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はきつぶし はきつぶされよ 旅人よ

上記の句を思いつきました。 変な句です…よね? 季語がない?から俳句とは言えませんよね? 意味も分からないですよね?

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  • ベストアンサー
  • kazz00
  • ベストアンサー率38% (17/44)
回答No.3

口語体の短詩としての「川柳」なら、季語や切れ字の制限はないようです。 ご自身で変な句とコメントされていますが、わたしには面白い一行の詩に映りました。 先ず、頭韻ha ha ta「あ」の母音の力強い繰り返し 次に、tubu tubu bito「ぶ、び」濁音による印象に残る語調の繰り返し タ行五段活用に見られるパターン つ つ つる つれ てよ のリズムを連想させますので、なんかとなくリズミカルに感じられます 意味については三好達治の太郎次郎の詩のように受容者の主観になりますが想像力を掻き立てられる一句に間違いないと思います

flatto
質問者

お礼

音韻に注目して回答されたところに、一種の同盟者を得たような気になりました。 自分は、 「言葉のひびきは、言葉のもつ意味以上に意味をもっている」 というような考えをずっと持ってきました。 m,p,b,ph,f,vなどの唇音は、原始的なものを表す言葉、近親者を表す言葉、罵りの言葉によく使われる。 t,d,ts,dz,tch,dj,s,z,sh,jなどの歯舌音は、抽象的な言葉によく使われる。 l,n,rなどの舌音は、否定や理性、論理、法則を示す言葉によく使われる。 k,g,h,khなどの喉音は、硬さ、難しさ、厳しさを表す言葉によく使われる。(多分、子供が一番最後にできるようになる、一番難しい発音。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3949055.html) …という具合です。 しかし、硬い表現を使いたいから、意識的にk,g,hの発音が混じった言葉を多用しようという考えはいけないと思います。絵画や詩文は定規で作るべきではないと思います。作った後で、気付いてみたらはからずも、効果を上げる音韻構成になっていた、というのがいいと思うのです。 ラップをする人の中には、気付いた脚韻を書き付けるメモ帳を常時持ち歩いている人もいるようですが、日本語の詩歌で効果的なのは、脚韻ではなく“類韻”だと思います。 私の句から母音だけ取り出すと次のようになります。 AIUUI AIUUAEO AIIOO 同じ母音を2度重ねることや、2つ[複数]の母音の一組の連なりを、時間をおいてから繰り返すことは効果があるように思えます。 NHKのラジオ深夜便を聞いていたら、黒川伊保子さんという人のエッセイが朗読されていて、音韻について私と同じような考えをもっている人だったので驚いてしまいました。 http://www.ihoko.com/f_news.html 私は文芸作品を読むことはほとんどありませんが、それでも、時折新聞などで見かける芸術最前線の詩はあまりにも頭でっかちすぎるように思えます。詩歌は、意味だけではいけないと思います。 回答ありがとうございました。

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その他の回答 (2)

  • Dobatt
  • ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.2

「はきつぶし」は草履やわらじ、靴など、 事物の実際を感じます。 「はきつぶされ」は、 当事者の実感(哀感)ですよね? となると、読む側としては、最後は、 そのふたつを心象的に結びつける 大きな情景が欲しくなります。 つまり「足もと→心象→大きな情景」という 展開があって、普遍的かつ印象的な俳句として 成立してくる気がします。 この情景の部分に季節を入れ込めば良いのではないでしょうか? たとえば、安易な例ですが 「履きつぶし 履きつぶされて 冬を行く」など。 なお、作者が意図されている「旅」や「旅人」の概念(人生?)は 「履きつぶし」で十分伝わると思います。 余談ですが、ご質問を見て思い出した 「中島らも」さんのエッセイ集のタイトルに 「僕が踏んだ町 僕が踏まれた町」というものがあります。

flatto
質問者

お礼

ありがとうございます。 普遍的なものを表したい、という気持ちがありますが、 それを抽象的な言葉で表してしまうよりも、 ある季節のある一瞬を切り取って、 普遍性や永遠性を示してみせるほうが、 高等で優雅であるのかもしれないですね。 季語を入れた、或る刹那から生じたかのような句に推敲してみようと思います。じっくり腰を据えて、一生かけるぐらいのつもりで。

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回答No.1

 少なくともこのように生き、このように死んでいけたら、私は本望ですね。どなたのどういうところでの発語でしょうね。

flatto
質問者

お礼

ありがとうございます。 尼采とかいう人が、 「人は橋を渡るが、その、橋を渡る人もまた、人に渡られる橋のようなものだ」というようなことを言いました。 そんなこころに通じている、ふと思いついた句(と言えるかどうか)です。

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