• 締切済み

友人が宗教にハマってました、大丈夫なのでしょうか?

数年ぶりに友人と飲みに行きました 昔から内気で奥手で流されやすい感じのヤツで アナログ系オタクな感じです この数年間の事を聞いてみると 就職が決まったし、前よりも上向きに考えられる様になり 一番大きいのは恋人が出来たそうです へ~、よかったな~って感じで聞いてましたが 実は宗教に入ってから運気が好転しだしたなんて言い出しました いや~正直どん引きです^^;; ま、勧誘するつもりもないみたいだし 身近に宗教関係者はいないし、観察するにはいいかな?なんて思い 話を聞いてみると 就職が決まったのも恋人が出来たのも、毎日の信仰のおかげ・・・等々 手をかざして親戚の糖尿病を治した・・・等々 手の先から光線が出るのが解る・・・等々 正直、気持ち悪いのを超して怖くなりました この友人これからどうなってしまうのでしょうか?

みんなの回答

  • katyan1234
  • ベストアンサー率18% (347/1849)
回答No.16

怖くなった?信仰というものはそんなものです。 その人の支えとあるもの、それによって生きているんだ!と喜べているんだっらいいのでは。価値観の違いですね その方から取ってはいけないものです。喜んであげたら・・・・ 僕もクリスチャンになって状況かわりました 信じてみますか?(冗談) 観察よりはまってみたら?信じている人は周りに動じないですよ~

回答No.15

すみません、ANo.8です。 >この友人これからどうなってしまうのでしょうか? これが質問でしたね。 前回は、とうとうと自論を展開し、失礼しました。 最初にこの人のことを紹介されているように、確かに影響されやすい人のようですね。人の意見をよく聞いたり、取り入れようとする意欲と謙虚さがあるようで、その点はこの人の美点と考えていいと思いますが、裏を返せば、まだ自分の確固たる信念とか自信が希薄なのかもしれませんね。だから、よいことが続くとそれを信仰のおかげだと、単純に認め(過ぎ)る。本来、宗教信仰は、神への「依存」ではなく、自助努力が前提であり、「困った時(だけの)神頼み」ではなく、主体的、積極的な信仰によって成り立つものだと思うのですが、そこまでは至っていないような気がします。 まあ、事がうまく回っている内は、大変幸せな状態だと思いますが、 1.自分がうまくいったからと言って、他人にその信仰を押し付けないこと 2.その宗教のみに狂信的になることなく、きっちりとした社会生活を送ること、 3.うまくいっている時だけでなく、そうでない時も、信仰を持ち続けていけるほどの、もっと成熟した信仰を持てるようになること の3つをクリアしていけば、あるいは人間的に成長していけるのではないかと思います。

回答No.14

こんにちは。 私の身内がそんな感じです。 時折誘われますが、スルーしています。 ポジティブで周りを明るくすることのできる素晴らしい人間ですが 盲目的に信仰しているので少々心配です。 100万円のお布施をした、と聞いたときは驚きました。 金額の問題ではない、と本人は言ってましたが 100円でもいいと思うのですよ、それならば。 信仰するのは全然構わないと思うのですが 金銭感覚が心配です。 集団になると怖いなと思います。 ご友人も見境がなくならないといいのですが… ご参考までに。^^;

  • C25
  • ベストアンサー率21% (148/692)
回答No.13

宗教とは、人生を過ごす上で規範となる教えです。 それを他者に求めるか、内なるものに求めるか。 私自身、宗教の教えはいろいろと勉強となり参考になります。 しかし、それをするしないは自分で決める人間でありたいと願っているので宗教の存在と考え方は否定しませんが、帰依しません。 >就職が決まったのも恋人が出来たのも、毎日の信仰のおかげ・・・等々 信仰により、今までと違った観点から物事を捉えるようになり 魅力的な人間になったと言うことでは? ======= >手をかざして親戚の糖尿病を治した・・・等々 人間の思い込みによる精神的な治癒力は凄まじいですね。 ======= >手の先から光線が出るのが解る・・・ スピリチュアルとも共通する部分ですが、生体エネルギーについては否定しません。 確かに感じたことも有るしね 方位や地政学的な場所のエネルギーもね 古来より神社や宗教施設はそういったエネルギーの強い場所に建てられるから、そういった施設では何か感覚的に感じるのもうなずける。 それは、その土地の鉱物や、気候、風土が原因なのか、本当に霊的なものなのかわかりませんが、確かに何か感じるものはあります。 古来、僧が水源を言い当てて井戸を掘ったのも、地質学的知識があればできることだし 宗教家は元々が、江戸時代以前は外国から最新科学技術と思想を持ち帰る為に外国に派遣されたエリートです。 (その後、外国人宣教師や、外交官、技術者にその立場を奪われましたが) 現在の科学で解き明かせないことが、神秘的に感じられる。 古くから伝わっていることは、経験則によって知っているが 解明できていないことって結構あるわけです。 雨乞いだって昔は、わからなかったけど 湿度の高いときに、大規模な焚き火によって上昇気流で粉塵を空中に巻き上げれば、雨が降りやすくなることは小学校レベルの理科で習います。 説明のできることが全てではありません。 温かい目で友人を見守りましょう。 私は、できることは全てやっておきたいので 手からビームだろうが、医学的な治療だろうが両方やっておきたい。 ただし、手からビームは、納得できる対価しか支払いたくない。 たとえ、基本的に精神療法は自分が信用できることが基本 報酬が明らかに高いと感じた時点で信用できませんね 自分自身、心の安らぎが得られればそれで良いとおもいます。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.12

「信じる者は、心が救われます。」 宗教とは、そうした「洗脳の世界」ですから、どっぷりと浸かれば「どんなに悪いことが起きようと、いい方向に考えられるようになります。」ので、「お友達の心は、幸せでいっぱいになるでしょう。」 「洗脳者」とは、そうしたもので「変な強さ」が身につくようです。 放っておいても、ひとりで生き抜きます。 から、観察にはもってこいです。 私の所属している「創価学会」と違って、「常軌を逸した勧誘行為」をしないなら、テキトーに付き合えていいかもしれません。 くれぐれも、洗脳されないように「強い心は、養っておいたほうがいい。」ですよ。【経験者談】

noname#53063
noname#53063
回答No.11

>この友人これからどうなってしまうのでしょうか? 「恍惚」として、自分の信じた道を 唯まっしぐらに突っ走って行きます。 本人は絶えず幸せを感じることでしょう。

  • madmax4
  • ベストアンサー率6% (111/1826)
回答No.10

勧誘するつもりはないみたいだし、、 いや、仲間に入れたいから宗教の話をするのですよ 俺の前で宗教の話をするなと言うしかありません それで友人が離れるかどうかはわかりませんがね

回答No.9

ごめんなさい、No.2です。 >この友人これからどうなってしまうのでしょうか? これが質問でしたね。勘違いしていました。 私が例に出したように、統一協会などは、無理な勧誘 活動、詐欺同様の募金活動、家族、友人たちを巻き込み その方人生はおそらく破綻してしまいます。 比較的、無害な新興宗教もあります。幸福の科学など はトンデモ教義の割には社会に対して無害なようです。 友人に信者がいますが、出世も早く、人間関係も良好で、 幸せなように見えます。 日本最大の新興宗教団体、創価の知り合いは会社の幹部クラスに なっている人も多いですね。まじめな人が多いので 出世が早いのでしょうか? 私は嫌いですけど。 あと、カトリック、日本基督教団などのプロテスタント、 仏教、神道などの伝統的な宗派はその地域の社会に沿うような 活動しかしませんので、無害です。 危険なのはオウムのように社会から離れて、信者だけで 集団生活を送るようなところ。彼がそうではなく、一般社会 と縁を切ってしまうのではなければ、あまりかわらないと 思います。強引な勧誘をしなければ、友人関係も損なわれない し、人生にプラスになることも多いかも。

回答No.8

カトリック信者ですが、仏教など他宗教にも深い共感を持っているものです。 宗教は、本来人間の心を浄化し、魂を救済するのが目的であり、人間生活において欠かせないものだと思います。特定の神様とか仏様というものを信じられなくても、「お天道様がみているから、人が見ていなくても悪いことはできない」という人間の素朴な心は、宗教心の一種であり、大切にすべきと思います。 こういう私は、普通の社会生活を送っている人間です。 しかし、昨今は、オカルトという「宗教とは似て非なるもの」が若者の心をとらえた挙句、犯罪行為を引き起こしたり、又、ご利益や金もうけだけを目的にし、教勢の発展のために個人の健康的な生活を犠牲にさせてひたすら教団への忠誠を求めたりする新興宗教が流行り、宗教がまるで危険なものというイメージが横行しています。 質問者様のように、「宗教」とか霊的(超自然的)な話をきくと、すぐドン引きする方が、ほとんど、という事態は、きわめて不自然で残念に思えてなりません。 少なくても、欧米では、「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれて「無宗教だ。」と答えると、「この人は信用できない」という目で見られることが非常に多いと思います。(ただ、日本以外のほとんどの外国では、特定の宗教が大多数を占めていて皆生まれながらにして疑うこともなくその宗教に帰依している例が多いのですが・・・。私が問題にしているのは、特定の宗教ではなく、宗教そのものを否定している人間が多いということであり、これはきわめて異常だと考えるのです。) 人間社会のことは、すべて目の前に起こっていることや科学からだけで、説明できるほど、単純なものではありません。 霊的なことも超自然的なことも、当然ありうることであって、はじめから拒否反応を示す人のことは、逆に信じられません。 手のひらから「気」が出ているのは、医学的にも常識であり、「手当」という言葉の語源は、手を患部に当てて直したということからきているのですよ。 以前、有名な「西野流呼吸法」http://www.nishinojuku.com/ の教室に通っていたことがありますが、目の前で200人くらいの人が、手のひらから出る「気」の力で後ずさりしたり、飛ばされたりしているのをこの目で見ています。(これは何ら宗教がかったものではありません。) 聖書の中の有名な言葉に「求めよ、さらば与えられん」というのがあります。人間、本当に困った時、不治の病にかかった時など、いわゆる「苦しい時の神頼み」というのがあるでしょう。これが、ただ、欲得で助けてほしい、というだけでは、神様は助けてくれませんが、そこに純粋に神様言い換えれば超自然的な存在の前に身を投げ出し、自分の存在を投げ出して助けを求め、最後はお任せして、自分もその実現を真摯に願う時、又多くの同胞の祈りが通じた時、願望が達成する可能性もあると思います。 宗教をアレルギーのように拒否するのではなく、その本質を理解することは、人間を理解することにもつながると思います。

  • underware
  • ベストアンサー率14% (33/224)
回答No.7

5だけど 「害がなければ、友人には行けるところまで行ってほしい気がします 彼はどうなるのでしょうかね~ あ!これが質問でしたね」 そういう質問ならば、 昔、ムハンマド(モハメット)という人がアラビア半島の田舎のメッカというところに住んでいた。その人は40歳までごく普通の人だったんだが、メッカの山で瞑想していたら神の声が聴こえるようになり、非常に評判になり(中略)(中略)現在、アメリカに対抗できる勢力を築くまでになった。 という例があるよ。

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