• 締切済み

江戸時代に「人間は皆平等である。」と発言したらどうなる?

cyototuの回答

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.10

平等という概念を西洋が言い出したのは随分新しい時代になってからで、その新しさの故に、未だに西洋では平等であることを中々受け入れられていませんね。その典型がアメリカです。私はアメリカに30年程住んでおりますが、ラジオやテレビで毎日「自由」と言う言葉を何回も聞くのに、「平等」という言葉は滅多に聞きません。一ヶ月に一、二度聞けたら良い方です。アメリカでは平等なんて言ってしまったら、先進国の中で世界でも類を見ない程の貧富の差や、黒人、ヒスパニックの取り扱いに頭を痛めることになってしまうのは目に見えています。 その点、日本では「平等」の認識は大変古く、鎌倉幕府の貞永式目の中で「本領安堵」という形で、各豪族に私有財産権を認め、将軍と言えども身分をかさに着て、豪族の財産を勝手に奪うことができませんでした。聞くところによると、この貞永式目は人類史の中で私有財産権を基本的な人権と明記した世界最初の憲法だそうです。その式目のなかで、女性に対する財産相続権を男性と同じにするべく多大な努力は払われており、それを保証する為に、嫁に行った先でも自分の実親の老後の面倒を見ることを義務づけているのは有名な話です。 また、江戸時代を含め、それ以前の農家でも女性の役割は十分認識されており、その結果、男女は平等に扱われておりました。その一番本質的な根拠は、田植えのときの女性の体力にありました。田植えはしゃがんだり前屈みでやらなくてはならないので、どんなに力のある男性でも女性の持久力には絶対に叶いませんでした。これは男女の体の構造の違いに基づいているので、男にはどうしようもないことです。ですから、田植えと言う、日本の農家で最も重要な行事では女性が主役で、男性は畦から苗を放り投げたり、昼飯の面倒を見たりする以外に大したことは出来なかったのです。こんな状態でしたから、女性は男性に対してどうどうと平等を主張できたのです。その名残かどうか知りませんが、今でも家の家計の切り盛りはほとんどの場合女性に任されておりますね。アメリカでは50%以上の家庭で男性が財布のひもを握っているのとは大違いです。 しかし、日本人のほんの数パーセントきり居なかった武士の間では、確かに女性の出る幕がほとんどなかったので、その特殊な社会の中では確かに女性を差別していたことは認めますが、それは日本国民のなかで少数派に属する例外的な現象です。でも、武士の方がテレビの絵になるのでそんな面ばかりを放映して、今でも日本の若者達が日本蔑視、西洋崇拝の洗脳をさせられているようです。 「平等」が何故重要な概念なのかを説明する論理は大変曖昧なものです。その証拠に、西洋ではそれを正当化する為に「神の下に平等」などと、理屈にもならない「神」なる概念を引っぱり出してこなくてはならなかったのです。でも、そういう意味では日本でも同じような所が、歴史的には在ったようです。事実、日本では天皇を別格として、全ての人間は天皇の下に平等であるという意識を作り上げて来ました。そのような意識がなかったら、江戸から明治への大政奉還が何故、無血で実現できたか理解することは出来ませんね。将軍家と言えども天皇の下では一介の人間であり、その一介の人間が権威を得ていたのは、天皇から頂いた征夷大将軍と言う肩書きのお陰であるという認識が徹底していたからで、そんなことが可能だったのです。 日本では「命令させる筋はないが、頼まれてしまったのならば仕様がない」という発想が昔も今も在ります。これはアメリカや西欧のような命令社会の人達には中々理解できない発想です。 まとめると、少なくとも鎌倉以降現在に至るまで、日本は西洋とは比べるられない程高度に平等意識を発展させて来た国だということです。

関連するQ&A

  • 江戸時代 身分

    江戸時代の身分制度について興味があります。 しかし全く詳しくありません。 士農工商とよくいいますが、本当に農民は上から2番目の扱いをされていたんですか? えた・ひにんとはどのような身分ですか? また、江戸の身分制度の在り方や意味についても意見をお聞きしたいです。

  • 江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか?

    江戸時代に士・農・工・商・えた・ひにんなどの身分制度が出来ましたが、このえた・ひにんに該当する人たちは、どうやって決定されたのでしょうか? 中学校では「時の権力者が世の混乱を治めるために低い身分の人を作って不満のはけ口にした」などと習った気がします。しかし、この"低い身分"の人たちはどのようにして選ばれたのでしょうか?貧しい農民をこの身分に割り当てたのでしょうか?私の思いつきでは前科のある人やその家族などをこの身分にしたのではないかと思ったのですが、実際はどうなのでしょうか?

  • 江戸時代のキリスト教信者についてです

    江戸時代にキリスト教信者の数が急激に増加しましたよね。 この時代は、士農工商の身分制度により、身分に差をつけられ、慶安の御触書などで農民が厳 しく支配されていました。 彼らが、人は全て平等であるというキリスト教の教えに救われ、信者になったからだと考えられます。 質問なのですが、このとき増加した信者のうち、農民や町人などの身分別内訳はどうなっていたのでしょうか? 苦しんできた農民が多かったのでは、と予想したのですが、グラフや表など、何か数字で身分別内訳を表しているものをご存じでしたら教えていただきたいです。また、だいたいこのくらいの割合という風に教えてくださってもありがたいです。 急な質問で申し訳ありませんが、ぜひお力を貸してください。

  • 江戸時代の身分制度について

    江戸時代の身分制度について質問です。 えた、ひにんが受けた差別は、幕府が意図的に行ったものなのでしょうか? 教科書には「こうした差別は、幕府や藩の支配に都合良く利用されました」 との記述があります。 だとすると、意図的に差別をさせるよう仕向けたということにはならないでしょうか。 しかし、調べてもそのような記述がなかなか出てきません。 幕府が差別をさせたという記録が明確にあれば納得がいくのですが… また、差別をさせたのだとしたら、その目的が 「農民の不満の矛先を差別に向けるため」 というようによく言われていますが、 それだけで厳しいしばりのあった江戸時代の農民の不満が解消されるとは到底思えません。 実際のところどのような目的と考えられるのでしょうか? 長くなりましたが、どうかご回答よろしくお願いします。

  • 士農工商穢多非人はなぜ無くす必要があったのですか

    江戸時代に士農工商穢多非人の身分の区別を無くそうという大きな世論があったのでは無かったと思いますが、それなのになぜ士農工商穢多非人の区別を無くす必要があったのでしょうか。

  • 江戸時代の身分制度について。

    こんにちは(*゜ー゜*) 江戸時代に出来た身分制度 「士・農・工・商・えた・ひにん」 の「えた・ひにん」の意味と区別がわかりません。というか、学校で習った記憶があるのですがすっかり忘れてしまいました。教えて下さい。 また、今は小中学校では教えてないという文章を見たことがあるんですが本当なんでしょうか。

  • 四民平等

    こんにちは。 四民平等・・・本当に? 「士農工商」のことですよ。 江戸時代かよ? 【訊きたいポイント】・・・「四民平等(って、一発変換で出て来たが)って、本当ですか?」 よろしくお願い致します。

  • 江戸時代と身分

    江戸時代の日本は、農民が土地に縛り付けられて、身分の固定によって浮上する機会もなく、現代のような「個人」は観念されない社会だったということですが、農民が過酷な年貢に苦しみ一揆・逃散・駕籠訴をすることはあっても、三圃農法によって中世からの脱却がはかられた欧州と違って江戸期の日本では革命的な動きや身分闘争というものは全く起こらなかったのでしょうか? 農民は親も自分も子も孫も、農民の子はずっと農民という身分に疑問をいだいたり、そこからの脱却を考えたりはしなかったのでしょうか。 吉田松陰は天皇の下にみんな平等という思想を持っていたようですが、江戸時代にこういった(擬似)平等的な考えをもっていた人物は他にもいたのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸いです。

  • 江戸時代の身分と養子縁組について

    江戸時代の身分制度で士農工商やえた・ひにんなどあるのですが。江戸時代は婿養子をとるとき、婿の家とお嫁さんの家のお互いの家の身分が同じくらいでないとできないのでしょうか。 私の江戸時代くらいの先祖の身分を知りたいのです。 戸籍謄本上に、 前戸主:高橋源七 前戸主源七の長女:はる 前戸主源七の義理の息子:源造 と書いてあり、源造の以前の前は北川博左衛門だったんです。(改名した)江戸時代ー左衛門とつく名前は武士か御家人だと聞いたことがあるのですが、その源造が武士が御家人やったら、前戸主の源七も武士の家計だった可能性が高いのでしょうか。

  • 江戸時代の統治制度が上手く機能した理由?

    江戸時代の統治制度 ・士農工商その他の身分制度 ・農民を相互監視させたこと ・参勤交代などの各大名に反乱を起こさせない工夫 等があると思いますが、人口の大多数を占める農民が 統治制度に従った理由は、なんでしょうか? それなりに生活が安定していた反乱を起こす必要がなかった、 もしくは、反乱を起こす気力を奪う恐怖の刷り込みで等が行われていたからでしょうか?