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死って?
みんな死にたくがないために 健康に気を遣ったり病院に行ったりしていますが 体がピクリとも動かなくなったとき、つまり死 (自分ではそう考えています。) そのときは一体どうなるのでしょうか? 幽霊のよう体がどんどん無くなっていって魂だけ残るということは本当にあるのでしょうか? 哲学に関して素人なので分かりやすく答えてくれれば・・・と思います。 ちなみに、こういう質問をするのは死が怖く感じるからんです
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こんにちは、 死の瞬間に際して当然、経験ないのでわかりません。 でも、一般的な宗教の書籍では『死の瞬間』気絶すると・・書籍の名称は忘れましたが書いてありました。 たしか、死の瞬間に粗雑な意識状態から繊細な意識状態に移行する。そして、その衝撃で気絶する??だったかと (↑↑これは賛否両論のため参考程度に) >質問をするのは死が怖く感じるからんです。 例えば、世界に存在するチベット?とかインド?などなどの修行僧は死を恐れないといわれています。理由は単純に来世というものが、存在し、その来世高い世界へ天昇するために生きているから・・といわれています。 したがって、そのために仏教では天界^へいたるための五戒と呼ばれる戒律が存在すると言われています。 (そこから、宗教が、存在し、それを求める??) ですから『死を恐れる』なら人間として正しい生き方を行い、できれば宗教的な戒律、例えば仏教では”不殺生”が有名ですけど、実践するなどを検討されて見ては? なお、私は無宗教、宗教は世界にたくさんあります。 どれを選ぶかは質問者様の気持ちしだいと思います。 ちなみに以前、正確にはここ数年経験しなくなったけど、幽体離脱を経験したことがあります。 死の経験とは違いますけど、寝てる状態で突然、体が持ち上がる??・・詳細はこのサイトで記載しませんけど その時の経験は、意識状態が低い又は悪い状態では恐怖を感じ、意識が良い、高い状態では『ああ、ぬける』という感じでした。 よって、とにかく高い意識をもち続けることだと思います。 最後に今回、記載した意見は一般論で賛否両論があることをご了承ください。 以上
- kyujin
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今の日本では「脳死=死」とされていますね。 その時どうなるのかは本当のところはわかりませんが、 自覚できるのは意識が無くなっていくことくらいじゃないんでしょうか? その死に方によって、苦痛が伴ったり、そうでなかったりは あるかと思います。 魂というものがあるかどうかは本当のところわかりません。 死を怖く感じるのは、至極当たり前のことかと思います。 生物には生存本能がありますから、その対極にある死というものは、 恐れられて当然かと思います。 (逆に言うと本能の働きで集団自殺をしちゃうレミングなんかは、 その時は死を怖がったりしていないのかもしれませんね) でも、すべての人はいずれ死にます。 わたしは”死ぬ”ということは人生の最後に必ずやって来ることですから、 「どう死ぬか」ということが大事だと思っています。 「どう死ぬか」ということはそのまま「どう生きるか」 ということですから、「人はいずれ死ぬ」ということを前提に、 今を大事に生きていくことを考えればよいかと思います。 怖いのは当たり前ですが、怖がっていても始まらない。 というところでしょうか
お礼
>「人はいずれ死ぬ」ということを前提に、 今を大事に生きていくことを考えればよいかと思います。 そうですよね。 やっぱどうあがいても結局人って死ぬんですもんね。 いろんな経験を積んでこの世に悔いの無い様に死にたいものです。 >怖いのは当たり前ですが、怖がっていても始まらない。 この一言で思ったんですが死ぬ寸前の人ってどんな心境なんでしょうね。 自分もいずれはその時が来るのだから気長に待ちます。 回答どうもありがとうございました。
- kigurumi
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>幽霊のよう体がどんどん無くなっていって魂だけ残るということは本当にあるのでしょうか? これはあなたの幽霊に対する概念で、私が幽霊というものに対するイメージとも違うし、テレビで放映されている創られた?幽霊のイメージとも違うように思います。 わたしは幽霊はいないと思っていますが、例えば人を殺した人が、良心の呵責が原因で強迫観念から妄想を起こし、殺した人が恨んでいると心理的に思って、それが映像として現れたようなイメージを心に持てば、誰も見えないが「ほらそこに あの男がたってこちらをじっと恨めしそうに見ている 君には見えないのか あいつは死んだはずなのに どうしてここにいるのだ」となるかも。 一種の自己暗示。 またトンネルの中は特殊な空間になるので、別な感覚を持ち、それがトンネル内で事故が多発したとチラっと聞いていたら 冷気や音をその聞いた物語と関連づけ、頭の中にイメージが作られ、壁のしみが 音が 気圧が 湿度が などなどが 異変を感じ 後は「幽霊だ!」と確信のボタンにスイッチが入るかも。 >ちなみに、こういう質問をするのは死が怖く感じるからんです わたしは小学校の頃に死というものを考えとてつもない恐怖を感じました。 今思えばあれは自我の喪失をイメージしたからだと思います。 なんでしたっけ、有線で見たんですが機関車が宇宙を飛ぶストーリーで、最後までは見て無いが、確か宇宙のパーツになる旅をしていたと主人公はわかり、「さあ あなたも永遠の命を得るため この星のパーツとなり繋がりなさい」と女の人に言われ、最初は主人公は納得していたのに、土壇場になって「嫌だ!」と拒絶したんだったと思います。 これは宗教で言う永遠の魂を得るということに対して 異論をこっそり唱えている漫画なんじゃないかなって思いました。 『自我を無くしてまで永遠の命を得て、果たしてそれはあなたなのでしょうか? あなたと言えるのでしょうか 永遠の命を得たところであなたは永遠の命を得たとわからないのですよ 機械になってしまっては。」 こんな事をこっそり言っている漫画だったんじゃないかと。 この旅を始めた理由の場面は見て無いが、主人公が女と一緒の旅をする決意をしたかどうかは、女が魔性の美しさを持っていて心を魅了されたからだと思います。 この女が自分を機械につなぎパーツにするとわかったところで、もう心は女に犯されており「はい あなたの望むことが私の望むことです」って鎖に繋がれそうになり すんでのところで「い や だ!!!」 この場面見て「いけいけ 殴れ~ この女のマスクを引っぺがせ~」って思ったのは私だけだったのでしょうか。笑 果たしてこの女は死神だったのか 汎神論者だったのか。 このように 生きている状態 死んだ状態 以外に生きながら「既にお前は死んでいる(食われてしまっている)」って状態もあるって今思いました。 ゲド戦記に「名前の無きもの」というのが登場します。 そして「名も無きものに食われしもの」という巫女が登場します。 名も無きもののために死んだとして人生を捧げるのが選ばれし彼女の役割でした。 生きているのに死んだとされている つまり彼女の自我を社会が否定してしまったんです。 小さい頃にそう教育されたので、彼女は当たり前だと思ってその役割をこなしていったんです。 ダライラマのように転生を繰り返す永遠の巫女として小さい頃選ばれたので。 (ゲドにその社会から救い出された時、救い出された喜びは感じずゲドに対して憎しみでいっぱいになり殺そうとしたんです。 生きている人間の心理って複雑ですよね。 ゲドはその気持ちがわかったので、彼女の生へのこだわりに賭け、その殺意に気づかないふりをした) すごい世界ですが、機関車の漫画に登場する魔性の女と、この生きている人を死んだとする社会 どっちが手ごわいだろう??? 結局生きているからわたしは どっちが手ごわいだろうなんて考えられるんだと思う。 死んだら これすら考えない。 ああ わたしは今生きているから こんなこと考えるんだ。 これが小学生の頃私が結論づけた死の恐怖の対抗策でした。
お礼
すごい話ですね! こんなこと実際にあったら恐ろしい・・・ >ああ わたしは今生きているから こんなこと考えるんだ。 この言葉心に響きました。 「死んだら何も考えないのだからどうでもいいや」って開き直れますね。 回答どうもありがとうございました。
- frau
- ベストアンサー率28% (56/199)
私は「死後の世界」「輪廻転生」「霊魂」「幽体離脱」の存在を信じます。 「肉体軽視」ではないのですが、実際にそれらをみていなくても、魂や心の世界はあまりにも複雑で深遠だから信じざるを得ないといった理由からです。 死を怖く感じるのは人にとって不可避で、確実に手にするものであり、かつ最も神秘的な対象だからでしょう。 神秘を解明できたとすると怖くなくなる。何らかの「神」の意思は、それを最後の宿題に残しているのだろうと思います。なぜならば「死」を恐れなくなったら人間はもっと自分勝手になるだろうからです。 人類は太古から「不老不死」を願ってきましたが私などは何でだろう?と思います。物事や生きとし生きるものは終わりあるから美しい。映画や音楽だってエンドレスだったらつまらないですよね。せっかく感動できるものでも今度は「飽き」になってしまいます。 庭に咲くバラも、いつか散ってしまうから、はかない美しさを感じられる。ずっとそのままだったら造花でたりるでしょう。どんなに技巧を凝らしていても、私は造花は美しいとは思いません。 あと重病を患っている人や自殺願望のある人、苦しい人生を送っている人にとっては「死」こそ唯一の救いでもあるでしょう。 フロイトは「生」への原動力を「エロス」、「死」への原動力を「タナトス」と名づけました。どんなに健康に気を使っていても、タバコを吸ったり酒を飲んだりするのはある意味自殺行為であると、つまり人は「生」への願望をもつと同時に「死」への願望も持っていると考えました。 確かにスカイダイバーやスタントマンの方々は死といつも隣り合わせですが、「だからこそいい」のだそうです。「生」の日常の中で「死」という究極のエクスタシーを感じていたいのでしょうね。高所恐怖症の私でもわかります、その気持ち。 誰にとっても決して避けられない「死」の課題は、皆それぞれ持たされている「生」と同様のメインテーマです。死の瞬間、自分の生きた「生」をビデオテープを高速巻き戻しするように一瞬で見せられるそうです。恥ずかしいそうです…。私など恥ずかしさのあまり死んでしまうかもしれません(笑)。現世への念が強いならば霊魂として残されるか、満足すれば次の現世をどれにするか、神様と談義することになるかもしれません。いつか対峙するとき、その「態度」いかんで「死後」も決まってしまうような気がしてなりません。 私たちは身体に少しでも悪いところがあれば、少しでもよい病院、よい医師や薬・・・と必死になって探す。でもいつか自分も必ず死ぬということはわかっていて、それでも必死に生きようとする・・・。つくづく人間って健気だなあと思います。 ちなみに科学的に死んだ人間の身体というのは、死の前と後では20g(だったっけな?)重さが違うそうです。
お礼
「輪廻転生」 いい響きですよね~ これは自分は信じます。人の心は移り変わりが激しいなとつくずく思います。(ニュアンスが違うかもしれませんが・・・) >「生」の日常の中で「死」という究極のエクスタシーを感じていたいのでしょうね。高所恐怖症の私でもわかります、その気持ち。 なんかかっこいいなあ~ 「死んだらどうなるんだろう」ってよく(?)考えますけどあの人たちは思う前に感じていますからね。 >私たちは身体に少しでも悪いところがあれば、少しでもよい病院、よい医師や薬・・・と必死になって探す。でもいつか自分も必ず死ぬということはわかっていて、それでも必死に生きようとする・・・。つくづく人間って健気だなあと思います。 健気でいいと思いますよ。自分では、 長く生きる=いろいろな経験をする と思っています。 「死」って神秘的ですね~ 今アース・ウインド&ファイアー聴いています。 これも経験の一種ですね。(こんな夜遅くに・・・) なにはともあれ丁寧な回答ありがとうございました。
- cafatabaco
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死んでも幽霊にはなりません!(あくまで個人的意見です) なぜならモヒカンの幽霊やヘビメタ聞かせる幽霊が目撃されていないからです。これだけ幽霊の目撃証言があるならその幽霊はバリエーションに富んでいなくてはなりません。しかしそうでないということはつまり幽霊を目撃できていないということだと思います。 死は確かに怖いです。しかしなぜ死が怖いのかということを考えていけば死の恐怖を克服できるかもしれません。 私は死ねばすべてが無に消え去ってしまうと考えています。そうすると私自身の存在が無くなり、見ることも考えることも触ることも出来なくなる・・・。 それが怖いです。例え動けなくなったとしても考えること見ることはしていたいと私は思います。それは考えるということが私にとって生きるということだからです。そして見ることが考えるための大きな材料となると思うからです。ですから簡単に言えば、考えることができて見る事ができるなら、私は幽霊になりたいですね。 もし幽霊が存在すると私が信じることが出来たら私は死を恐れないかもしれません。 逆に言うと、生きていても考えることをしなくなってしまう。もしくは考えることが出来なくなってしまうことは死と同等に怖いことです。 ですから私は生きている今のうちに、たくさんの事を見て聞いて触って、色々なことを考えたいと思っています。
お礼
>死んでも幽霊にはなりません!(あくまで個人的意見です)なぜならモヒカンの幽霊やヘビメタ聞かせる幽霊が目撃されていないからです。 ですよね。 フンドシ姿の幽霊やマツケン踊る幽霊も見たことありません(^_^;) >ですから私は生きている今のうちに、たくさんの事を見て聞いて触って、色々なことを考えたいと思って います。 僕と同意見ですね! 同じような人がいて良かった!
- iitaramako
- ベストアンサー率22% (12/54)
私も小学三年生の時、死について異常に考えたことがあります。死以外に生についても。 母親にしつこく、「なんで人間は生まれるの?」 「なんで宇宙はあるの?」「死んだらどうなるの?」 と聞きましたが、母の言った一言は 「死ななきゃわからない」 でした。 私は、それ以後あまり考えませんでした。 でも、死が怖く感じるのは、単に未知の世界(世界が存在するかもわからないけど)に足を踏み入れるためでしょう。 今、生きているので死んでからのことより生きていくことを考えた方がよいと思われます。 考えても、答えはでないので。 魂の話になると哲学より宗教的なお話になるでしょう。
お礼
そうですね♪ 今いろんな経験をしたいので。 人生は太く長く!(欲張りすぎか・・・?) 回答ありがとうございました!
お礼
>ですから『死を恐れる』なら人間として正しい生き方を行い、できれば宗教的な戒律、例えば仏教では”不殺生”が有名ですけど、実践するなどを検討されて見ては?なお、私は無宗教、宗教は世界にたくさんあります。どれを選ぶかは質問者様の気持ちしだいと思います。 死を恐れない生き方をしていきます! 宗教については詳しくないのでいろいろ調べてみます。 >ちなみに以前、正確にはここ数年経験しなくなったけど、幽体離脱を経験したことがあります。 幽体離脱を経験されたんですか? スゴイ・・・・やった人にしか分からない貴重な体験ありがとうございました。 回答どうもありがとうございました。