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日本人と宗教~?????

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.21

No.8です。 他の方も言っているように、日本がスピリチュアルブームになった理由は、テレビのせい。 日本はアメリカに比べて、20年文化が遅れていると言われ、30年ほど前、アメリカはスピリチュアルブームで、アメリカ社会は病んでしまったんですね。 法曹界が乗り出して解決したのですが、20年後、日本のその文化はやってこなかった。 どうしてかというと、オウム事件により、マスコミ業界に、その手の番組はやらないようにと規制がかかったから。 オウムが起こる前は無法地帯で、超常現象とか超能力とかUFOとか霊能力とかの番組が乱立していて、それによって育った人たちが、オウムに入信して、社会を破壊するまでになってしまったらしいんです。 それで政府は一番国民に影響を与える放送業界に規制をかけたんです。 それで、それまでその手のことで稼いでいた人々に出演依頼は来なくなり、それまであったその手の娯楽番組は制作されることも無くなり、それでアメリカがスピリチュアルブームが下火になった20年後 つまり 日本の10年前からいままで、そういう番組は放映されなくなったんです。 だからアメリカの20年後に日本はスピリチュアルブームにならなかった。 ところが、10年たったからもういいかもしれないと ちょこっとあるテレビ局がやったところ、政府が何も言ってこない。 それでほかのテレビ局も、やってみるか と流すようなり、本領発揮で、仕掛けを考え、国民を騙すというより、トリックで娯楽を作って、「嘘ですよ~  でも 娯楽番組だからいいでしょ~ 楽しんでね~」って流しだしたんです。 子供じゃなきゃ 騙されないレベルなので、本気で信じる人はいないとわかりきっている構成なので、国から指摘されることも無いだろうと、放送しだしたんです。 国民はゲラゲラ笑いながらその番組を娯楽として楽しんだわけです。 が、どうしたことか、娯楽として捉えることができない人たちも視聴者の中にいて、本気で信じる人たちも出始めたわけです。 あっちでもやり こっちでもやる ということで、そうなると本当にその世界があるんじゃないかと マジにとってしまう人も出てきてしまったわけです。 考えてみれば、スピリチュアル商法でなんでもお見通しなはずの人は、妻から冷たい目で見られ、息子から馬鹿にされているのはおかしい。 どうして、結婚する前にわからなかったのか? 自分のことに関してだけはわからないのか。 「妻に食器のガラスが落ちて息子が怪我するから そうならないように直しておけといったのに妻は信じず、結果起こってしまった。 予知できたのに妻は私の言うことを聞き流した」と自分の予知能力の高さを言ったわけですが、私からすれば、「自分でやりゃあ いいじゃないか」って思ったんですね。 はずれかかっているのなら、予知能力が無くても誰でも推測はできるので、100推測できてその1実際起こったのなら、そりゃあ 当たったとは言わないですよね。 尚、自称超能力者と一般の人が当てる率を比べたら、一般の人がまぐれで当てる確立の方が 断然高いそうです。笑 一般の人と自称超能力者の違いは、自称超能力者の場合、その著しく低い推測が当たった場合、放送電波などを利用して、「当たった 当たった」と喜ぶこと。笑 超能力とか霊能力じゃなくて、幼児能力が非常に高いわけです。 幼児性が高いので、「どうして未来を霊視できるのに、自分のことを馬鹿にする女と結婚をし、その女とセックスして自分のことを馬鹿にする息子をもうけたの?」って言われても、答えられないでしょう。 その世界による理論的な説明だと、前世のカルマにより、罰を受けたので、相性の悪い人と我慢して家庭をたもてば、来世は幸せになれるってことでしょうか。 公共の電波を使って家庭不和を愚痴ってもらってもねぇ・・・幼児能力の高さゆえのカルマってやつでしょうか。 まあ 娯楽番組での笑えるネタとしての提供なので、霊能者の家庭不和話にも笑っていればいいわけですが、、、 でも、笑える番組だけならいいのですが、笑いを取るつもりが、主婦を怒らせた。 さすがの放送倫理委員会も動き出した。 予知することができるのなら、そんなことになるとわかっていたはずで、未然に防げたはずなのに、実際は能力が無いので、知ることもできず、したがって回避することも不可能だったわけですよね。 そういう問題じゃあなくて、お笑い番組で、視聴率を取るつもりが、人の心を癒し仕事をするものが、よりによって人の心を著しく公共の電波を使って傷つける行為をやってしまったわけです。 金稼ぎのために人を犠牲にしてしまったわけで。 まさかこうなることは予想しなかったでしょうけど。 いやいや お粗末な霊能力です。 ですが、ほとんどの人は、この人が霊能力があるなど思っていません。 主婦が怒ったのは、証明できないことをもって、自分の善意を悪行だと決め付けられてしまったから。 イカサマにもほどがある。 ここがギボアイコさんの癒しの力と決定的に違うところ。 彼の場合は証明できないものが存在するとして、人を破壊することにもちい、ギボさんはそれを回復にもちいていた。 ギボさんの能力はこの回復させる能力が非常にたかったらしいです。 霊能力があるかどうかじゃなく、依頼者の心が軽くなるようなアドバイスを常にしていた。 だからカウンセラーとしての評価は非常に高かったそうです。 と学会でも、彼女のその癒しの能力の高さは認めている。 これが目に見えない力ってわけですね。 さて、目に見えない力。 日本には清めと穢れの文化がある。 例えば、ペンキが服についた場合、汚れたとはいうが、穢れたとは言わない。 汚れと穢れは汚れが目に見えるもの、穢れは目に見えないが悪いもの。 例えば、盗み。放火。昔は死罪でした。 悪行は目に見えないが、穢れた行為だとわかりますよね。 人を殺すことも、どうして人を殺してはいけないのか説明できないが、穢れであると日本人はわかっている。 スピリチュアルの穢れの部分。 で、人を殺した人を殺す。  そうすると悪い人を殺した人も穢れますよね。 支配階級の人は、取り締まることで、自分が穢れてしまうから、取り締まれなくなるわけです。 で、実際、手を引いたそうです。 すると日本はどうなったか。 無法地帯。 それじゃ困るので、取り締まる人を設けたわけです。武士階級の人。 日本に喪中ってありますよね。 日本は死を穢れと思っているわけです。 だから神道では喪中の信者が神社に一定の期間もうでることを禁じています。 死んだ人の家のものは穢れに入るため、その人が清めの場所に行くと、清めオンリーの場所である神社が穢れてしまうとして、それで来ないようにしているんです。 では、穢れの部分は誰が担当していたか。 外注にまかせたんです。 仏教は日本の外からの来た宗教ですので、仏教に葬式の部分を担当させた。 だから日本の仏教は受け入れられたわけです。 仏教により穢れを清めてもらうので、神道にとって仏教は良きパートナーになるわけです。 また、人の生きかたも教えるので、日本にとって益になるわけです。 このように、日本はこれが日本の宗教という形がよくわからないようで、実は風習として庶民の深く根付いているわけです。 日本の宗教を紹介するとき、日本の風習を言えばいい。 外国の人に「どうして日本人は神輿を担ぐのか」と聞かれたら、「あれはいわゆる過ぎ越しの祭りみたいなもんです。 あの中にモーセが神からもらった石版が入っていると思ってください。 異民族だった祖先は、担いで移動していたので、そういう仕来たりが日本に来たとき名残で残っているんです」 と言ってしまうと、日本独特の宗教じゃないじゃないか って言われていまいますねぇ・・・ うーーん あれは 民間宗教であって神道じゃないですねぇ・・・。 なんでしめ縄で縄で丸く描いているのか。 神様がやってきて、その人を一泊させたとき、今から災いを起こすので、その災いを免れるため印として、この輪を。。。。ってこれも過ぎ越しの祭りの由来することになっちゃうので、民間信仰? うーーん 神道って日本人でもどれが神道独自なのかわからないですね。 まあ、日本の宗教っていろいろなものを取りいれているから。 八百万の神々ってことで、もしかしたら世界全部の神様 取り入れているかもしれないですね。 確かめたければ神無月に出雲に行ってみたらいいですね。 ああ、スピリチュアルなので、見えないか。

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