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ポツダム宣言

k16399638の回答

  • k16399638
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回答No.4

1番2番の方の回答がすばらしいので、ちょっとだけ。 8月14日の「最後の御前会議」のとき、海軍サイドから鈴木貫太郎首相に「多数決で決めてはいけない。きわどい数の多数決で終戦、となると必ず騒乱になるから、各大臣の意見をお上(天皇)に述べさせ、お上の判断、御聖断を、会議の決定とするべきだ」という耳打ちがされ、実際にそうなりました。 天皇の意志を示すことは、それだけの重みがあり、昭和天皇は立憲君主として、自分の意思表明を発することを控えすぎたために、軍部がつけあがったともいいます。昭和期に天皇が軍に対して厳しい態度をとったのは2・26事件のときで、2・26時件が結局大日本帝国陸軍による昭和維新とならなかったのは、この天皇の意志によります(本庄繁大将が宮中武官長でしたが手記で「お上は大変ご不満で、鎮圧を厳命され、これを厳達せよと……」と残していますが「ご不満」とは宮中用語で「大激怒」のことでした)。 とにかく。この時、昭和天皇は日本の継戦能力が壊滅状態なことをほぼ正確に知っており、戦争は終わりとなります。 降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属する、と言う文章の解読に際して「従属する」、つまり subject to という言葉の解釈をめぐって「これは隷属との意味だ」と陸軍の一部が受け取り、宮中襲撃事件が起きたりしましたが、公式には「制限下に置かれる」と解釈され、大事には至りませんでした。

third-1
質問者

お礼

降伏時の説明勉強になりました! ありがとうございます^^

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