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大国主が国津神になった経緯

showtaの回答

  • showta
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回答No.4

速須佐之男命の子供が大国主命ということになっていますが。 これは、のちに大和が国を治めるためにくっつけたもので もともとは、出雲を平定するというか、取り込むときに 出雲の人々があがめていた神を大和も祀りましょうということで 出雲の大社を造営し祀ったのです。 国津神とは、それぞれの地域であがめられていた神と考えればよく 天津神とは、大和と考えればいいのです。 天の神 地上の神と考えると話が見えてきません。 そもそも、神社というものは出雲で始まったと考えられています。 出雲大社が全国にあり、神社というものが広がりました。 神の信仰というのでなく、神社という形式です。 大国主自体、全国で信仰され、出雲大社(島根県出雲市)だけでなく 大神神社(奈良県桜井市)、 気多大社(石川県羽咋市)など様々な 神社で祀られています。 大国主は、様々な名前で呼ばれていて様々な性格を持っています。 大国はダイコクとも読め、大黒様(因幡の白兎)と合体され 白兎を助けたことで薬の神から酒は百薬の長であり酒の神様として 大神神社(おおみわじんじゃ・三輪明神)に祀られているのは有名 呼び名が多いほど神格が高い、最高クラスの神様で、これはいろんな 地域の別々の神様を都合で合体させていったために、呼び名が多く なったと考えられています。ちなみに 大国こと大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ちます。多くのよいことをつかさどりますが、祟りのある神様でもあります。実際出雲大社では、注連縄はほかの逆になっています。 聖域だからほかから穢れたものが入らないように、注連縄を祀りますが 出雲大社では、大国主が祟り神であるので、逆にそこから外に出ない 用に、注連縄の向きを左右逆にしてあります。 大和は、出雲の神を封じ込めないではいられないほど こわかったのでしょう。今でも皇室や多くの政治家もおまいりされます。 また、出雲大社は縁結びで全国の神様が集まっていますが 神様の宿であり、会議は松江市鹿島町の佐太神社(サタジンジャ) で、会議され、大国主が縁結びするわけでなく、みんなで 合議するものです。http://shinkoo-japan.com/?m=wp&WID=428 会議の場所が、佐太神社です。毎年、神の使い竜蛇様(神社の紋のある海蛇)があがってきます。 http://susanowo.kyo2.jp/e5057.html http://blogs.yahoo.co.jp/srh36422000/folder/903427.html http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/17/menu08.html 話が飛んで申し訳ない こういった神事を目の当たりにあすると、つくづく日本は神々の 国と感じずにはいられないです。(個人的見解です)

taturo
質問者

お礼

とても詳しいご回答ありがとうございます。 日本の民族が統一されていくなかで今の立場になったのですね。 とても勉強になりました。

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