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日本はなぜ、米英に戦争を仕掛けたのでしょうか?

se_tutoieの回答

回答No.10

#9です。 まず、昨日私の書いた回答を補足説明することから始めます。ABCD包囲網が存在するということは、アメリカとオランダとの間に既に同盟関係が存在していることを意味します。また、フランスもナチスに占領されていたとはいえ、ロンドンにド・ゴールの亡命政府があり、連合国側はこちらを正式なフランス政府と認めていましたから、フランスも事実上連合国側にあったわけです。但し正確に連合国という名称になったのはルーズヴェルトが連合国宣言(Declaration by United Nations)を発した1941年12月だそうですから(下記参照)、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD フランスは連合国側ではないと言われるかもしれませんが、これは単なる名称の問題であって、事実上は連合国側にいて枢軸国側ではない、ということを明らかにしておきます。 こうした情勢の中で、1941年7月28日、日本軍が南部仏印に進駐したことは、当然のことながら後の連合国の母体となるABCD包囲網にとって連合国側への領土への侵攻であることを意味します。日本側の目的は、当然、オランダ領東インドを伺い、その資源(石油、ゴム、錫、ニッケル等)を獲得するための海上輸送を陸からバックアップすることにあった行為であると言えます。海上輸送を安全に行うためにはもちろんこれだけでは不十分で、そのためには米国領フィリピンの占領が必要となります。事実、後の1942年1月、日本軍はマニラを占領し、その後、4月にバタアン半島、5月にコレヒドール島の米軍を降伏させ、まもなく在フィリピンの全軍を降伏に追い込みます(フィリピンの歴史―下記参照)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 さて、時間の針を逆に戻して、1941年8月1日、アメリカはこの日本軍の南部仏印進駐に対する対抗措置として対日石油禁輸に踏み切ったのは昨日も書いた通りです。つまり、アメリカは日本の艦隊や商船を動かす燃料の補給を断とうとしたわけです。 こうした情勢の下、もし日本がオランダのみに宣戦布告したら、果たしてアメリカ、イギリスは黙っているでしょうか。もしそのまま沈黙を守って日蘭戦争が始まったなら、アメリカ、イギリス、特にアメリカは同盟のよしみで必ず助太刀に来るのは当然です。そうでなければ、アメリカが対日石油禁輸措置に出た意味がなくなってしまうからです。アメリカ1国で対日石油禁輸措置を行っても、オランダ領東インドを日本に奪われてしまったのでは、そこから石油等が日本に輸送されることとなってしまうため、それでは元も子もなくなってしまうからです。 そこで出てくるのが、アメリカ得意の論法、質問者様が「非常に身勝手」と非難されている「自衛権の発動」です。より正確に言えば「自衛権の拡大解釈」です。 昨日は私の頭の中だけで書いたつもりになっていましたが、要は大西洋で行われていた「自衛権の発動」のロジックが太平洋でも出てくるということを書いたつもりでいましたが、よく読んで見ると書いていませんでした。大西洋と太平洋とでは、登場人物は異なりますが、その関係はまさしく相似形を呈しています。大西洋の登場人物(左側)を太平洋(右側)ではこう読み替えて下さい。 「ドイツ軍の潜水艦」→「英米蘭連合の海軍、またはアメリカ単独の海軍」 「アメリカからイギリスへ援助物資を満載した輸送船と駆逐艦の護衛(コンボイ)」→「オランダ領東インドから日本へ資源を運搬する日本の商船と日本軍の護衛艦」 ではこういう関係になると、大西洋でアメリカが「自衛権の発動」としてドイツの潜水艦に報復攻撃を加えたことが、今度は日本が「自衛権の発動」として英米蘭連合の海軍、またはアメリカ単独の海軍に対して報復攻撃できるではないか、と思われますが、いかがでしょう?その答えは既に質問者様自らこうお書きになっています。 >このアメリカに対してドイツは攻撃する権利があったのです(アメリカの輸送船団のみならず米本土を攻撃しても良い) 普通、「自衛権」というと、現代の日本では他国から侵略を受けた場合のみ発動される、いわゆる「専守防衛」という概念を想定しがちですが、満州事変でも日中戦争でも第二次大戦でも、当時は全て「自衛権の発動」あるいは「自衛のための戦い」として自国が戦争を行うためのロジックとして使用されています。満州を守るために中国に侵攻する戦争など、例はいくらでもあります。現代の我々から見れば、これはもう「自衛権の拡大解釈」としか言いようがないのではないかと思われます。もっともアメリカは今でも「自衛権の拡大解釈」として「テロとの戦い」のためアフガンやイラクを攻撃したと言えなくもありませんが、それは今回の質問から逸脱しますのでこの辺で止めて置くことにします。 話を元に戻して、このように「自衛権の拡大解釈」が戦闘行為を合目的化することが可能になるとすれば、もし日本が「自衛権の発動」として英米蘭連合の海軍、またはアメリカ単独の海軍に対して報復攻撃すれば、今度は英米蘭連合なりアメリカも「自衛権の発動」として再報復攻撃することもロジックとしては可能になるわけです。こうして今度はアメリカがオランダ領東インドから日本へ資源を運搬する日本の商船と日本軍の護衛艦を攻撃するわけです。これは詭弁でも何でもなく、歴史上の事実です。質問者様が大変いいヒントを下さいました。バシー海峡(↓) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E5%B3%A1 を調べてみたところ、このような記述を見つけました。 「山本七平は著作『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』にて、大東亜戦争おける日本の敗北が決定付けられた要因をミッドウェーの戦いやガダルカナル攻防戦に求めず、「輸送実績を重視せず、輸送しようとしたという判断のみで評価するようになった」という点より、1944年以降、この海峡で輸送船が連合国軍の艦船によって、ほぼ100%沈没させられた事件を上げている。 後に小説家となる柴田錬三郎が乗り組んでいた輸送船が撃沈され、7時間に渡り漂流する経験をした地点としても知られる。」 つまり、先程書いた、1942年5月の日本軍による在フィリピンの全軍降伏以降、1944年までは、フィリピンは日本に占領されていた(実際には日本の軍政期は1943年までで、同年、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン共和国という日本の傀儡政府が建国された)ため、安全にオランダ領東インドから日本へ資源を運搬することが可能だったわけですが、それも1944年までであったというわけです。1944年というのは、米軍がレイテ沖海戦を経てレイテ島上陸を果たした年です。 >大西洋でアメリカ輸送船団がドイツ潜水艦の攻撃を受け、護衛の駆逐艦が潜水艦に報復攻撃を加えるという場面は実際、頻繁に発生しました。アメリカ軍民の犠牲者も出ました。その都度アメリカのマスコミも報道しました。しかし、アメリカの世論の多数は、依然として欧州戦争への参戦に消極的でした。ドイツとの本格的な戦争に反対だったのです。だからルーズベルト政権は対独宣戦布告できなかったのです。 おっしゃる通り、確かにアメリカの直接の対独宣戦布告は1941年12月11日、つまり真珠湾攻撃後のことであり、ドイツ潜水艦(Uボート)の攻撃を契機に行われたものではありません。しかしながら、1940年にはイギリスの孤軍奮闘が伝わるとアメリカ世論も対英支援へと傾き、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻の結果、同年11月にルーズヴェルトの三選が決まるや、すぐさま対英軍需援助が発表され、やがて「武器供与法」として成文化され、イギリスやソ連に対する援助が行われています(下記参照)。 http://www17.ocn.ne.jp/~senshi/eidokukoukusen1.html つまり既に1941年11月の段階でアメリカはイギリスやソ連に対する援助という形で「間接的に」対独戦に参戦していたと言えます。 >万が一、バシー海峡で日米両軍の戦闘が発生しても、それは局地的な紛争に終り、日米の全面戦争に発展する可能性は低い。 それは一連のフィリピンでの日米での戦闘、つまり日本軍のマニラ占領(1942年1月)、にバタアン半島占領(同年4月)、コレヒドール島占領及び在フィリピン米軍降伏(同年5月)を単に「局地的な紛争」と評価するか、それともマッカーサーをして“I shall return.”と言わしめ、後のミッドウェー海戦敗北への伏線と評価するかで、大きく見方が変わってくることでしょう。 >日本は、国際社会の場で、「日米戦は日本の自衛戦争である」と主張できる明確な根拠を確保できる。 それは不可能です。まず先程も書いたように「自衛権の拡大解釈」が自国の戦闘行為を合目的化する概念になってしまっていることと、1931(昭和6)年の満州事変勃発と翌1932年のリットン調査団の報告書を受け、1933年、国際連盟で同報告書が承認されるやこれを不服としてその場で国際連盟から脱退してしまった日本は、既に国際社会に対して自国の主張をアピールする場を失っています。

hinode11
質問者

お礼

ありがとうございました。

hinode11
質問者

補足

>こうした情勢の下、もし日本がオランダのみに宣戦布告したら、果たしてアメリカ、イギリスは黙っているでしょうか。もしそのまま沈黙を守って日蘭戦争が始まったなら、アメリカ、イギリス、特にアメリカは同盟のよしみで必ず助太刀に来るのは当然です。 私は日蘭開戦後、アメリカが直ちに対日参戦するとは必ずしも思いません。米英蘭が同盟関係だったにせよ、それは日独伊の同盟関係に比べれば、その緊密度は弱いものでした。日独伊三国同盟条約には、もしアメリカがドイツに宣戦したら日本は直ちにアメリカに宣戦するという『自動参戦条項』がありましたが、米英蘭の同盟関係はそれほど強力なものではなかったはずです。 ですから、ハル・ノートを突き付けられた直後の昭和16(1941)年12月1日、日本は御前会議で対米英蘭開戦の国家意思を決めましたが、私は、ここは対蘭宣戦布告に留め、米英については、戦争を売られたら受けて立つと決めるべきだったと考えます。これが一億の民を擁する日本の安全保障を担う国家指導者(統帥部、行政府)に求められる冷静沈着な判断です。 >ルーズヴェルトの三選が決まるや、すぐさま対英軍需援助が発表され、やがて「武器供与法」として成文化され、イギリスやソ連に対する援助が行われています。 その通りです。しかしイギリスへの武器援助は、ルーズヴェルトの三選の前から活発に行われていました。アメリカ国民は、武器の援助は良いけれど、アメリカの参戦には反対でした。第一次世界大戦終結から未だ20年しか経っていないのに、また息子達を戦場へ出さなければならないのか・・と。

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