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「大きな」は連体詞か、形容動詞か

どうも初めまして。 学校で「大きな」は連体詞だと習いましたが、不明な点が有ります。其れは、連体詞が修飾される事です。 「迚も大きな家」のように、「大きな」を修飾する「迚も」が有ります。然し、他の連体詞は修飾されません。「迚も或る家」などが其れに当たります。 色々と過去の質問を見る限り、「大きな」は連体詞だと紹介されていますが、どうも納得が出来ないのです。連体詞だと云う根拠が「大きなは活用しないから。」だと云うのです。 確かに、「大きな」は活用しませんが、形容動詞の連体形のみだとしたらどうでしょうか。先程のように副詞が形容動詞を修飾するのはおかしくないと思います。(副詞の説明が、「主として」用言を修飾すると書いて有るのですが、此の「主として」が此の「大きな」などに当たるとしたら、此の問題が解消出来ると思います……。) 長くなって仕舞いましたが、「大きな」が連体詞である事を説明して頂けませんでしょうか。どうか宜しく御願いします。

みんなの回答

回答No.9

 #8です。  論争をするつもりはありませんが、ちょっとだけ。> 管理者どの  たしかに、「う・よう」には連体形がありますが、どうして、それを連体形と考えるのでしょうか。文を終止する働きと連体修飾語を作る働きとを併せ持つ助詞と考えてはいけないのでしょうか。  たとえば、「の」という語があります。「私も行くの。」というときは文末に用いられるから終止形、「私の本」というときは連体修飾語になるから連体形、したがって「の」は助動詞と考えてはいけないでしょうか。(実際には〔学校文法では〕、前者は終助詞、後者は格助詞ですね。)  言葉は人間が作り出して使っているものですし、時代による変遷もあります。科学における元素の区別のように理論的にはいきません。どうして水中で泳ぎ、鰭を持つ鯨(魚へんですよね)はサカナではないのでしょうか。  ある言葉の性質のうち、どれを重要と考え、どれを従属的なものと考えるかは学者によって様々であるのは、#7の回答に何名もの文法学者の名が挙げられていることからも明らかです。ことなる立場の学者がそれぞれ辞書を作れば当然その内容も違ってきます。  (現代語では「大きな」は他の語形で(形容詞「大きい」は別にして)用いられることがない点で、文語のタリ活用形容動詞を起源に持つ「堂々と」等の語を口語でどう扱うかにも同様の問題はあると思います。口語では副詞、「堂々たる」での形で用いられる場合は文語表現とするのが現実的かと思いますが。) > 然し、「大きな」は変化した物で「○ + ○」では有りませんよね  単独の品詞がそのまま転成したもの(「大きな」「ある」など)と、複合語が転成したもの(「ほんの」「たいした」「我が」「この」「その」など)とで、上手く論理的な整合性のある説明ができればいいのですが……。

StarYoshi
質問者

お礼

御回答どうも有り難う御座いました。 今迄気付きませんでした。自分は頭が固いようで、何でも彼でも理屈に合っていなければ間違いだとばかり思い込んでいました。斯う云う文法は、偉い学者さんに任せて、其れに従っていれば良いのですよね……。 国語の文法は其の学者が決めた事で有り、昔から存在していた言葉を無理矢理文法と云うルールに当てはめたものですから当然不合理な点は有ります。 散々我が儘(?)を云った上でこんな終わり方は申し訳御座いませんが、本当に有難う御座いました。

回答No.8

 #4=6=7さんが的確な回答をしてくださっているので、私などがしゃしゃりでる幕ではないのですが…(回答を作成している間に解決なさったようですが。) > 言葉は変化して仕舞う物で今は正しくても、今後は間違いになるかも知れないと云う事ですか……。 に関して少々#2さんの言葉を借りて「受験的に」説明させていただくと、  たとえば、「学校文法」において、現代語(口語)の「わが(我が)」は連体詞として扱われますが、古語(文語)文法においては「わ(代名詞)」+「が(連体格の助詞)」として扱われます。(でしたよね。>#4=6=7さん)  これは、格助詞「が」がかつては現代語の「の」と同様に、連体修飾語を作る場合に用いられていたからです。  たとえば『おくの細道』の冒頭の部分の「杉風(さんぷう=芭蕉の弟子)『が』別☆(べっしょ、☆=「野」の字の下に「土」を書く字)に移るに」は、杉風『が』本宅から別荘に住む場所を変えたのではなく、芭蕉が『おくの細道』の旅に出るにあたって自宅である芭蕉庵を売却して、杉風所有『の』別荘に移り住んだことをいっています。  したがって「わが」は文語では「わ=代名詞」+「が=連体格の助詞」と解釈するのが妥当なのです。ところが口語では「が」は(もっぱら)主格に用いられ、連体格に用いられることはありません。したがって「わが」を二語の連語と考えるのは適切でないわけです。  今後の日本語がどうなっていくかは浅学非才の私には予測が付きませんが(サ変・カ変動詞は五段活用動詞に吸収されていくことになるでしょうが)、これからの日本語の用法の変化次第では学校教育の場でも「大きな」は連体詞ではない、ということになる可能性は皆無ではないでしょう。  言葉は確かに変化していきます。したがってある単語の扱いに変化が起きることは多々あります。しかし、現時点で「大きな・小さな・おかしな」を連体詞とするのは、少なくとも学校文法においては「迚も」適切な扱いだと考えます。  学校文法で語形変化のない推量・意志(・勧誘)の「う・よう」を助詞とせず、活用する助動詞として扱うのも同じ理由からだと思います。  なお、副詞は、「主に連用修飾をする」品詞ですが、   (1)他の副詞を修飾する。       とても「ゆっくり」歩く。   (2)数量・時・方向を表す体言(=名詞・代名詞)を修飾する。      ずっと「あと」になって、  もっと「あっち」へ行け。 など。   (3)格助詞「の」を伴い連体修飾語となる。      少しの「期間」がまんしよう。 という用法もあります。

StarYoshi
質問者

お礼

どうも御回答有難う御座いました! * 問題点 * ・然し、「大きな」は変化した物で「○ + ○」では有りませんよね? ・「う」、「よう」は連体形も有るからでしょう。(帰ろう人が……)「まい」も然うですね。「まい」も連体形が有ります。 ・結局副詞が連体詞(~な以外)を修飾することは無いと思います。

回答No.7

#4,6です。私は学校文法を規範としていますが、それが絶対に正しいとは思いません。ただ、話が学校文法を前提としているのは確かです。基本的な用語の定義に関して、違いがあるように感じます。できれば、御説の根拠となっている学説をそのたびお示しください。あるいは、質問者の方の独自のお考えなら、それはそうとお教えください。 >体言とは、「(特に)活用しない品詞」を指します。 学校文法では、全く違った定義がなされます。「体言」という名は「本体(もとになるもの)」に基づき、品詞としては「名詞(代名詞を含む)」を言います。山田文法では「文法上の語形変化をせず」と定義していますが、結局品詞としては「名詞」以外ではありえません。松下文法でも「活用のない完辞」と定義し、「名詞と同義ではない」としていますが、今の品詞の分け方からすると、名詞にすべて含まれます。 >副詞も体言ですからね。 上記の通り、浅学にして副詞が体言であるという説を私は知りません。橋本、時枝、山田、松下、以外を認めないというつもりは全くないのですが、「副詞=体言」という説は、少なくとも学校文法とは全く遠い位置にあることは確かでしょう。別に、どちらが正しいという気はありません。しかし、話は通じづらいでしょうね。 >「迚も」と云う副詞が「大きな」と云う連体詞を修飾している事です。普通、副詞が連体詞を修飾する事なんて在りませんよね。(連体詞は体言です。) 学校文法では「連体詞」を体言とはみなしません。また、学校文法では、副詞が連体詞を修飾する事がおかしい、とは考えません。前に書いたように、連体詞はすべて他品詞から転成したもの、あるいは派生したものであり、いわば寄せ集めの一群です。「た・な・が・の・る」。よって、その中には副詞によって修飾されるという性質(あるいは以下で述べる、叙述生を持つ、という性質)を持つものもあるわけです。「その」は「代名詞+格助詞」、「ある」は「動詞」、「たった」は「用言+助動詞」、「我が」は「代名詞+格助詞」、いろいろあって、「大きな」は叙述性を持つ形容動詞から転じたものだから、当然副詞によって修飾されることもあってしかるべきだと思うのですが・・・。 ○ [副詞] [用言] → 迚も面白い(「面白い」は形容詞) ? [副詞] [体言] → 迚も大きな車(「大きな」は連体詞?) >此処で問題が有ります。何故「大きな」ばかり副詞の被修飾語にならなければならないのでしょうか……。 話は逆です。副詞によって修飾される形容動詞起源の「大きな」も、活用がないという理由で連体詞にされる、それが果たして妥当か、ということが問題なのだと思います。 品詞分けにこだわるより、各語の性質について、細かく考察していく方が有意義だと思います。 最後に、質問者の方は、どの学説に依拠されていらっしゃるのか、あるいは独自のお考えをお持ちなら、その体系の概観だけでもいいのでお教えください。 http://hw001.gate01.com/kudohiro/tatta.html http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/myazawa/data/yzwpaper/n_adv.html http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/myazawa/data/yzwpaper/ambiguity.txt

StarYoshi
質問者

お礼

迚も丁寧で分かり易い回答をどうも有り難う御座いました!最終的に解決しました。 ・副詞が連体詞を修飾する事も有り得る。(修飾出来ない場合も有る。) ・体言は名詞のみである。 # 参考資料 : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E8%A9%9Eだけを見て判断して仕舞った為に此のような誤解を招いて仕舞いました。それにしても、態々名詞=体言なのに、「体言」なんて名前を付けないで欲しいですね。 ・学校文法と他の学説が有る。(学者の方々を知りませんでした。) ・言葉は転じて成る物であるが、原型の品詞とは異なる場合も有る。(否、そちらの方が多いのでしょうね。) 以上です。本当に有難う御座いました。 * 参考 * ・学説などに依存しておりません。資料が無い為、インターネットで情報を収集しています。 ・若し体言が活用しない語句を全て含むとしたら、連体詞の「本の」が副詞の「少し」を修飾する事もおかしくありません。そうすれば、「大きな」も必然的に形容動詞と見なされるでしょう。然う云えば、此の問題も解決していないようですね。(学者の間で。) ・「大きな」などは他の連体詞と違う。(kyouzaiya-kさんが仰る通り、派生した語句だから……と納得します。)

回答No.6

#5の回答者の方への質問です。 「大きな」の語誌については全く御説の通りだと思います。 では、なぜ学校文法で「大きな」は連体詞とされるのか。そこがまさに問題だと思うのです。ヤフー辞書がたまたま形容動詞としているからといって、「大きな」が形容動詞だということは全くいえませんよね。岩波の辞書(というか時枝氏)が形容動詞という品詞自体を認めないといって、形容動詞の存在が認められないということはありませんよね。(私個人は橋本文法より時枝文法の方が面白いと思います。) 私も普段は学校文法(橋本文法を基準とし、その後永野賢氏らによって練られてきた規範(記述)文法学説)の立場に立っていますが、上記の通り、それが絶対に正しいとは思っていません。学校文法では連体詞とされる「大きな」だが、本当にそれでいいのか、ということを考えてみたいのです。 「大きな」が連体詞ではなく形容動詞だとする積極的な根拠(お考え)を、お願いですから示してください。

  • mopmop
  • ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.5

「おおきな」は平安時代に「オホシ」(多い・大きいの両義)から、「スクナシ(少ない)」と「チヒサシ(小さい)」の二つの対義語に対応させるため分化した「オホキナリ」がもとになっています。 「オホキニ-オホキナル-オホキナリ」などと、活用もちゃんとある形容動詞でした。それが、「オホキニ」は程度を表す副詞に転身、終止形「オホキナリ」もあまり使われなくなり、連体形のオホキナルが「オホキナ」としてひろまりました。 ところが「オオキナ」の反意語は「チイサイ」で、語尾が対応していないため、形式の安定のため、「チイサイ」には「オオキイ」を「オオキナ」には「チイサナ」を作り出しました。 というわけで、「大きな」は連体形以外の使われなくなった活用が消えてしまったものの、形容動詞として生まれたのです。 辞書の説明も形容動詞と言うことになっていますね。 ◆「声の大きな人」のように、述語としても用いられるので、形容動詞と認められる。連体形だけが用いられる。 〔補説〕 「おおきな」を連体詞とする説もあるが、この語は「耳の大きな人」などのように、述語としてのはたらきをもっている点が、一般の連体詞とは異なっている

参考URL:
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss
StarYoshi
質問者

お礼

丁寧に回答して頂き、本当に有難う御座いました。 自分も然う思っております。(実を云うと、自分の国語辞典には「形容動詞」と書かれており、一方弟の国語辞典には「連体詞」と書かれていました。一体どっちなんだ!!と思い、質問してみました。) 難しいですね……日本語とは。

回答No.4

順を追って、少しずつ真実に迫っていきましょう。 まず連体詞とは何か、という点について。 「たいした」「大きな」「我が」「その」「ある」、すべて、他の品詞から転成したもの、あるいは派生したものです。つまり、「活用せず連体修飾語になる」という性質の単語を、口語において便宜的にくくった範疇に属する語の一群が、口語文法における連体詞です。 疑問を抱かれるなら、こっちじゃないですか? 「ほんの少し」。「ほんの」という連体詞がなぜ「少し」という副詞を修飾するのか。 また、「とても」という修飾語が「大きな」を修飾するという点ですが、それは、そんなに大きな問題でしょうか。 副詞が連体修飾語を修飾語するのは、さほど珍しいことではないでしょう。「とても面白い本。」この「面白い」は連体形です。「大きな」と成分は同じです。 また、こういう疑問は抱かれませんでしたか。 「顔の大きな人がいる。」この「顔の」は、部分の主語「顔の」が部分の述語「大きな」に係り、それが連体修飾部として「人(が)」に係り、全体で主部になっている、と考えられます。つまり、連体詞「大きな」は部分の述語になるのですが、こちらの方がずっと大きな驚きだと思うのですが・・・。 補足お待ちしています。

StarYoshi
質問者

補足

迚も丁寧に回答有難う御座います。 先ず、連体詞とは何かですが、それはkyouzaiya-kさんの仰る通りだと思います。 連体詞は体言のみを修飾するとされています。体言とは、「(特に)活用しない品詞」を指します。ですから、「本の」と云う連体詞が「少し」と云う副詞を修飾してもおかしくはないのです。(副詞も体言ですからね。) 扨、自分は何がおかしいかと云いますと、「迚も」と云う副詞が「大きな」と云う連体詞を修飾している事です。普通、副詞が連体詞を修飾する事なんて在りませんよね。(連体詞は体言です。) ○ [副詞] [用言] → 迚も面白い(「面白い」は形容詞) ? [副詞] [体言] → 迚も大きな車(「大きな」は連体詞?) 此処で問題が有ります。何故「大きな」ばかり副詞の被修飾語にならなければならないのでしょうか……。 本当に我が儘で申し訳ないのですが、是非御回答を御願いします。

  • banzaiA
  • ベストアンサー率16% (100/595)
回答No.3

電子辞書の広辞苑ですが、調べてみると 『主として用言および状態を示す体言を修飾する語』 とあります。 参考にならないかな?

StarYoshi
質問者

補足

回答有難う御座います。 あと少しの所なのですが、やはり納得が行きません……。 確かに体言(但し名詞)を修飾する副詞「凡そ」は在ったのですが、連体詞を修飾する副詞なんて在るのでしょうか。 (他に「~な」ではない連体詞を修飾する副詞は在りますか?)

回答No.2

連体詞です。出来るだけシンプルに、そして受験的にも説明します。 「た・な・が・の・る」で終わるものは基本的に連体詞です。迷ったらこれで区別すればいいのではないでしょうか。 また、言葉にも例外や慣用、定義があります。数学のようにはっきりした根拠がないものも数多くあります。英語などを参考にすると良くそのことが分かります。何せ、ことば人が使うものですから、都合がいいように、話しやすいようにと変化していきます。ちょっと余談でした。

StarYoshi
質問者

補足

回答有難う御座います。 と云う事は、言葉は変化して仕舞う物で今は正しくても、今後は間違いになるかも知れないと云う事ですか……。 でもやはり、他の連体詞と違う事が気になります……。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

形容動詞であれば、終止形は ~だ ~です ~たり ~なり のいずれかでなければなりません。 大きだ 大きです 大きたり 大きなり どれも日本語になっていません。 もっぱら体言を修飾することに使われる言葉ですから、連体詞となります。 小さな も、そうですね。

StarYoshi
質問者

補足

回答有難う御座います。 少し補足なのですが、活用が出来ないのは分かっておりますが、何故「修飾される連体詞」と「修飾されない連体詞」が在るのでしょうか……。迚も気になります。 (簡単に云うと、 [副詞] [連体詞(~な)] → 正しい [副詞] [連体詞(~な以外)] → おかしい となります。何がおかしい気がします。其れとも、副詞は連体詞を修飾出来るのでしょうか。)

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