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現代に自殺が多発する理由

戦前は大変な金融恐慌もあったし、事変、戦争もしばしばあって社会は安定しているとは言えなかった。 種種の差別、弾圧、人身売買も日常茶飯事だった。 戦後は敗戦の混乱、食料危機も石油危機もあった。 向精神薬、抗鬱剤が開発され、実用化されたのは戦後ずっと経ってからで、 カウンセリングが誰でも受けれる環境になったのは21世紀に入ってから。 不況があろうが、戦争があろうが、こんなに自殺を身近に感じる時代は、 戦前戦後生まれの歴史の生き証人の方々もいまだかつて無かったとおしゃられます。 若輩な私も、今年に入って自殺者のお葬式に参列する機会が既に5回を越えました。 自殺者が年間3万人と言う統計にさえ疑問を感じていまいます。 ずばり、なぜ現代の日本はこんなに自殺が多いんでしょうか?

  • Ivane
  • お礼率93% (264/281)

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  • ベストアンサー
  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.3

こんにちは 物質的窮乏が原因での自殺ではなく、 精神的な理由での自殺について、ということでよろしいでしょうか? お金持ちの人も自殺します。 お金持ちの人は、お金があれば幸せになれるだろう、 という希望をすでに失っているからです。 何かが大変な状態というのは、逆にそれさえ解決すればなんとかなる、という希望をもたせているからこそ、人は自殺しないのだと思います。 また、現代日本ではとても厳しく人を批判していると思います。 何をするにも、まず他人の目を気にするという習慣。 これは、はっきり言って楽しくないと思います。 私は、今外国にすんでますが、楽です。 人生は、楽しく生きるものなのに、現代日本では、「どうあるべきか」が先行していると思います。 自殺率、本当に高いですね。平均寿命は長いらしいですけどね。 日本にあこがれている外国人が多いだけに、残念です。 自分らしく生きる、それが人生の楽しみですが、 まったく自分らしく生きられない「生きづらさ」を抱え、 それが飽和してしまった人が自殺していると思います。

Ivane
質問者

お礼

kanakyu-さんこんにちは。外国住まいとは羨ましい(^^)。海外に駐在してもし気に入った国があったなら、そのまま辞表を書いて住んでしまいたいと考えた事があります。 >現代日本ではとても厳しく人を批判していると思います >何をするにも、まず他人の目を気にするという習慣 >まったく自分らしく生きられない「生きづらさ」 日本の過去を引きずっている「田舎」のライフスタイルが典型例だと思いました。他人と同じ発言、行動をしていないとコミュニティーから外される。故に周囲を気にしないといけない。自我を殺さねばならない。 田舎(北東北、山陰、南九州等)の自殺率が極端に高い理由を説明できるように思えます。 >希望をすでに失っているからです 所得格差の固定化、就職氷河期の被害者の救済不足、後期高齢者医療制度等など将来の希望を失わせることばかりですね。 「楽しく生きれる国」であってこそ、「美しい国」を再建できるのではなかと考えさせられました。 アドバイス有難うございました。

その他の回答 (13)

回答No.14

 No.9です。お礼ありがとうございます。  学校教育の場において知識のみが取りざたされ、「生きていく為に必要な精神力・知恵・ストレス軽減」の方法を教える場が少なくなっているのは事実です。学校内における休み時間だけでは、「遊び」から学ぶ量はあまりにも少なすぎます。知識のみを身につけるのが子供にあらず。すべてをバランス良く、知識のみならず知恵をも付けるのが教育です。片方のみを学び、片方を疎かにすれば結果は見えています。知識のみを身につければ、ストレスに弱く学歴の高い子が出来、知恵のみを身に付ければ、学歴こそ無いものの人脈に優れ、どのような困難にも対応出来る子になると信じています。そういった意味では、4:6程度で知恵に重点を置くのが理想的な教育と思っています。かといって、学校の役割が少ないとまでは言いません。学校生活において知恵を身に付ける場も多くあるのは確かです。しかし、近年の学校教育には「父兄による学校へのモンスターペアレント」や「過剰なる負担」が多すぎて、学校側が付いて行けていないようにも見えます。学校と父兄・地域が一体となって子供たちをサポートする体制が早く生まれると良いと思っています。  自殺については、私は結果論だと思っています。すべては幼少の教育にあり、その結果こそが自殺に繋がっているものと考えています。自殺の理由を幼少の頃の考えに当てはめてみると分かります。結果、完全に2極化されています。1つは「親や先生の期待に答えようと努力をしすぎての燃え尽き症候群」。もう1つは「幼少~青年期に対してストレスを発散する方法が見つけられない。つまり、趣味や親友がいない事から来る慢性的ストレス障害から来るもの」。結局、両方とも知識のみを植えつけた結果なのです。さらには、この事を説明しようにも「ウチの子は大丈夫」「そんな訳ない」などと理由にもならない理由を示し、その場を逃げる始末。そもそもが、親の意識に問題があるのは確かです。また、家の事は家の事と教師が「学校外での指導を親に任せっきり」というのもあるでしょう。言うなれば、学校と父兄が一体となっていない証拠です。  学校・父兄・地域が一体となり、自殺のみならずストレスを軽減し、より良い学校教育。ひいては教育を学べる世界にする事こそが、今の教育に対する姿勢であり、決して知識のみを植えつけて「勝ち組」などとくだらない言葉に踊らされない世界になる事を祈っています。

Ivane
質問者

お礼

再回答ありがとうございます。 幼稚園入学からの試験も多すぎると思います。子供を教科書の知識でしか推し量ろうとしない。 また、精神的成長を促すためにも、大学入試をもう少し簡単にすれば良いのだと思います。 どうせ、一般教養で高校レベルの勉強をもう一度するんですから。 効率優先で、数字でしか子供を評価できない社会のあり方にも問題があると思います。 一応締め切りますが、ご回答、後からもう一度読み直させて頂きます。

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.13

遺伝です。 世界各国の自殺率をグラフにした http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html の表を見ると、上位25位までのほとんどはロシアとその近隣諸国です。 この国々は昔、中央アジア付近にいた遊牧民の血を受け継いでいる国々 なのです。 その遊牧民は、何らかの理由(環境の変化?)により、 住んでいた地域を出て東・西・南に大挙して移住を始めました。 東に進んだ人々は、混血を繰り返しフィンランドやラトビア、 エストニア、ハンガリーといった東欧に定着。 西に進んだ人々は、朝鮮半島や中国北部そして日本にも渡って 現地で混血しながら定着しました。 南に進んだ人々は、イランやトルコに進んでいます。 この遊牧民の「民族的特性」の中に「自殺を実行し易い遺伝子」 「鬱にかかりやすい遺伝子」があったのでしょうね。 「自殺を実行し易い遺伝子」は、 肌の色や体型といった目に見える特性ではなく、体内や精神構造に 含まれる特性であって 「東アジア人は高カロリーの食生活を続けると糖尿病に成り易い」とか 「蒙古斑」等と同じような特性なのでしょう。 自殺は、もちろん憂うべき行為ですが それが多いからと言って、実際のところ「しょうがない」部分がある のではないでしょうか。 「民族的宿命」なのですから。 日本が、必死に自殺の原因となる社会的要素を無くしていっても 現在の4位からせいぜい20位以内に下げられる程度であり、それは 世界水準で考えればまだまだ「高い自殺率」と言えます。 福祉が充実して、自然環境にも恵まれたフィンランドでも高い自殺率は 社会構造の変革や国の政策でも「民族的宿命」に抗する困難さを物語っ ています。 そりゃ、生活の困窮、医療制度の不備、コンピューターの発達による 人間性の希薄、社会認識の低さ、コミュニティの崩壊、教育の失敗、 価値観の喪失・・・といった理由は「なぜ日本では自殺が多いのか?」 の解答として全て正しいです。 でもそれだけでは正解ではありません。 なぜなら、生活が苦しく、病気や飢えに苦しみ、内戦や戦争で殺しい、 まともに教育を受けられない国や 文明が発達し、教育制度が荒廃し、無軌道な若者が横行している国では 日本よりもはるかに自殺率が低い説明にはならないからです。 ただ・・・ 「民族的宿命」と回答しても、やはり自殺はいやなものです。 知り合いや身内に自殺者が出るのは、確かにショックで人生観が変わっ てしまいます。 世界各国の自殺率表を出しておいてなんですが、 カソリック圏やイスラム圏では、「自殺は大罪で地獄に行く、神に見捨 てられる」という考えが強く、そのためイランやトルコや南米、そして ヒスパニックの人口が多いアメリカでは自殺率が低いのですが、 葬儀を出す遺族や、「自殺扱いにしないでくれ」という本人のために 自殺として届けないケースもありさほど正確な数字ではありません。 そう考えると、「イギリスやタイやドイツがなぜ自殺率が低いか?」 は、日本の自殺大国からの脱却に大いに参考になるのではないでしょう か?

参考URL:
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html
Ivane
質問者

お礼

bossnassさん、こんばんは。 興味深く拝見しました。 セロトニンレセプターの活性を抑制する情報が遺伝子に刻まれていて、それが代襲されている可能性。よってその遺伝子を代襲した人間はセロトニンの代謝機構に変動を生じやすく、またその人間が希死念慮を起こし自殺率の増加に拍車をかけていると解釈いたしました。 >文明が発達し、教育制度が荒廃し、無軌道な若者が横行している国では >日本よりもはるかに自殺率が低い説明にはならないからです。 そう言われると確かに・・・。 日本国民に東欧の民族の血が混じっている可能性は、ある種(東欧人特有の)ウィルスの宿主の分布が日本人に東欧人が混血している可能性を示唆していますし、日本人は実は多民族国家であるという事もゲノム解析で分かってきていますし。 ただ、戦後のからの統計を見ても、やはり現代の自殺率の上昇は何らかのストレス要因が増えているんでしょうね・・・。 アドバイス有難うございました。

  • gerappa
  • ベストアンサー率50% (85/170)
回答No.12

全くの私見で申し訳ありません。 (理由1) コンピューターの発達により、精神的=心の『ゆとり』が失われている。 一つにはコンピューターの発達と、職場を含めた生活圏への侵入です。 コンピューターが無かった頃は、私の体験では、もっと社会ものんびりしていたように思います。 現代のような正に、分刻み秒刻みの仕事はありませんでした。 確かに納期という時間の制限はありましたが、多少遅れても文句は殆ど言われなかったように記憶しています。 ところが現代は、正に電車の時刻表のように、正確さを求められていますよね。結果、人の心に必要な『ゆとり』が失われているのではないかと思います。 しかも、労働規制法の緩和により、その事態は更に深刻になっています(長時間労働=残業や日雇い派遣等々は好例)。 (理由2) 価値観の統一。 「子供の価値観の多様性を重視しよう」と言いながら、結局は高学歴、大企業や官庁関係への就職が、人生の全てであるという価値観は、現在においても変わらない。 そうした人生コースから転落すると、絶望感しか残らなくなり易いのでは? また、再チャレンジする道も、現実には殆ど無い。 (理由3) 人生コースから転落しても、国のセイフティーネットが完備されていれば、再チャレンジもし易いのだが、これが日本の場合、他の先進国と比べれば余りにもお粗末。例えば、失業しても、失業給付金の支給期間は余りに短く、失業状態が長期化すると生活に困窮してしまう。 しかも、再就職は中高年齢になる程困難となり、逆に中高年齢になる程、生活費の出費が増大すると言う現実を、失業給付金は全く無視している。 また、年功序列制度を廃止したのは結構だが、現実的には雇用者側はこれを良いことに、その人のキャリアには関係なく、丸で昨日今日卒業したばかりの高校生並みの給料で、中高年者を再雇用することが多発しており、これが中高年者のワーキングプアを多発させる原因となっている。結果、家庭崩壊を増大させることになる。 (理由4) 政府は、小泉元首相の改革政策以来、理由3の問題を「自己責任」と称して一括に切り捨て、本来の国の責任を回避している=これこそ無責任。 以上です。 尚、自殺者数は一説には3万人を超えていると云う説もあります。 理由は、日本ではその宗教観や風習から、自殺は忌み嫌われる為、事故として処理されている場合が多いと言うのです。 また、近時に多い「死刑になりたかった」と言って殺人を犯す人も、広義には『自殺志願(願望)者』として、これに含めるべきではないでしょうか? 年間自殺者がこれ程多くなったのは、どうも小泉元総理の改革路線からのようです。 何とかの一つ覚えのように、その政策が社会にどのような影響を及ぼすかを殆ど考えずに、市場開放(市場原理主義の導入)を行ってきてからだと記憶しています。

Ivane
質問者

お礼

gerappaさんこんばんは。 切実な問題だと思います。 今の時代、例えばニートとかフリーターという言葉で不遇な人たちを叩く風潮があるのですが、これは大変な損失だと思います。 小泉元首相は「人生色々」と演説しておきながら、軌道から外れた人間には大変厳しい(間接的に軌道からそれた人間は死ねと言っている)政策を採ってきて、現政権も判然とそれを継承しています。非凡な才能がある人間が平凡な人生を歩まないのは必然であり、ずば抜けた才能、新しい時代を開拓できる能力がある人間が出現するのは多様性に寛大だからでもありますね(生物の進化と淘汰で証明されてます)。 また、企業が人間を雇用すると言う何よりも最も大きな社会貢献を放棄していると言う大変な間違いに気付かない事は早く更正されるべきです。 人を殺す政治、経済活動はもう沢山ですね。 ご回答有難うございました。

  • kojinnkui
  • ベストアンサー率10% (1/10)
回答No.11

自分も躁鬱病と診断され早5年、ないたり怒ったり、他人に迷惑かけてきたと思います。私的にに判断しますと、高度経済成長の代わりに失ったもの、環境です。風の音、木のはっぱの音、海の音、そういう精神面で必要不可欠なものが失われたことが、最大の原因だと思います。よく遊びましたね。川、海、森、山、本当に、失った大事な場所、今は、バーチャルな世界、インターネットですね。家にこもり考えに考え自分を追い詰めていくんですよ。鬱病は頭がいい人が、陥りやすいと聞きました。何とか改善してほしいですね。環境問題。

Ivane
質問者

お礼

kojinnkuiさん、こんばんは。 私は田中角栄さんが活躍した時代を知らない世代です。 それでも私が生まれた頃は、まだ田んぼに大きなタニシ、ドジョウ、ヤゴが居て、海岸の潮溜まりにはメジナの稚魚、タコ、サザエ等の生物が手づかみで取れる位居ました。辞書を見たり読んだりする情報よりも、実際に手で掴んだり、目で動きを追跡するほうが遥かに情報量は多いはずですね。(画像と動画のファイルのサイズが違うように) 実際に目で見て手で触れてこそ、生き物の命の尊さ、死に対する不可逆性を学べるし、自然に触れることが精神的な癒しに繋がるのだと私も感じています。 kojinnkuiさんのご病気も、自然が豊かでのんびり過ごせる環境であればより良い状態になるのかもしれませんね。ご快癒お祈りしています。 アドバイス有難うございました。

Ivane
質問者

補足

こちらの欄をお借りして皆様にお礼いたします。 ご回答、アドバイス有難うございました。 ご返事遅れましてすみません。放置したわけではありませんが、皆さんのお話を良く良く読ませて頂きました。

  • aho0xff
  • ベストアンサー率12% (218/1772)
回答No.10

こういうのでよく言われるなぁと自分で思っているのは いくら経済的に辛くても発展途上国や日本の戦後とかと比べたら全然マシなはずなのに・・・ ってのがあると思いますが、肝心なのはそういう状況って みんな等しく(少なくても苦しんでいる本人の身の回りの人全て)苦しい ってのがでかいと個人的には思っています。日本の自殺者は多分そこが違います。 「苦しんでいるのは自分だけ」こう思えてしまうのがまずいのではないかと。 でもそこで「苦しんでいるのは貴方だけじゃない」と口で言っても多分ダメ・・・です。 本気で同じ問題で苦しんでいるところを見て初めて「自分だけじゃない」と そう「実感」出来る物だと思っています。多分日本よりも厳しい状況の国は コレがあるはずです。 そういう意味では、楽しそうな(幸せそうな)情報が多いってのも苦しいのは自分だけ って気持ちに拍車をかけかねないかな?とそしてそういう物の積み重ねで起きてしまった 「結果としての」事件を見て「あ、いいな」とそれに続いてしまうのかも知れません。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。 お礼を書き込んだはずでしたが、未記入の状態だったので再度お礼書き込みます。(旧盆でバタバタしていたからかもしれません) >「苦しんでいるのは自分だけ」こう思えてしまう 最近は部分的にしか物を見ない人が増えいると感じています。本来、良い側面、悪い側面、両方持っているのが人なはずですね。他者を評価する場合、良い側面ばかり見えている時にはワーッと賞賛するけれども、悪い側面が出てくるとボコボコに叩くと言うか。まるで週刊誌みたいに。全体で人物や物事を捉える人間が居なくなってきていると思うんです。 だからお互いに負の部分(悩みや愚痴)を曝け出し難い、他者に相談しにくい状態に誰もがなりつつあるんじゃないかなと。 aho0xffさんがおしゃるように、苦しむ自分しか視野に無いと同時に、苦しんでいる他者の姿も見れない状態に陥ってしまうのかもしれません。 誰もが幸せを実感出来るようになればいいですね。ご回答有難うございました。

回答No.9

 私は、今日の教育の在り方について疑問視をしています。それは、若年層~中年層の自殺にも繋がります。  そもそも、今の若年層~中年層には「ストレスの発散法」を知らない人が多数いると考えています。それは、幼児期~成人期までの間に遊びを知らない。つまり、勉強という名の知識のみを植え付け、知恵という名の生きていく術を知らないが為、ストレスの発散法が分からずに溜め込み続けた末に「鬱状態」に陥り、結果的に自殺を図るという事。さらに、昨今報じられている練炭自殺においても同様で、「生きていてもつまらない」という理由によって起こっています。これも、遊びや人との繋がりを知らないが為に起る社会現象ではないでしょうか。  では、原因はどこにあるのでしょうか。戦後、日本は「高度成長期」に入り生活も国際力も上がって行きました。しかしながら、その時代の流れに人が付いて行けず、さらには自分の子を上の地位に上げようと、親が知識のみを植え付けて知恵を育てて来なかったという事です。よく「遊ぶのは大人になっても出来る!」と言いますが、子供でないと出来ない遊びも多々ありますし「遊びという名の知恵」も大切です。この時期に遊びを知らなければ、大人になっても遊びを知る事は出来ません。そもそもが「教育=勉強」という固定観念によって、引き起こされるべき起きた現象でしょう。本来、教育とは知識と知恵の両面を指します。しかし、この固定観念により知識だけあって知恵がない。つまり面白みのない人が増え、面白みがない遊びも知らないが為に友人・親友が増えず、上記のような結果が残るのでしょう。  義務教育含め、学校で教える事と言えば「友人・クラスメイトとの交流を含めた集団生活という名の勉強」です。知識のみを覚えるのが学校ではありません。では、学校だけの責任なのかというとそうでもありません。家へ帰ると親はおらず、友達と遊ぶわけでもなく自宅で宿題をして塾へ。帰ってくれば塾の宿題や自主勉強。これでは、どこで遊ぶ時間があるのでしょうか。かといって、決して塾が悪いとは言いません。ただ、そのバランスこそが大切であり、その子その子によってバランスも変わります。しかしながら、親は「あの子がやっているから」や「社会に出て通用するように」と無理に勉強をさせたがります。勉強とは自主的に行うものであり言われてするものではありませんし、何より言われてやっても頭には入りません。やる気にさせる事よりも、無理にやらせる事ばかり考えた結果がこれでしょう。  再度言います。遊びと勉強のバランスこそが大切であり、そのバランスを崩せば心のバランスも崩れる可能性が高くなります。自殺者は増えるべくして増えたのです。ただ、今の子供達の親はその上の世代と子供の教育に関して対立する事が多く見受けられます。今の子供達の親は、どちらかと言えば「知恵を与えたがる傾向が強い」のです。ただ、その上の世代。子供達の祖父・祖母は教育論者が多い為、教育に関して意見が分かれています。もしかしたら、自然と回復するのかもしれませんが、確かに昨今の自殺者増加には悲しいものがありますね。

Ivane
質問者

お礼

sil_masterさんこんばんは。お礼遅れています。 「遊び」と言うのは、「学校教育」よりも情報量が比較にならないくらい多いはずです。教科書を「静止画」とすると、遊びは「動画」ではないでしょうか。 水を泳ぐことが出来るようになる為には、教科書だけの知識で泳げるわけではなく、実際に水に触れて泳ぐ為に必要な情報を全身全霊を使って習得して初めて泳げるようになるわけですから。 それと同じように、生きる事、社会に出て挫折しない事を学ぶには、遊びと言うシュミレーションを通して、相手の心のうちを推し量ったり、或いは突発的なハプニングに対して自分がどうあるべきか対処できるようになることの方が遥かに有用なんだと思います。 遊びと学習のバランスは大切だと私も思いました。 ご回答有難うございました。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.8

アイデンティティーの確立が不十分なことも原因の一つだと思います。 日本のように自分の国を悪く言う国は世界的にまれです。 自分の国を悪くいうということは日本人としてのアイデンティティーの確立に悪い影響を与えます。 またバブル期以降あまりにもお金重視の考えが広まってしまい、日本人として生きていくことのアイデンティティーが崩壊しているように思います。 自分探しの旅など、本当に旅をしないで普通に生活をしていれば見つかるはずが見つからない。 それは自分というアイデンティティーがないから見つからない。 生きることに精一杯ならこんなことを考える暇は無いですが、幸い日本はこの程度を考える余裕のある国です。 しかし、自分の国も駄目、親の中が悪く親が互いの不満を言っていれば親も尊敬できない・・・ 自分の国や親、祖先などを誇りに思う気持ちってアイデンティティの確立に大きく影響します。 マスコミの行き過ぎる反日報道や親が子供にパートナーの不満をいうなどを辞めていくようにしたほうが良いですよね。

Ivane
質問者

補足

>生きることに精一杯ならこんなことを考える暇は無い 本当にそうでしょうか? 精一杯生きようとして、必死にがんばった末に自殺する方が増加しているはずです。献身的な介護の末の自殺。求職活動中に生活費が無くなり自殺、日雇い生活(賃金を派遣先に搾取され)に失望を感じての自殺。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

ん?今も昔も全世界も自殺だらけですよ。 自殺の解釈が違うだけで外国と大差ないよ。 アフリカに限らず、それほど食料を生産できないのに人口を増やす事自体が自殺行為。 今まで食糧生産に寄与してきた森を破壊するのも自殺行為。 井戸を掘り過ぎて地下水が枯れるまでくみ上げるのも自殺行為。 自殺の方法が違うだけですよ。

Ivane
質問者

お礼

jamiruさん。こんばんは。 物質的な欲を満たすためにあまりに自然を痛めつけているし、またバイオ燃料の原作物を植えるために本来の人間の食料が供給できないとは本末顛倒ですね。生活の利便性を上げるためのオプション(工業製品の原材料)を得るために、生命維持に必須な食料を作付けしなかったり。 本当にこの悪循環をだれか止めてくれと叫びたい気分です。 ご回答有難うございました。お礼が遅れてすみませんでした。

noname#29999
noname#29999
回答No.6

アフリカなどの貧困国に自殺やうつ病が無い事を考えると、自殺は文明の落とし子と言えるかも知れません。 この事ひとつを取っても、物質的な豊かさと人間の幸せは関係ないという事はハッキリしているのに何故か人間は物質の豊かさを求めずにはいられない動物です。 豊かな生活を求めて、様々な犠牲を自分にも周囲にも強いる割には、昔のような強かさや粘り強さが今の日本人には無くなったのではないかと感じます。 よく映画で見る、戦後の日本の様子、列車の窓に鈴なりになって掴まっている人々の逞しさや目的の為にはなりふり構わず突進する一途さがなく、表面的体裁にこだわり過ぎて目的を見失っているような気がします。 「ひよわな花・日本」 ブレジンスキーは痛い事を言ったようです。

Ivane
質問者

お礼

こんばんは。お礼遅れました。 >表面的体裁にこだわり過ぎて目的を見失っているような気がします これで思い出すんですが、今の大学生たちの悩みに心当たりがあります。 大学とは社会に出た際に必要になる基礎的な知識、解析能力を習得する為に切磋琢磨する場所なのに、遊び友達、慰め合いの仲間を探してそれを解決するために脇目を振りすぎている者が多すぎるし、また大卒と言う学歴が無ければ社会に役立たないと勘違いしている事に疑問を感じています。 >「ひよわな花・日本」 是非今度読ませていただきますね。ご回答有難うございました。

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.5

以前、同様の質問に答えましたのでご参考に。 http://sanwa.okwave.jp/qa3969760.html?ans_count_asc=2 ↓の書籍を一読される事もお勧めします。 http://book.geocities.jp/educ60/d30.htm http://www.amazon.co.jp/dp/4862380794

Ivane
質問者

お礼

t78abyrf9cさん、こんばんは。 t78abyrf9cさん自身のお言葉でご回答下されば幸いでした・・・。

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    敗戦で日本はGHQと東京裁判により、アメリカの属国となった。しかし国として戦争にたいして総括せず、民主主義となったのにそのまま戦前の思考で進んできた。ドイツは囲まれているという事情もあったが、全面的に反省し謝罪した。そこでこの時期から現在まで、ドイツ、イタリアは東京裁判のような裁判はありましたか。又イタリアはあの戦争をどうとらえていて、どう戦後を進めていったのでしょうか。勝てば官軍的な思考ではなく、将来に禍根を残さない思考が必要だと思いますが、その当時の事に詳しい方、また書かれている本などがありましたら教えてください。学問としてイタリアやドイツがどう考えていたかを知りたいです。 よろしくお願いします。

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    西部邁さんの自殺、土俵は女人禁制などのニュースがあり、改めて「命」について考えてみました。 不祥事があれば、責任を取って潔く切腹するのが武士の生き方で、戦前までは武士でなくてもこういう生き方をした人は大勢いました。 命よりも大切なものがあるとしていました。西部さんも、自分の信念に従った生き方をして自殺しました。多分、これも日本人の精神的伝統の1つなんでしょうね。何故なら私もそうしたいと思っているからです。これは仏教から来るのでしょうか。宇宙の悠久の時間に比べれば人間の命など一瞬のものである。20年や30年長生きしたとて、何の違いがあろう。無限に比べれば30年=0である。 この意識は私に強く宿っています。従って周囲の人に言ってます。もし、私が倒れたら、延命などせず、そのまま逝かせてくれと。20年延命したとて何の違いがあろうと思っていますから、蘇生されて生き返ったら、きっとそうした人を恨むだろうと思います。 山田風太郎氏や西部氏も多分同じような死生観をもっておられたと思います。 舞鶴市長がどのような死生観を持っていたのか、それは分かりませんが、万が一このような死生観を持っていたとしたら、あのような延命努力は必要なかったということになります。彼にとっては「おせっかい」そのものです。 敗戦と同時に日本人は日本の伝統的思想を全部捨て、全面的に西洋の思想に乗り換えました。しかし、一部にはまだまだ残っているのです。女人禁制は男尊女卑から来るもので現代にそぐわないと戦後教育を受けた大半の日本人は考えています。しかし、アラブ諸国を見て下さい。我々から見ると驚くほどの男尊女卑ですが、彼らはイスラムの教えだからと、改めようなどとは夢思っていません。 私がここで言いたいことは、「伝統」が大切だと言うのなら、72前まで日本人が堅持していた伝統的死生観のことを少しは考えろと言いたいのです。それを思い起こせば、アメリカのメディアまで使ったあのような一億総何とかの非難は出ないだろうと思うのです。 敗戦までは日本人は一億総国粋主義者、戦後は一転して一億総民主主義者。余りに単純で無責任です。戦後の教育しか受けていない人達がワーワーと先の事件を非難しています。 私は戦前回帰派ではありません。戦前も戦後も平等に見ている者です。

  • なぜ日本の右翼は一度祖国を灰燼に帰した売国奴なのに

    戦後に至ってもその罪と責任を明確に裁かれずにのうのうと生き延びているのですか? 日本を勝ち目のない戦争へと走らせ、勝利を煽り、これ以上情けない無条件降伏という最悪の形で敗戦へと導いた軍部の罪を。そして右翼化、国粋主義を担った連中は日本の敗戦責任に対してその罪を償ったのですか? よく外国に対する戦争責任とか言われますよね?そんな話はどうでもいいです。 問題なのは、日本に対する日本人への敗戦責任はどうなったのか?ということです。 勝てると言い続けた戦争で国土を灰燼に帰し、歴史上初めて外国の支配を受けることになったこれ以上恥ずべきもののない情けない敗戦をもたらした、その敗戦責任はどうなっているんですか? 行き過ぎた愛国心が日本を最悪の敗戦へと導いたのなら、日本において愛国者そのものが売国奴と同義ではないのですか?ならば今の日本において愛国心という言葉を使う際、その言葉の中身は何を指しているのですか?戦前と戦後で愛国心の指す内容が変わったのですか?しかし時代によって意味がかわる愛国心など本物の愛国心ではないですよね。それを鑑みれば日本人にとって愛国心なんてものは、扱いを知らない子供に難しいおもちゃを与えるようなもので、分不相応の代物と言うほかない気がします。 つまり日本人は一度も愛国心を正しく扱ったことがなく、その概念を明確に言い表したこともない。それなのに集団主義は愛国心をはやし立て、その挙げ句に国を滅ぼした。その責任を戦後の日本人はちゃんと背負ってきたんですか? 日本人どころか、昭和天皇の日本人に対する敗戦責任は? 外国に対する戦争責任なんかどうでもいいです。そんなことは聞いていない。 国家の主権をかけた戦いに敗れたということは、その国の代表が全責任を負うのは憲法や法律を解釈するまでもなく当然の道理ですよね?なぜ昭和天皇の戦争責任について議論百出して答えがでないのですか?答えは明確ではないですか。外国に対する戦争責任ではなく、日本人に対する敗戦責任を天皇は負っているのではないのですか? 昭和天皇は殺すべきだった。 戦後開かれた極東裁判が外国人による一方的で不当な裁判だと右翼の連中はよく批判しますよね。 じゃあ聞きますけど、あの裁判が日本人によって開廷され、日本人の裁判官によって軍部の連中に死刑判決を下していたら文句はなかったわけですか? 何度も繰り返して言いますが、あの裁判で裁かれた戦犯どもは外国に対する戦争責任以前の問題として日本人に対する敗戦責任を背負っていますよね?それが国土中を灰燼に帰するという最悪の敗戦を迎えたのであれば、日本の主導的立場にいた彼らが責任を取って死ぬのは当然のことでは? むかつくのは、日本人が彼らを裁こうとしなかったことです。 マッカーサーが昭和天皇を生かそうとしましたよね? その発言を受けて、日本人は何をやってたんですか? マッカーサーが天皇を許したとしても、我々は自らの手で昭和天皇を起訴し、日本と日本人に対する敗戦責任の名のもとに昭和天皇を殺すべきではなかったのですか? でなければ示しがつかないじゃないですか。 日本はあまりにも敗戦責任というものを軽視しすぎていませんか? 戦後の日本は元軍人出身の連中が戦後のどさくさに紛れて社会に溶け込んでいきましたよね?おかしくないですか? 特高や官憲に属していた人間は何のおとがめもなく戦後を生き続けました。我々は彼らを徹底的に草の根分けて探し出して、日本の敗戦に対する罪で起訴し、日本を滅ぼした売国奴の烙印を押して罪に問うべきではなかったのですか? 日本人は戦争加害者としての意識が薄すぎる。 一番の戦争加害者としての責任を持ってるのは誰に対してか。日本人に対してですよね? なぜ昭和天皇を殺さなかったのか。なぜ殺そうとしなかったのか。なぜ誰も敗戦責任という言葉を使わないのか。 本来罪を背負うべき人間がその罪を背負わずにのうのうと生き延びている。天皇も含めたそいつらを罰せずにどうして過去の敗戦を顧みることが可能になるんですか? 靖国神社も分祀すべきですよね? なぜ万歳特攻を命じた指揮官と、その無能で馬鹿な指揮官によって無駄死にさせられた兵隊たちが一緒に祀られているんですか?それは死んでいった兵隊たちを侮辱冒涜する最悪の行為ではないですか?そうした現状を無視してなにが英霊ですか。 それどころか最も日本の敗戦責任を背負っている天皇が一度も参拝したことがない靖国神社などに正当性などない。 こんなおかしな神社の存在を許しているどころか、靖国を敬っている人間がいる時点で、日本人の戦争に対する考え方に自分が当事者でもあったという事実がまるっきり抜け落ちているのを容易に感じ取れます。 繰り返しますが、行きすぎた愛国心が日本を滅亡へと導いたのなら、結果から言えば愛国心こそ売国心と言えますね?同じ理屈で愛国者は売国奴となります。 この矛盾した現象を解消できていますか? 今の日本において愛国心と行った場合、その言葉は何を意味するんですか? 愛国心の中身を分析すれば、日本人は一度その言葉のために祖国を滅ぼしてますよね? だとしたら、本当に日本を愛している人間は、愛国心という言葉を最も軽蔑すべき言葉として用いるのが正しくあるべき姿ではないのですか? 世間の風潮として左翼が売国奴と呼ばれていますが、日本において売国奴は右翼のほうです。しかもめでたく右翼にはその実績がありますから。 なのに右翼がその罪を問われず、今ものうのうと生き延びて、しかも日本の敗戦責任を何もとらずに偉そうに愛国心なんて言葉を使っているのを見ると虫酸が走ります。 ネットにもいっぱいいますよね、自称愛国者というネトウヨが。 自称愛国者ネトウヨこそ売国奴です。 まず日本を愛するのだったら、一度その意味をちゃんと考えてみるべきでは?それが出来ない日本人が偉そうに愛国心なんて言葉を使うべきではない。中身の無い人間が偉そうに愛国者を気取る現状が今の日本です。 自称愛国者という売国奴が蔓延っている。 もしあなたが本当に日本を愛しているのなら、自称愛国者を売国奴として弾劾すべきだ。そして愛国心という言葉を真の意味で復権させなければいけません。 我々は昭和天皇を殺し、その上で平成天皇に忠誠を誓ってこそ、正しい天皇制のもとで戦後を生きられたはずだったんです。 無能な日本人は何もしませんでした。 極端な言い方をすれば、まともな日本人はみんな戦争で死んだんです。死ななかった人間が生き残ったからこんな情けない戦後を歩んだとも思いたくなってきます。 実際戦後の歴史を振り返って、日本はあの戦争に対して総決算をしましたか?未だに無意味な議論が続くだけで誰も日本の敗戦責任を問おうとしない。 敗戦というコンプレックスをこじらせた人間は愛国心を持とうとすると韓国中国を卑下するだけのネトウヨに成り下がり、また反対の場合は極端な左翼になる。 どっちも日本のゴミ、クズです。 外国を親日か反日かでしか判断できない情けない自称愛国者たち。 テレビをつければ日本マンセーの番組が最近の流行に。 とにかく周りの評価がなければ日本人は何もできないんですね。だから自分が負けた戦争にすら真剣に向き合わないで天皇というトップの責任の所在一つすら明らかにできない。日本人には生来の能力的に近代国家を維持していくだけの能力が足りないのでは? これほど情けない現状を曝しておいて違和感を覚えない日本人を見てるとそういう感想が出てきます。 今一度問いませんか。 昭和天皇の日本人に対する敗戦責任を。たとえ墓を暴くことになっても我々は敗戦責任の総決算を取る必要がある。 そして軍部の罪を。靖国神社は正当性がありません。こんな神社はさっさと潰すべきです。 最後に、自称愛国者という売国奴を弾劾する。身勝手で矮小な愛国心を他人に強要して自称愛国者を気取ってる人間がいるほど真の愛国心を語るうえで邪魔になる連中はいません。 日本人の日本人に対する敗戦責任についてお答えください。

  • 自国民言論弾圧か徴兵制復活、嫌々選ぶなら?!

    平和主義のツケで日本人が日本政府から言論弾圧を受ける日 http://okwave.jp/qa/q6305035.html 三年前の私の質問です。 『ヘイトスピーチ取り締まり』 の名の下で正当な言論を弾圧される危険やら、 国家公務員による秘密漏洩を取り締まるように見せかけて 実は市民の言論を弾圧するのが本当の狙いであろう 『特定秘密保護法』として、 三年前の質問が現実味を帯びようとしています。 一般市民や研究者が原発から漏れた放射能を測定して ネットで公表するだけで逮捕される可能性もあるとの指摘が、 左翼だけではなく、右翼からもあります。 戦前とは違い、戦後は、左翼のみならず、 米国に不都合な右翼も公安の監視下になったと思われます。 日本人が、米国を批判しても、シナや韓国を批判しても、 尖閣や竹島が自国の領土だと主張して活動しても、 日本人が日本政府機関に逮捕される日が来るかも知れません。 また、外国人凶悪犯罪が増えているのに、戦前の日本や他国よりも、 明らかに正当防衛権は大幅に制限されて抑圧されています。 自国民に対する言論弾圧が始まっているようですが、 これは平和主義・戦争放棄という幻想に漬かってきたツケでしょう。 国内の不満が抑えられなくなる見込みになったんでしょうね。 それがイヤだったら、 核武装・徴兵制を再開する以外、 方法がないと私は考えています。 (イヤでも考えざるを得ない日がやってくる。) 自国政府から言論弾圧を受けるか、 さもなければ、徴兵制が再開されるか、 どちらかを選ばなければならないとしたら、 あなたはどちらを選択しますか?