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芸銃的な生き方とは?

arayata333の回答

回答No.19

今回はこちらの反省の世界にて。 ANO18からつづけますが、 最近私の回答の文章は読むのが大変な文章にもなっていたりします。 「わかりやすく、楽しく」ということを普段は気お付けているつもりなのに、紙数の限られた回答枠の中で、何かあせってしまっている感があります。 きょうは、まずそのへんの反省についてなのですが、 藝術と表現という世界にても 関わりの無いことではないですし、この私自身の反省点についても触れておきますね。 * 抽象的表現の世界は、雲の上から地上の物事を見つめた描写の世界に例えられます。  時には、それは文字通り雲がかかったような表現となりますが、 時には雲の晴れ間から見渡せる大きな展望からの「おおきな見通し」の世界の力強い表現の世界となります。 でも、いすれにせよ抽象的表現の世界は、それだけですと、あくまで具体的な生活の中での個々の問題を解くには 大きすぎる展望の世界なのです。  結局 具体的な生活の場面にも必要な箇所に トンビが獲物を捕らえるように正確に降りてきてそれをも「おおきな見通し」とともに表現できるならば それが一番しっかりした総合的な問題解決の道にもなるのですが、 はてさて、わたしの最近の回答は、 そのへんのバランスが欠けていて、下手な人の今にもおっこちそうなゆとりのないパラグライダーからの展望みたいになってたのです。 ごめんなさい。  そのへんでも専門家失格でしょうね。 * まず、前回の(ANO18の)回答に書きました。 常識についてのたとえ話の話が わかりにくい表現となっていたので、 そこから訂正します。 《「常識」とは大勢の人がおいしい魚を客観的にみんなが握って捕まえるための網に例えることができたりします。》と書きましたが、 そこまでは解りやすい例えだと思っています。 でもその後が いきなり抽象的言葉の積み重なりの世界となってしまってます。  自分自身は解ってる言葉によってその重層性のある豊かな表現をしてるつもりになっていても、 これでは他の人には通じないですし 読み取るのが大変です。 もう一度書き直しますね。 常識って 漁師さんの網を人間みんなで 必死に握ることで捕まえている生きるための魚を得ることのできる網に例えることが出来るわけですが、 ところが ここに「常識」に対して「真実」と言う言葉を対比させるなら、 人間にとって大きな視野からはもっと大切でもある「真実という宝」については、その常識の網の目が粗すぎてこぼれ落ちてしまうのにもかかわらず、  みんなが必死にそれを握っているため、つい気がつかないでそれらの宝石価値の世界を見落としてしまう。  というふうにも 「真実」の世界を例えることができます。 あるいは、その真実は「藝術や芸術的な生き方」の世界です。まさに宝石であり、 おいしい魚をよりいっそうおいしくいただく心の世界の宝であり、まわりの海のさまざまな光の変化や 空との色合いの変化に生きていることを理屈を越えて楽しむ世界であり、 命を満喫するユトリの世界であり、 必死に常識に生きるだけでは見失いがちな世界です。 あるいは、その真実は「哲学や そのより明晰でわかりやすい表現」の世界です。 もしかしたら、その海には嵐がやってこようとしてるかもしれません。必死に常識の網にしがみついてるだけだと、それに気がつく巨視的見通しの世界は見えません。 あるいはただ懸命に魚を大量にとるだけに一生懸命なだけだと、漁獲量に対応する知恵を忘れてしまうかもしれません。   常識だけにとらわれていると見えないことがいっぱいあるということです。 ここまでは、 わかりやすかったでしょうか? * 上記の常識的な思索が見落としがちな二つの大事な世界の中で、 ここで問題視されてるのは「藝術」の世界のことであるわけです。 ここには、常識と真実との間に大きな壁があります。 またこの壁がさまざまに、時には深刻でさえある問題をも引き起こしていたりします。 (そのへんは、そちらには、べつにこれ以上説明するまでも無い世界でしょう。) ★では、その壁は どうしたら突き破れるのか? ここに 哲学と藝術を両方追求しているflau様や私のような人間の役割とその責任の世界があるかと思います。 ↓ 藝術の世界のほうも、そのままでは、私たちの文明の社会の中では、たいへん抽象的なままに、それがわかりにくいまま進んでいってしまっていたりします。 (私が言うのもなんですけど(^^)\。) ジャズの世界も 天才の直感の世界のコピーコピーから入るのですよね。 その天才の直感の世界は いったいどのように確かな世界なのでしょう? それは一般常識人の世界にいつごろ、どのように理解されるようになってきたのでしょう? そのへんを哲学は どのように明晰に誰にもわかりやすく表現できているのか? 私の場合は、ジャズ音楽については特に知識が少なすぎます。  でもデキシーランドジャズですか、 その新鮮なリズム感の根拠ならばその原点のエネルギーの部分として人にも語れるものをもってます。 コルトルレーンでしたっけ、アフリカの音楽をアフロアメリカ人の心の奥の郷愁として表現したのでしょうけど、それもまた私には ある意味さまざまな観点から解りやすく論を展開できたりします。 すくない知識であっても その心の世界(技術以前のエネルギーの世界の哲学)に関しては 私の総合文化哲学から語れるものはすでに多いです。 flauさん、 私こそ このまま肉体労働者だけでありつづけてはいけない人間なのかもしれません。 物事はすべて それが総合化されると、個々の総和以上の力と創造性を宿すと言われていますが、 私自身が今その状態にあるのかもしれません。 私自身が もっと今こそ実践的に 常識を超えた世界に飛び出してゆくべきなのかもしれません。  flauさん、 私こそ今「彼」にぶっとばされるべき状態なのかもしれないですね。 なにをまわりに気兼ねしてるんだ。なにを常識にとらわれてるんだ。 求道の過程ではしかたなかったかもしれないね。 そんなおとなしいやつではね。 でも、今はおとなしいもなのもないだろ。 いっちょどかんと爆発してやれ! そんなどやしが聞こえてきそうです。 常識的にはいろいろ問題ありの人なのでしょう。 でも真実の世界にては「彼」は多くの宝も持ち合わせている人なのだと思います。 哲学カテは、双方向的に 教え教わる質疑となりますね。 常識を超えてときには、こうして進んでゆくようです。 今回は こちらの反省の世界にて。

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