葉を唱えること)を唱えたりしながら長時間座り、外界の遮断に努めるというやや荒っぽい方法が取られることが多い。そして"意味づけの再構成"は瞑想においては"雑念"として片づけられる。しかし雑念は心の自然な発露であり、それを敵視するのはいたずらに瞑想を難しくする。… …子どもは好奇心の塊で、何でもかんでも知りたがる。それはもちろん 知の原理 が優勢に働いているからだが、意味づけが定まる前は価値に汚染されない分、純粋に、あるがままに対象を観るので、ときに子どもは詩人のようである。しかし一度意味づけが定まり、それなりに適応できるようになったり使いこなせるようになれば、知の原理 は抑制されてしまう。… >自我の脳の発達は、人の退化 退化ですか!心理学的には「超自我と本能の調整役が自我であるという見方」があると教えていただいたのですが。 >脳の思考が休んだ時、人と自然が交流して、心が癒されます。 自我の発達、対象の自我化の複雑さは、そのまま人間社会の複雑さに直結しているのでしょうか、仰るように、脳を休ませるということは大切なことだと思いました。 確かに自然の風物を眺めているときにはゴチャゴチャ考えませんね。 >だけど2012年に脳を分離して無我にもどります。 そうですか、、、えっ、でも、それって、もうじきじゃないですか。。。 >日本語を話して育った人は、脳の音感の構造が変化して、自然の音に敏感になるという、論文を発表しています。つまり風や川の音、鳥や虫の声が、日本人には美しく聞こえる たとえば日本語を話すことに慣れている外国人の場合、その顔つきや表情までが何となく日本人っぽくなるものだな、と思うことがあるのですが、逆に、日本人でも、長らく外国語を中心に話す生活をしている人だと、何となく日本人離れしたような表情になるというか、口もとなんかの形が変化してるような気がします。 大昔から日本人には「聞きなし」という微笑ましく味わい深い風習もありますね。 『枕草子』でしたか「みのむし いとあわれなり」(秋風が吹く頃、親が戻ってきてくれると信じ、みのむしの子供は、ちちよ、ちちよ と鳴く)というのもありました。

関連するQ&A

  • 「自我」という言葉をどう解釈してますか。

     wikiで「自我」に就いて調べてみました。  でも難しい言葉の羅列でよく分かりませんでした。    西洋哲学が使う「自我」  仏教で使われる「自我」  違いがあるなら、知りたいのです。  私は、「自我」=私心(わたくしごころ)あるいは欲、煩悩の住む心と云ったような受け止め方なので、仏教的だとは思っています。  よろしくお願いいたします。

  • 超自我と自我について。

    皆さんが思う超自我と自我の違いってなんですか? また、超自我が強いと不都合がありますか? (教えてgooを検索した範囲での知識からですが、私はある気がします) また、自分の生活に役立てるために上記のような事をしりたい ので、心理学を少しかじりたいなと思っているのですが よみやすいオススメの書物はありますか? 是非おしえてください

  • 自我というものは昔からあったのでしょうか?

    ここで言う自我というのはデカルトの「我思う故に我あり」的な、自分が自分であると意識している自分という時の自我です。 現在では、「自分が自分だと意識する自我」というのは人間が生れつき誰でも持っているもので、赤ちゃんから大人に成長するにつれて自然に出て来るものだ。と思われていますが、ではデカルト以前の封建社会時代にそのような自我はあったのでしょうか?江戸時代、平安時代、言葉の無かったような時代の人達にもこのような自我というのは自然にあったものなのでしょうか?

  • 哲学における自我の話を持ち出してみました

    悪夢の葛藤は今、君たちに何を回顧させるか? 過去からの亡霊。 Primeape 〈オコリザル〉だ。 今回は自我論に関してだよ。 自我論、自我説は宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人には他者と共感したり、心を通わせることができる。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 社会性は人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 さて、仏教における無我、日本の伝統について語ろう。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格として総括した「我」という自己のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち自我を仏性という特別な言い回しで表現して、我=人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調を強引に無我としたのだ。 そもそも自我という研究は何を目指しているか? 人間玉ねぎ論だ。 物資を細かく砕いた結果について、紀元前西洋哲学は原子を予言していら。 それド同一の手法で考察された、学問上の論理が自我論で、人格を砕くと自我になり、自我を砕くと霊になり、とかなんとか、どんどん細分化していく性質の論理だ。 という事はだよ、 研究しても自己の全体像からかけ離れていくという事だ。 さて、今回はPrimeapeという8年ほど前に退会した旧IDでさんざんやっていた仏教研究を久しぶりに引っ張り出しました。自分で納得していたんでわざわざ続きをすることはなかったんだけど、まとめてみると何か研究を先に続ける意見でも集まるのではないかと思って質問しました。 学問カテゴリーの研究会として、自由にご回答ください。

  • 自我の崩壊

    高校生の時の友達が、父親と仲が悪くてここ1年ほど顔を合わせても一言も会話をしていないらしいのです。 なぜ父親としゃべらないのかというと、友達にとっては父親が抑圧的な態度を取っているように思うらしく、昔はがまんして話していたけれど、そのときには自我が崩壊しそうになったからだそうです。 よく分からないのは「自我が崩壊する」という言葉です。 辞典で調べてみたところ、自分の存在を否定されたりして「自我」が傷つけられそうになると、「防衛」が作動し心の安定を保つ仕組みになっているというようなことが書いてありました。 自我が崩壊するということは、守るべき自我そのものがなくなってしまうということですよね? これはどういう状態なのでしょうか。 また、一度自我が崩壊してしまったら、どうやって自我を再構築したらいいんでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 動物に自我はあるか

    動物は「種」として生きているので「私」というものがない、と聞いたことがありますが、実際どうなのでしょう 魚の群れなどを見るとそうも思えますが、知人の飼っている犬を見ていると例えば: 2匹飼っているのですが、うち1匹がまだ幼くて、トイレでないところでおしっこをしちゃったりすると、もう1匹があわててトイレ(むろん犬用の)に駆け込んでおしっこをしたりします これは「自分はちゃんとできるよ」と主張しているとしか思えません こんな姿を見ると自我がないとは思えないのですが、「自我」という言葉の認識が曖昧なのでしょうか

  • 自我の弱い世界

    自我が強いと、欲求により素直な為何かと衝突が多くなります。 (現に私がそうです) だからもし自我の強すぎる人間ばかりの世界になってしまったら 世界は戦争の末に崩壊してしまうのではないかな、と考えてました。 そこで疑問に思ったのですが、 自我が弱い人間ばかりの世界になったら 世界はいったいどうなってしまうのでしょうか? ここではあえて自我が強いという意味の逆の意味として 自我が弱い、という言葉を使わせていただいたのですが、 要するに協調を最優先し、なるべく自分の意見よりも相手の意見を尊重し、時には自分の欲求すらひっこめるような、そんな性格の人を浮かべて下さい。 ややこしい質問ですみません。 イラク戦争でアメリカのブッシュがとった行動が、 国連の決議が出されるより早く 自分だけの考えのみで宣戦布告してしまったことに対し、 世界がアメリカのような性質ばかりの国になってしまったら 一体世界はどうなるのだろう、と考えた末なのです。

  • 自我と自己について

    こんにちは。自我について、質問させて頂きます。 様々解釈はあると思うのですが、一般的に、青年期で言う自我の目覚めというのの自我と、幼児などの自我が強いと云う方の自我との違いは、自己を客体化できているかつまり自分を客観視出来ているかいなか、ということでよいのでしょうか。 また、自己と自我の違いは、自己を見る意識が自我、見ようとされているものが自己ということでしょうか。そしてそうだとしたならば、見られている自己は、決して見ようと思っている自己でなく、つまり私たちは客体化された、いわば像としての自己しか見る事はできない、ということになるのでしょうか。

  • 1.近代的自我とは 2.自我と自己の違い

     いつも大変お世話になっております。  現代文(高校)のなかで、「近代的自我」という言葉が出てくるのですが、 辞書で調べても、受験参考書で確認しても、漠然としか分かっていません。  お分かりの方がいらっしゃいましたら、高校生でもわかるように具体的に 解説いただけないでしょうか。  それと「自我と自己」の違いについても併せて教えて頂けると助かります。  よろしくお願いします。

  • 修行は自我を無くすのですか?逆に自我発達は?

    宗教のカテゴリが無いみたいなので哲学にしました。 ネットで軽く調べると、禅とか修業とかで自我を超越して 自己を得る?みたいな事が書いてあるのですが、 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089506355 私は心理カウンセラーの資格を持ってますが、昨今の日本 に増えた境界線人格障害は、イド又はエスと呼ばれた動物 的本能と超自我と呼ばれた親の理想という型で出来た優等 生の自分が綱引きをして、真中でそのバランスをとる自我が 未発達なのが特徴で、それにより誰でもあるような同姓・異 性での振った振られたに過剰に反応して、プライドを守るた めに手首を切ったり、男性の場合はイジメ、ハラスメントや DVなどをし、親子間での児童虐待も多々起きてます。動物 的なので子や伴侶への愛情が薄れ、家庭も崩壊したり、浮 気なども増えます。 ネットで見る自我の崩壊は仏教でいう「無」で、元々あると いうかきちんと成長した自我を親が押さえつけるのでは無 く、自分自身で超越をするのが「空」という事でしょうか? だとしたら、日本に増えた境界線人格障害のように自我の 成長が未発達で、元々自分がない人は、禅や修行などで 逆に自我を発見・発掘する事も可能でしょうか? ちなみに私はそれらの病気とは正反対で健康ですが、臨床 心理士によるカウンセリングは数年かかり、費用も数十万 ~百万以上もかかるので、クライアントには勧め難いので、 禅や修業でそれらに効果が少しでもあるようなら、患者さん に勧めたいと思うのです。宜しくご指導ください。