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【死】について

『死』って何ですか? 脳みその細胞が動かなくなることですか? 心臓が動かなくなることですか? 魂がぬけることですか? 『脳みそ』って細胞が死んでしまって、動かなくても 人間は何もできないけれど植物人間の方は生きていますよね 『心臓』が動かなくなっても人工心臓をつけたら 生きていますよね 『魂』って何ですか? これがなくなったら本当の死ですか? 考えても答えがありません 教えてください┏○

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回答No.6

厳密な死ってないんじゃないかな? 厳密な生は無いと言うべきか? 今僕の脳細胞を一個一個殺して言ったとします。 一個や二個死んでも私は死なないでしょう。 私の肉体の細胞すべて殺した時、私は死んでいるんでしょうね。 1個2個と細胞を殺していって細胞を全部殺した状態の 間のどこかに生と死の境目がある? 生と死は不連続でなくて連続しているものだと思うのです。 多分生とは無限にある死の中である特別な状態の事を言うのではないでしょうか?

mirumirutp
質問者

お礼

すごい・・不思議ですね! ありがとうございました○┓

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noname#111804
noname#111804
回答No.7

ある小説家が死んだとします。普通にはそれが死ですね。 しかし、彼は小説家ですから、多くの小説、作品を残していますよね。後世に、それを読んだ読者は、彼の精神に出会いますね。 彼の魂(=小説)はいつまでも生きていることでしょうね。

mirumirutp
質問者

お礼

なるほど・・ ありがとうございました!!

回答No.5

死の定義についてですね。 素人からの意見ですが、ちょっと書かせてください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB Wikipediaを見ると、現在に到ってもその定義は明確にできていないようです。 心理学のカテゴリーに投下しているので、恐らく哲学に近い回答を出せば良いと思うのですが、 ちょっとその方面の回答はできないので、 専門家ではないのですが、私の見解を書いておきます。 人間における「死」の定義には下記のように分けられる、と 個人的には思っています。 1.生命としての死   何の生体活動もしていない状態の死、と定義します。 2.生物としての死   生命活動はしているが、その個体特有の活動ができない仮死状態のもの、と定義します。 3.人間としての死   ・生物として食事は可能だが、衣食住の内、衣住が無い   ・あるいは個人で楽しめる娯楽を享受できない状態にある   と定義します。 4.社会(地域組織)へ貢献できない人間としての死   ・衣食住足りて娯楽は享受できるが、社会への貢献をしない    無生産の人間の存在、とカテゴリーします。 5.社会に生きる人間としての死   ・社会貢献を能動的にしない層。 まだまだ細かく分けられるかと思いますし、この分け方は間違いだ(社会も含めるなら国体組織の死も含めるべき)、 と指摘される方もいるかもしれませんが、私の簡単な雑感はこんな感じです。 さて、mirumirutpさんは、上記の定義で言えば、1と2のどちらが人間の死なのか、という質問をしているように 私は捉えました。 もうちょっと踏み込んで言うと、1は完全に死んでいるが、2は死んでいるのか死んでいないのか、という事に なります。 Wikipediaの言葉を借りるのであれば、「生命活動が不可逆的に止まる事」とあります。 これをどう捉えるかだと思っています。 「脳死」「心臓死」のどちらも昔は放って置けば「生命活動が不可逆的に止まる事」になり、 =「死」と定義できたのですが、現在は医療措置により延命が可能です。 ここから戻れるのであれば「死」ではなく、戻れないのであれば「死」ではないのでしょうが、 延命措置はその中間地帯なので「仮死」というその中間の定義が必要なのでしょう。 その仮死の”解釈”をどうするかで、皆、人としての心を持って見た時に 「死」に分類すべきか「生」に分類すべきか心情が揺らいでしまうのだと思います。 私からはもし当事者が動けないのであれば、「仮死」の新しい概念を構築していくべきなのだと思います。 また、これも私見ですが、魂とは意識の集合体と私は考えているので、 意識が不可逆的に戻らなければ魂が無くなった=死と考えています。 そして、上記2番を細かく分類していってこれまでの意見をまとめるとと下記のようになると思います。 A.肉体的の生、精神的な生 B.肉体的の死、精神的な生 C.肉体的の生、精神的な死 D.肉体的の死、精神的な死 魂(意識の集合の発動、自我)が無ければCのケース、 肉体的な死の状態であって魂があればBのケースでしょう。 A.は完全に生きており、Dは完全に死んでいるケースです。 ここまで書いてきてなんですが、結構日本人が持っている宗教的感覚からすればバチ当たりな事を 書いているように思います。 昔、WOWOWで「デカローグ」(1988年製作だったかな? )というポーランドのドラマを放映していたのですが、 その第一話・第二話で死生観をテーマにしたストーリーを展開していました。 どこまでが死でどこまでが生か、というのを考えさせられた覚えがあります。 機会があれば見てください。 読み返すと明確な答えにはなっていないような・・・。 しかし、これからの思考の一助になれば幸いです。

mirumirutp
質問者

お礼

すごく参考になりました 今度見てみます! ありがとうございました┏○

noname#101202
noname#101202
回答No.4

人間は生まれて、必死で生きて遺伝子情報を書き換え、同じく遺伝子を発達させた配偶者と交尾をしてより進化した子孫を残します。 その後、その子孫を教育します。役目を終えたら、人類の生物としての進化のために、死が待っています。 人類の進化のために必要な家庭の一つです。 これがないと、人類が滅びます。

mirumirutp
質問者

お礼

死って必要だったんですね… ありがとうございました!

  • ye11ow
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回答No.3

「死」とは反対の「生」の状態を考えると、死がどんなものかが分かると思います。 これらは、生きている〈動物〉の特徴の一例だと思います。(他にもありますか?) ・酸素、水、栄養素などを取り入れ、循環させる ・どこかが動く。もしくは、動く可能性がある ・朽ち果てることなく、その動物に特徴的な形や構造を保っている これらの性質がなくなったら、死んでしまったということになるでしょう。 (「死骸」を考えれば、分かりやすいですね!) 自意識がなくとも、すべての命あるものには魂はあると言われています。 病原菌にも魂があり、ウイルスの場合はちょっと微妙・・・ 魂とは、「生」の象徴としての概念のことを言うのだと思います。 生きているものにあるのが「魂」、のように。

mirumirutp
質問者

お礼

ありがとうございました○┓

回答No.2

 その肉体が生命の機能がなくなったときを、その肉体のしというのでしょう。  脳の働きが確認できなくても、何らかの生命の機能が存在していれば、死ではありません。それは魂が脱けていない状態です。  植物人間でも、生命機能があれば、魂があるのです。  人工心臓によって生命機能があれば、そういう状態で魂があるのです。  魂とは生命機能を表示している、根本存在です、根源意識です。

mirumirutp
質問者

お礼

よくわかりました! ありがとうございました┏○

noname#194289
noname#194289
回答No.1

言葉は道具です。道具は対象を道具が処理できるようにしか処理してくれません。また使い方を誤ると何もやってくれません。死という言葉も扱う対象によってそれないに働いてくれる場合とそうでない場合があります。一応単細胞生物の死、多細胞生物の死、人間の死、と分けないと死という言葉が適切に働きません。人間の死については脳死という言葉がありますが、これはほぼ植物人間に近い言葉だと思います。また植物は生きていても死んでいるのでしょうか。このように言葉は難しいものだと思います。魂という言葉でも全く同じで死後でも生きている人に影響を与える人がいるので魂という言葉を使うのかもしれません。魂は死なないという言い方もあります。あまりまとまったことが書けませんでした。

mirumirutp
質問者

お礼

なるほど・・ ありがとうございました┏○

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