• 締切済み

名前のない人生を送っている私…悲しいです

30代独身女性です。 「いい歳をして、馬鹿馬鹿しい」とお叱りを受けそうですが、長期間、深刻に悩み続けており、人間関係にも影響を及ぼしています。 その悩みとは、名前(下の、ファーストネーム)で呼ばれない事です。 仮に、私の姓名を<A田X子>とします。<X子>は、極平凡な、私の年代(またはそれ以上)にはありふれた名です。名字も、珍しいのもではありません。 中学時代までは、友達やクラスメートから、Xちゃん・X子ちゃんと呼ばれていました。 呼ばれなくなったのは高校からで、それ以降の人生、A田さん・A田ちゃん・A田、と名字で呼ばれるようになりました。 学校・バイト先・職場・プライベートシーン、どこでどのように知り合っても、仲良くなって友達付き合いが始まっても、それは同じ。とても悲しいです。 以下、エピソードをいくつか挙げます。 ◆高校1年、同じクラスにB山X子さんがおり、しかもB山さんが2名いたため混同しないよう、彼女がX子さんとして定着。3年間その2人と同クラス。 ◆高校・大学で特に親しくなる友人に限って、その姉妹がX子。加えて、友人本人がX子というケースが3人も。そして私までも彼女たちをX子と呼ぶ羽目に(周囲に合わせて)。いまだ親交はあるが、彼女たちは私の名を知らないのでは、とさえ思う。 ◆バイト先とサークルは元々皆名前で呼び合うところだったが、すでにそれぞれX子さんがいたため、私だけ例外に。 ◆会社では、社会人だからと割り切っていたが、同じ部署の後輩で同名のX子さんが名前で呼ばれるようになる。 ◆社会人になっても趣味や習い事などで、友人は増えるものの、誰からもどんなに仲良くなっても、名字オンリー。 ◆ある習い事で仲良くなった仲間内の一人が、お互い名前で呼び合うことを提案。もちろん快諾、即実行されたが、何故か言い出した当の本人が、何事もなかったかのように皆を名字で呼ぶ。謎。結局そのコだけが皆から名で呼ばれる状態に。習い事が楽しくなくなる。 ◆彼氏がいるときは、彼が私の友達に「X子がいつもお世話に…」などと挨拶すると、友達がピンと来ないため一時的に会話がかみ合わず、私は表情には出さないが、かなり気まずい上に悲しい。彼氏と友人が顔を合せると、いつも凍りつくほどの恐怖を覚える。 ◆合コンに行っても、下の名前で自己紹介&呼び合う中、いたたまれない。表面上は楽しげに過ごすが、毎回それが引っ掛かり、男性からアプローチには当日・後日に関わらず一切応じず。 ◆ある欧米人の友人にまでA田sanと呼ばれ、親しくなるにつれ苦痛が増す。外国人なのでこちらもはっきりと頼むも、効果なし。その友人に他の外国人を紹介されるときも必ず名字で。食欲を失うほど落胆。 ◆メアドはX子をもじったもの。久しぶりに連絡をくれた学生時代の友人から、アド教えてと言われたが、大事な友人にも関わらず思わず拒否。 自分でも強迫的だとはわかっていますが、どうしてもこの拘りが払拭できません。 どんなに良い友人に対してもこの事で一人落ち込んだり、或いは、友人関係を築く過程で壁を作ったり、会いたくなくなったり…。 「呼ばれ方なんかで友情の度合いは量れない」と言い聞かせたり、開き直ったり、気にしないように努力した事もありますが、いまだに克服できません。 自分から相手を名前で呼んでみたりもしますが、そうすると結局私だけが名字で呼ばれ続けるんです。 言いにくい名前でもなく、先日某SNSで“X子さんが集うコミュニティ”を発見したのですが、殆どのX子さんが周囲(リアル)に名前で呼ばれているようで、更に落ち込みました。 しかしながら、私ほど病的ではないにせよ、「名前で呼ばれたい」「呼ばれると嬉しい」「呼び方で親しさを表す」人は、少なからずいましたし、これまでにそんなシーンを幾度も見聞きしてきました(もちろん名字で呼ばれたい派もいるでしょうが)。こういう気持ちの人は、案外多いのでは。 また、それは日本の習慣だという見方もあるでしょうが、実際、自然に名前で呼び合ってる人たちが沢山いるのに…と、沈んでしまうのです。 いま、私をX子と呼んでくれる友人は本当に僅かで、それも頻繁には会えない人ばかり。 普段よく会う友人は、皆A田さん・A田ちゃんと呼びます。呼び方なんて、一度定着したら変わりません。 こんなくだらない考えに囚われ続けて、本当に辛いです。 いっそ、アメリカに移住しようかと考えるほどです(私は10歳までアメリカに住んでましたが、この事に何か影響しているのでしょうか)。 全ての人にではなく、親しい友人や仲間内だけでいいのです。名前で呼んでほしいです…。 長文を読んでいただき、ありがとうございます。アドバイスやご意見があれば、是非お願いいたします。

みんなの回答

  • silversan
  • ベストアンサー率34% (17/50)
回答No.14

NO5 です。 >また、私の質問文が、今現在の思いつめた気持ちをもってして、過去約20年間に渡る各エピソードを振り返りつつ、したためたものであったために、誤解を招いてしまいました事を、心よりお詫び申し上げます。 いえいえこちらこそすこしずれた返答になってしまっていることや、 もちあわせる語彙が少ないことで表現がおもうようにいかず、伝わりづらかった事をお詫びします。 >「名実ともに」という言葉がありますよね。名前で呼ばれる事を文字通り「名」とすると、「名より実(信頼関係・友情・親しさ)を取る」ことを選び続けた結果、長く良い関係が続いている。「実」を得た実感とともに、遠く置き去りにされた「名」を思い出し、それが突然フォーカスされ囚われる。今になって「実があるなら名も欲しい」となる。 という感じで苦しいです。 実が一番肝心で、これが得られないと悩む人は多くいます。 大事なのは実で、名ではありません。 >>親しくするための窓口がオープンに    >>回りを変えるのはいつだって自分が主体 >というスタンスで、出会った人と実際に仲良くなり、信頼関係を築 >き、更にそれを深め、5年・10年・15年と友情を暖め続け…。 5年、10年、15年・・・これほど長い間付き合える相手というのは希少だと思いますが・・・。 あなたは自身で思うほど名前の呼び方が気になっていないか、もしくはそれに心がとらわれ続けて、友人といいながらもずっと心に壁を持ちながらお付き合いしていたかのどちらかになります。 簡潔に申し上げるならば、気にしないの一言に尽きます。 どんなアドバイスもあなた自身の心の持ち方に訴えるものだからです 呼び方で引っかかっているのはこちらの都合ですから、相手に変化を求めるのはすこし違うような気がします。 呼び方を変えてもらうのは・・・その場しのぎのメッキを施したに過ぎません。 自分が気にしないよう、心の持ち方を変える。これが根本的な改善案です。 友人はあなたの名前と付き合っているのでしょうか? あなた自身の性質がとても居心地がよいから15年もの長い間、あなたとお付き合いしているんだと思いますよ。 心で通じる人付き合いは、損得や権威、学歴、財産・・これとは全く無縁なところにあるものがそれです。 無論、名前の呼び方もこれに含まれます。

sweet-gold
質問者

お礼

再びご回答いただき、ありがとうございます。 少々図々しいかなと思いながら前回のお礼を書いたので、快く再アドバイスをくださった事がとても嬉しいです。 >もしくはそれに心がとらわれ続けて、友人といいながらもずっと心に壁を持ちながらお付き合いしていたかのどちらかになります。 きっとそうなんでしょうね。壁というか、前回のご回答文の中にあった“マイナスイメージ”を抱いていたのは確かです。意識しようがしまいが、ずっと持ち続けていたんだと思います。そのマイナスイメージが、やがて壁となり、今現在では巨大化してしまったような感じです。 改めて最初にいただいたご意見と併せ読み、仰りたかった事が理解できました。初めにピンと来ず、本当にごめんなさい。 >友人はあなたの名前と付き合っているのでしょうか? この問い掛けで、友人たちに対する感謝の気持ちを取り戻せそうです。 実は数年前、20年来の友人と不可解な経緯を経て疎遠になった経験があります。その経緯が到底理解し難いものであったにも拘らず、名前で呼んでくれる人が減ったという事だけを惜しんでいました。名前で呼んでくれる人・くれない人、なんてカテゴリー分けはせず、信頼出来る友人との気持ちの良い付き合いを大切にしていきます。 そうやって日々を過ごすことで、 >自分が気にしないよう、心の持ち方を変える。 事が出来そうな気がします。 二度にわたるアドバイス、親身になって下さり感謝しております。 また、最後に、なかなかパソコンに向かう時間を確保出来ず、すぐにお礼が返せなかった事をお詫び申し上げます。

  • acuna
  • ベストアンサー率14% (319/2259)
回答No.13

ひょっとして、自分から壁作ってませんか?。 何年か前、「お名前なんていうんですか?」 って、聞いたら「A田です」。 って苗字答えられて、なんて間抜けなヤツだと思いました。 売り上げ伝票のサインで苗字知ってるから、名前聞いたのにね。 残忍な人だと思いましたよ。

sweet-gold
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 お礼が遅くなり、誠に申し訳ありません。 …なんと鋭い方でしょう。流石に“自信あり”を選択されるだけあり、そのものズバリで、ただただ平伏いたします。 私は30代になってから特に、そんな間抜けなヤツになってしまいがちです。「名前言ったら、今後そう呼んでくれるのか?答えて呼んでくれなかったらまた落ち込むな。」とか、瞬時に一人勝手にあれこれ考えて、期待と自虐、そして自己保身が入り混じるんです。 その方が間抜けな受け答えをした理由は分かりませんが、その方の分までお詫び申し上げます。 >残忍な人だと思いましたよ。 この一行だけで、貴方様が如何に、優れた感性と洞察力をお持ちかが解りますね。 ご指摘、大変有難く受け止め、今後改めます。 ありがとうございます。

noname#138477
noname#138477
回答No.12

 ここまで名前で呼ばれることに拘る女性の方がいることは初めて知りました。私自身、女性のことを下の名前で呼んだことはほとんどありません。私自身考え方が古いところがあります(No.10さんの書かれていたことも影響しているのか、下の名前で呼ぶことは、基本的に避けています)からかもしれません。    どうしても気になるようでしたら、10歳までアメリカにいたこと・アメリカでは下の名前で呼ぶことが普通であること を説明した上で、下の名前で呼ぶことを頼んでみたら如何でしょう。大抵の方は、応じると思います。どうしても応じないようでしたら、この質問文面を見ていただくのが一番だと思います。  

sweet-gold
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 お礼が遅くなり、誠に申し訳ありません。 貴方様は、男性の方でしょうか(もしも、違ったらすみません)。 >ここまで名前で呼ばれることに拘る女性の方がいることは初めて知りました。 わたしのは、病的なレベルだと自覚しています。 質問文でも触れましたが、私自身これまで“名前で呼んでアピール”は結構受けてきましたし、学生時代ほどあからさまではないにせよ、社会人になってからもありました。先日も電車内で「じゃ、これからは○子・△美の仲ってことで!」なんて、会社員風の女性同士の会話が聞こえてきたり。 男性同士って、こういうのないのでしょうか…。 >大抵の方は、応じると思います。 そうなんでしょうか…。アメリカにいたことを告げると、人によってはどういう訳か急に卑屈な態度をとられたりする事がある為、自分からは言わないようにしています。 それはともかくとしても、ストレートに頼んでみるのが良いのかも知れませんね。人間、素直さが大事だったりしますものね。 貴方様は、節度のある誠実な、大人の男性なのでしょうね。でも、特別で大切な女性は、愛情を持って名前で呼んで差し上げてくださいね。某作家も作品の中で「だって、名前には愛があるから」と言っています(笑)。 率直なご意見、有難く拝読しました。 どうもありがとうございます。

  • sinjou
  • ベストアンサー率13% (492/3662)
回答No.11

私の場合(30代)、 「しんちゃん」 「じょちゃん」 「じょうちゃん」 と呼ばれます。音感が良い名前なので、呼ぶほうはそれが楽しいみたいです。ある意味、呼びがいがあるらしい・・・ 昔から苗字の呼び捨てに憧れてましたけど、下の名前を呼び捨てにされてる子は、「私はいつも、友人からバカにされる・・・」と悩んでました。また、苗字を呼び捨てし合う子達は、しっかりしてる子同士でした。名前を呼び捨てし合ってる子達は、私はちょっと、レズじゃないけど気持ち悪かったです。上履きのスリッパを交換してる子同士に憧れたけど、やっぱ今では、気持ち悪いかなあ・・・ 私は下の名前を呼ぶ人間は、親兄弟だけが良いです。彼らの特許だと思ってます。 呼び捨てって、部活動に入ってないと難しいかも。 帰国子女はバレエ(裕福な子のお稽古事)経験者が多いので、セレブオーラが出まくりなので、恐れ多くて呼び捨ては無理ですよ・・・無いものねだりだと思います。

sweet-gold
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 お礼が遅くなり、誠に申し訳ありません。 >セレブオーラが出まくりなので、 セレブ…かどうかは分かりませんが(そもそも当時の日本ではセレブという言葉自体使用されていなかったので)、外国に住んでいた事が周囲に知られていた小・中時代は、下の名前で呼ばれていたんです…。 >私は下の名前を呼ぶ人間は、親兄弟だけが良いです。彼らの特許だと思ってます。 素敵ですね。そんな風に考えた事はありませんでした。 私にはすでに家族がいないので、その代わり…と言っては何ですが、下の名前で呼んでくれる数名の友人を、これからも大切にしていこうと思います。 特権である、という良い考え方を教えていただき、ちょっと元気が出ました。 本当にありがとうございます。

  • jimmy35
  • ベストアンサー率26% (468/1774)
回答No.10

あ、書き忘れていました。 ほんの100年前まで我が国は親しい目上の人でないと成人後についた名前で呼ぶことは失礼にあたりました。例えば百人一首で中納言を超えた身分の方の名前がまともに表示されていないことや女性の名前も~子(今風に「こ」と読むのではなく「し」と読んだようですが)という表示はないですよね。江戸時代だって名前は残ってはいても本人には勝手につけた本来身分をあらわす官位で呼んでいましたしね。(内蔵助や主税、伊豆守等々) 名前に対する意識として、そういった歴史上の事も書き加えておきます。

sweet-gold
質問者

お礼

宗教的背景に加え、歴史的背景…ですか。 何だか、無神経なのか、礼儀正しいのか…日本人でありながら日本人というものが急に解らなくなってきました。 国際化が進んで久しく、正しい日本語を使えない人も多く見られ、子供に日本人らしからぬ名をこぞって付ける現在においても、私の拘りが払拭される事はないのですね…。ということは、“やけっぱち海外移住”は、ある意味、解決策として有効なのかもしれませんね(苦笑)。 それと、ANo.8の方へのお礼文中にも書いたのですが、ご指摘をきっかけに、幼少期の体験がその後の人生や人格形成に与える影響について、少しでも勉強しようと思います。これまで自覚がなかったので…。勉強したからといって即解決、とはならないでしょうが、出来ることは何でも試してみるつもりです。 色々なことを教えていただき、本当にありがとうございました。

  • jimmy35
  • ベストアンサー率26% (468/1774)
回答No.9

No.3です。 はい、向こうではそうでしょうね。彼女であろうと妹であろうと姉であろうとMaryはMaryでしょうし、いいとこErizabethをErieだとかErizaとかBeth、RichardをRitchieとかRick、Dick位で使い分ける程度でしょうか。 ところが自分が回答文で言ったように、日本は宗教的に神は複数どころかたくさんいます。しかも人の名前にそう言った根拠ははっきりいってありません。例えば男性にオオクニ(大国主命)やニニギ(神武天皇)なんて名前や女性にアマテル(天照皇太神)やトヨウケ(豊受大神=天女の羽衣の天女さん)なんて名前がほとんどないでしょ。ですから名前に対する民族的意識が薄いんですよ。 その分、名前に対する事象も無神経になります。名前に対してみんな天然でデリカシーがないんです。私だって幼少のころから今までのあだ名で名前にまつわるもので4~5、関係ないので5~6ありましたもん。こんなのおそらく欧米ではありえないと思います。「名は体を表す」といいますが、そういう割には我が国は意識が薄いと考えた方がいいと思いますね。これは自分は大学の頃に気づきました。自分はフランス文学科にいましたので、こういうことに意外に気づきやすかったのかも知れません。

sweet-gold
質問者

お礼

再びご回答いただき、嬉しく思います。 お礼が遅くなり、申し訳ありません。 実は最初のご回答文で、 >その宗教的意味合いを成長過程で彼らは知ることができます、 という箇所がすぐにはピンと来なかったのですが、考えてみたら、キリスト教に関連した名前が本当に多いですものね。MichaelやJohnなどがキリスト教的な名前の代表格でしょうか。 恥ずかしながら、宗教的観点から名前について考察したことがなかったので、拝読して大変勉強になりました。 本当に、もう根本から意識が違うのですね。今回のご回答で、より良く理解できました。 その他にも、ミドルネームやクリスチャンネーム、父と息子で同姓同名(Sr.とJr.)とか…日本人には馴染みの薄い名前に纏わる事柄は、結構ありますね。 貴方様のこれまでのあだ名が何だったのかちょっと気になる(笑)…というのはともかくとして、 >フランス文学科にいましたので、こういうことに意外に気づきやすかったのかも知れません。 仮に私が同じ仏文学を専攻していたとしても、恐らく自力でそのような視点を見出すことはなかったでしょう。というより、ご回答いただかなければ一生知り得なかったかも、と思います。 貴重な知識を与えてくださり、前回に引き続き御礼申し上げます。

noname#254711
noname#254711
回答No.8

>私は10歳までアメリカに住んでましたが、この事に何か影響しているのでしょうか 質問者の「呼称」に対するこだわりは、ここにあると思いますよ。 子供の頃の生活体験は、その人の認識力に大きく影響すると考えますから。。。 日本人の間では「呼称」によって、その親しさが違うというモノではなくて 相手のイメージやTPOによって変化するようですから 特に「呼称」の違いによる「こだわり」は少ないように感じます。 相手に対して「失礼のないように」とは考えますが 普段では「どんな呼称」であっても、大した差異はないように思います。 「呼称」に対するこだわりをなくした方が、気持ちが楽になりますよ。 ちなみに、日本人がこだわるのは「肩書き」だと思いますよ。 ですから「名前」ではなく「敬称」に注意が必要かも?ですね。

sweet-gold
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 お礼が遅くなり、申し訳ありません。 いただいたアドバイス、「なるほど、なるほど」と思いながら拝読いたしました。とても分り易かったです。 他の回答者様へのお礼文でも触れた事ですが、これまで名前に対する拘りと子供時代の体験とを結びつけて考えたことはなかったので、最初は意外に感じました。 しかし、この拘りは…何というか、理屈ではないのです。質問文に自ら馬鹿馬鹿しい・病的などと入れたように、頭では日本人として理解しているつもりなのに、親しさや信頼関係が深まれば深まるほど、良い友人関係が10年・15年と続けば続くほど、不意にギャップのような不可解なものを強烈に感じてしまうんです。 >日本人の間では「呼称」によって、その親しさが違うというモノではなくて という事が、頭では理解出来ても心で納得出来ていないのでしょうね。 このように考えると、納得できますね。 >子供の頃の生活体験は、その人の認識力に大きく影響すると考えますから。。。 私の認識不足でした。ご指摘いただいたおかげで、この方面の知識を得るため、少しでも勉強しようと考えるに至りました。 >「呼称」に対するこだわりをなくした方が、気持ちが楽になりますよ。 そう思います。楽になりたいです…。勉強して造詣を深めることで、今より良い方向に向かえば、と思います。 >ちなみに、日本人がこだわるのは「肩書き」だと思いますよ。 >ですから「名前」ではなく「敬称」に注意が必要かも?ですね。 あ、そう言われてみたら、思い当たる節が幾つもあります。心に留めておきますね。 勉強になりましたし、良いきっかけを与えていただきました。 深く感謝いたします。

noname#53063
noname#53063
回答No.7

気持ちは分かりますよ^^ 名字より名前のほうが親密感がありますよね。 私もこの歳(聞かないでね><)になっても○○ちゃんで呼んで貰っています。 ただ日本の「みっともない」部類に入ることは免れないかなぁと感じながら。。。 年下の友人は幾ら親しくなっても「名字さん」です。 これは相手を尊重した礼儀なのですね。 同じ歳であっても一定の年齢を越えれば「名字さん」が一番スマートです。公の場で友人同士が名前を呼び合うことは「はしたない」とされています。 日本の習慣をどこまで理解されているのかが量れなかったので既にご存じのことでしたら不要な書き込みですね、すみません。 ファーストネームへの思い入れもアメリカとは随分、異なりますよ。 アメリカではそれ程親しくなくても「下の名前で呼んでよ」って言いますよね。日本でも学生時代のノリであれば言います。 でも社会人になれば状況は一変します。 親しくない人から名前で呼ばれたくない・親しくもない人を名前で呼びたくない。 呼称が定着すると変えるのは難しいです。 ですが、壁を作るともっと難しいでしょうね。

sweet-gold
質問者

お礼

とても親切なご回答をいただき、有難く拝読いたしました。 お礼が遅くなり、申し訳ありません。 >既にご存じのことでしたら不要な書き込みですね、すみません。 いえ、それどころか、何度も何度も読み返してしまいました…。 勿論、私は日本人だし(言うまでもないですが)、普通に日本で暮らしてきて、社会でも常識的にやってきたつもりです。 が、頂いたご回答文を読んで…正直、感覚のズレを認めざるを得ません…。認識を改める必要があるかもしれません…。ちょっとした衝撃です。 そう言われて改めて考えてみると、“頭では理解して納得しているが、心や感覚的な部分で?と感じる”ことが、他にも幾つか思い当たります。無論、名前の件に比べれば取るに足らない事ばかりですが。 今回こちらで質問するまで、名前に対する拘りと子供の頃の海外生活とを結びつけて考えた事もありませんでした。 海外在住の友達も数名いますし、日本在住の外国人との交流の機会もある為、外国人の友人もいますが…こういう事も多少は影響あるのかな、と思います。 >日本でも学生時代のノリであれば言います。 殴られたように感じましたよ。学生のノリを求めていたなんて、思わず恥じ入りました。と、同時に「なるほど~」と…。 いつまでたっても満たされない思いに、拘りは強くなる一方でした。でも、日本で年を重ねている以上、至極当然の事と言えるのですね。 >呼称が定着すると変えるのは難しいです。 >ですが、壁を作るともっと難しいでしょうね。 その通りですね。30代に入ってから特に思い悩むようになり、壁を作っていたのですが、改めようと思います。友人にも悪いことをした、と反省しました。また、名前を呼んでくれる友人たちに改めて感謝したい気持ちです。 なんだか暖かい気持ちになったのは、貴方様の優しさ・思いやりが、文面から伝わってきたからでしょうね^^ 私からの感謝の気持ちも、ちゃんと届きますように…と願わずにはいられません。 大切なことを教えていただいて、本当にありがとうございます。

  • tyobi10
  • ベストアンサー率38% (65/171)
回答No.6

私も一時期、悩むほどではないですが、気になったことはあります。 高校生の時から○○さん、とさん付けで呼ばれることが多く、自分と仲の良い友人は皆から呼び捨てで親しそうに呼ばれているのに、自分だけ違っていたのです。 社会人になってからも、同じでした。 よくよく聞いてみると、「近寄りがたい」「真面目そうだから」「怖い」「頭が良さそうだから」「キレイだから」などの理由があったようです。 陰で、黒ネコっていうあだ名が付いていたようです。 そこで、人と接するときに、頭でイメージするのです。自分のこころがパァーっと開いて相手を受け入れているような感じを。 そして、肩の力を抜いて、バカ話をしながら大笑いしたり、自分の弱みを隠さずに笑いのネタにしたり、笑いを増やしました。 そんな風にしているうちに、少しずつ「さん」付けが減っていきました。 質問者さまは、「近寄りがたい」「真面目そうだから」「怖い」「頭が良さそうだから」「キレイだから」どれか当てはまっていませんか? そういう人は少しおとなしくしているだけで、更に近寄りがたくなります。 いえいえ、おとなしくなんてしていません。というのであれば、気の強いタイプで主張しすぎる傾向にありませんか? いずれにせよ、肩の力を抜いて、笑いを増やしてみてくださーい! 心が開いて、周りの人と馴染むようなイメージを持って、接してください! きっと、雰囲気が変わって、下の名前で自然と呼ばれるようになりますよ! あ!でも年齢を重ねていくと、下の名前で呼ばれるのは少なくなるかも・・・。です。

sweet-gold
質問者

お礼

同じ経験をされたとのこと、ご回答いただき嬉しく思います。 お礼が遅くなり、申し訳ありません。 私も自分が周囲に与える印象について、考えた事があります。イメージって、大事ですよね。 >「近寄りがたい」「真面目そうだから」「怖い」「頭が良さそうだから」「キレイだから」 実はご指摘の通り、事ある毎に言われていました(自ら書いちゃってすみません、特に後半。自分では思ってませんので悪しからず)。しかも、そんな周囲の声には無頓着でした。実際は社交的で明るかったので、不都合は感じませんでした。 が、しかし!これは小・中時代の事で、その頃は皆から下の名前で呼ばれていたのです…。 高校・大学時代は、本来のキャラが前面に押し出されたのか、これまた事ある毎に「面白い」「楽しい」と言われ、後で聞くと「ムードメーカー」「話せるヤツ(女だけど)」って事になっていたそうです。 それなのに!下の名前では呼ばれず…。まあ、この頃は交際範囲内における“X子率”の高さが原因かもしれません。 社会人になって、またもやご指摘通りの印象を与える事も多かったのですが、子供時代と異なるのは、そのイメージとの<ギャップ>についてやたらと言及される事です(例:「冷たい感じかと思ったのにすごい喋り易~い」「近寄りがたく見えて実は面白いんだね」等)。それも、親しくなってから言われるのではなく、初対面(または数回目)で。その一方で、「いつもニコニコしてるね」「私も笑顔を心掛けるようになった」などの有難い言葉も頂いたり。 が、それでも!名字で呼ばれます…。 また長々と書いてしまいましたが、何が言いたいかというと、上記のようなことが、更に私を混乱させているのです…。 高校・大学時代は“アンラッキー”、社会人になってからは結局、 >でも年齢を重ねていくと、下の名前で呼ばれるのは少なくなるかも・・・。 ということなのでしょうか。 でも、名前の件でここ数年はことさら思い悩むようになっていたので、 >心が開いて、周りの人と馴染むようなイメージを持って、接してください! これを忘れないようにしよう!と、改めて思いました。良きアドバイス、ありがとうございます。 おかげで、ちょっと元気が出ました! 最後に。“黒ネコ”、カッコイイと思いますが(ダメですか?)。きっと、本当にキレイで素敵な方なんだろうな、と思いました。

  • silversan
  • ベストアンサー率34% (17/50)
回答No.5

親しみや愛着を表現する方法はさまざまですが、問題は名前の呼び方ではなくあなたがそこから感じ取るものにはじめからマイナスイメージで以って接すれば、相手側もそれなりの反応だということです 厳しいことを言うようですが、名前の呼び方よりもっと以前の前提として、親しくするための窓口がオープンになっていないといけません。 信頼している相手であれば、多少言葉の表現に不備があったとしても 大ねむ誤解することなくよい方向で捉えてくれるというもの。 壁を作っているのはどちらでしょうか?ということです。 回りを変えるのはいつだって自分が主体です。 それは国境を越えても、コミュニケーションの根本は変わりの無いことだと思います。

sweet-gold
質問者

お礼

丁寧なご回答、ありがとうございます。 お礼コメントが遅くなり、大変申し訳ございません。 また、私の質問文が、今現在の思いつめた気持ちをもってして、過去約20年間に渡る各エピソードを振り返りつつ、したためたものであったために、誤解を招いてしまいました事を、心よりお詫び申し上げます。 >親しくするための窓口がオープンに    >回りを変えるのはいつだって自分が主体 というスタンスで、出会った人と実際に仲良くなり、信頼関係を築き、更にそれを深め、5年・10年・15年と友情を暖め続け…。 そこで、ふと「あ、でもやっぱり名前は呼ばれない」…。 苗字で呼ばれ始めた高校・大学時代のエピソードを質問文で挙げましたが、当時はさほど気にしていませんでした。確かにショックでしたが、友人本人やその姉妹と同名なら「ま、仕方ないか」で終わりました。 社会人になってからも友人は増えましたが、20代半ばまではここまで悩んではいなかったと記憶しています。 とても変な例えで恐縮ですが(ニュアンスが伝われば幸いです)。 「名実ともに」という言葉がありますよね。名前で呼ばれる事を文字通り「名」とすると、「名より実(信頼関係・友情・親しさ)を取る」ことを選び続けた結果、長く良い関係が続いている。「実」を得た実感とともに、遠く置き去りにされた「名」を思い出し、それが突然フォーカスされ囚われる。今になって「実があるなら名も欲しい」となる。 という感じで苦しいです。 30代になって特に酷いです。この拘りは何だろう?どう解決、どう処理したらいいのだろう?と思い、今回質問を投稿いたしました。 私の文章が不十分だったと、反省しております。 しかしながら、いただいた回答文中の“マイナスイメージ”という言葉に感じるものがありました。 文章から、心の持ち様やイメージコントロールなどの分野に造詣の深い方では、と拝察いたしました。 もしも、このような囚われ・拘りを和らげる術などをご存知であれば、ヒントだけでも頂けると嬉しく存じます。 (再度のお願いとなりますので、ご不快に思われたら申し訳ありません。)

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