• 締切済み

最近の柔道の質の低下を嘆く(技・ポイントの判定)

 柔道経験者で、二段です。最近、と言っても、特にアトランタオリンピック(1996年)の頃からですが、全日本選手権以外の大会で、「一本」「技あり」「有効」、さらに国際大会では「効果」を取る「取りどころ」とでも言うのでしょうか、「これなら一本」などと審判が取るところが、私が経験したり習ったりしたのと違ってきているというか、ずれてきているように感じるのです。  言葉で説明するのがなかなか難しいのですが、例えばアトランタオリンピックで野村忠宏選手が金メダルを取った決勝戦で「一本」が決まった場面ですが、私が審判だったら、せいぜい「有効」です。何だか、相手を背中に担いだまま、自分も一緒にその上に乗っかるようにしてジャンプして、そのまま畳についたら、それがポイントとして取られるのか、というのが、私には「技」として不十分に思えて、不満なのです。同様のポイントが、最近の試合に多いように思うのです。背負い投げ、肩車のときに多いですが、アテネオリンピックの内柴正人選手の決勝戦のときには、そのどれともつかない技「のようなもの」で、相手を一旦畳から引っ張り上げて、そのまま手を離してドン、と畳に落としただけで「一本」になるとは、嘉納治五郎先生やら木村政彦氏らが見たら目を覆いたくなるのではないか、とさえ思います。  「一本」は、「相手を勢いよく投げて、畳に背中をつける」、となったときに取られるべきもの、と認識しています。そして、「技あり」→「有効」→「効果」は、順に「それに準じるもの」として定義されているはずです。要するに、私がポイントとして認めるべきもの、と考えるのは、「技で投げたとき」にのみ限定すべき、というものです。早い話、背負い投げで相手を担いだ体勢で、相手を前に投げれば、私はそれで「一本」として文句はないのですが、最近の判定では、相手を担いだままジャンプして後ろにドン、と相手と一緒に畳に落ちるとか、横にゴロンと一回転しただけで「有効」とか「技あり」とか、ひどいときには「一本」とかが与えられる傾向にあります。  長々と書きましたが、まず、ひとえに審判の質の低下があり、それにつられてというか、甘えてというべきか、選手もそのような技(もどき)を仕掛け合うように、最近の柔道が変わってきたと思います。それでは私が何を望むかというと、オリンピック・世界選手権などで審判を務める人たちにライセンスを与えるには、古来の日本柔道の、「これぞ一本」というようなビデオを見せるなりして、研修・指導を徹底する、ということが必要であると思います。そうすると選手も、しっかりと技を磨くようになると思います。そうでないと、日本としては金メダルの数が増えてラッキーだったかもしれませんが、アテネでの内柴選手のような「技」で金メダルを取って喜んでいると、柔道の質の低下を招くことになると思うのです。  柔道にご意見をお持ちの方、上の私の意見に共感してはいただけないでしょうか。「一本を取る柔道」が美しく、真に強い武道の精神を追求することになると思います。現に私も、それを目指して苦しい稽古に耐えてきました。特に経験者の方のご意見を伺いたいです。乱文・長文でしたが、よろしくお願い致します。

みんなの回答

  • doskoii
  • ベストアンサー率62% (20/32)
回答No.6

>全柔連やら、英語ができれば国際柔道連盟などにも、メールなどで訴えたいほどですが、 >草の根から、本来の「柔道」の醍醐味を取り戻し、その精神・技を改めて世界に広めて >いくような運動を試みています。doskoiiさんも、ご賛同いただければ、何か自分たちに >できる運動を展開していっていただきたい、と希望します。なぜなら、ご回答いただいた >ような柔道の精神を持った人たちが、どんどん少なくなっていくことが、残念でならないからです。 >五十年先、百年先には、本来の柔道が世界に広まっていることを願っています。 御返事ありがとうございました。拙文に共感してくださって感謝いたします。大変喜びを感じると同時にあらためて柔道の原点回帰への意を強くしました。 柔道への強い愛情、非常に立派な御見識をお持ちで頭が下がる思いです。勉強になりました。 これはお考えのことであると思いますが、「柔道について考える」サイトを立ち上げて全国の柔道家が意見交換できる場所を作られるというのも一つの方法かもしれません。既にそうしたサイトはありますが、お言葉通りもっと草の根で本音が語れる、民間で問題点を考えられる、また具体的に将来の柔道の展望を望める、そういったものが必要かと思います。 柔道の歴史、礼法、精神をわかりやすく学べる、技法も写真、動画で見ることができる、指導者、選手へのインタヴュー、コラム投稿、全国の道場、サークル紹介、また画像掲示板を設置し視覚的に具体的に柔道について意見交換ができるなど、そういった場所が必要だと思います。(指導者、選手へのインタヴュー、道場、サークル紹介はメールでのやり取り、投稿でも実現可能かと思います。) 将来的にはこうしたサイトの英語版も考えられると世界に日本柔道の技と心を、本来の一本を取る柔道とはいかなるものか?日本の柔道家が何を考えているのかを配信することができていいかもしれません。またシドニー五輪100キロ超級決勝、篠原対ドゥイエの試合を動画で見せ、この試合のどこが悪かったのか?外国の柔道家、修行者達に審判の問題点を考えてもらったり、カラー柔道着がなぜおかしいのかを説明して日本の武の歴史的背景を知ってもらうなど、いろんな試みができると思います。こういったサイトは全国、全世界から有志を募り、多くの方々の協力の下運営できるものと信じます。 昨日の全日本選手権、石井対鈴木の決勝戦は残念でした。石井選手の戦い方、そして勝利後のインタヴューにも納得がいきません。解説の篠原先生も指摘されていましたがポイントを取って逃げる柔道でした。勝てばいいのではないと思います。 井上靖先生の「北の海」を思い出しました。「練習量がすべてを決定する柔道」 その言葉を噛み締めました。

utu-ne
質問者

お礼

 ご丁寧なご回答、誠にありがとうごさいます。 >「柔道について考える」サイトを立ち上げて全国の柔道家が意見交換できる場所を作られるというのも一つの方法かもしれません  そうなんですよね。ただ、その次にお書きの、写真・動画や投稿・掲示板での意見交換など、サイトの機能を充実させようとすると、その仕様にかなり工夫をこらさないと、運用が難しくなってくるのです。技術的にそういうことに長けた有志の方々にご協力を願って、頻繁に協議を重ねて作り上げていく、という運動が必要だと思います。もちろんその上で、高齢で経験豊富な柔道経験者の方にもご協力いただくことも必要になると思います。私が立ち上げられればよいですが、どなたか立ち上げてくださることに協力する、という形で参加できないかなあ、と考えております。そういう志をもった日本人は、少なからずいらっしゃると思いますので、ウィキペディアやこの教えてgooのサイトのように、充実したサイトが出来上がることは、決して不可能ではないと信じております。そのような中に、微力ながら参加できればいい、と思っております。  また、昨日の全日本選手権は、私も見ました。いろいろな柔道の大会はよく見逃すのですが、この全日本選手権だけは、山下選手が引退した次の年から、毎年かかさず見ております。石井-鈴木戦は、現在の柔道を象徴したような試合だったと思います。結果として、有効ポイントで石井選手が勝ちましたが、オリンピックでどこまでやれるか、不安を残した結果だったと思います。  井上靖先生の「北の海」だったかどうか忘れましたが、先生の小説で、「練習量がすべてを決定する柔道」というのは、私も存じています。高校の国語の授業で取り上げられたと思います。ちょうど高校で柔道をしていましたので、非常に興味深く読みました。懐かしいです。  私の意見に対して非常に真摯に回答して下さり、誠に嬉しく、またありがたく存じます。大変感謝いたします。doskoii様もどうぞお元気で、またどこかで柔道の精神の普及運動か何かでご一緒できるといいですね。ご健勝をお祈りいたします。

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  • v7e88
  • ベストアンサー率19% (43/223)
回答No.5

1 講道館柔道と勝つための柔道の違いでしょう。   昔は双方を併せ持った柔道家が大勢いて世界からも尊敬されていました。 2 コンデコマと呼ばれた、前田先生は勝つための柔道家であったと思いますが、海外に出て講道館柔道の精神に目覚めたのだと思います。 3 柔道の試合は次第に、勝つためのものとなり、日本でもそれが定着し講道館柔道の「精力善用・自他共栄」が形骸化していった結果が今日の日本柔道の結果ではないでしょうか。 4 昔は、高齢者の柔道家が大勢いました。本来なら山下先生や斉藤先生も現役として初心者や若手と練習すべきです。 5 以前、国際試合で柔道着の色にこだわっていましたが、あんなものはどうでもよい事で、その代わりに一本とる柔道を指導すればよかったのです。 6 ちなみに、「ヘーシンク」はある特定の日本の柔道家とは、絶対に練習や試合をしませんでした。私の父はへーシンクの事を、特に強くない、乱捕りに行くと逃げてばかりでぜんぜんだった。といっており講道館柔道の精神を理解していないと言っていました。 7 現代は、オリンピックで優勝すれば、現役引退とか気が萎えた等の発言が目立ちますが、講道館柔道の意味が理解できていないのではと思います。生涯、人としての向上を目指して行くことが重要で、柔道はそのひとつの手段だと思います。加納治五郎先生が「道」と名付けたのは柔道の修練にそういう意味があるからだと思います。

utu-ne
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。いろいろなご意見をお持ちですね。講道館柔道の精神、「精力善用」「自他共栄」などは、日本が世界に説いて回ってしかるべき精神だと思います。なおざりにされているのは心苦しいですね。  高齢の柔道家の存在、懐かしいですね。山下先生や斎藤先生は学生たちと練習されていらっしゃらないのでしょうか。「一本を取る柔道」を指導することは、大切ですよね。外国に広めるとき、言葉の壁もあり、なかなかそれが伝わらなかったのではないでしょうか。そんな気がします。  ヘーシンクのそのようなお話は、初めて伺いました。参考にさせて頂きます。ちなみに、v7e88さんのお父さんとはどんな人物なのですか。当時のヘーシンクと練習できるほどの腕前の方だったのでしょうか、すごいですね。  最近の、「オリンピックで優勝して引退」とは、山下選手からそのような慣行ができたのではないでしょうか。山下選手が引退したのは28歳(その前の上村春樹選手の頃はよく知りませんので)、その後の斎藤選手もそうですが、ちょうど彼らの選手としての寿命がその辺りに差し掛かってきたのと重なったのではないでしょうか。  「生涯、人としての向上を目指していくことが重要」とは、木村政彦先生も、著書「わが柔道」の中で、似たようなことを述べられています。指導者も、柔道着を着て畳の上に立て、とおっしゃっています。嘉納先生のおっしゃったのも木村先生も、現代人は忘れているのかもしれませんね。それを思い出すことから始めないといけないのかもしれません。  ご意見、ありがとうございました。いろいろ参考になりました。

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  • doskoii
  • ベストアンサー率62% (20/32)
回答No.4

その通りだと思います。「一本を取る柔道」を追求すべきです。誰とは言いませんがある有名な柔道家が選手として全盛期だった頃、その試合を見て木村政彦先生が「まるで豚が組み合っているようだ」と酷評していた、という新聞記事を読んで、やはり現代の柔道は木村先生の柔道とは次元が違うのだろうかと思ったことを覚えています。東京オリンピックでヘーシングに金メダルを奪われた時も木村先生は「自分だったならば・・・」と言われたそうです。 実力が伯仲してる試合においてはなかなかきれいに技が決まらないかもしれません。確かに一本を取ることは難しいでしょう。しかし今の柔道はあまりにもスポーツ化、競技化していると思います。安易にポイントを与えるべきではありません。なかなか組ませようとしない、ポイントを取ってから逃げようとすることも見苦しいです。 また技を決めた後にポイントになったか振り向いて確かめようとする、勝った後にガッツポーズをする、負けた後に泣くこともおかしいです。これは国内外において、柔道の元になった侍の文化、武士道、礼法というものを教えてこなかったツケなのではないでしょうか?昔の侍の試合は死合であり、勝つことは本来人を切り殺すことだった。だから勝った者が負けた者に対してガッツポーズを取るなんていうことは決してしなかった。負けた者にも敬意を表して静かに礼をしていました。また竹刀稽古、徒手においても負けた侍が泣きじゃくるなんていうことはしなかったはずです。勝者も敗者も顔に表情を出さない、それが日本の侍の文化です。朝青龍のように勝てば何をしてもいいのではありません。体育として行うのはいいかもしれませんが、武道とスポーツを混同すべきではないと思います。 審判もひどいですね。特に国際試合、オリンピックの時は信じられない場面が多いです。日本柔道は何を教えてきたのでしょうか?シドニーオリンピック100キロ超級決勝、篠原とドゥイエの時は最悪でした。本当に審判の資格があるんだろうか?いえ、柔道経験があるんだろうか?とすら思いました。山下監督の抗議もまったく届かない。 これは日本の柔道の技、精神が世界に浸透していない何よりの証左なのではないでしょうか?スポーツ、競技としては広がったかもしれないが、武道としては・・・ カラー柔道着の採用の際もそうですが、本家日本の主張は通らずヨーロッパ勢に押し切られてしまった。なぜ白い道着を着なくてはいけないのか、その精神的なバックボーンを教えてこなかった結果こうなってしまった。カラー柔道着による二色のコントラストのほうが審判しやすいとの主張でしたが、それ以外にも実は見た目を派手にしてテレビの視聴率を稼ごうとしたのが本当の狙いです。 東京オリンピック以前に講道館に出稽古に来たオランダ勢が既に「日本の柔道からはなにも学ぶものがない」と言っていたそうです。ヘーシングを恐れて誰も乱捕りの相手をしようとしない、遠巻きにして見ているだけだった。「日本人の柔道には工夫がない、その癖傲慢で威張ってばかりいる」 当時の雑誌に書いてあったあるオランダ人選手の評です。 私はヨーロッパの柔道にも言いたいことはたくさんあります。しかし外国から軽んじられている日本柔道が残念でなりません。もう一度心技ともに原点に戻るべきだと思います。

utu-ne
質問者

お礼

 ご回答誠にありがとうございます。  まったく同感、というか、私よりさらに武道としての柔道を愛していらっしゃると、感服いたしました。 >木村政彦先生が「まるで豚が組み合っているようだ」  これは、山下選手・斎藤選手らのことではありませんか。私は、 木村政彦先生 > 山下・斎藤選手 > 現代の柔道 と、質が低下したと思います。私は、山下・斎藤時代は好きでした。しかしそれも、木村政彦先生に言わせれば「豚の柔道」になってしまうのでしょうね。私の先輩が言っていましたが、「山下選手なんか、(全盛期の)木村先生にかかったら殺されてしまうんじゃないか」ということでした。木村先生の著書「わが柔道」が、大学の部室においてあり、「負けたら切腹する」とか、エリオ・グラッシー(現在では「グレイシー」と呼ばれていますが、私の読んだ本には「グラッシー」と書いてありました)との死闘など、まさに生き死にの戦いをしていた人がいたんだ、と、驚愕しながら読んでいました。  武道や侍の精神、篠原-ドゥイエ戦の「世紀の大誤審」、カラー柔道着の導入、東京オリンピック時のヘーシンクらの話など、どれも共感できるものばかりです。そして、私も、そうした「柔道」の歴史に、はがゆく、もどかしく、悔しい思いでいっぱいです。No.3さんへのお礼に書きましたが、全柔連やら、英語ができれば国際柔道連盟などにも、メールなどで訴えたいほどですが、草の根から、本来の「柔道」の醍醐味を取り戻し、その精神・技を改めて世界に広めていくような運動を試みています。doskoiiさんも、ご賛同いただければ、何か自分たちにできる運動を展開していっていただきたい、と希望します。なぜなら、ご回答いただいたような柔道の精神を持った人たちが、どんどん少なくなっていくことが、残念でならないからです。  残念だ、というのは何度言っても足りませんが、その思いをプラスに展開できないか、実生活の合間にできることを考えております。五十年先、百年先には、本来の柔道が世界に広まっていることを願っています。  ご回答、誠にありがとうございました。大変嬉しく、ありがたく存じます。

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  • henmiguei
  • ベストアンサー率45% (1764/3871)
回答No.3

貴方の修行されたのは「柔道」です 今国際大会で行われているのは 柔道着を着た柔道とは別の競技「ジュウドー」です いつの間にか柔道ではなくなってきています 投げられた選手が道着を掴んで離さずに 倒れこんでから投げた相手を引きづり込んで倒せば 技をかけて倒した者ににポイントでなく 倒された者にポイントが付く これはどのように考えても「柔道」ではないでしょう アレは「ジュウドー」と言う別の競技です 日本古来の柔術を発祥とした柔道は何処へ行ってしまったんでしょう 嘆かわしい限りです。

utu-ne
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。よく「柔道」に対して「ジュウドー」とか、“JUDO”とかが、対比して言われますね。しかし私は、元になっているのはあくまでも「柔道」であり、国際化したからと言って、別のルールのスポーツのようになってしまうのは、間違っていると思うのです。サッカーが世界に広まって、元のルールが変わりましたか(少しずつルールの改正があることは存じていますが、国際化にともなうルールの変更ではないはずです)。  「日本古来の柔術を発祥とした柔道」がどこへ行ってしまったのか、嘆かわしいことですが、それを取り戻せるのならば取り戻したいではないですか。私は、簡単にできる方法として、ウェブやメールで、権威ある団体に投書したりすることから、少しずつ動かせるのではないかとささやかな運動を試みています。何か知恵を絞って、本来の「柔道」の素晴らしさを取り戻したいと思います。バルセロナオリンピックの古賀稔彦選手の、準決勝での文句の付けようのない背負い投げでの一本勝ち、ああいうのを沢山見たいとはお思いになりませんか。ああいった柔道の醍醐味を世界に広めることこそ、嘉納治五郎先生の望まれたことだと思います。できることなら、そういう運動を、草の根から広めていきたい、と思っております。  ご意見誠にありがとうございました。大変嬉しかったです。

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  • puru256
  • ベストアンサー率26% (33/126)
回答No.2

外国と日本の感性の違いですね。 またオリンピック種目になったということで、各国の代表は何がなんでも金を取りに狙ってきます。 ここで何が起こるかというと、ルールに記載されていない事は何でもありになってきます。 審判にしても規定のルール以上のことは実施しませんし、よくある暗黙の了解等は外国人に適用されません。 ですからどのような投げ方でも、背中がつけば1本になるような現象が起きてすのではないでしょうか。 もし改善するのであれば、ルールを厳格に決めて適用するか。それともオリンピック柔道と日本柔道で区分けを するかしかないのではないでしょうか。 最近の柔道って、ほんとおもしろくないです。柔道っていうよりは服を着た状態での立ち技レスリングって いうところでしょうか。

utu-ne
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。「感性の違い」ですか。ご意見、共感いただいたと見ました。誠にありがとうございます。  「ルールに記載されていない事は何でもあり」、本当にそうですよね。本当に、レスリングの感覚で柔道をやられているように思います。「どのような投げ方でも、背中がつけば一本になる」、このことです。私が言いたかったことを見事に言い当ててくださいました。審判の認識を正すことはもちろんですが、選手も、そんな「一本」で喜ばないで欲しいと思います。  puru256さんの改善策の一つ、「ルールを厳格に決めて適用する」、これが必要なのかもしれませんね。オリンピック柔道と日本柔道に分ける、というのは、私は賛成できかねます。柔道が二つにわかれてしまうからです。第一案のように、ルールの運用次第で改善できる問題だと思うので、ぜひそちらで解決して欲しいと思います。 >最近の柔道って、ほんとおもしろくないです。柔道っていうよりは服を着た状態での立ち技レスリングっていうところでしょうか。  同感です。外国人選手たちは、まったくレスリングの感覚でやってきますよね。「待て」といいたくなります。経験者の共感を得られて、大変嬉しく思います。誠にありがとうございました。

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  • buru130
  • ベストアンサー率29% (13/44)
回答No.1

私も柔道経験者です。残念ながら、日本古来からの「柔よく剛を制す」ということがない現実に私は興味を失いました。  まず、経験者が感じるのは柔道着をきちんと着ていないこと。レスリングと違い、体を掴んで投げない柔道にとって、道着がゆるいのは致命的です。それすら指導できない。  また、組み手争いで平気で顔付近にパンチのような動きをする。これすら認められていないが今の外国人選手には見えけられる。何よりも、組み手を嫌って距離を置きすぎるなど、あまりにひどい光景。  ただ、選手の動きは確かにすばらしいが、審判が定められないという光景もありますし、かといって、日本人だけが審判をやると言うのも不公平だし。他のスポーツ同様、他人が判断するスポーツには限界がきたという思いがしています。

utu-ne
質問者

お礼

 経験者の方ですか、ご意見ありがとうございます。体重何十キロもある人間を投げないといけない柔道の練習は、しんどいですよね。寝技は寝技でしんどいし。  道着をきちんと着ない、ということがあるのですか。嘆かわしいことですね。それが本当なら、私も同意見です。また、組み手争いでの顔へのパンチは、よく聞く話です。小手先の戦法で試合に勝つのではなく、柔道の技を磨いてほしいです。それと、審判の話ですが、国際試合では、必然的に日本人の試合は、日本人以外の審判が裁くことになるんですよね。それだから、私は、日本で発祥した柔道の精神を、外国人に、すくなくとも審判員には教育する必要があると思うのです。審判による不平等など、選手には関係ありませんからね。「限界」説ですか。ほうっておけば、自然とそうなると思います。だから、改善が必要だと思うのです。  努力次第で、改善できる問題だと思います。「柔道の精神を説く」などと、煙たがられることでしょうが、今の柔道は、そこまで質が低下していると思います。関係者には、柔道の現状、十年先、五十年先、百年先どうなりうるか、どうあるべきかをよく考えて、今必要な策を講じて頂きたいと思います。経験者の貴重なご意見を聞けて、大変ありがたかったです。ありがとうございました。

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