• 締切済み

比喩をよく使うわたし

noname#57571の回答

noname#57571
noname#57571
回答No.11

cyototu さんの回答への補足を読んで感じたことを追記します ( ^^ 前回、「ごく当たり前の話をする場合には、比喩というものはほとんど修辞の域を出ず、ある意味蛇足です」とお話ししましたが、Parukia196 さんがお書きになった比喩は、いずれもそれに当たると思います。 ・鈍感な人には、他人を傷つけているという自覚がない。 ・正しい教えは利をもたらすが、間違った教えはむしろ害をなす。 これ等のことはほぼ世間の共通認識と言えるので、敢えて比喩を持ち出すまでもありません。もしこういうこと一つ一つに必ずしも必要としない比喩を添えずにはいられないのだとすれば、失礼ながら、Parukia196 さんは修辞マニアなのかしら?との疑念が浮かびます。 『不思議の国』の公爵夫人は、アリスが何かを言うとその都度決まって「そのことの教えはね‥」と言って、変てこりんな比喩を持ち出します。Parukia196 さんの比喩の内容を公爵夫人のそれと一緒にするつもりはありませんが、要するに比喩が口癖化して、それを言わないと喋った気がしないという状況に陥っていらっしゃるのではないかな‥と推測します(本当に失礼ですみません)。 折角なので、個々の比喩についての感想も ( ^^ 1)「繊細な人」VS「鈍感な人」が衝突する時の比喩 「“あの人はウニなのだ” と思えば腹も立つまい」ということだと思います。でも、元来判断能力を有さないものと人間(例え鈍くても)とを同一次元で語っている点で、一種の詭弁とも言えそうです。 2)新興宗教にハマっている人について 信仰というものは、その教えを正しいと確信して初めて成り立つものです。仮に悪い教えだったとしても、少なくとも信じている人達にはそれがガンだという認識はない筈なので、比喩自体が成立していない気がします。

Parukia196
質問者

補足

修辞マニアですか。うーん、そうかもしれませんね。 ちなみに 1)の比喩を使ったのは >「“あの人はウニなのだ” と思えば腹も立つまい」ということだと >思います。でも、元来判断能力を有さないものと人間(例え鈍くても)と >を同一次元で語っている点で、一種の詭弁とも言えそうです。 ではなく、鈍感な人は繊細な人を傷つけることがあるが、(映画のシザーハンドに出てくる手がはさみの人が動くだけで他人を傷つけるのと同じように)傷つける気はなくとも動くだけでそうなってしまう、ということを言いたかったのだと思います。判断力はあってもなくても外側に傷ができるかどうかだけでも同じことだと思いました。 2)の信仰宗教の話は、欠陥がある、と書いたとおり、そしてtareteruさんがおっしゃるとおり、「がん」は誰が見ても悪いものなのでよい比喩ではありませんが、「自分の奥深くにあって悪化しない限り害はないが、(教祖が変わったりして)悪くなる可能性もある危険をはらんでいる」ということを言いたかったのだと思います。 なぜ比喩を使うのか。やはりそのほうがわかってもらえそうな気がするからですが、深層心理はいまだわかりません。。。そういえば映画などを見ていてその根底にある「テーマ」を考えるのがすきです(例えばフォーレスト・ガンプの冒頭にでてくる鳥の羽は彼の人生であり、突風が吹いたり、車にひかれそになりながらもヒラヒラ、その時々に与えられた環境の中でがんばって飛んでいる、、ってことかな?等)そういうことにも関係しているのでしょうか。

関連するQ&A

  • 「比喩」を理解する年代

    質問が抽象的で分かりにくいとは思っています。 「比喩」的に物事を考え始めるのっていつぐらいなのでしょうか。 たとえば先日「日本史上で最もIQの高かった人物は?」という ろくでもない質問をしました。 多分「そりゃ自分だ!」と冗談で答えようかなと思った人は結構いたような 気がします(実際いませんでしたが) これもひとつに比喩ですよね。日本史上の通常概念に 個人というものを重ねようと言う思考上の跳躍があります。 そのような思考上の柔軟性拡大性が現れる、それを発しないまでも 享受して面白がれる感性いが現れてくる(それがすなわち「笑い」 の元だと思われます)のはいつぐらいからでしょうか。

  • この比喩は巧みでしょうか?

    「エッセイを書くたしなみ」 (木村治美・著)に次のような記述がありました。 著者は、「比喩のたくみさにまず驚嘆した。なんと説得力があるのだろう」と言っているのですが、私はまったくその比喩は適切でなく、説得力もないと思います。皆さんはどう思われますか。 >十年も前であったろうか、書くものがマンネリ化したような気がして、書き続けるのに嫌気がさした時期があった。気分を一新するために、生意気にも休筆宣言をしてみようと思い立った。原稿の依頼を受けたら、「ただいま休筆中で」などとかっこよく断るつもりだったらしい。 >ところがある大先輩が「それはまったく無意味だね」と反対してくださった。 >「自動車だって、止まっていたら方向転換はできないでしょう。動いているから向きが変えられるんですよ」 >比喩のたくみさにまず驚嘆した。なんと説得力があるのだろう。ほんとうにそうだと思い、休筆するのはやめたのだった。 以上、「エッセイを書くたしなみ」 (木村治美・著 103ページ) より

  • 精神障害と比喩の理解 認知言語学と関係あり?

    精神に障害がある場合に、比喩が理解できなくなる、あるいは比喩が成立しうる二つの対象(たとえば風車と巨人)を取り違えるような現象は生じるでしょうか。 メタファーやメトニミーを扱う、認知言語学の本で、精神障害と比喩の理解に関する研究がある、と読んだ気がしているのですが・・・ 統合失調症の患者が、誇張表現などを文字通り理解してしまう、「具象化傾向」を有すことがあるというのはしっています。 お分かりになる方がいらっしゃいましたらご教示下さい。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか(比喩)

     日本語を勉強中の中国人です。文章を書きましたが、自分の書いた文が自然な日本語になっているかどうか気になりますので、添削していただけないでしょうか。  文章を書く時に、とんでもない比喩を使う癖があります。時々自分自身しか理解できない文を書いてしまいます。人と対面して会話する時に、相手が意味をわかってくれなかったら、更に言葉を付け加えるチャンスに恵まれます。しかし、一旦文章にしたら、たった一回のチャンスで取り返しがつきません。  文を生き生きするために、比喩を使ったのですが、文意は時々自分のたとえたい意味と全く違う方向へ先行したり、いやに気取って人に反感を与えたり、人に傷をつけたりします。また、私の文章の癖をある程度知っている人なら、通常比喩でないところも比喩と取られてしまうことが多いです。結局、自分の意味を伝えないまま誤解を招いてしまいます。わかりやすい文章を書きたいです。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「裸の王様」という比喩

     飲み会の席などで、よく「あそこのボスは、裸の王様だよね~」という例えを聞くことがあります。  が、その意味合いは、人や場合によってまちまちの様な気がするのです。具体的には、 (1)自分は「それは違うのではないか?」という疑問を持ってはいるが、周囲が自分と相反する意見を主張すると、リーダーのくせに何も発言することなく「そういうものか。それでは自分が間違えているのだろう」とあっさり引き下がる人 (2)自分では何も見聞していないのに人の言うことを全て鵜呑みにする、判断力に欠けたリーダー (3)自分にとって都合の良いことを言ってくれる連中だけを周りにおき、都合の悪い話には聞く耳を持たない人 (4)本当は威厳も権威も既に失墜しているのではあるが、他人にそのことを指摘されてもなお、威厳や権威があることを見せつけようとする人  といったところです。  「裸の王様」のストーリーからすれば、確かにどれも正しいような気がするのですが、本来はどのような意味合いで使用すべき比喩なのでしょうか? ご存じの方、ご教示下さい。  なお、辞書は一応調べてみたのですが、掲載されていないようでした。

  • たとえ話を批判する人(例え仮文句あら捜しけち)

    たとえ話をしてその後話を続けることがよくあります。 すると本題ではなく、例え話に噛み付く人がよくいて腹立ちます。 たとえ話と言うのはその場で思いついた仮の話でいちいち批判する価値はない思うし、話が無駄に長くなるだけのような気がしますが。 みなさんは本題を分かりやすくしようと思いついたたとえ話にけちをつけられるとどう思いますか。 昔はたとえ話を批判されてもまともに言い返すなり、納得するなりしてましたが、 最近はたとえ話をいちいち批判するのはどうなのかと思うようになりました。 ご意見よろしくお願いします。^-^

  • 無意味な役職手当、いい比喩を教えて下さい。

    大企業に勤めています。かつて誰でも簡単に主任、係長の肩書き・給与を貰えた時代の人が、実力が無いので今は平社員と同じ仕事、同じ権限しかないにも関わらず、給料だけは役職手当を貰ったままです。平社員の多くが不満に思っています。この理不尽さを説明する良い比喩はないでしょうか?例えば… 『スーパーのレジ打ちと殺し屋が同じ時給ですか?』みたいなのを考えていただきたいです。誰が聞いても『そりゃ有り得ない…』って言わざるを得ない内容がいいです。 よろしくお願いいたします。

  • キスカ作戦

    戦争時代の歴史に詳しい方、『キスカ作戦』に ついてのご説明よろしくお願いしたします。 祖父に聞くと、オーシャン列島にキスカ島と言う島が あることぐらいしかわかりませんで無知で申し訳ございません。 お客さんと話す会話の中でキスカ作戦の話をされ 例え話をされたのでしょうが全然わからずじまいでした。 物事の言い回しやことわざみたいな例えでよく使われるのでしょうか? 話や物事が『知らないうちにそうなっていた。・ いつのまにかさま替わりしていた』などの意味として 使われる話なんでしょうか。 ご指導よろしくお願いいたします。。

  • 比喩が難しくてわかりません

    育った土地をたずねてきたアメリカ人との会話で比喩が使われているそうで 全くわからない部分(というかほとんど)があります。 通じないのでお互いもどかしくてもどかしくて! どなたか教えてください。 彼は8年を過ごした町を訪れました。 通っていた高校に行き、偶然に偶然が重なって思いを寄せていた人にそこで会いました。 そんな思い出の町ですが、引越しを計画している彼はそこには引っ越さず、 その町の近くのどこかに引っ越したいと言っています。 チャットログなので読みにくくて申し訳ありません。 but i don't want to actually live there i've had my share of small towns it's time to be where the action is i've 'eaten my meal' of small towns, so to speak i've had my share it's time to be where the action is (money, jobs, people, business, opportunity) i'm as clear as i can in explaining things i use metaphors, if you haven't noticed okay i've 'eaten my meal' i've 'had my fill' i've had enough i'm full i've had my share of small towns no more i want no more get it? って言われても。 思い出はいっぱい詰まっているけれど 実際面で住んで仕事を見つけたりするには町が小さいので 他のところがいい、という意味でしょうか? どなたか宜しくお願いいたします。 なお、わからない事はここで誰かに聞くか自分で調べるなりしてと言われていますので、 ここに書かせていただきました。

  • 抑うつと不安の関係

    抑うつ傾向にある人は,物事を悲観的に見る傾向があると思うのですが,不安になりやすいとか,抑うつと不安は関係ない,とかはあるのでしょうか. なんとなく関係はあるような気はするのですが・・・ よろしくおねがいします.