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国文法(修飾語)

国文法の質問です。  修飾語は、連用修飾語、連体修飾語に分類されます。連用修飾語は用言(動詞、形容詞、形容動詞)を修飾し、連体修飾語は体言を修飾するということですが、次の修飾語はどちらに分類すればよいのでしょうか。  (1)とても大きな手の人がいる。   「とても」  (2)もっとゆっくり話してください   「もっと」 (1)の「とても」は「大きな」という連体詞を修飾し、(2)の「もっと」は「ゆっくり」という副詞を修飾していると思われます。

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回答No.2

学校文法では、連用修飾語に分類されます。体言及び「の」など体言相当の付属語”以外”の品詞を修飾するものは、すべて連用修飾語とされます。 生徒に教える場合には上記にとどめておく方が賢明でしょう。 ただ、教える立場としては、次のようなことを踏まえておいてもいいかもしれません。 「連用・連体」は、係っていく文節の成分によって便宜的に設けた区分であって、うまく利用すれば文字どおり便利だが、この語(品詞)は連用か連体かといった分け方にこだわると、落とし穴にはまる。 特に、”副詞”はそれ自体非常に曖昧な品詞であり、研究者の中には”副詞”を認めない者もいる。 中学教科書で、副詞を「主に用言を修飾し~」(光村中2)と説明するのは、ご質問の中の例文や、「もっと右(体言を修飾)」のように、用言以外を修飾する場合もあるからである。 また、連体詞についても「~あとに体言が付き、専ら連体修飾語になる。」(光村中2)としておきながら、「ほんの少し」の「ほんの」のように、副詞を修飾している(つまり連用修飾語である)としかいえない場合もある。この点については、「ほんの」があまり一般的(学校文法においては)ではないので、触れないでおくのが無難だが、次のような説明(逃げ道)もある。その(1)「ほんの」は連体詞とも副詞ともいえない曖昧な品詞なのだ。その(2)「少し」は副詞だが、体言に近い語であるので、例外的にこのような係り方をすることもある。(1)・(2)とも言い訳にしか過ぎないが、うそをついているわけではない。ただ、無理してどつぼにはまるぐらいなら、(3)先生にもわからないなあ、文法には理屈で割り切れないところがあるからなあ……と言った方が実害は少ないともいえる(事実、そうに違いないのだから。)。 私見ですが、この件についてまとめると、 ●連用・連体については、「体言と『の』など」を修飾するのが連体で、それ以外を修飾するのが連用、と、さらっと教える。 ●品詞的には、副詞は主に連用修飾語になり(よって例外もある)、連体詞は専ら連体修飾語になる(「ほんの」についてはあえてふせる)、と説明する。その際、できる子には、”副詞は連用修飾語、連体詞は連体修飾語、と機械的に考えるのではなく、その修飾語としての働きに着目すると、副詞は用言を中心とした文節を主に修飾し、連体詞は体言を中心とした文節を修飾する、というように働きに違いがあり、その違いによって連用か連体かが決まるのだ”と、正論をぶつけてもいいかもしれません。(ただ、混乱を生ずる危険性はあります。) 質問者の方は、学校か塾で教えていらっしゃるのですか。よろしかったらお教えください。 なお、「赤ん坊の~」の句の作者は、「加倉井秋を(かくらいあきお)」です。

tsering
質問者

お礼

 国文法だけでなく、俳句まで! 懇切丁寧な回答ありがとうございました。  私は、塾の講師を最近はじめました。kyouzaiya-kさんの回答には、非常に感謝しております。自分の質問に対する回答だけでなく、他の方の質問に対する回答を見ても、勉強になる事がたくさんあります。   たとえば、なぜ連体修飾語は、修飾部という成分にならないかという質問に対しての回答には、大いに納得しました。  その質問の説明で、連用修飾語は遊離しやすく、連体修飾語は遊離しにくいということがでてきました。それを塾生に話すと、「ほんまやな~。おもろいな~。」といってくれました。  まだまだ、わからないことだらけなので、よろしくお願いします。

その他の回答 (4)

  • OKAT
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回答No.5

 お礼の欄にあった事項なのですが、補足質問と受け止め「叙述性」についてお答えします。  本来の質問文にあった「大きな手の人」は「手の大きな人」とほぼ同義でしょう。「大きな」は連体詞で現在は活用がありませんから、やむを得ず、仮に「形容詞」にして話を進めます。すると「手が」が主語「大きい」が述語となります。このように「述語」になれることを「叙述性」があると言ったのです。    ついでに言えば、「とても」「もっと」などの副詞はおっしゃるとおり「連用修飾語」で用言を修飾のが本来ですが、実は「連体詞」や他の「副詞」・「名詞」まで(例 「もっと右」)修飾するので、kozaiya-kさんがおっしゃるとおり、あまり細かく触れるとかえって困ることになります。品詞論で、どれにも分類出来ないものを全部副詞にしてしまうという、「副詞は品詞のハキダメだ」という笑い話さえあるくらいです。    

tsering
質問者

お礼

 回答ありがとうございました。  大変参考になりました。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.4

 「大きな」「小さな」は通常「連体詞」と考えます。それを「形容詞」に分類するなら、「ナ形容詞」を認める「日本語文法」の考え方に近いのでしょうか。しかし、「ナ形容詞」は学校文法でいう「形容動詞」のことのようですから、「連体形」以外の活用形が存在するはずです。それがないなら、活用しないと考えて「連体詞」に落ち着かせるべきでしょう。普通「形容詞」の連体形は、「~な」でなくて「~い」です。(大きい)  しかし、「大きな」「小さな」「細(こま)かな」を形容動詞と考える立場もあります。「足の大きな人だ」のような文中では「叙述性」が認められるとし、古語の「大きなる」(「大きに」などの活用形や、その「イ音便」と考えられる「大いなる」「大いに」が残っている)という形容動詞の一部が現代語の中に残ったものという発想も実際に存在します。しかし、これは専門的にわたる議論で、学校文法の範囲からは除外すべきです。

tsering
質問者

お礼

 回答ありがとうございました。  なるほど、いろいろな概念を混在させると、体系を混乱させる原因になりますね。「大きな」の中に「叙述性」という素性を考えるということは勉強になりました。  私は、学校文法だけでなく、日本語文法や言語学などの学校文法の周辺分野にもとても興味があります。  ですから、もし私のつたない質問に興味がございましたら、OKATさんのご意見をお聞かせください。

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.3

No.1です。ご丁寧なお返事を有難うございました。補足質問にお答えします。 この「大きな」は次の名詞「手」を直接修飾するため、「大きい」の連体形として活用したものです。つまり、形容詞の連体形になります。 白い雲、小さな手の「白い」「小さな」も形容詞の連体形になり、同じ用法です。 ご参考までに。

tsering
質問者

お礼

 回答ありがとうございました。  私のつまらない質問でも、また見かけられましたら、よろしくお願いします。

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.1

はじめまして。 「とても」は、ここでは大きなという形容詞(ここでは名詞にかかる連体詞)を修飾している「副詞」ですから、連用修飾語になります。 「もっと」は、ここでは「ゆっくり」という状態の程度を表す副詞を修飾している「副詞」ですから、連用修飾語になります。 以上ご参考までに。

tsering
質問者

お礼

 回答ありがとうございました。なるほどと思う考え方、文法的な処理の仕方があるのだと感心しております。  「大きな」を形容詞と考える場合に、「大きな」というのは、形容詞の特別活用的なものとみなすのがいいのですか?非常に興味があります。

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