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武士道とは死ぬことと見つけたり どう思いますか?
西部邁さんの自殺、土俵は女人禁制などのニュースがあり、改めて「命」について考えてみました。 不祥事があれば、責任を取って潔く切腹するのが武士の生き方で、戦前までは武士でなくてもこういう生き方をした人は大勢いました。 命よりも大切なものがあるとしていました。西部さんも、自分の信念に従った生き方をして自殺しました。多分、これも日本人の精神的伝統の1つなんでしょうね。何故なら私もそうしたいと思っているからです。これは仏教から来るのでしょうか。宇宙の悠久の時間に比べれば人間の命など一瞬のものである。20年や30年長生きしたとて、何の違いがあろう。無限に比べれば30年=0である。 この意識は私に強く宿っています。従って周囲の人に言ってます。もし、私が倒れたら、延命などせず、そのまま逝かせてくれと。20年延命したとて何の違いがあろうと思っていますから、蘇生されて生き返ったら、きっとそうした人を恨むだろうと思います。 山田風太郎氏や西部氏も多分同じような死生観をもっておられたと思います。 舞鶴市長がどのような死生観を持っていたのか、それは分かりませんが、万が一このような死生観を持っていたとしたら、あのような延命努力は必要なかったということになります。彼にとっては「おせっかい」そのものです。 敗戦と同時に日本人は日本の伝統的思想を全部捨て、全面的に西洋の思想に乗り換えました。しかし、一部にはまだまだ残っているのです。女人禁制は男尊女卑から来るもので現代にそぐわないと戦後教育を受けた大半の日本人は考えています。しかし、アラブ諸国を見て下さい。我々から見ると驚くほどの男尊女卑ですが、彼らはイスラムの教えだからと、改めようなどとは夢思っていません。 私がここで言いたいことは、「伝統」が大切だと言うのなら、72前まで日本人が堅持していた伝統的死生観のことを少しは考えろと言いたいのです。それを思い起こせば、アメリカのメディアまで使ったあのような一億総何とかの非難は出ないだろうと思うのです。 敗戦までは日本人は一億総国粋主義者、戦後は一転して一億総民主主義者。余りに単純で無責任です。戦後の教育しか受けていない人達がワーワーと先の事件を非難しています。 私は戦前回帰派ではありません。戦前も戦後も平等に見ている者です。
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- hue2011
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あまり深く考えないほうがいいと思います。 これは、責任というものをどう考えるか、ということだけの教えだと思います。 責任を持つというなら死ぬ覚悟でやれ、という話じゃないでしょうか。 武士というのは基本的に殿様なんですから、自分の領土や部下の侍たちの総責任者です。殿様にしてやる代わりに最後は死ねということです。 何かがおきたときに、自分は知らない、部下が勝手にやったことだ、知らなかった、俺が知っていればそんなことはさせていなかった、などとほざくやつらがいますけど、それを無責任と言います。 誰が責任者なんだ、ということです。 部下が報告しなかったから、では済まない。財務大臣でも防衛大臣でも同じです。 かれらは最終的には腹を切らなければいけません。 しかし、突然辞職するなりのことを「腹を切った」として逃げるのであれば責任を果たしたことになりません。だから究明してからと言っているわけです。 原因を突き止め再発を根絶しないと頭がいくら変わっても意味がありません。それの形をつけることを「けじめ」というわけです。けじめがついたら切腹です。 会社の社長レベルは、公開して腹を切ります。これは対外的に社がリフレッシュするというデモンストレーションのためです。経団連の会長が、企業ではやるが大臣はやらんのか、というのは企業レベルのことであって、「けじめ」の問題はそのレベルにはありません。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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質問者さんは、何か武士道をお読みになりましたか? 武士道も戦国の武士道と幕政体制の武士道と違いますよね。 鍋島の葉隠れをお読みになりましたか? これはどなたかが仰っているように、個人と個人の講話の記録でしてね。 これも実は佐賀の武士としての受け取り、そして明治以降の戦争遂行の時の読み方では意味が異なってきますよ。 私はRajaYogaを40数年精進しているもの、曽って下村湖人の次郎物語に感激(中学時代、68年前)しての思いで大事にしております。 佐賀県立図書館のサイト、http://hagakure-text.jp/でご覧ください。 武士道とは死ぬことと見つけたりでは中田と思います。これは名誉のための死を意味していません。 【一 武士道といふは 死ぬ事と見附けたり 二つ二つの場にて 早く死ぬ方に片附くばかり也 別に仔細なし 胸据わって進む也 圖に當たらぬは犬死などといふ事は 上方風の打上がりたる武道なるべし 二つ二つの場にて圖に當たるやうにする事は及ばざる事也 我人 生くる方が好き也 多分好きの方に理が附くべし 若し圖にはづれて生きたらば腰抜け也 この境危うき也 圖にはづれて死にたらば 犬死氣違也 恥にあらず これが武道に丈夫也 毎朝毎夕 改めては死に 改めては死に 常住死身なりて居る時は 武道に自由を得 一生落度無く 家職を仕果すべき也 】 【一、武士道に於いて遅れ取り申すまじき事。 一、主君の御用に立つべき事。 一、親に孝行仕るべき事。 一、大慈悲を起こし人の爲になるべき事。 此の四誓願を、毎朝、佛神に念じ候へば、二人力になりて後へはしざらぬの也。 尺取蟲の様に、少しづゝ先へ、にじり申すものに候。 佛神も、先づ誓願を起し給ふ也。】
- staratras
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「葉隠」という書物は、実にさまざまな内容を含んでいる原生林のようなもので、その中の一句だけを取り出して、それだけを強調するのは、その考え方を正しく理解することから、かえって遠ざかってしまうでしょう。特に「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」という一節は、昭和の一時期あまりにも強調され、若者を戦地に送りだすスローガンとされた暗い過去がありますので、慎重に検討する必要があります。 まず、この「葉隠」は広く他人に見せる意図をもって書かれた著作ではなく、佐賀藩士山本常朝の口述を後輩の田代陣基が記録・編集したものです。いわば身近な人に語った教訓話や見聞きした話などをまとめたものであるため、常朝の考え方が時として激しい口調で語られている点は心すべきです。 「葉隠」がまとめられた18世紀初めは、すでに戦国の世の実力一辺倒の「武の時代」ではなく、平和な世の中となっていて武士も行政官としての能力が評価される時代になっていました。そうした「文の時代」になっても、なお武士として最も大事なことは死を恐れず、死ぬか生きるかの二者択一を迫られた場合には「死ぬ方を選んでおけば間違いがない」というのが常朝の主張です。 なぜなのか、人間だれしも死ぬよりは生きる方が好きで、それは常朝自身も認めています。(我人、生くる方が好きなり。)このためもし理屈をつければ、だれでも好きな(生きる方)に理屈を考え出すであろうことも確かですが、二つに一つという切羽詰まった状況下で見通しを誤らないようにすることは困難で、見通しを誤って生き延びれば「腰抜け」として批判されるからです。見通しを誤って死んだとしても「犬死」と言われるかもしれないが恥にはならない、というのが常朝の考えです。 これはもちろん、一つの考え方です。ただし、戦国時代から江戸時代の初めにかけて、すべての人がそう考えていたかといえば、そうではありません。例えば17世紀の後半にまとめられたと見られる「雑兵物語」に登場する足軽などは、戦場で生き延びるための「執念」ともいえるノウハウを語っています。逆説的な言い方をすれば、いつ生命を奪われるかわからない戦乱の世では「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」などとあえて仰々しく言う必要はなく、むしろ生き延びる知恵の方が大切だったということでしょう。平和な世の中なればこそ、死ぬ事と「見つけ」なければならなかったということです。 伝統的死生観といっても、昔の日本人がすべて同一の考え方を持っていたわけではなく、歴史的にも時代によって変化していますし、同じ時代でも階層や地域、信仰などによって差異があります。過去を美化したり逆に暗黒時代のようにとらえたりするのではなく、実態に正面から向き合う必要があります。 21世紀の今日、「葉隠」精神で生きるのも、「雑兵物語」精神で生きるのもそれはその人の自由です。ただし「葉隠」に関しては、生命を軽視し「自爆攻撃」などを正当化するイデオロギーに悪用されぬように注意すべきことは忘れてはならないと考えます。
- eroero4649
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質問の意図が今ひとつ分かりづらいですが、「武士道は死ぬことと見つけたりというのをどう思いますか?」という質問だと判断しました。 ご存知のとおり、その言葉は「葉隠」の中の有名な一節ですが、葉隠が書かれたのは実は江戸初期で、その内容というのは「戦国時代を知っている老武士が、戦争を知らないイマドキの武士をなじる」という今も昔も定番の「イマドキの若者は」ってやつです。 その中には「最近医者から聞いたんだけど、昔は男の脈と女の脈は違ったんだけど、最近の若いやつらの脈ときたら昔の女の脈みたいなんだとさ。その医者はそのうち男の脈も女の脈も一緒になるんじゃないかっていってたけど、情けねえ話だ」なんてのもあります。 その主張は一貫して「最近の若いモンは体力もないし根性も足りないし、武道よりもファッションに興味を持ちやがって女みたいで腑抜けている。気合が足りん」という超絶体育会系です。ですから、その思想が精神的伝統ならば、体育会系はその正統的継承者ということになろうかと思います。
- tiltilmitil
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舞鶴市長がもともと医師であり、循環器系の特に心臓カテーテル手術においては第一人者であったというのはご存じないですか。当然多数の人を延命してきたでしょう。市長になったのも地域医療を充実させたいからということで、積極的な支援を行っているようです。 質問者さまの死生観は尊重しますが、ここでよく知りもしない他人を引き合いに出されるのはむしろその説得力を下げるといえます。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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>敗戦と同時に日本人は日本の伝統的思想を全部捨て・・・ 《日本の伝統的思想》って何ですか?意味不明。 >誰が誰のために作り上げた何のための思想なのか? という視点もなきゃー、そういう視点での歴史的な分析もない。もう、無茶苦茶ですね。 Q、葉隠れの一節をどう思いますか? A、伝統的死生観とは縁もゆかりもない生き方を説いた言葉。 >毎朝毎夕、改めては死に死に、 >常住死身になりて居る時は、 >武道に自由を得、 >一生越度なく、家職を仕果すべきなり。 どうやら、質問者は、「武士道とは死ぬことと見つけたり」は「己の欲を捨てることで、人は自由を獲得することができる。」と説いているとは読めていないようですね。 >人間の一生はわずかの事なり。 >好いたことをして暮らすべきなり。 葉隠れは、短い一生をいかに自由に生きるのかを説いた書でもあるんですよ。