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「昨日書いた日記」と「昨日書きました日記」はどう違うのか?

日本語を勉強してる者です。 日本語文法についての質問です。 (1)「昨日書いた日記」を文法上で考えると (1)昨日+動詞「書く」の連用形「書い」+助動詞「た」の連体形「た」+体言「日記」   (2)「昨日書きました日記」を文法上で考えると (2)昨日+動詞「書く」の連用形「書き」+丁寧の助動詞「ます」の連用形「まし」+助動詞「た」の連体形「た」+体言「日記」 上記のように両者とも文法上は成立すると思うのですが 「昨日書いた日記」は自然な表現なのですが 「昨日書きました日記」は不自然な表現になってしまいます。 なぜ(2)の「昨日書きました日記」は不自然になるのか文法上の説明できる方お願いいたします。

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  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.4

「昨日書きました日記は」は前回答者様の指摘にもあるように、敬体です。 この敬体が誰に敬意を表しているのかが適切でない点が、不思議な表現となっていることの原因でしょう。 日記とは自分のために書くものですよね。その自分の行為に対して敬意を表しているのがおかしいのです。 「手紙」は手紙を出した相手に敬意を表しているので、「昨日書きました手紙は」でも違和感はありません。 交換日記というものが以前はやったことがありましたが、そういう交換日記では、「書きました」でも問題ありません。 文法と言うより使い方の状況という問題ですね。

onegaiitasimasu
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >「昨日書きました日記は」は前回答者様の指摘にもあるように、敬体です。 この敬体が誰に敬意を表しているのかが適切でない点が、不思議な表現となっていることの原因でしょう。 敬意を表す対象が問題なのですね。納得しました。

その他の回答 (5)

  • binba
  • ベストアンサー率47% (513/1090)
回答No.6

No.3です。もうひとつ補足。 【敬体】は「敬」の字を使っていますが、「敬語」ではありませんので、 誰かに敬意を表している訳ではありません。丁寧語の部類です。 「です・ます調」のことです。 【常体】も「謙譲語」ではありませんし、どちらかというと、 少し言い捨てる感じであったり、少し威張った感じであったりの、言葉遣いです。 「だ・である調」のことです。 先の解答欄に書きましたように文体を統一して表現する例を、書いておきます。 【敬体】「昨日書きました日記を、Aさんに読まれてしまいました」 【常体】「昨日書いた日記を、Aさんに読まれてしまった」 【敬体】「昨日書きました日記は、Aさんが読みました」 【常体】「昨日書いた日記は、Aさんが読んだ」 【敬体】「昨日書きました日記は、ブログで公開しました」 【常体】「昨日書いた日記は、ブログで公開した」

onegaiitasimasu
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >先の解答欄に書きましたように文体を統一して表現する例を、書いておきます。 文全体を統一して表現するほうが自然なのですね。 ありがとうございました。 回答くださったみなさんもありがとうございました。

  • binba
  • ベストアンサー率47% (513/1090)
回答No.5

No.3ですが補足します。 敬体の言葉遣いで話すのは、言葉遣いが丁寧な普通の人はもちろんですが、 ・上品な人、上品に思われたい人。 ・相手に敬語を使いながら話す人。 ・礼儀作法を心得ている人や上流界の人。 でしたら間違いなく使うでしょう。 その雰囲気を想像できれば言い回しも想像できるでしょう。 ちなみに、「昨日書きました(敬体)日記をAさんが読んだ(常体)」のように、 敬体と常体を混在させて使うのは間違いなので、不自然です。 「昨日書きました(敬体)日記をAさんが読みました(敬体)」のように、 表現方法は統一して使うものです。

  • binba
  • ベストアンサー率47% (513/1090)
回答No.3

「昨日書いた日記」は、【常体】である「だ・である調」の表現法で、 「昨日書きました日記」は【敬体】である「です・ます調」の表現法です。 ごく一般的に言えば 「です・ます」は、丁寧、他人行儀、女性的といったイメージがありますが、 丁寧な言葉使いの人は普通にそういう言い回しをします。 もし聞いた事がなくて不自然に感じたとするなら、 あなたの周りにそういう言葉遣いをする人がいないのかもしれませんね。 社会人、大人社会では普通によく使われる言葉です。 学生や勉学の場で使うと気取っているように思われるでしょうから、使われないかもしれませんね。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.2

他者としての読み手がいるかいないかによる違いでしょう。 >昨日書いた日記」は自然な表現なのですが 自分自身に対して自然であるということです。 >「昨日書きました日記」は不自然な表現になってしまいます。 他者としての読み手を意識した場合は、これは自然な言い方です。 「昨日差し上げました手紙」という表現と比べてみれば自明でしょう。

onegaiitasimasu
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >他者としての読み手を意識した場合は、これは自然な言い方です。 仮に他者としての読み手を「Aさん」とした場合 「昨日差し上げました手紙をAさんが読んだ」は自然な言い方だと思うのですが 「昨日書きました日記をAさんが読んだ」は、やはり不自然な表現だと感じるのですが。 その点について補足として説明していただければ幸いです。

  • ahkrkr
  • ベストアンサー率35% (109/310)
回答No.1

「昨日書いた」のように「日記」(体言)を修飾するものを連体修飾節と言いますが、連体修飾節の中では丁寧形は用いません。従って「昨日書きました日記」は不自然な言い方になります。

onegaiitasimasu
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >連体修飾節の中では丁寧形は用いません。従って「昨日書きました日記」は不自然な言い方になります。 そうなのですね。納得しました。

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