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原罪について

こんにちは.当方,哲学・宗教についてはまったくの素人です. どうかお教え下さい. アダムとエバが犯したとされる原罪についてですが,これを取り除ける(祝福できる)のはメシアのみとされています. イエス以降,現代に至るまで,メシアを称する宗教者があちらこちらで現れているようです. 各人が本物のメシアかどうかについての議論はともかく,果たして信仰心なき者は,メシアからの祝福を受けることはできないのでしょうか. そもそも原罪がない状態とは,宗教学的にいかなる状態を指すのでしょうか.理想的には神が創造した人間本来の状態を指すのでしょうが,正直想像できません. 迷いの無い,実に晴々しい状態なのでしょうか. サタン的思考で大変申し訳無いのですが, 原罪が無い状態というのは,実際のところ,メシアを称する宗教者による洗脳が完成された状態(宗教学的祝福=心理学的洗脳の完成)を指すのではないでしょうか. たとえば,Wikiによると,統一教会のトップである文氏はメシアを名乗っている様ですが,巷では祝福どころか詐欺者扱いです. 単に本物のメシアが未だ再臨していないだけのことなのでしょうか. また,メシアによって原罪を取り払われたとする男女の間に生まれた子は,理論上,先天的に原罪が無い状態にありますが,後天的に原罪が復活することもあるのでしょうか. 当方,原罪があるが故に分からなくなっている状態にあると思われます. 原罪の無い方,あるいは何かご存じの方,この迷える子羊(?)にどうか教えを説いて下さい. 万一,ご気分を悪くされた方がいらっしゃったならば,お許し下さい.悪気や批判の念は一切ございません.

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  • kigurumi
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回答No.12

No.9です。 たびたびすいません。 >日本人が無宗教なのは,アジアの離れ小島としての日本,という地理的な要因もあるのかもしれません. 地理的なものなのか? 宗教も一種の学問ですよね。 日本では仏教徒同士が戦っていたそうです。 宗教なのですが、武装した僧がいて、見かけはお坊さんだが、その宗教の兵士だったそうです。 キリスト教だとイエズス会が見かけは宣教師だが、実際は諜報・工作・戦闘部隊でしたよね。 で、仏教が伝来して、仏門に入って長年研究をしていく というものだったのに、大乗仏教により、「そんな修行はいらない なむあみだぶつとさえ唱えりゃ誰でも極楽に行ける」って言って、どっと信者数を獲得したものだから、苦労を推奨する派からすれば、邪教だとなり、ドンパチやったらしいです。 殺し合いをやっていたのを、信長以降の時代の武将は、武力で弾圧していった。 宗教で殺し合いをするものは、日本にはいらん! ってわけですね。 で、殺し合いをしなければ、どの宗教も日本で布教活動をしてよい として、信長はキリスト教が日本で宣教活動をするのを認めた。 ところが、とんでもない宗教だとわかり、秀吉あたりから、キリスト教を日本から追い出そうとするようになり、武力でペシペシ弾圧していったわけです。 ただ協力なウイルスだったため、鎖国するしか日本の健康を守る方法はなく、で、鎖国をした。 これで外から日本に宗教は入ってこれなくなったわけです。 で、修行をしなくても、なみあみだぶつとさえ唱えていりゃあ なので、熱心に宗教をしなくなった。 熱心にしなくてもいい ってのが日本人に受けたわけで。 >おそらく日本人は何かを深く強制させられるのが嫌なのだと思います. 誰だって、強制されるのはいやだと思います。 ところが自由であることも、辛いわけです。 誰だったか、「人は自由という牢獄に閉じ込められている」と言いました。 キリスト教では、人は悪魔の支配する地球という牢獄に囚われていて、それを救世主を派遣して救おうとしている としている。 自由というのは、何をやっても自由という意味じゃない。 例えば、「盗みをしても自由だ。」じゃない。 盗みは悪いことだと知っており、やりたいという欲望を抑えて、盗みという悪をやらないというのが、本来自由を持っている者のありかた。 ところが、どうして盗みをやってはいけないのか 殺してはいけないのか を知っていながら、その根拠を明確に提示できない。 それで、宗教により禁止されている とルールを作ったわけです。 早い話が「神様が禁止したからやっては駄目」としたんです。 そのルールがユダヤ教では律法。 ところが、人は過失を犯してしまえる能力を持っている。 で、どんなに正しい者だとされた人すら、その能力を持っているので、神しか全く清い人はいない と考えたのだと思うんですね。 先日、ライラの冒険 黄金の羅針盤 という映画を観てきました。 この世界では、誰もがダイモンをもっており、それは動物の形として、いつも人に寄り添っている。 教権は、子供は純粋だが、ダストによりやがて穢れてしまうとして、子供のうちに、ダイモン(恐らく自由意志のことだと思う)を切り離してしまおうとするわけです。 これによって原罪が人から消えて、この世は幸福になる と考えた。 第一部しか観ていないので、この作者の哲学 何を言いたいのかの全容はつかめていませんが、、、、黄金の羅針盤は真理を示す道具であり、その羅針盤で真理が見れるのはライラのみ としている。 教権は黄金の羅針盤を破壊したのですが、最後の1つは残っており、それがライラの手に渡ったわけです。 教権にしてみれば、サタンにすごい力が渡ってしまったようなもの。 教権が目指す天国の実現を、ライラにより阻止されてしまう危険が出てきたわけです。 こういう話が出ると、キリスト教徒は過敏に反応するみたいで、この映画をキリスト教の神への冒涜だとして、攻撃しているみたいです。笑 この映画は自由意志を人間が取り戻す という物語だと思うんですね。 キリスト教などちっぽけで窮屈な世界の実現をしたがる者たちなど、相手にしていない。 もっと大きな世界がライラの冒険の物語。 >日本の文化の背景にはしっかり宗教があるんですよ,という意識を高める機会があってもいいかもしれませんね. 和の思想ですよね。 日本の首相がコロコロ変わるのも和の思想が日本にあるから。 談合も日本に和の思想があるから。 日本に沢山の神様がいるという思想も、和の思想があるから。 日本が奥歯にはさまったような言い方をして、何を言いたいのか はっきりと国連で言わないのも和の思想があるから。笑 これが日本人が一体何を考えているのか どんな宗教なのか よくわからない理由じゃないかと。 で、つまり和の上に日本人は生きているので、自分が和の精神を持っていると、灯台元暗しでわからないんじゃないかと。 一神教だと自由意志を否定する宗教にしかなりえないのですが、多神教だと、それが可能になるんですね。 どっちが生き方が楽か? プログラム通りにロボットとして生きていくのが楽か。 それとも、どっちにすすんだらいいか 誰も示してくれず、心の真理の羅針盤を頼りに、孤独の航海をした方がいいのか。 人次第ですが、人によっては、自由意志を捨てロボットになる道を選ぶのかもしれないですね。 つまり一神教の信者になる。 ところが約束されたと思った不安の消滅が、信者になった後も消えない。 それで、不安にかられ、ネットで聖書の文句を書き並べたり、自分が信仰している教祖の言葉を書き並べたりして、自分に言い聞かせることになる。 一神教の信者が陥った地獄が見える。 自由意志を捨てて魂を売った つまり ダイモンを捨てたものの末路。 もちろん、天国も地獄も人間が脳で作り出したイマジネーションの世界。 脳の中では存在しているんですね。 で、私の脳の中では彼らが地獄の炎で焼かれ苦しんでいるのが見える。 彼らの脳の中では、自由意志を持つ私が穢れまみれになっているのが見える。笑 イマジネーションのぶつかりあいなんですね。笑 ジョン・レノンが「想像してごらん 天国なんてないって」って唱えました。 想像すれば消えるんですね。 「想像してごらん 原罪なんてないって」ともいえるんですね。 ある意味 ジョン・レノンは救世主だったかも。

chem_navi
質問者

お礼

お世話いただいております. 「どちらの生き方が楽か?」 見方によっては,人間という生き物は心情をもつが故に不安であり,その不安のやりどころをどこに求めるのか,に尽きるのではないかと思います. ものごとに絶対はありませんが,同じ宗教という名の下のいわば「縛り」に身を置くことにより,宗教の範囲内で「絶対」に限りなく近づくことができるのではないかと思います.万人が望む「絶対」とは,極言すると「信用」でしょう. 否応なく人生は波乱万丈ですが,さざ波の中をただ静かに進みたい,そう強く願う人が入信しやすいのかもしれません.

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  • mmky
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回答No.7

追伸まで [話は変わりますが,現代の宗教学者(律法学者?)はみな信仰心がおありなのでしょうか.宗教と宗教学ではアプローチの仕方が異なるように思います.] 「信仰心」というのは字の通り「信じて仰ぎ見る心」という意味です。「解釈する。」という意味ではありません。ここに律法学者が陥りやすい落とし穴があるのですね。宗教の本来の使命はあの世とこの世を貫く幸福の探求ですね。あの世のことは証明することも見ることもできないから人は信じるしかないのですね。私はモーゼを信じる。私は釈尊を信じる。私はイエスを信じる。私は孔子を信じる。から宗教や倫理は生まれてきたわけです。信じた上で主の心、思いを汲み取るのが宗教的解釈ですね。解釈を肉の眼で学問的にいかに行なおうとも、なんの意味も無いものです。その意味で現代の宗教学は信仰心なき宗教学といえますね。一方、信仰心あれどといえども肉の眼では信仰の対象が本当は誰なのかがわからないので多くの間違いもあるわけですね。キリスト教系の悪魔、仏教系の悪魔が主であることも多々あるわけですね。ということでいつの時代でも本物はいるのですがその本物を見出すことは駱駝が針の穴を通るほど難しいですね。つまり本物を見出す心を養うしかないでしょう。「明るい心をもてば天使が微笑み、暗い心をもてば悪魔が微笑む」ですからね。原罪・罪意識も暗い心ですよね。悪魔の草刈場といえますね。・・・

chem_navi
質問者

お礼

おっしゃる通りです. 当然と言えば当然ですが,信仰心あっての宗教です.目に見えないものを汲んでゆくのだと思いますが,信仰のない人間からすれば,宗教における教え,いえもう少し譲って,信じることの大切さというものは,あまりに抽象的すぎてきっと分からないのでしょう. 世俗と一線を画することに対する覚悟や勇気がなければ,信仰に入りにくい世の中です.

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  • kigurumi
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回答No.6

No.2です。 >メシアが原罪を取り除くことができる,というのは,原理研(統一教会)のセミナーを受けた経緯のある友人から聞いた内容です. あーー、、、 聞いた話だと、韓国は世界一大きなキリスト教の建物を持っているらしいですね。 かなりの国民がキリスト教徒だそうですので、今 韓国にとってキリスト教はビッグビジネスなんですね。 どれだけ自分の派閥に取り込むかのためには、いろいろ おいしーエサを軒下にぶらさげないと。 キリスト教が聖書を作ったいきさつも、このビッグビジネスのチャンスを独占できるかで、懸命になり、考え付いたのが新約聖書を作るというアイデア。 成功したので、ビッグビジネスになったわけです。 えっとですね。 聖書に書いてあったと思いますが、庶民は神殿に行って身代わりの動物を捧げて贖罪を自分でやっていたんです。 何故なら罪は当事者が清めなければならないって神が言ったことになっているから。 で、個人の贖罪は個人でやるのですが、民族全体 すなわちイスラエルの民という集合体を清めるには、メシアが一年に一回やっていたわけです。 ちゃんと儀式がありまして、多数者 すなわち12人の祭司がランク順に上から神殿に階段に立つんです。 そして至聖所にメシア えっと すなわち大祭司ですね この場合、大祭司が入って、用意されたある動物を捧げるんです。 羊じゃないです。 で、厳かに神の真の名を唱えるわけです。 神の真の名は、選ばれた人 すなわち 卓越した鍛えられた人にのみ7年に1回 伝えていったらしいです。 まあ とにかくメシアになった人は神の本当の名前を知っているってわけです。 で、神を呼び出す儀式をするわけです。 この時、神の前に立つわけですが、そりゃあ 恐ろしいものがあると思います。 何故なら 神が 民族の代表者として贖罪をする祭司を殺すかもしれないから。 (ほんとにいるかどうかは別として、日本の神道だって儀式やるでしょ? 日本人は神社におまいりするでしょ?) というのが一年に1回やっていた大贖罪なわけですね。 ただ、これ 非公開の儀式なので、当然庶民は知っておらず、多数者以外の祭司達も知らなかったみたいですね。 だから、キリスト教にはこの情報が伝わっておらず、大贖罪の記述について大きな誤りを犯している。 なにより 人間を身代わりにして民族全体が清められるなんて、それユダヤ教の伝統じゃないし、メシアによる神の贖罪のやり方じゃない。 そういうこともあって、イエスはメシアじゃあない 儀式も知らないし、神の真の名も知りもしないので、メシアじゃあない ってなったんじゃないかと。 アッバって神の名前じゃないし エルも神の名前じゃあない。 ヤハウエイもアドナイもエホバも違う。 それに大贖罪をする場所 そこじゃない。笑 >原罪のない人間とは,死ぬことのない人間を指すのですね.初めて聞きました.かような人間が今後現れるのでしょうか. いえ、誰も言っていません。 聖書を読むと神に背いたから限りある命になったって書いてある。 だから、私は文字の通りにとったわけです。 他 あります? 他の意味にとれます? >技術の適用にあたっては,倫理上の問題が数多く提起されそうです. ソロモンの知恵って物語があったと思います。 ある王様が限りある命を嘆いたら、側近がこういったそうです。 「王様 もし 永遠の命があったら、あなたは王様じゃなくなります。過去に偉大な人がいたが死んでくれたから、あなたは王様になることができたわけで、もし 過去の偉大な人たちが死ななければ、あなたは乞食だったかもしれないですよ。」 王様はもう限りある命を嘆くことはありませんでした とさ。 >サタンによる最後の抵抗,神vsサタンのハルマゲドン,第3次大戦,といったところでしょうか それはですね。 アッカド・アッシリアの神話をパクったからそうなったんです。 神々が二つに分かれ大戦争をしたって神話があるんです。 ユダヤ教ができるより ずーーっと前。 ユダヤ教の創世記 その神話からパクってますね。 何故 今まで指摘されなかったか? 近年になってその話が書かれた粘土版が見つかって、解読されたから。 ちなみに悪者と今思っているサタンの軍団。 実は創造主だったりします。笑 その創造主の軍隊と、クーデターの軍隊が激突したんです。 みなさん 神様です。 で、勝った方が負けた方を悪者呼ばわりしただけ。 反乱軍なわけですが、悪政だったから反乱を起こしたのではなく、傲慢になって自分が最高の地位につくべきだ として、まず初源の神を殺したんです。  次に自分達を作り出した神に「お前の最高地位をくれーーー」って言って、夫を殺して今度は地位まで欲しがるとは なんという! ってそれまで夫が子供達があまりにも身勝手で許せないから殺すというのを止めていたが、もう許せない かかってらっしゃい! ってなって 神々はまっぷたつに分かれ、大戦争をしたってのが、その物語なんです。 従って未来に起こることじゃなく、何千年も前に作られた神話なんですね。 過去形です。 しかもですね。勝った方の神を崇拝してますが、あきらかに人間の価値観からすれば悪者ですよね。 乗っ取りをした犯人をどうして人間は神として尊敬しているの? って私不思議なんですね。 >とにかく今回のQ&Aで神側からの被害届が出されないことを祈ります. いやいや 人間の想像の産物が現実の物質界に少しでも影響を与えることは実際はできず、神の仕業ってしながら、実は人間がやっているにしかすぎない。 オズって偉大な魔法使いとされていましたが、実は彼人間で詐欺師だったんですね。 手品で幻影を見せて、偉大な魔法使いが存在するように騙していただけ。 いないものはなんら現実世界に影響を与えません。 いや 幽霊におびえて心身症になってしまう人もいる? ええ 自分があまたの中に作り出した魔物が実在すると信じるから、そうなっちゃうわけです。 いない と自覚することで、回復します。 が、生霊は怖いですよね。 物質動かせますから。笑

chem_navi
質問者

お礼

分かりやすくご説明いただき,ありがとうございます. とにかくkigurumiさんのあまりの知識の多さに脱帽です. 私も教養程度にこれくらいは語れるようになってみたいものです. またお教え下さい.

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  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.5

主な宗派では、原罪の無い人は居ませんよ。 元々、「原罪」というのは、「人間が最初に犯した罪」という意味であり、その結果として「楽園」を追放され「神との繋がりを失い」「死すべき存在になった」とされています。 そして、その「原罪」はアダムとエヴァの子孫である我々人類全てに受け継がれているとされています。(だから、「不死身」な人間なんて居ない) ただ、この「死ぬ」という概念なんですが、所謂「黄泉の国」に行くという考え方ではなくて、「肉体を失う」という概念なんです。 つまり、「神の国(天国)」や「地獄」は「あの世」の事ではなくて、肉体を失った人たちが行く世界のこと。 そこで生きていた時の「罪」に応じて、天国・煉獄・地獄に振り分けられます。 そして、「最後の審判」の時に天国に居る者全員と煉獄に居る者で罪を贖った者達が、「肉体」を持って「復活」し「神の国」に入るとされています。 地獄に居る者は、永遠に復活できず、その罪に応じた責め苦を受け続けることになります。 つまり、キリスト者の究極の目標は、「最後の審判」の時に復活して「神の国」に至ることなのです。 ということで、「原罪の無い人」というのは居ません。(少なくとも「最後の審判」の日までは) 因みに、「洗礼」の儀式ですが、こちらは「イエス・キリストを受け入れる」という儀式です。 そして、それを通じて、「神と繋がる」という意味があります。 「私はぶどうの木である。あなたたちはその枝である。私につながるものは豊かに実をむすぶが、私から離れてはあなたがたが何もできない。」(『ヨハネによる福音書15:5』)の比喩が最も分かり易いかもしれません。 ※ただ、「原罪」については定義がアヤフヤなため宗派によっては解釈が異なります。

chem_navi
質問者

お礼

客観的な観点からご解説をいただき,ありがとうございます. 重要なのは死後における最後の審判なんですね.復活する機会はこのときのたった一点しかない, この考え方は,宗教における根本概念に相当すると思われますが,宗派が違っても解釈が違うだけで,「究極の目標」はみな同じ,ということでしょうか. 学術的観点からの解釈が気になります.何か統一的な理論や学理をご存じであればお教え下さい.

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  • mmky
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回答No.4

[そもそも原罪がない状態とは,宗教学的にいかなる状態を指すのでしょうか.] 私には原罪と言うものはありません。原罪はなくとも日々の迷いはあります。この迷いを日々修正しているだけですね。原罪は本来誰にもないものですが長い転生の中でいろいろなことがありそれがたまっているのでしょうね。心の傾向性というものですね。原罪とか罪意識が強い傾向性は簡単には直りませんが、メシアに会えば直ると信じているのであればそれもありでしょう。私は、全能の主の弟子でありイエスの弟子でもありますから、主の代わりにあなたに「もう罪はない。」といいましょう。「もう罪はない。」のですからこれから心の悪を押しとどめ人々に愛を与えて生きてください。明るい心で生きていれば必ずあなたの心の目でメシアにも会えるでしょう。それだけですね。

chem_navi
質問者

お礼

大変有難いコメントをいただき,感謝致します. 罪意識にとらわれず,与えられた環境で誠意を尽くして生きていけば,おのずと道が開けてくるように思います. 話は変わりますが,現代の宗教学者(律法学者?)はみな信仰心がおありなのでしょうか.宗教と宗教学ではアプローチの仕方が異なるように思います. 信仰心なき学者は宗教学界隈において学者として認められない,なんてことがあったりして….

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noname#80116
noname#80116
回答No.3

 宗教は忘れてください。わたしたちと同じ人間が説いたり教えたりしているだけです。  個人の信仰という領域あるいは立ち場というものは あります。  人がどう言おうと 良心の自由の範囲いっぱいに その思想の自由を享受して 歩みます。そこに いつしか なにものかを信じるという真実もしくは現実が与えられるものと考えます。  そのとき もし原罪があったとすれば それは 覆われ 見えなくなります。棘が抜かれたと思ってください。  そのときには たとえば人と一緒に食事をするとき 目の前の皿から 相手のほうへ これはどうですかと言って 差し出すようになるのではないかと思います。相手もそうするのではないでしょうか。中国人はそういう習慣を持っているようですが たとえばそういうことが考えられます。  メシアは これも忘れてください。目に見えるかたちを思うことを忘れてください。

chem_navi
質問者

お礼

教えを説いていただき,ありがとうございます. 宗教は本来の人間が失った何かを取り戻すための手段であり,宗教なき状態こそがむしろ本来の状態のように思われます. すなわち,各宗教は宗教そのものをなくすために戦っている,と考えられます. 「宗教を忘れよ」というのは,「個人レベルで改心なさい」,ということを意味するのでしょうか. 大変含蓄深いお言葉を賜りました.心より感謝申し上げます.

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

>アダムとエバが犯したとされる原罪についてですが,これを取り除ける(祝福できる)のはメシアのみとされています. 初耳です。 誰が原罪を取り除けるのは、油を塗られた者だ って言ったのでしょうか? 一般的に原罪とは、人間の最初の罪とされており、それはこの神を崇拝しなかった事とされています。 そして神は罪を犯した当事者のみが贖罪をするべきであり、当事者以外 例えば家族の誰か とか子孫が当事者にかわって贖罪ができるなんて言ってません。 この神が言ったことを否定した人って誰ですか? 恐らくその人はこの神を軽蔑していて、ふっと鼻で笑っており、俺こそこの宇宙を創造した神じゃ、 あいつの事は崇拝せず、俺を崇拝しろ って思って そう言ったんじゃないかと。 >イエス以降,現代に至るまで,メシアを称する宗教者があちらこちらで現れているようです. メシアって油を塗られた者って意味ですよね。 インドの宗教では、聖婚の時、神の花婿として選ばれた人は、ペニスに油を塗って、女神の地上の体現者と初セックスをしていたんです。 儀式として。 それがユダヤ教に入った時、ペニスじゃなく頭に油を塗るという風に変わったのです。 従って、油を塗られた者は、女神の地上の体現者とセックスをするために選ばれた男 という意味です。 女性じゃなくあくまで男性のみがペニスを持っているので、男性の中から神の花婿は選ばれておりました。 そして、大祭司もそうだし、後に拡大されてダビデもソロモンなどの王達も、神の地上の体現者とセックスをするため油を塗られていたようです。 >そもそも原罪がない状態とは,宗教学的にいかなる状態を指すのでしょうか. 一般的には、神を崇拝しなかったことで、永遠の命が人間からなくなって他の動物と同じように、限りある命になったとされております。 従って原罪が無い状態とは、死なない人のこと。 >理想的には神が創造した人間本来の状態を指すのでしょうが, 神が自分を崇拝しなかった人間に復讐するため人間をのろって、それで人間は限りある命になったとされますので、それでいけば自分を生んでくれた母親を崇拝するってのが、人間本来の生き方ってことでしょうか。 たとえどうしようもない相手であっても、創造主には違いないので、崇拝しないと殺すぞ って言われて、自分が子供を殺そうが虐待しようが呪おうが 勝手でしょって、それ身勝手でわがままなだけのような気が・・・ 神の御心は人間では計り知れないですねぇ。 人間にとってはわがままなご主人様ですが、殺すといわれても はいどうぞ ご勝手に なんですけどね。 >迷いの無い,実に晴々しい状態なのでしょうか. ノアなんて無垢で天使のような人ってされていますよね。 ノアはすっぽんぼんで酒をあびてぐーーぐーーー寝ていた。 これが無垢とされた理由。 動物的で自分の快楽に従順な人間だったようで、息子たちはそういう父親の姿を見て「恥ずかしいことを」と笑ったのですが、それを見られたノアは、息子達を呪ったんですね。 ノアは魔法使いだったのか、その呪い通りに息子二人はなったってお話。 ノアをはじめ神系統は、無垢で自分の欲望に従順で身勝手だけど、かつ 呪いを現実にできる力を持っているんですね。 一般的には悪魔とか魔女とかそういう能力がある人は言われていますが、悪魔も魔女も実在してはいない。 人間の創造の産物でしかない。 身勝手な神様も人間の創造の産物・・・・・・。 >単に本物のメシアが未だ再臨していないだけのことなのでしょうか. ユダヤ教のメシアとギリシャ語のキリストって概念が違うんです。 で、メシアって言っていて、実はキリストのことを言って「我こそはキリストなり」ってみなさん言っているわけです。 上の方にユダヤ教のメシアの概念について書きましたので、今度はキリストについてですが、救世主を意味します。 ヘブライ語のメシアをギリシャ語に翻訳するとき、それに該当する語彙がギリシャ語になかったので、救世主を意味するキリストって言葉を翻訳として使ったんです。 で、それ以降 ギリシャ語のキリストをもって、キリスト観を確立していった と。 >また,メシアによって原罪を取り払われたとする男女の間に生まれた子は,理論上,先天的に原罪が無い状態にありますが,後天的に原罪が復活することもあるのでしょうか. そもそもユダヤ教は神のいいつけにより、罪はその犯した人本人が償わなければならないとされています。 だからユダヤ教では原罪についてこだわりません。 ところが、キリスト教は神の言葉である律法を否定し、神を崇拝しなくなったので、罪を犯した家系の子孫はずっと原罪を持っている としているんです。 そして永遠に原罪があったが、イエスがその原罪を身代わりにになって贖罪をしたので、全人類から原罪が2000年ほど前に消えたとキリスト教は主張しているんです。 しかし、原罪は消えても、また人間は罪は神を崇拝しないという罪をおかし穢れるので、最終的には再度イエスが降臨して、裁判をして罪を犯した人々を罰する としています。 おや?って思いました。 そうです。 おや? ですよね。 ユダヤ教の言い分はこうです。 沢山ある人間の中から、神の心によりそおうとした民族のみを選んで、彼らの反映を約束した。 これが神の祝福です。 選びは「私の民がどうして殺しをしようか。私の民であるなら殺しはしない」 などです。 10戒律に書かれている内容にマッチした民族が多くの人々の中から選ばれ、祝福をされた。 だからイスラエル人は神の民とされているんです。 キリスト教はその神の言いつけを聞く必要は無い と律法を否定したんです。 おかしいですよね。 「神を崇拝しています と口では言いながら、心の中じゃ そんなのくそっくらえで神のいいつけに耳を貸す必要などない。私の言葉を信じなさい。 神に一切耳を貸さなければ神が祝福します。」って言われても、「あんた何言ってるの? 自分の言っていることわかってる?」ですよね。 「早い話があんたが神か 古い神を倒してその座を乗っ取ったマルドゥックってわけですか」って思いました。 ちなみに創世記の元ネタでは、創造主である太祖の母ティアマットにエアだったと思いますが、「その最高の地位をくれ」って言ったんですね。 エアは太祖のアプスーも殺して、最高の地位も欲しがった。 それで夫を殺してしかも最高地位まで欲しがったエアにさすがのティアマットも切れて、神々がまっぷたつに別れて戦争をしたんです。 撃退するためにあらゆるものを創造できるティアマットは神獣を召還し、エアたちを撃退。 エアたちはその力のすごさにおびえたのですが、エアの息子のマルドゥックはひるまず、言葉でもってティアマットを倒して、大地を作った とされています。 そしてティアマット派の最高司令官の骨と血を使って、自分達のかしずく奴隷として人間を作ったとされています。 古代の人は予言できたのでしょうか。 キリスト教がそうするって予言していたのでしょうか。 見事的中していますね。 ということからすれば、原罪というのは神に反逆することってことで、ユダヤ教から分離したキリスト教は最初ユダヤ人でしたから、神への反逆 神殺し そして最高地位を取ろうとした行為が、原罪の復活ってわけですね。 >当方,原罪があるが故に分からなくなっている状態にあると思われます. 一応 キリスト教では原罪は2000年ほど前にイエスが消してくれたから喜べ ってうかれています。 でもその行為自体 原罪の復活を意味しているわけで・・・・・。 キリスト教でいけば、あなたには原罪は無い。 でもキリスト教徒じゃない私から理論的にみれば、もしあなたがキリスト教徒なら原罪が復活しており、信仰すればするほど罪が重くなっているってことになります。 >悪気や批判の念は一切ございません うーーん 私も悪いや批判や意地悪のつもりはないのですが、理論的に考えると こうなっちゃうんですね。 私は神というものは信じませんが、万物の法則は疑う余地もなく存在すると思っています。 人によってはカルマとか言いますが、要するに普通人を殺せば、その子に憎まれ殺される確立が高くなるわけです。 しかし二人だけでこの世はなりたっておらず、他の要素が絡み、復讐されないケースもでてくるわけです。 ただ、人はそのほかの要素を全て把握できないので、殺されなかったら奇跡だとかいうことにしているが、他の要素が働いたのにそれを認識できなかっただけ。 身を粉にして殺された側に「父親を殺されたからといって相手を殺してしまっては、お前も相手と同じようにお前も穢れてしまう。 復讐の連鎖をお前で止めなければならない。」と説得する人がいて、復讐が行われなかったということを知らなければ、「相手を殺して乗っ取た者は神から祝福されたから勝ったんだ 殺しも時には方便」ってなるだけ。

chem_navi
質問者

お礼

長文にてご回答いただき,心より感謝致します. メシアが原罪を取り除くことができる,というのは,原理研(統一教会)のセミナーを受けた経緯のある友人から聞いた内容です. メシアの解釈は宗派によってまちまちなんですね.統一された見方は無いのでしょうか.宗派の都合の良いように聖書が咀嚼されている気がします. 原罪のない人間とは,死ぬことのない人間を指すのですね.初めて聞きました.かような人間が今後現れるのでしょうか. あるいは,科学によって不老不死がもたらされる時代が訪れるかもしれません.不老不死を実現した科学者がいわば救世主ということになりそうです. 技術の適用にあたっては,倫理上の問題が数多く提起されそうです.サタンによる最後の抵抗,神vsサタンのハルマゲドン,第3次大戦,といったところでしょうか. 話が飛躍しておりますが. とにかく今回のQ&Aで神側からの被害届が出されないことを祈ります. ありがとうございました.

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  • usijima
  • ベストアンサー率22% (17/74)
回答No.1

キリストによって罪は取り除かれてなんかないですよ。 キリストの死によって、アダムの犯した罪が取り除かれたのではなく、 罪が取り除かれる権利を得ただけです。 これは神とサタンの論争において神の側につき、神が勝利した場合です。 もしかしたら、サタンが勝つかもしれませんし。 現時点ではサタン有利な世の中です。すくなくても客観的に見るとそう見えます。だからメシアと証する人がたくさんでてきます。 しかもたち悪いことにこのメシアは金が儲かります。名誉が得られます。そりゃ必死になりますよね。自分が神に是認された間違いの起こさない人間だと考えている人はすべてうそつきです。そんな奴ら絶対いないです。だから自分は特別だ。というしかないんじゃないのでしょうか? それから協会に通うだけじゃ絶対救われないですよ。そんなもんで救われるくらい簡単なことが真実ならば、世の中等の昔に幸せになっているはずですから。人類が長い歴史をかけて到達できない真実はそんなに簡単には手に入りません。ましてや自分たちがただしいとか言い切る狂人たちには。  

chem_navi
質問者

お礼

ご回答いただき,ありがとうございます. 神とサタンの論争,とはかなり抽象的な表現ですが,具体的にはどういったことを指すのでしょうか.神側は信仰心のある人間に多そうですが,宗派は問わないのでしょうか. メシアは言うなれば,宗教団体の社長(銀行でいう「頭取」)みたいなイメージでしかもはやなさそうです. 宗教は直接人心に訴えるものであり,現代人に足りない何かを持っているのだと思います. 宗教側がそれを知っているなら,宗教という枠組みを越え,カウンセラーやサイコセラピーの如きサービス業にその力を注ぐ方が,無宗教な日本人としてはとっつきやすいと思います.

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    キリスト教の原罪と 贖罪について質問です。 まず2つの 聖句をあげると、 (創世記 1:28 ) 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 (創世紀9:1) それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ とあります。 神様は人を増やそうと命令していて、誰かを殺そうとは命令しておられないと思います。 人を減らすようなことはしない。 むしろ 生まれることを望んでおられる。 これを確認したいと思います。 一方で アダムとエバが蛇にそそのかされて、食べると死ぬことをになる 知恵の実を食べてしまった。 2人は神のようになるという言葉を受けて、食べてはいけないと言われた 知恵の実を食べて 神様に背き、罪をおかし、永遠に生きる見込みを失って死ぬことになった。 これが 原罪ということだったと思います。 そこへ、こ の原罪を贖うために 代償として イエスキリストの命を 十字架にかけた。 イエスキリストがその死を持って 原罪を償った贖ったということだと聞いています。 そうすると、現在によってアダムとイブが死ぬことになった この2つの命、まず2人がいなくなるわけです、そしてこの子孫 もう 原罪を引き継ぐので、これらはの命も失われたわけです。 これで 無数の命が失われることになります。 人が死んでいなくなるわけです。 言葉が直接 すぎたらごめんなさい。 それなのに贖罪によって、イエスキリストの命も失われます。 十字架にかけられて死んでしまうからです。 と考えると、人がひたすら失われていませんか? それはこの文章の冒頭であげた、創世記の2つの聖句「生めよ 増えよ 地に満ちよ」という神様の命令や意志に矛盾してるし 反してると思います。 神様は人を増やしたいわけです。 命を増やしたいわけです。 ところが この 原罪と 贖罪の考え方では、ひたすら 人が減っていきます。 一説によれば神様は 十字架にイエスをかけられることを計画にされ、イエスの前の時代に生まれてきた 預言者たちはイエスが十字架にかけられることをあらかじめ 述べていた。 イエスも十字架にかけられる前日に、ペテロによって 十字架にかけられるようなことがあってはなりませんと言われたけれども、イエスはペテロをあなたは人のことを思って 神のことを思っていないと退けて、十字架にかけられます。 もちろん イエスは様々な 奇跡を起こす力を与えられていたので、十字架を避けることもできたでしょう けれども、十字架にかけられる方を選んだ。 でもそれって本当に神様が望んだことなのかなと思います。 先ほども言った通り 神様は誰の死も望んではいなくて、むしろ人が増えていくようにと思っているわけであって、アダムや エヴァ それの子孫の死もイエスの死も望んでいないと思います。 では 何なんだろうと考えた時、サタンの思惑ということが浮かんできます。 永遠の命を見込まれていたアダムとエバをそそのかし 知恵の実を食べさせて、死に追いやり、原罪を贖う 目的でイエスキリストを十字架にかけ、死に追いやり、大勢の人を死に至らしめた。 例えば アダムとエバが原罪を負った贖いとして、イエスの死によらなくても あるいは、新たな命を誕生させることによって贖わせることもできたと思うんですよね。 アダムとエバの原罪を贖う方法として、もしあなたたちが新しい命を誕生させれば、赤ちゃんを生み出せば、あなたたちの原罪を取り払いましょうと全知全能の神様ならできたと思うんです。 ということは原罪による死、その子孫の死、 それを贖うための死、これらはとても サタン的だなと思います。 死ぬことでしか 何かを表現できないからです。 神様ならば 誕生させることで全てを表現してくれるんじゃないかと僕は思います。 イエスの贖罪後も 人は死んでいます。 本当に神様が望んだ贖罪であれば、それが神様的なものであれば、直ちに 永遠の命が与えられると思うんです。 それから 2000年経ったと言われる今も人は死んでいきます。それは 原罪と 食材がサタン的なものであり、神様の意志にそぐっていないからじゃないですかね。 例えば 子供がお腹を空かせて親に食べ物を求める時。親はできるだけ早く食べ物を与えたいと思うと思います。 ところが 永遠の命が与えられるのは ハルマゲドンの後。死を恐れ 苦しむ人もいるのに、ずっと先です。神様ならば 直ちに 永遠の命を与えてくれるんじゃないですか? 原罪、贖罪、 ハルマゲドン、 復活はサタンによる計画 じゃありませんか? ご読了に感謝します

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  • 神が創造した【人間】は神を裏切った。

    ちょっと変わった質問内容になりますが、ちょっと考えたいことがあるので、ほかの方の意見が聞いてみたいです。 興味のない人や意味が分からない人はレスしないで、スルーして下さい。 人間は常に「悪」の部分と「善」の部分の両方が対立し合ってると思います(あくまで個人的思考です) しかし、人間は生まれたばかり(赤ん坊)の時は「悪」の部分は一切ないと思います。やはり育った環境や周りの影響によって生き方が変わっていくと思います。これは凄く興味深いと思います。 ここからは、とある「宗教」の教えを話します。 初め「人間」には「永遠の命」を神に約束されていました。初めは人間が死ぬことは一切ありませんでした。つまり現代の「死」というものは無かったのです。それが、当たり前だったのです。 初めに人間として作られたのは「アダム」でした。そして人間には、ほかの動物とは決定的に違う能力を授かってました。それは「考える能力」「物を作る能力」です。現代の人間が発達した力です。実は「動物」「植物」の名前も「アダム」が考えたものです。 その後、「神」は「アダム」の骨から「エバ」(女性)を作り出しました。初めは一種だった人間ですが、「エバ」が生まれた結果、人間には「男性」「女性」っという風に性別が生まれたのです。それと共に人間は「繁栄する力」を持てるようになりました。もちろん、「永遠の命」を授かってる人間ですから、このまま「繁栄」すれば素晴らしいことだったのです。 しかし、その頃「神の見使い」の中に悪事を働く「見使い」がいました。それが「サタン」です。今現在の世の中を悪化させてる本人です。 「永遠の命」を約束されていた人間にも、一つの守り事がありました。 それは、とある「木の実」を絶対に食べてはいけないっという約束でした。(これはエホバが人間を試していたのだと思う) しかし、「エバ」と「アダム」は蛇に化けた「サタン」の「嘘」を信じ、神の約束を破り食べてしまいました。 初めに「食べよう」と誘ったのは「エバ」でした。そこで「アダム」が留まれば、人間がこのようになることもなかったのに、二人は食べてしまい「楽園」から追放され、「永遠の命」を無くしてしまいました。 (この辺は過去の歴史にもありそうなことです。) そして、「神」を裏切った「サタン」は「地球(元は楽園だった)」に追放されました。 そして、歴史が流れ・・・今現在の世の中です。 「宗教」の話しをずっと話していきましたが、私はこの教えは正しいと思っています。信じる信じないと人それぞれです。 しかし、「神」の存在はどうしても信じてはいられないことがこの世の中には一杯あるのではないでしょうか? 宇宙、地球、人間、生物・・・。 これらが自然に出来たと到底思えません。色んな説が科学者達が話していますが、それは単に人間の「妄想」「逃げ」だと思います。 「神」の話や「アダム」「エバ」の話しも「人間の妄想の一つ」という風に思う人もいるでしょうが、人間の妄想では片付けられない真実も沢山目の前にあります。 それに、今の人間は物事を軽率に考えすぎだと私は思いました。世の中もドンドン悪くなる一方だし、人間は過去から全然学んでません。 戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。 確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。難しいと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?「神」を信じる信じないだけではなく、色んな意見が聞きたいです。

  • 洗脳学を学ぶには・・・

    洗脳学を学ぶにはどうしたら良いでしょうか? 当方20代前半男性です。20代前半の子を洗脳したいです。 洗脳学の塾もあるみたいですが、怪しい宗教が関係してそうな所が多いように思います。 洗脳の基礎から学びたいので基礎的な本はないでしょうか? 名古屋市内で洗脳について学べる大学はないでしょうか?

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    人間が、もし、偶然に単なるアメーバーの遺伝子エラーの 累積淘汰のなれの果てだと言うのなら、目的もなく 偶発的に突然変異で現れたのですから、人間には、生来 創造目的もなく、つまりは、存在目的もなく、結局、 存在価値もないということになりますが、そんなんで、 本当に、人権教育など出来るのでしょうか? 人権とは、生れながらに人間なら誰しもが持っている 自由権を中心とする生存権のことです。 生まれながらに・・・ということは生れる前からということになりますが、 とすると、アダムとエバが生れる前から・・・ということに なり、必然的に、人権を与えた方は、神ということになります。 つまり、これが、天賦人権論の根拠です。 神を否定するマルクス・レーニン主義の唯物的な思想に 洗脳されている「日教組」の教師達が、真の人権教育ができるとは 勿論、思っていませんが、果たして、日本の憲法第20条のように、 憲法で、国の「宗教教育」を禁止している国家などあるのでしょうか? 私は、この日本以外には、どうも考えられないのですが・・・ 子供の教育における宗教教育は、「政教分離」とは 違うような気がするのですが・・・ ご存知でしたら、教えて下さい。

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    こんにちは、宗教書は3行読むと眠たくなるので、全く読めないものです。お手柔らかにお願いします。 最近トーマス・ペインの「理性の時代」を読んでおりましたら以下のような内容の事が書かれていました。(引用ではなく、まとめますと) 「天上の戦いで敗れたサタンがエバをだまして全人類を堕落させた。」というのは全知全能の神の失態としておかしい。 なぜ完全に封印しなかったのか? 悪魔がいないと神を頼らないから宗教は不必要になってしまうからだ。 みたいな事が書かれていました。私は「そういえば、宗教には悪魔って存在があるなあ。」と思いました。 信心ゼロの私は、日々の生活の中で確かに悪魔について考えた事はありません。(ついでに神や仏についても。) ただ、疑り深い私は「そんな事言うけど、全部の宗教に悪魔ってるの?」と思ってしまい質問するに至りました。 冒頭にあります通り、宗教には全く興味ないのですが、「悪魔が必須条件かどうかだけに興味があります。」 匿名である事をいいことに、こんな事を質問しています。 複数の異なる意見がありました場合は、分からない事にBAはできませんのでBAなしで締め切ります。宜しくお願い致します。 追記:仏教については過去質問を検索しました。 https://okwave.jp/qa/q8030564.html しかし、「悪魔 仏教」 で検索したところ異なる意見もあり、、 https://www.higashihonganji.or.jp/sermon/word/word10.html という状況です。 (当方、まったく仏教についても知りません。)

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