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無神教

i-junkieの回答

  • i-junkie
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回答No.9

「無神論」を「人を超えたものの存在を否定する」宗教と呼ぶのは言えなくもないけれど、難しいと思います。「無神論」の枠組が広すぎて、一つの枠組では捉えきれない気がするからです。つまり「神」の概念にも、キリスト教だけでは考えられない多様さがあるため、キリスト教的な無神論と、仏教的な無神論?、汎神論的な無神論には大きな隔たりがあるのではないでしょうか。無神論には思想的な「アンチ(特定の)宗教」と「慣習の退廃」、「科学信仰」が組み合わさっていると思います。 最後の「科学信仰」だけを考えると、確かにそれは「宗教」的な一面を持っていると考えられます。産業革命の起こったヨーロッパにおいて、科学(=知識の体系付け)は宗教から派生しています。知識を体系立て、大元を探っていくと、真実は一つであり、それを「父なる神」として不可侵にするのがキリスト教、そうではない、数だというのがピタゴラス派や、数的存在を想定したラプラスだと理解してます。確かに「数字」は世界を計る共通言語になりえるかもしれませんが、最初に「真実は一つ」と想定している点、宗教的でもあります。 というわけで、無神論=宗教的とは言いがたいけど、科学信仰=宗教的かも、と考えている意見でした。

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