• 締切済み

神の存在

私は無神論者で神の存在を否定しますが世の中には神の存在を信じている人がかなり居ますがこれってどう考えればいいですか。

みんなの回答

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.16

> 回答有り難うございました.貴方様は専門家の方です。 > 貴方様が考えておられる定義をお教えいただけませんか? > よろしくお願いします  結局、あなたはあなたの定義を述べることを放棄したわけですね。これを指摘された後に「実は…」は通じないということは、認識しておきましょう。  このことはつまり、あなたは定義を考えずに「否定」という単語を使ったとことが確定したことを意味します。「否定」という言葉の効果は、非常に強力なのですが、その効果だけに目が眩んでそれに伴う必要な義務をろくすっぽ考えずに使ってしまう人が多いのです。そして、あなたもその一人だということがこれで確定しました。  強力な効果を実際に発揮するには、そのすべての義務を果たした上ででないとなりません。果たしていないことが判明したら、「否定」を使った人の評価は地に落ちます。  つまり、あなたの評価は地に落ちました。  自業自得ですが、今後、気をつけましょう。  例えて言えば、モデルガンで強盗を企んだ犯罪者が、凶器がモデルガンだとばれて周りの人質から袋叩きにされるようなものです。  では、専門家として回答しましょう。  宗教の各宗派ごとに、神の定義が作られます。  従って、一義的な「神」一般の定義は存在し得ません。  それゆえに、No.11 の回答になるのです。  要するに、あなたの否定する神も、「無宗教」という宗教の一宗派の神に過ぎないということですね。

kaiga123
質問者

お礼

何となく解ったようです.有り難うございました。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.15

No.11 の補足 > それでは私の定義を申し上げます。  この補足の中には、結局「神」の定義が書かれていないのですが、何なのでしょう? > 宇宙の端は無いと言われています。しかしその証明は出来ません。  それは宇宙物理学の話ですね。神の話とは関係ありません。 > 神も無いので証明出来ません。無いものを有るとは証明出来ない。 > これが無心論者の私の考えです。  これではトートロジーですから、単なる証明放棄ですね。証明ではないので、敢えて言えば信念の言明でしょう。この言明からは、あなたが「無いと信じたい」ということはよく分かるのですが、「ある」と信じている人にとっては何の効力も無いとは思いませんか?

kaiga123
質問者

補足

回答有り難うございました.貴方様は専門家の方です。 貴方様が考えておられる定義をお教えいただけませんか? よろしくお願いします

回答No.14

無神論者も有神論者も、実は同じ場所にいます。つまり、よくよく考えれば神の存在・不在は「決めようがない」のにもかからず、「居るか居ないかのどちらかである」と思ってしまっているところですね。 たとえば、「前世はあるか」と問われたとき、現世からは何もわかりようがありません。どんなに科学的に考証しても、「科学力の不足でわからないだけだ」と反論することは永遠に可能ですし、逆に、どれだけ前世の存在を示す証拠が出てきても、「その証拠は間違いではないか」と続けられます。 すなわち、一定のルール内という取り決めが特に存在しない場合、「正しい」とか「間違いだ」とかに意味がないのです。 「正しい」というのは、前に「~的に」と付けないと使えないものです。1+1=2は「数学的に」正しい。でも数学じゃないなら?たとえば泥団子2個を繋ぎ合わせて大きな泥団子「1個」にした場合は、「1+1=1」でしょう。この式を書くとき、「数学的じゃなくなった」わけですが、解釈として成り立っていないわけではありません。また、この解釈が数学的解釈より「劣る」とも言えません。 なぜ「1+1=1解釈」と「1+1=2解釈」が等価なのか。数学的解釈の方が「上」じゃないのか、と言いたくなるところですが、原理的に「ルール同士に優劣はない」のです。優劣というのは、一定の基準(つまりルール)にしたがって決められるものですから、ルールの優劣には「ルールのルール」が必要なことになり、そしてルールのルールの優劣を決めるにはルール・ルール・ルー…で以下は無限後退。つまり、ルールは最終的な根拠であって、これ以上に遡って根拠を求めるとは出来ません。これが「正しい」の限界です。 「神は存在する」という命題は正しいかどうか。これは使用するルールによって決まります。ある人は科学ルールを使って「間違いだ」と言い、ある人は宗教ルールを使って「正しい」と言うでしょう。どっちも一緒です。 ご質問は「神の存在を信じる人をどう考えればいいか」ですが、「神の存在が正しくなるルールを使ってるんだな」くらいでいいと思います。 ちなみに、私は科学ルール派です。汎用性、応用力、現象の説明能力などを吟味してこれにしました。究極的には好みで選んだだけです。

kaiga123
質問者

お礼

回答有り難うございます。納得しました。

回答No.13

有限しか見ない世界観→無神論者 無限を垣間見る世界観→有神論者 単純にこういうことでは?

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございました

noname#42771
noname#42771
回答No.12

>どう考えればいいですか?  感識できないものを、有るとも無いとも断定する事は出来ません。だから、有るという説の人と、無いという説の人が存在し得る、と考えれば良いのでは?  有神論者がかなり居るのは、無神論の根拠がそれだけ弱いからではありませんか?あなたの無神論の根拠は何ですか?

kaiga123
質問者

お礼

宇宙の端は無いと言われています。しかしその証明は出来ません。神も無いので証明出来ません。無いものを有るとは証明出来ない。これが無心論者の私の考えです。有り難うございました。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.11

> 回答有り難うございました。神とは定義のしようがない > もの。分けが解らなくなりました。どなたか教えてくだ > さい。  それはおかしいですね。  あなたは自分で「神の存在を否定します」と言っているじゃないですか。この言葉を書いた時点であなたが「否定」しているものの定義を揚げればいいんです。  定義が無ければ否定もできませんから、定義はあるはずです。  あなたの言う「神の存在を信じている人」の部分での「神」の定義が、それと違うことだってあるでしょう。というか、私の見た所100%そうなりますが、そういうことはよくあることです。  つまり、あなたが神の定義を述べられなかったのは、この不整合に自分で気付いたからじゃないですか?  要するに、あなたの問いに対する答えは、そういうことです。  はっきり言えば、あなたが否定する「神」と、他の人が信じている「神」とは、別物です。従って、別に何の矛盾も無い、ということですね。

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございます。宗教被害に遭われる方が方々であるので こんな質問をしてみました。

kaiga123
質問者

補足

それでは私の定義を申し上げます。宇宙の端は無いと言われています。しかしその証明は出来ません。神も無いので証明出来ません。無いものを有るとは証明出来ない。これが無心論者の私の考えです。

  • indoken
  • ベストアンサー率37% (173/457)
回答No.10

簡単に答えられる話ではないですよね。 「神は妄想である―宗教との決別」という本を読むことをお勧めします。高名なリチャード・ドーキンスが書いた本で、真正面からこの課題に取り組んでいます。

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございます。宗教被害に遭われる方が方々であるので こんな質問をしてみました。

noname#40981
noname#40981
回答No.9

自分の有意識が世界であるとの思い込み 無意識を含む無限の広がりを意識しないことによる しかし 逆説的だけれども 無神論者の方が真の神の意味を認識するに至り易いということはあるかも知れない 科学的な観察によるガイア理論より西田哲学が考察した絶対無や 量子力学といった共通言語としての現代科学が強制的に眼を開かせる 人も自然のもの 開眼にも 結実にも 時期がある 成長過程における成熟の時期により

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございました。あまりにもいろいろな考えがあるので 驚いています

noname#194289
noname#194289
回答No.8

自分とは何かが原理的に究明不可能と思えば神を信じざるを得ないのではないでしょうか。無神論もそういう意味では宗教の一種ではないでしょうか。自分を究明することが可能と考えているのならばそれこそ無神論だと思います。

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございました

回答No.7

この質問は素朴でいて実に面白いと思いました。 まずは私の意見を述べさせて頂くと、 ごく自然な行為だと認めるべきだと思います。 古来、人間はこうして部族や民族を守ってきました。 世界各地で違う教えをもってしても仲良くやってきました。 信仰心とは、一つに不安の解消というところがあると思えます。 人は歳を経ると自ずと拠り所を失ってゆきます。 誰も居ない何もない暗闇が続けば、人は何かにすがりたくなるものです。 kaiga123さんとしても、神は信じなくても漠然とした何かを、 心に巡らすことはあると思います。 きっと、その漠然とした何かをどうにか形にしたい、 切なる願いが信じるべき神を生み出したのかもしれません。 そしてその神を信じる人々にもそれぞれ価値観や考えがあります。 別の教えを作ったり、自分の拠り所となる場所を 築いたりしてきました。 神を否定するのは勝手ですが、 人を否定するのは哀しい出来事です。。 ただ何故か信仰にはそういう側面が付きまといます。 例えば自分だけが正しいと生きて行けば、 人の意見を素直に受け入れられなくなってしまいます。 それは神の存在如何に関わらず人間に内在する問題のように思えます。 信仰とは、偉大なるものに触れ怖れを抱ける喜びだと考えます。 先人の知恵を学べるのは良い機会で素晴らしい体験だと思います。 私は神や仏を信じる姿勢でいますが、かと云って特にすがる気はありません。 自信を持ってどちらも良くそのどちらも大切だと考えています。 本来、宗教は人の為にあるのであって、 信仰の為に人があるのではないと言いたいところです。 そこを差し違える方は人として尊敬に値しないと考えています。

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございます。宗教被害に遭われる方が方々であるので こんな質問をしてみました。

関連するQ&A

  • 神は存在するのか?

    日本人は無神論者が多いと思いますが、イザヤ ペンダサン(実は日本人らしい)の「ユダヤ人と日本人」の著書の中で日本人は「日本教の信者」だと述べてます。つまり神道が根付いているのだと思います。 世界にはイスラム教、キリスト教、仏教などありますが、実際にその神は存在してるのでしょうか? 各宗教を信じている者は神の存在を信じているから信仰でしょうが、私には人間が創った想像上の存在にしか思われません。この世に神を見た者がいないからです。 そうすれば、神を信じると言うことは、死の恐怖から救われると言うことではないでしょうか? 神は実際に存在するのでしょうか? (注)お礼の言葉は付記しませんのでご了承下さい。

  • 神は存在しないのか?

    苫米地英人の「なぜ、脳は神を創ったのか?」という本を読みました。 その中に、パトリックグリムという人が「神は存在しない」と証明 したと書いてありました。その概要は、(ゲーデルの不完全性定理などから) 完全な系は存在しないので、神という完全な系は存在し得ない、ということらしいです。 しかし、考えてみたのですが、「完全な系は存在しない」というのは、あくまでも 人間の言語から構築する系についての限界のことであり、人間の思考を超えた 完全な系が存在することは否定できないのではないでしょうか? つまり、全知全能の神は存在しえないのではなく、仮に全知全能の神が存在したと しても、その神の思し召しは人間(言語)には理解できない、ということではないでしょうか? まあ、そうだとしても、今ある宗教は神の言葉ではなく、人間の言葉の積み重ねにすぎない ことになるので、宗教における神の否定にはなるとは思いますが。 人智を超えた全知全能の神を否定することはできるのでしょうか? 私は、この世界には自分たちの思惑を超えた何者かがいるようには思いますが。 肝心のグリムやらゲーデルやら全く無知なので、そういうとっかかりでも 教えていただけたら幸いです。よろしくお願いします。

  •  《神》は 補助線である。

     1. 時空間ないし世界という存在・なかんづく人間という存在に先行するものは あるか?  2. ない。あるかどうか 人間には 分からない。分かるか分からないかが分からない。  3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。  4. 《分かるか分からないかが分からないこと》は カミという言葉で交通整理して捉えあおうと。  5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》としてのあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身であると。  6. 世界をつくったチカラがあるとする場合 これは 有神論のひとつでありその中でも 創造者としての神を立てている。  7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無神論である。  8. このような《自然神 / 創造神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。  9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによって(その言語によって)いくつかの名がそれぞれつけられている。  10. このようにさまざまに種類分けされる《神》も すべては そのように一定の言葉で〔特には人間が〕引いた補助線であるしかない。  11. ただし人びとは この補助線の向こうの――特に有神論の場合における――神とそのおのれの内面において しばしば向き合うことを成す。このような《神とわれとの関係》は――ひとが生きているかぎり生きた動態として―― 信仰とよばれる。  12. 補助線としての神に向き合ったとき 世界ないし世の中の〔しばしばかなしい〕あり方に沿って むしろ対立しこの神を否定しようとする場合もある。この種の神との関係は むろん 無神論となる。これは・これも 《無い神とわれとの関係》を内容とする信仰である。  (無神論者は無神論も信仰であると言われたくなければ 《神は無い》と証明しなければならない)。  13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ理由も必然性もない。風車に向かって突撃するようなものである。  14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・またおのおのわが心なる《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足りている。(と推測される)。  これを問います。ご教授ください。

  • 《神》は 補助線である。

     1. 時空間ないし世界という存在・なかんづく人間という存在に先行するものは あるか?  2. ない。あるかどうか 人間には 分からない。分かるか分からないかが分からない。  3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。  4. 《分かるか分からないかが分からないこと》は カミという言葉で交通整理して捉えあおうと。  5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》としてのあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身であると。  6. 世界をつくったチカラがあるとする場合 これは 有神論のひとつでありその中でも 創造者としての神を立てている。  7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無神論である。  8. このような《自然神 / 創造神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。  9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによって(その言語によって)いくつかの名がそれぞれつけられている。  10. このようにさまざまに種類分けされる《神》も すべては そのように一定の言葉で〔特には人間が〕引いた補助線であるしかない。  11. ただし人びとは この補助線の向こうの――特に有神論の場合における――神とそのおのれの内面において しばしば向き合うことを成す。このような《神とわれとの関係》は――ひとが生きているかぎり生きた動態として―― 信仰とよばれる。  12. 補助線としての神に向き合ったとき 世界ないし世の中の〔しばしばかなしい〕あり方に沿って むしろ対立しこの神を否定しようとする場合もある。この種の神との関係は むろん 無神論となる。これは・これも 《無い神とわれとの関係》を内容とする信仰である。  (無神論者は無神論も信仰であると言われたくなければ 《神は無い》と証明しなければならない)。  13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ理由も必然性もない。風車に向かって突撃するようなものである。  14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・またおのおのわが心なる《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足りている。(と推測される)。  あらたに問う必要を感じました。ご教授ください。

  • 神の存在を信じますか?

    こんにちは。MSN相談箱、たまにお世話になっております。30代女性です。 皆さんは、神がいると思いますか? 信じている・信じていない 理由を教えてください。信じている方は宗教名も明記願います。 ちなみに私は無神論派です(あ、でも夜寝る前に神様云々・・・とお祈りしたことあるので無神論ではないかもですね)。 もし、全知全能の神がいるなら、世界はこんなに悲しい事(紛争・貧困・殺人など)が溢れているわけないですよね・・・。 学校は公立で、ミッションスクールではありませんでした。家には仏壇があります。 (凡人の頭脳ですので、分かりやすく書いて頂けたら嬉しいです。)

  • 神は存在する

      問う人:  一つ訊いてもえーか。 「人の道」:  何でも訊いてみい。  ここは質問し答えを出す場所や、なんにも遠慮は要らんのや。 問う人: 神は存在するんか。 「人の道」:  神は存在する。 問う人: その神について知りたい。 「人の道」:  よろしい、では神について語ろー。     神は存在する。   神は唯一絶対である。   神は全知全能である。   神は永遠不変である。   神は永遠不滅である。   神の意志は変わらない。   人間は神に逆らえない。 これが神や。     問う人: 神を信じておるんか。 「人の道」:  神は信じるものではない。 神は実感するものや。 問う人: 何故そんなことが言える。 「人の道」:  その理由は簡単や。   「神は宇宙の法則である」 これがその理由や。 宇宙の法則以外に神はなく、宇宙の法則が存在せんわけがないからや。 もし、このことが判らんのなら皆にも訊くとえー。 問う人: 神は宇宙の法則であり、神は存在するちゅーこと皆はどー思うか聞かしてくれ。      

  • なぜ哲学は神を捨てたのか?

    哲学と神の関係について古代から中世までは、哲学と神は切っても切れないほど密接な関係を持っていました。しかし近代以降、哲学は神のことを語らなくなってしまったように思います。 それはどうしてなのでしょうか? もはや神の存在を人々が信じられなくなったからとは聞きます。 でもこのことは語られない基準としてあいまいな気がします。 どのくらいの人が神を信じられないと神を語ることはできなくなるのか? 欧米では現在でも人口の50%以上はクリスチャンですよね。 たしかに無神論の人はいるでしょうが、どちらかと言うと変わり者と考えられています。 現在でもかなりの人が神の存在を信じていると思うのです。 哲学者の中にもかなりの数のクリスチャンがいるはずです。 彼らは神を信じているなら神の哲学をしないのでしょうか? 私は物理学者でクリスチャンの人の話を聞いたことがあります。 彼は神のことを心から信じていました。しかし物理学の研究では直接神が登場する機会はありません。ですが哲学者で神を信じているなら神の哲学を語ってもいい気もします。 デカルトの神の存在証明をカントは否定しました。 しかしそのことも神の存在が否定されたことにはなりません。 現在でも誰も神の存在を証明することも、存在を否定することもどちらもできないはずです。 自然科学で神が語られないのは明快な理由があります。 それは神は観察できないし、実験できないので議論するための根拠を示せないからです。 ですからもし根拠さえ示せれば神を語ることもあると思います。 哲学が神を語らない明快な理由がありましたらお教えください。 それから私が調べたところではベルクゾンという哲学者は神について語っていたと聞きます。 それは後半の神秘主義に傾倒してからの話です。 ベルクゾンについてはあっちの世界(神秘主義)に行っちゃった人が神を語ったという評価なのでしょうか?それとも哲学として神を語ったという評価なのでしょうか? このことについてもご存じでしたらお教えください。

  • 神は存在するのか?

    神は存在するのか否か。 大自然そのものが神だとか、神はそれぞれの心の中に…などといった抽象的かつ曖昧なものではなく、様々な宗教で崇められている"神様"という存在があるのかないのか。 神は全知全能なのか? だとしたら、人間の行いの先の先まで見通せるはず。ならば"人間の行いに神様がお怒りになり…"とはなんぞや? 最初から知っていたはずではないのか? 前世? まぁ、前世なんて確かめようもないもののせいにすれば、何だってこじつけ可能ですよね。 来世? あの世? これも同様。 便利な言葉ですよね。 "神様"とやらが、本当に人間をより良き方向に導きたいのなら、前世もあの世も見えるようにすれば? そこだけはシークレットですか? お墓? ただの石ですよね? 何百万も出して石を建てないと"先祖"が怒るんですか? 成仏できない? 魂の世界とやらも、随分とヘンテコなルールに縛られてるんですね。 バチが当たる? 狡賢い政治家や某インフラ大企業の幹部にはバチが当たらないのに? あぁ、そういう時の為の"あの世で裁かれるのであ~る"ですか? 現世で裁いたり、あの世まで待ったり一貫性がないんですね。 まぁ、そうやって現世とあの世を使い分けてれば、何とだって言えますもんね。 因みに単細胞生物には神様はいないんですかね? 人間だけにしか神様は存在しないんですかね? 神様が創造主なら、その神様を作ったのは何なんですかね? サンタや宇宙人、麒麟やネッシーを笑う人達が、ペテンじみた物言いやこじつけだらけの"神様"の存在だけは信じたりするのも、なんだか奇妙ですね。 天動説は今や笑い物ですが、なぜ神様だけは未だに否定できないのでしょうか? 誰一人、見たことなんてないのに……。 神様という存在ほど、眉唾で怪しいものもないように思えます。

  • あの世の住人は神の存在を信じているか

    死んであの世で生活している人は神の存在を信じるでしょうか。 或いは地上で人間として生きていたころと同じように、立証不能であるとして霊界において神の存在を否定するでしょうか。

  • 神とはなんでしょう?

    『自然』や『生命』に『神』を思う人あれば 現象に『運命』や『意志』を感じ『神』を見る人あり 『ラブラスの魔』のごとき『神』を幻想する人もあり 『集合的無意識』の中に『神』を見いだす人もあり 『神』といってもいろいろあります 『神』とはなんでしょう? 有神論の方は『神とは現象に対してどのような存在なのでしょう?』 無神論の方は『人間はなぜ神を幻想してしまうのでしょう?』 という質問として受け取ってください