• ベストアンサー

酒井左衛門尉について

酒井左衛門尉について詳しい方教えてくださいませ。 私の直系の先祖らしいですが(ほんとかどうか分かりませんが)、戦災で全て失い資料がありません。その末裔もしりたい。 手がかりがないもので・・・宜しくお願い致します。

  • enozk
  • お礼率100% (4/4)
  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.4

No3です。 「酒井左衛門尉という名前は、酒井忠次の直系の子孫しか名乗れない」となったのは、あくまでも江戸時代の話です。 No2の方が言われるように、仮に質問者様の先祖であるという「酒井左衛門尉」が、酒井忠次より前の時代の人なのであれば、そういう名前の武士は日本中に複数名いたと推定でき、その後裔を探すことはほぼ不可能です。 「戦災で全て失い資料がありません」 ということですと、真偽の判定のしようがありませんね。もしかすると、戦災を受ける前から証拠物品や史料がなかったのを、戦災のせいにしているのかもしれません。(笑) その場合、言い伝えは言い伝えのままそっとしておくのが良いでしょう。

enozk
質問者

お礼

ありがとうございます。 御回答いただいたとおり、ただの言い伝えかもしれませんね(でしょう)。 もう少し調べてまた質問致します。 早とちりしました。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.3

「酒井左衛門尉」という姓と官途の組み合わせは、徳川家康の四天王の一人である酒井左衛門尉忠次の直系の子孫である庄内藩主酒井家のみに許されていました。 庄内藩主家歴代当主 http://www.asahi-net.or.jp/~ME4K-SKRI/han/mutudewa/shounai.html なお、左衛門尉という官途は本来は従六位下相当のあまり高くない官位なのですが、天下に武名を知られた酒井忠次が名乗ったので、酒井姓では庄内藩主家が独占することになり、庄内藩主は歴代従四位下に叙位され(国持大名と同等の待遇)、侍従に任じられつつ「酒井左衛門尉 」と呼ばれました。 で、No1さんが言われるとおり、庄内藩主酒井家の現在の当主は、山形県鶴岡市にある致道博物館の館長を務め、現在も庄内に居住する酒井忠久さんです。 下記リンクに、酒井忠久さんが庄内藩主酒井家=酒井左衛門尉家の歴史を詳しく書いておられます。 http://www.semishigure.jp/html/history.html で、 「私の直系の先祖らしいですが(ほんとかどうか分かりませんが)、戦災で全て失い資料がありません」 とのことですが、仮に質問者様の家系が「本当に」庄内藩主家の分家であるなら、質問者様の家系に係る資料を揃えて山形県鶴岡市に行き、庄内藩に係る史料を集めた「致道博物館」を訪ねることをお勧めします。 「戦災で全て失った」と言っても、行政書士に頼めば、遡れるだけの戸籍謄本の写しを取ることが出来、家系を明治まで遡れる筈です。戸籍謄本の写しを持って致道博物館を訪ねて下さい。なお、事前に博物館に連絡してアポイントメントを取ることを忘れずに。博物館に伺う際は、謝礼(2万円くらい)も忘れずに持参して下さい。 財団法人致道博物館 http://www7.ocn.ne.jp/~chido/ なお、遡れる限りの戸籍謄本の写しを集めるのは、プロである行政書士に頼まないと難しいでしょう。 日本行政書士会連合会 http://www.gyosei.or.jp/ でお住まいの地域の行政書士会を探し、行政書士を紹介して貰って下さい。恐らく十万円単位の報酬を支払わねばなりませんのでそれは覚悟してください。 また、自分で(行政書士に費用を払って依頼して)戸籍謄本の写しを集めもせずに「私は酒井左衛門尉の直系の子孫らしいのですが」と致道博物館に問い合わせても、博物館も判断する材料がない以上何も答えられません。博物館に迷惑ですので、その点は気をつけてください。

enozk
質問者

お礼

ありがとうございます。 丁寧な御回答、恐縮しております。 こんな大変な話になるとはおもいませんでした。(回答があると思いませんでした) 歴史の事は全くわかりませんが、これをきっかけに少し勉強致します。 ありがとうございました。

  • kjr1390
  • ベストアンサー率42% (6/14)
回答No.2

中世の地頭酒井氏とは極めて密接な関係があった者です。(酒井氏ではありません) 姓氏百科大事典に酒井氏が沢山載ってますが、この数十年、いづれの家系と何も行き来がなかったのでしょうか。? 「左衛門尉」はポピュラーな官職ですので、これだけで推測するのは困難です。 地頭酒井氏の関係だとすれば、大体わかってます。しかし、本系に近い家筋は地元ではっきりしていますので、これらの家と何等行き来がなかったのなら、仮に一族の流れを引いておられるとしても、既にその縁は切れてしまっているでしょう。 (一族としての義務を継承していなければ、同族とは看なさいのが普通です) 私の場合、「同姓だから一族かもれない」と尋ねてこられても、「判っている一族には該当しない」としか答え様がありません。どこまで判っているかは別問題です。 家系というのは伝承する者にとっては「極秘」ですので、(県史に中世史料は掲載されていますが)、もう少し具体的に何か判らないと、私が知る中世酒井氏について、此処でのお答えは出来かねます。 戸籍謄本で可能な限り調査し、ご親戚からの聞き取りもされ、貴方の家の墓所が何処こにあるのか、菩提寺の宗旨は何か、菩提寺の歴史はどうなのか、寺の過去帳でどの時代まで遡れるか、など、出来る限りの調査をされてから、再度ご質問頂けますでしょうか。 「中世酒井氏の流れかも知れない」と感じられれば、何らかのヒントを差し上げることは出来るかと思います。(近世の徳川四天王酒井氏は中世酒井氏と違います)

enozk
質問者

お礼

ありがとうございます。 もう少ししらべてから質問致します。

  • dogsiva
  • ベストアンサー率32% (92/279)
回答No.1

調べてみました。 徳川四天王の一人、酒井忠次の家系が「左衛門尉家」の家系のようです。(本当はもっとさかのぼるようですが、有名どころの名前で) 酒井氏はその後いろいろ紆余曲折があったようですが、本家は山形県の鶴岡に落ち着き、 いまは第18代当主の忠久さんがご健在だそうです。 致道博物館という博物館の館長を勤めていらっしゃるようです。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%B0%8F
enozk
質問者

お礼

ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 酒井氏忠や忠勝等の左衛門尉酒井家の幼名は小五郎か?

    (↓)この下記の URL の “酒井氏忠” と “酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)” の wiki のページには、 “酒井氏忠” のページでは、 「新井白石の『藩翰譜』によれば、広親の子の一人である氏忠が通称を初め小五郎・将監、後に左衛門尉としている。」 “酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)” のページでは、「忠勝は幼名小五郎、通称を左衛門尉を名乗ったと『藩翰譜』には記す。」 と書かれていますが、 藩翰譜は、wiki のページによれば、「短時日に完成されたもので事実の誤呈があり、白石自身のちに補訂を加えた。」 「藩翰譜の出典だが、本文中に「ある人のいう」「一説にいう」などの伝聞調の記述が見られ、また白石の『折たく柴の記』には、「諸家の事共、尋ね究めて」と記載があり、藩翰譜が伝聞に基づくものであることがわかる。そして他の史料を引用している記述は見られないことから、新井白石が伝聞に基づいて、独自の主観で編纂したものと思われる。家系図においても、『寛政重修諸家譜』で大幅に修正を加えると、ほとんど改修となってしまうと記載されている。」 と、“藩翰譜は信ぴょう性に欠ける” という様な事が書かれているのですが、それでは、 酒井氏忠が、「広親の子の一人である氏忠が通称を初め小五郎・将監、後に左衛門尉としていた。」という事や、 酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)が、「忠勝は幼名小五郎、通称を左衛門尉を名乗った。」 という事は、他の資料でも書かれていたりして、信ぴょう性ははっきりとあるのでしょうか? 教えてください。 酒井 氏忠(さかい うじただ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%B0%8F%E5%BF%A0 酒井 忠勝 (左衛門尉系第2世)(さかい ただかつ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E5%8B%9D_(%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E5%B0%89%E7%B3%BB%E7%AC%AC2%E4%B8%96) 藩翰譜 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E7%BF%B0%E8%AD%9C

  • 藩翰譜の“左衛門尉系酒井家の幼名は小五郎”の信憑性

    (↓)この下記の URL の “酒井氏忠” と “酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)” の wiki のページには、 “酒井氏忠” のページでは、 「新井白石の『藩翰譜』によれば、広親の子の一人である氏忠が通称を初め小五郎・将監、後に左衛門尉としている。」 “酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)” のページでは、「忠勝は幼名小五郎、通称を左衛門尉を名乗ったと『藩翰譜』には記す。」 と書かれていますが、 藩翰譜は、wiki のページによれば、 「短時日に完成されたもので事実の誤呈があり、白石自身のちに補訂を加えた。」 「藩翰譜の出典だが、本文中に「ある人のいう」「一説にいう」などの伝聞調の記述が見られ、また白石の『折たく柴の記』には、「諸家の事共、尋ね究めて」と記載があり、藩翰譜が伝聞に基づくものであることがわかる。そして他の史料を引用している記述は見られないことから、新井白石が伝聞に基づいて、独自の主観で編纂したものと思われる。家系図においても、『寛政重修諸家譜』で大幅に修正を加えると、ほとんど改修となってしまうと記載されている。」 と、“藩翰譜は信ぴょう性に欠ける” という様な内容が書かれているのですが、それでは、 酒井氏忠が、「広親の子の一人である氏忠が通称を初め小五郎・将監、後に左衛門尉としていた。」という事や、 酒井忠勝 (左衛門尉系第2世)が、「忠勝は幼名小五郎、通称を左衛門尉を名乗った。」 という事は、他の資料でも書かれていたりして、信ぴょう性ははっきりとあるのでしょうか? 上記の内容に関して、藩翰譜は、信ぴょう性はきっちりとあるのでしょうか? 教えてください。 酒井 氏忠(さかい うじただ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%B0%8F%E5%BF%A0 酒井 忠勝 (左衛門尉系第2世)(さかい ただかつ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E5%8B%9D_(%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E5%B0%89%E7%B3%BB%E7%AC%AC2%E4%B8%96) 藩翰譜 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E7%BF%B0%E8%AD%9C

  • 酒井法子さんの・・・

    酒井法子さんがプロデュースしたブランドの洋服は どこで購入できますか? (すみませんブランド名忘れました) ご存知の方よろしくお願い致します。

  • 佐原と言う名字の人居られますか?

    新潟に住んでいるものですが、自分の先祖がたぶんこの地からきたはずですので この地方ならその本当の末裔の方が居られるのではと思い、このサイトに質問を登録させてもらいました。 目に付いた方がお分かりでしたら教えてください、よろしくお願い致します。

  • 酒井法子さんは本当にのりピー語を使っていたのですか?

     タレントの酒井法子さんなんですが、アイドル時代は本当にテレビ・ラジオ等でいわゆる「のりぴー語」を話していたのでしょうか?  当時の記憶がある方がいらっしゃったらぜひともお教え下さい。

  • 藤原氏の直系は中臣氏? 藤原氏は物部氏の末裔?

    ある本を読みまして、こんな説が書いてありました。 『天武天皇が政権を奪取する時に、没落した蘇我氏の残党が大いに与力したために、天武天皇は蘇我氏残党を優遇したそうです。 そして、旧政権(天智天皇)に協力した藤原氏の直系は、中臣氏と名前を変えられて、神社神道に封じ込められたそうです。 従って、藤原氏の先祖は悪者に書かれ、蘇我氏の先祖は英雄君子のように歴史に書かれることになった。』 ようですが、その後も藤原氏は栄えてますよね? 中臣氏をWIKIで調べると 「以後鎌足の子孫は藤原氏を名乗ったが、本系は依然として中臣を称し、代々神祇官・伊勢神官など神事・祭祀職を世襲した。」 なるほど、確かに直系(本系)は神社神道に封じ込められています。 藤原氏の先祖は悪者に書かれ、蘇我氏の先祖は英雄君子のように歴史に書かれることになったとは、どういう解釈をすればいいでしょうか? 藤原氏は物部氏の末裔だという説もありますが、物部氏とはどんな豪族だったのですか?

  • 「1日たった20分! 30日でラクラクマスター英語運用術!!」て本当?

    最近英語を話せるようになりたいと思い、ネットでいろいろ検索してみると、次のようなページがありました。 http://www.eigounyoujutu.com/lndex.html これだけを読むとまったく夢のような話ですが、果たして本当なのでしょうか。 著者の「酒井一郎さん」も実在の人物で、酒井さんの居る英会話教室も実在するようです。その英会話教室のホームページでも「Simple English」という言葉が使われておりました。 本当に酒井さんが書かれタイトル通りとはいかなくともそれなりに有益な資料であれば購入する価値があると思うのですが、その真偽が分かりません。 この資料について何か知っている方、また実際に購入して実践された方などいらっしゃいましたらご意見をお聞かせ願えないでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。

  • すみません、どなたか佐竹氏、富永氏について教えて下

    僕の苗字が富永何ですけども、調べてみると伴氏の末裔って出てきたのですが実家の家紋が丸の中に日の丸扇でした。 先祖の肖像画(高祖父より上)を見てもやはり佐竹氏の家紋でした。 かと言って佐竹一族の中には富永は出てきません… 先祖の事について詳しかったおじいちゃんも亡くなり、知っている人がいません。 どなたか佐竹氏と富永氏の繋がりなど、分かる方がいましたらお手数ですが教えて頂けたら幸いです。 宜しくお願い致します‼

  • 【切実】先祖のお墓を探しています。

    東京在住の30歳の会社員です。 実はひょんなことから先祖供養をすることになり、先祖のお墓を探しています。 私の父方の先祖をさかのぼりたいのですが、今あるお墓は私の父方の祖父の代からのものしかなく、私の父親が建てたものです。 それより前のお墓はどこにあるのか分かりません。 【今までにやったこと】 ・祖父の生家があった石川県に赴き除籍謄本を遡れるだけ取得 ・親戚筋に心当たりがないかヒアリング ・私の曾々祖父のお兄さん(長男で本来であればこちらが直系)の戸籍を取り寄せようとしたが、直系では無いので不可能と市役所に却下された 【わかったこと】 ・先祖代々の本籍 ・先祖代々の家系図 ・私の曾祖母のお兄さんのお骨はその先祖が納めたが、それ以前はお墓があるかも分からない 【知りたいこと】 ・何とか上述にある却下された戸籍を取り寄せる、または私以外の系列の子孫がいないか知る ・祖父より前の先祖の墓(祖父の母親や母親の父親)の場所を知る 私の家系は代々浄土真宗大谷派で、教務所などにも電話しましたが、お墓のことは分からないとのこと。私の曾々祖父のお兄さんの次男がはるか昔に京都に転籍していてその住所近くのお寺も当たりましたが手がかりは掴めませんでした。 【これからやろうとしていること】 ・先祖の本籍付近の浄土真宗大谷派のお寺を片っ端から当たる ・先祖の本籍付近の家に過去のことを聞いて回る これくらいはやろうと思っていますが、 これ以外に何か良い方法があればご教示いただけませんでしょうか?? 除籍謄本取得や聞き込みで何とか家系図を作るところまではいったのですが、 肝心のお墓の在り処の手がかりがあまりなく困っています。 また、何とか私以外の系列の子孫の存在を知りたいです。(私の曾々祖父は次男なので本家ではないのです。ただ戸籍を見ると何らかの理由で戸主が途中で曾々祖父のお兄さん→曾々祖父に移っているので実質本家とも言えます) ちなみに私は珍しい苗字なので、そのあたりも有利に働くかもしれません。 何か方法をご存知の方、何卒よろしくお願いいたします。

  • あなたの周りにいますか?家柄自慢。

    「まだ日本にこんなところがあったのか!」というような田舎に住んでいます。 住んでいるところが田舎だというだけの理由ではないのでしょうが、家柄自慢・血筋自慢の多いことに「適当に相槌打っておこう。」と思う気持ちもキレそうです。 ・柳生という苗字の人は、ほぼ100%の確立で柳生一族の直系(末裔)である…という。 ・子供を生んだときには、乳母が通ってきたという女性。(その割には現在、ご主人はリストラにあい無職、本人はパート) ・子供の頃は、通学に弁当持ちの使用人がついてきた。 ・先祖代々伝わる刀がある。(どう見ても購入して10年も経たない新品) …と、まぁ、こんな具合ですが、皆さんの周りに、こういう人いますか?