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ご〇〇いただく~ 尊敬語

ysk26の回答

  • ysk26
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回答No.6

いろいろな観点がからんでいるので、なかなか簡潔に説明しがたいところがありますが、結論を言えば、例示された敬語はすべて正しい使い方です。 ご利用になる…尊敬語 ご利用くださる…尊敬語 ご利用いただく…謙譲語 詳しくは文化審議会答申「敬語の指針」を参照してください。 長いのですが、アタリをつけて読むと、けっこう参考になることがいろいろ書いてあります。 以下、個々の疑問点についてのみ回答します。 >相手の行動に付ける「お」「ご」は相手を敬う尊敬語で、「いただく」のは自分がへりくだった言い方ではないんでしょうか。 そうやって分解して考えるより、「お(ご)…いただく」でひとまとまりの謙譲語と考えたほうがすっきりします。 もっとも、「お」も相手を敬い、「いただく」も自分がへりくだることによって相手を敬うわけですから、矛盾はしていません。 >「(お客様が)ご利用いただく」は「お」をつけて敬いつつ、謙譲語「いただく」で相手をへりくだらせちゃってる変な形ですかね。 「(お客様が)ご利用いただく」のではなく、「(私〔銀行など〕がお客様に)ご利用いただく」のです。つまり、へりくだっているのはあくまでも自分(ひとつめの引用であなたご自身がおっしゃっているとおり)であって、相手を立てているわけですから、正しい謙譲語の使い方です。 >問題は「ご覧ください」「お尋ねください」で、「ご覧になってください」じゃなく「ご覧ください」だと間違いなのかな、それとも「なって」の省略形で間違いじゃないのかな。 尊敬語はなにも「ご…になる」だけというわけではありません。「ご…くださる」もりっぱな尊敬語です。「ご…になる」にくらべると、「ご…くださる」は、行為者を立てるという一般の尊敬語のはたらきに加えて、その行為者から恩恵が与えられる、ありがたいことである、という意味もあわせて表します。 最後に、「ご利用いただく」について、上記「敬語の指針」43ページから参考になりそうな箇所を引用しておきます。 >「御利用いただく」は,「私はあなたが利用したことを(私の利益になることだと感じ)有り難く思う」という意味を持った敬語である。「利用する」のは相手側や第三者,「御利用いただく」のは自分側,という点がやや理解されにくい敬語であるが,自分側の立場から相手側や第三者の行為を表現した敬語であり,敬語の慣用的な用法として特に問題があるわけではない。ただ,このような「いただく」の用法に対しては,その受け止め方に個人差があり,不適切な用法だと感じている人たちもいる。

参考URL:
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/keigo_tousin.pdf
tackross
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >例示された敬語はすべて正しい使い方です。 間違いではないのですね。 >ご利用になる…尊敬語 ご利用くださる…尊敬語 ご利用いただく…謙譲語 そうですよね。 >「(お客様が)ご利用いただく」のではなく、「(私〔銀行など〕がお客様に)ご利用いただく」のです。 >最後に、「ご利用いただく」について、上記「敬語の指針」43ページから参考になりそうな箇所を引用しておきます。 拝見しました。 40ページ辺りですよね。そうですね。確かに「(企業や自分が)ご利用いただく」のはおかしくないと思います。 「(弊社を)ご利用いただきました」「(自分は)ご利用いただき、嬉しく思う」はいいと思います。 ただ「(自分が)ご利用いただけます」・・・「もらう(いただく)」事が「可能」というのを「お客」に言うのはなんか「?」と言う感じに思います^^;。 「私はもらう事が出来ます」って・・・。 やっぱ「(お客様が)する事が可能です」のがしっくりするような。

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