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因果関係とは何か

ghostbusterの回答

回答No.16

> もっと端的に言って、Ghostbusterさんにとっては、どのような条件をクリアすれば、それは原因だ、といってよいと思いますか? ですから、そういう「原因」というのは、客観的に決まっているわけではない、それに関わる人間の問題意識に依存する、ということを言っています。 客観的な条件などあるわけがありません。 何を「原因」としてあげるかは、その人の主観の問題であり、その人の主観がどのように構成されるかはさまざまな要素がからみあっていて、決して単純なものではない。 科学的言語は、隙間なく事実を説明することが求められます。したがって、そこで描き出される物語(因果関係)は、より万人を納得させるものとなっていきます。 それに対して一般的な事象は、どこまで調べていっても埋めようのない隙間があります。 だから、たとえばひとつの事件に関して、さまざまな解釈があるのです。 自動車事故が起こった。(結果) 現場に残った轍から、その車はスピードを出し過ぎていたことがわかった。 そこで「スピードの出し過ぎ」が「原因」である、と判断する人々がいる。 それでは納得がいかない。どうしてスピードの出し過ぎたのか、とさらに原因をさかのぼる人がいる。 さかのぼった人は、その道が高速道路の降り口から続いていることに目を留める。 その人は、以前自分がうっかり一般道でもその感覚で走り続けたことを思い出す。「ああ、高速で走っていた感覚でそのまま走ったのだな」と考える。 すると、その人にとっては、「この道が高速の降り口に続いていたから」が「原因」になります。 あるいは、なぜそんなに急いでいたのか、というところからこの事故を考えようとする人がいたとする。事件を起こした人の仕事の状況を調べてみると、あきらかに超過勤務で、しかもつぎの仕事現場に急行することが求められていた。 その人にとっては「超過勤務」が「原因」になります。 もちろん、この「原因」がまったく無制限に、どんなものでも「あり」かというと、そうではない。たとえば光市で起こった事件に対して、弁護団が作り上げた「物語」は、多くの人に受け入れがたいもの、と映り、憤激を巻き起こしたことは記憶に新しい出来事です。 いったい何を「原因」とするか、あくまでもその人の主観、その人が起こった結果からどのようにさかのぼり、いったいどんな物語を築いていくのかは、起こった出来事にもよりますし、その人の問題意識にもよります。何よりも「その時代の考え方」「社会全体がストックしている物語」に大きく拘束されているとはいえ、 > どのような条件をクリアすれば、それは原因といえるのか というご質問は、単純に答えられません。 あるいはどういう「原因」なら人々に受け入れられるか、というのも、あらかじめわかることばかりではありません。 逆に、「原因」とはこういうものだ、と、あらゆるできごとを明快に説明するようなものがあったとしたら、そういう「大きな物語」をわたしは危険に思います。

koumori44
質問者

お礼

たびたび返答いただき、ありがとうございます。

koumori44
質問者

補足

いえ、どの時代の因果の概念にも通用する、客観的な基準ではなく、さしあたりGhostbusterさんにとって、どのような基準を採用しているか、という事を聞きたいのですが。(ただそれは、原因という概念を同様に使用している人にとっては、一致するもの、客観性をもつものになるはずですが)。 また、個別の出来事に対して、具体的にどういったことを唯一の原因として採用すべきか、という事に対する基準ではなく、ということではなく、原因という概念としてふさわしいものの基準について、出来る限り洗練させてみたいと思っているのです。 たとえば、確かに自動車事故の原因として、スピードの出し過ぎとか、この道が高速の降り口に続いていたからとか、人によって色々、意見は出るでしょうが、たとえば、明日雨が降る事が原因で、今日、事故にあった、という人はなかなかいません。 それは多くの人が、原因の基準として、「原因となる事象は結果の前にある」という基準をもっているからだと思います。 また、事故が起きたとき、スピードの出し過ぎとか、この道が高速の降り口に続いていたからとかいう事があっても、多くの人が、空に雲が浮かんでいたから事故がおきたんだ、という風にはいわないと思います。 それは、多くの人が、原因という概念の基準に、それがなかったら結果が起きなかった(多くの人にとって雲は事故と無関係に思われます)ということを、もっているからだと思います。 とりあえず、多くの人に一致する原因の基準として、結果とされる事象の前にあること、結果が起こるための必要条件であるということ、この二つは挙げられそうです。 もっと色々な条件があるかもしれません。 また、結果が起こるための必要条件、というのは、かなり曖昧ですから、このままでは何を言っているのか、よくわかりません。何をもってして、必要条件といえるのか、という事について、たとえば心理学の研究法などでは、(完全ではありませんが)かなり洗練された実験法などをもっているようです。 たとえば、笑い話ですが、ある山の上の祈祷所に通っていたら、病気が治ったという人がいたとします。そして、その人が、あの祈祷所で祈祷してもらうことが原因で、病気が治ったのだ、といったとします。 しかし、よくよく調べてみたら、その山の上に登るという運動によって、運動不足が解消されて、病気が治っていた、という事が判明するかもしれません。 その調べ方としては、単純化すれば、山には登るが祈祷しないグループと、山に登って祈祷してもらうグループを比較して、両者の病気の治った割合が、似たようなものになれば、まあ、祈祷は必要なかったといえるでしょう。(実際の実験では、さらに色々条件を統制して実験しなければならないでしょうが、アウトラインとしてはこんな感じだと思います。) なぜそういった事が言えるかというと、これは、Aがある群とAがない群を比較して、両方ともBという事象が同程度にあった場合、AはBという事象の必要条件ではない、という必要条件の基準があるからだと思います。 こんな具合に、完全な基準というのは難しいですが、より洗練された必要条件の明確化、それによる、原因の基準、原因という概念の明確化、ということは、考える事が出来ると思います。 (そして、原因の概念を洗練させて明確にし、それに照らして捉えなおしてみることによって、多くの人にとって説得力のある因果の物語だったこと(たとえば祈祷によって病気が治る)が、実はそれは因果の物語としてふさわしくなかった、という風に変わる事が起こりえるように思います。ただ、そういった、明確に洗練させた原因の概念、という事自体、さらに大きな物語の中で作られている構成物なのかもしれませんが、それでもさしあたり、自らが背負う物語の中での原因の概念を明確にすることで、自らの物語の中で、より妥当な原因は何か、ということは、言えるようになると思います。) ともかく、以上のような具合に考えていけば、今現在使われている、原因という概念を明確にし、基準をよりはっきりさせていく、ということは、完全にはっきりさせることは難しいかもしれませんが、かといって、まったくもって人それぞれ、というほど、相対的なものでもないように思います。 そういうわけで、私と同じ日本語を使う、ghostbusterさんが、どのような基準をもつ言葉として、原因という言葉を使っているのか、わかりえないことではないと思いましたし、知りたかったのですが、いかがでしょうか。

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