• 締切済み

持ち父さんを読んで、なぜ「与えよ、さらば与えられん」なのか?

今さらながら「金持ち父さん 貧乏父さん」を読んで感銘をうけてます。 一点、どうしても論理的に理解ができないのがP199に出てきた「与えよ、さらば与えられん」のくだりです。 なぜ慈善事業や教会にお金を与えることで、お金をもらえるようになるのか、その仕組みがわかりません。誰かお答えいただけませんか?個人的意見なども大歓迎です。 自分は「もらってから与える」悪い癖があり、「与えてからもらう」に直したいのですが・・・。

みんなの回答

  • aicop
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.10

日本のことわざに「情けは人のためならず」とありますが、同じ意味です 人に情けをかけるとは、回りまわって自分にかけていることと同じ 「与えよ、さらば与えられん」→ 先にかけなければ、まわらないから自分にも戻らないということ さらに、情けをかけると1つ2つに5つにと膨らんで戻ると言うこと 本田宗一郎さんや松下幸之助さん本を読むと 多くの国民の皆様に便利に、喜んでいただけるようと言う行があります だから世界のホンダ、パナソニックになったわけです

参考URL:
http://ameblo.jp/noino777/
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.9

認識の問題です。 そして、その認識を逆転させることが、 何よりも一番難しいのです。 まず、寄付することは、 お金に対して抱いている悪の感情を手放すことを手助けします。 悪の感情がお金とリンクしているかぎり、 いくら表面的にお金持ちになる技を学んでも、 心と体がアンバランスであるため、 うまくいきませんし、 一時的にうまくいっても、 維持することができません。 また、「もらってから与える」という思考パターンは、 市場経済の売買の側面からいえば、 「買ってから、売る」という思考パターンです。 買えば、お金は出ていきます。 売れば、お金が入ってきます。 「売買」という言葉の文字どおり、 人は何かを売り、 手に入れたお金で、 何かを買い、 お金を支払います。 お金持ちになりたければ、 買うよりも多く売らなければなりません。 お金持ち(rich / リッチ)、 中流(middle / ミドル)、 貧乏(poor / プア)のうち、 お金持ちだけが買うよりも多くを売る術を心得ています。 ミドル、プアは多くの場合、売ることができるのは、 彼ら自身の「労働」だけです。 お金持ちは、「労働」だけではなく、 自ら商品やサービスを創造し、多くを売る術を身につけています。 どちらも世のため人のために貢献していますが、 ミドル、プアはその手段が自分自身であるため、 どうしても貢献する度合が限られてしまいます。 お金持ちになりたければ、 世のため人のために貢献できる商品やサービスの 中心(創造の原点)で自立しなければなりません。 お金持ちのマインドは、人から「何かを求める(買う)」のではなく、 人のために「何ができるのか(売る)」に立脚しています。 「私には何ができるのだろう?」 「私には何を与えることができるのだろう?」 と自問自答することが、 若くして心豊かに引退するための道への入り口です。 与えよ、さらば与えられん。 think 180 around.

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • bnosuke-x
  • ベストアンサー率39% (43/110)
回答No.8

もらいたがりさんからは人が去りやすく、 与えたがりさんには人が集まるからではないでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.7

小さな会社の経営者です。 もともと技術者でしたが営業やっています。 どうやったら売上を伸ばすことができるか・・・ 日々考えているのですが、 自分が売る側ではなく買う側ならよくわかります。 どういう営業から買いたいと思うか。 どういうお店から買いたいと思うか。 売らんかな!というオーラをはなっている営業マンとか 販売員なんかは瞬間的にこちらも身構えてしまいます。 「何かお探しですか~」と作り笑顔で近づいてきても 何か取られそうな気がして身構えてしまいます。 逆に買ってしまうお店とか販売員というのは、 自信があるというか、余裕があるというのか、 その自信や余裕がこちらがお金を払ってしまいたくなる そういう雰囲気を持っています。 それが 「まずお店側がお客に(何かを)先に与えている」 ということではないかと思います。 ノルマに追われた営業マンはその(何か)を与えることはできません。 お客が自分に何を与えてくれるかということしか念頭になく、 そのための話術とか、営業テクニックとか、そんなことばかりで 営業の成績をあげようと考えています。 どうすれば「買ってもらえる営業」になれるかと考えると (買ってもらえるオーラをもつことができるかと考えると) 「まず与えよ」ということになると思います。 ただしここで注意しなくてはいけないことがあります。 たとえば自分が「10」持っているときに、それを「1」に 減らして相手に「9」与えるという意味ではありません。 それでは自分が「減って」しまい、いつ元がとれるんだろう という不安が先に来てしまいます。 それでは「ノルマ」に追われた営業マンと同じです。 自分は「9」与えたんだから早くもっと返してくれ・・ギラギラ 成功するときの商談の場合というのは、 自分は「10」もっていてもそれが「100」に増えて 「90」お客さんに与えています。 お客さんに与えるときは、自分のものが減るのではなくて お客さんに与えているんです。 料理を作る人って、誰でも、おいしい部分を相手に盛りつけます。 魚の煮付けなんてどういうわけか頭の部分は相手に盛りますよね。 料理は創り出すことだから、相手に分けて与えたくなるんです。 だから正確にいうのであれば 「相手に何をあげることができるのか」←ケースによっては、 自分が更に減ってしまうというイメージを持たせかねない というのではなく 「自分は(周囲の人が喜ぶ)何を創りだすことができるのか」 ということではないかと思います。 創り出しちゃったら、黙っててもお裾分けしたくなるし お裾分けしたら、黙っててもお返しが来ますからね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • jacta
  • ベストアンサー率26% (845/3158)
回答No.6

#4です。 > 「もらってから与える」のも、「納得させてもらってから実践する」のも、貧乏人の典型的なパターン、というのはドキッとしてしまいました。そうなんだろうなあと。。。僕はこのパターンになってますね(涙)。 それがご理解いただけるなら話は早いです。 ここでいろいろな回答が得られて、「なるほど」と納得しても、そんなものは知識が一つ増えた程度で何の役にも立ちません。本を読んでいくら感銘を受けても、実践が伴わなければ何も変わらないのと同じです。 それより、自分のことはいったん横に置いて、周りの人が成功するために、あるいは周りの人がお金持ちになるために力を尽くしてみてください。そして、相手が喜んでくれることが、ご自身の最大の喜びとなるまで継続することが重要です。それにどんな意味があるかは、実際にやってみれば必ず分かります。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.5

補足です。 >例えば知り合いや友達に「まず与える」そしたらその知り合いや友達に「与えられる」というのは、理解できるのです。自分も与えられたら与え返したいと思いますから。。。ただこう大きな世界(ここで言う教会や慈善事業)に対してとなると「?」がまだ出ちゃいますね。 なるほど。。。 知り合いや友達は「与える」行為を見ているし、「与える」私を知っているし、ギブ&テイクの矢印がハッキリ理解できますが、不特定多数の「与える」私をまったく知らないところに与えて、何故私に返ってくるのか???がまだ出ますね。 と、大まかに解釈させて頂きました。(本は読んでないので深い内容は知りませんので) ちなみに私は一会社の代表取締役、つまり会社員で、宗教家でもなければ、なんら宗教団体にも属していませんし、ごく普通に生活している人間としての話という事をまずご理解願います。 また、この本の作者は、根底にキリスト教がベースにある生活圏に住まわれている方と存じます。 上記のようにitochuさんが「?」を感じられるのは、”誰も見てないのに”何故「私」というところに返ってくるのか・・・?という事が根本的にあるように感じます。 itochuさんが、自分でしかわからない事をしていても、見ている人は必ず居ます。眼に見える人間が周りに誰も居なくても、必ずitochuさんの行動を見ています。口では建前を言い、心の中では悪口を言っても誰にもばれない・・と思っていても、心の中もすべてお見通しで見ている存在が必ず居ます。(口に出して言う事も、心の中で想う事も同じです) そういう存在を、「霊」や「神様」「仏様」と此の世ではよく言われますが、いわゆる「宗教」を勧めているわけではありません。が、必ず見ている存在が居ますので、「儲ける」為に「与える」事をしても、何の見返りも無く「与える」事をしても、その心の底から発する動機を必ず知っています。 ですのでitochuさんが「与える」想いや動機によって、「与えられる」分量も正確にピタリ一文も違わず、誰かと間違える事も無く、正確にitochuさんに返ってきます。(返ってくるんならじゃぁ自分から与えよう!と思って与えても、その思いがもうすでに見返りを求めた「与える」なので、返ってこないですよ) そういう「仕組み(法則)」を元の始めから創られているので、前回の返答にありますように、「与える」とは逆に、「取られた」「やられた」「騙された」等は根本的にありません。そう感じる、という事はすべて「自分の中にあるものを見せる為」という仕組みの上で、自分が自覚する為に成り立っているもので、自分の中に無ければそういう思いをする事はありません。すべて他人の出来事やニュースとして映画のように外部から見れるだけです。 自分に少しでも関わる事があるならば、「取った」「やった」「騙した」人を責める前に、外に文句を言う前に、自分自身の心を見直す仕組み、自分のした事がそのままあなたに返ってきますよ・・・こういう仕組みを聖書の中では「与えよ、さらば与えられん」と人間の言葉で簡単にわかりやすいように述べているだけです。 同じように「許しなさい。そうすれば許されます。」「愛しなさい。そうすれば愛されます。」という言葉等があり、仏教では「因果応報」と4文字で理解できるように伝えられています。 信じようが信じまいが、itochuさんのご自由です。信じろ!と強制はしませんし、受け流して頂いても良しです。 「誰かお答えいただけませんか?個人的意見なども大歓迎です。」とitochuさんの心が発せられたから、こういう何人かの方の意見が返ってきた、だけの事です。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • jacta
  • ベストアンサー率26% (845/3158)
回答No.4

> 自分は「もらってから与える」悪い癖があり、 「もらってから与える」のも、「納得させてもらってから実践する」のも、貧乏人の典型的なパターンです。 類は友を呼ぶというように、自分と同じ価値観や人生観を持った人がどうしても集まりがちです。「もらってから与える」人の周りは、どうしても「もらってから与える」人が多くなり、結果として、誰もがもらうことばかりに執着してしまいます。 もう一点、「与えてからもらう」タイプの人であっても、もらうことしか考えていないない人には、与えないか、与えるとしてもその優先順位は最下位になりがちです。結果として、もらうことばかり考えている人は一番損をします。 なお、「与えてからもらう」ようにした方が「もらえる」ので「与えよう」と考えるのは、結局のところもらうことしか考えていないので、何の解決にもなりません。

itochu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「もらってから与える」のも、「納得させてもらってから実践する」のも、貧乏人の典型的なパターン、というのはドキッとしてしまいました。そうなんだろうなあと。。。僕はこのパターンになってますね(涙)。 「もらってから与える」人の周りは、どうしても「もらってから与える」人が多くなるから、というのも納得でした。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • m_inoue222
  • ベストアンサー率32% (2251/6909)
回答No.3

>その仕組みがわかりません 別に仕組みがあるわけでは無いでしょう 他人に親切にしていればそう言う人は他人から親切にして貰え易いでしょうね 有る偉い?お坊さんの話で「タライの水」と言うのを聞いたことが有ります ・タライの中で対面する人の方に水を押してあげれば縁を廻って自然と自分の方に返って来る ・自分の方に引き寄せようとすると逆に水は逃げていってしまう わたしもそれは日頃から気に掛けていますが確かに感じますね 常にそうでは有りませんが思わぬお返しが有ることが多いです 与え方にも色々有りますね ムダな事になることも良くあります...(笑)。 家庭菜園のトマトを5個揚げるとキャベツが10個になって返ってきたりします...(笑)。 わらしべ長者の話も似たような事でしょう http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/warashibej.html

itochu
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 タライの例えはすごく良かったです。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

慈善事業や教会とは限りませんが、「自分のした事がそのまま自分に返ってくる」のが人生の法則だからです。 「もらってから与える」癖や人生でもそれはそれで自分がそうしたいと思い選択するならかまわないのですが、以前や前世にて自分が与えてきた分が無くなった場合、それでも人から無理に貰おう(取ろう)とすれば、詐欺に会ったり泥棒や事故にあったりして、清算されるようになっています。 ですのでテレビやニュースなどで「私は被害者だ」「私は取られた」「私は騙された」と大声を上げてる人がたまに居ますが、それは「私は人から取ったんだよ」と自分で吹聴しているようなもので、可哀想でも何でもありません。 取る人(与えられる人)と取られる人(与える人)が、偶然ではなく、キッチリ出会いがあってそうなりますので、世の中で言う「被害者」「加害者」というものはありません。ニュースでは極悪非道の「加害者」に見えても、あなたにとっては関係ありません。極悪非道の「加害者」と散々騙された「被害者」と、お互い出会って清算するようになっているからです。 「被害者だ!」と言って裁判を起こし例え一時のお金を手に入れても、「取る事」の上塗りをしているだけで、またどこかで返す場面が出てきます。 もしあなたの身に、極悪非道の「加害者」に「被害に会う」ような場面が出てきた場合は、極悪非道の「加害者」が悪いのではなく、自分に何らかの責任があった、と自覚して悪を責めない事です。悪に見えるものはあなた自身の心の中にあるものが、その相手に投影されているだけですので、「加害者」も「被害者」もどちらもお互い、鏡を見ているだけです。ですので、警察や裁判も本来必要がありません。 また見返りを求めた”念”の入った「与え」の場合、自分がどこかで人に与えられても、またどこかで返さなければならない場面が出てきます。 それも結局は鏡だからです。 慈善事業や教会の場合、自分が直接的な見返りや礼を希望して与える事が少ないので、それがまたどこかで自分の事業や人生において+が残っていれば返ってくる、というだけの事です。 見返りを求めず与える自分が居れば、結果”鏡”として、見返りを求められず与えてくれる人が自分の前に見えるようになるからです。 慈善事業や教会に与える場合でも、例えば政治がらみや宗教団体のように別の方面での利権を追及したり、団体や世を操作したりする為に与えるならば、仮に一時返ってきても、またすぐ吐き出す事になります。 その本を読んでもし慈善事業や教会にでも寄付してみようかな?と考えられるならば、無記名で、本当に困っている人達に使って頂けるように与えてみて下さい。本を読んで「お金持ちになる為には寄付をしなければならない」と寄付をしても、例え世の中誰もその本心を知らなくて、例え世の中「この人は良い人だ。素晴らしい人だ。」と賞賛してくれても、どこかでまたお金を吐き出す場面や、倒産したり、病気になったり、事故にあったり、自分の念相応の出来事が起こります。 「自分は「もらってから与える」悪い癖があり、「与えてからもらう」に直したいのですが・・・。」との事ですが、何も考えずに与える事が普通の人は、あえてこういう悩みも発生しません。 こういう悩みが自然と出てこなくなった時が、この本を読んだ事がやっと生かされる時だと思います。

itochu
質問者

お礼

力強いご回答ありがとうございます。確かに自然に習慣がついていて、こういう悩みがなくたった時が良いのだと思いました。 「自分のした事がそのまま自分に返ってくるのが人生の法則」が、感覚的に「そうだろうなあ」とか「よく成功者もいってるし、本当なんだろう」と感じられても「なぜ?」がやっぱり消えないのです。 例えば知り合いや友達に「まず与える」そしたらその知り合いや友達に「与えられる」というのは、理解できるのです。自分も与えられたら与え返したいと思いますから。。。ただこう大きな世界(ここで言う教会や慈善事業)に対してとなると「?」がまだ出ちゃいますね。 でもta_0123456のご回答に感覚的にであれ「そうだろう」の思いは強まりました。ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#116235
noname#116235
回答No.1

人間は欲が深いので、寄付した分を取り戻そうとして、前以上に金儲けに必死になるからでは?

itochu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。そういう考えもあるのですね。寄付した分モチベーションアップ、というところでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 金持ち父さん 貧乏父さん について

    「金持ち父さん 貧乏父さん」を一気に読みました。 金の奴隷にならず金に働かせる、という感覚にえらく感動してしまいました。 日々の会社業で打ちひしがれているど素人の私には、 すごく希望が沸いてきてしまっているのですが、 アメリカを舞台にしたこの実体験談をそのまま日本で 実現させる夢を持つことはどのくらい現実的なのでしょうか?

  • 金持ち父さん貧乏父さんを執拗に薦めてくる友人

    最近、通っているジムで急に話しかけられて、友だちになった女性がいます。 人なつこい感じの子で、とても明るいし性格も良いし、 何度かお茶をしたりゴハンを食べたりしたのですが、 そのうち、唐突に「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んで! とやたらすすめてくるようになりました。 「これを読めば、あなたもお金の概念が変わるよ」と言ってきたり、 自分のビジネスの「師匠」に会わせてあげる、といって タワーマンションの一室のホームパーティに招待され、 「金持ち父さんを読めば、タワーマンションに住むことも夢じゃないよ」 と言われたり、やたらその本を読むよう言ってきます。 ちなみに、その子の「ビジネス」が具体的にどういう商売かは 聞くと濁されます。 大人数が集まるパーティに招待されたり、 一緒に合同パーティを開こうと誘ってきて、 「あなたの周りの友人もたくさん誘ってほしい」と、やたら人集めを お願いされるようになりました。 どうしてこんなに人を集めたがるのかも、 はぶりの良い「師匠」が居るのかも、 すべて「金持ち父さん」を読んでからすべてわかるよ、 と意味深なことを言ってきます。 マルチなど怪しい勧誘なのでは?とさすがに怪しく思えてきました。 「金持ち父さん」を読んだよ、とその子に言ったら、 そのあと私は食い物にされるのでしょうか? ジムで声をかけてきたのも、 「よいカモがいる」と思って接近してきたのでしょうか? 同じような事例に遭った人、いらっしゃればアドバイスいただきたいです。

  • 友人が金持ち父さんのセミナーにどっぷりで悩んでいます。

    こんばんは。 表題のとおりですが、友人が金持ち父さん貧乏父さんの本を呼んで大変感銘を受け、最近セミナーに頻繁に行っています。 異常なほどセミナーに通っており、私自身も誘われました。 何をしているのか聞いても、具体的には教えてくれませんでした。それで断っても頻りにさそってきます。 私とその友人の共通の友人も誘われ、参加をし、二人はすごいペースでセミナーに行っています。 その友人達は最近ウィルコムの携帯を買い、一緒にお茶とかしていると、そのウィルコムにものすごい数のメールが着ます。10分に1通くらいのペースでメールが来ています。 なんだか様子がおかしいのです。 他にも、突然仕事を減らし始めました。(二人とも) あとなんだかかしこまった服装、正装とまでは行きませんが、普段とは違う格好をしている日がふえました。 金持ち父さんのセミナーでは一体何をしているのでしょうか? 二人の会話をたまたま聞いたとき、「ビジネスパートナーができた」みたいな話をしていました。それはなんなのでしょうか。 二人ともとてもいい子なので、何かよからぬことに巻き込まれていないかとても心配です。 実態をなにも教えてくれず、ただ金持ち父さんのシリーズ本を私にたくさん貸してくれます。読んで1日もしないうちに「どう?」と感想をもとめられます。 なんだか宗教にどっぷりはまっているような顔つきできいてきます。 少し気味がわるく、誰にも聞けずここに質問させていただきました。 もしなにか少しでもセミナーについてご存知の方がいらっしゃいましたら、どうかおしえてください。

  • マドンナの兄はホームレス?

    マドンナは、若い頃は、貧乏だったそうです。 今や、皆さんが知っている通り、お金持ち。 兄がホームレスってこと有りますか? マドンナは、慈善事業をしているし、何があったのでしょうか?

  • 「金持ち父さん」のように「お金に対する考え方」が学べる本

    こんにちは。就職を控えている大学生です。以前「ロバート・キヨサキ氏の著書で一番最初に読むべき本は?」という質問をさせていただきました。 これからロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん 貧乏父さん」という本を読もうと思っているのですが、ロバート・キヨサキ氏に限らず、 「お金に関する考え方」について学べるお勧めの本があるか、ということをお聞きしたいと思います。 以前の質問では「バビロンの大富豪」という本を教えていただき、興味をもっています。

  • ロバート・キヨサキ氏をどう思いますか

    「金持ち父さん、貧乏父さん」で有名なロバート・キヨサキ氏について皆様の意見をききたいです。 YAHOOファイナンスで、「金持ちがますます金持ちになる理由」というコラムを持っていますが、(http://biz.yahoo.co.jp/column/company/ead/index.html から入れます) 「分散投資はするな」、とか、「金や銀に投資をしよう」とか、相当、私の考えとは違います。投資用の不動産を持つことを勧めたり、バブルの頃ならいざ知らず、あまりにもリスクが高いことを平気で書いていて、とても違和感があります。 「金や銀」の件も自分が既に投資しているから、そう書いているのでは?とも思ってしまうのですがいかがでしょうか?

  • 金持ち父さんとキャッシュフローゲーム大会

    SNSのオフ会で知り合った人と男女問わず後日2人でお茶したりする事が時々あるのですが、その中で数人「金持ち父さん貧乏父さん」の本を薦める方がいました。 ただ普通に本を薦めるという事は普通にあると思うのですが、私に金持ち父さんを薦める人は決まって、数日後に「もう読んだ?」とメールで聞いて来たり、「来週か再来週あたりに感想聞かせて」と言ってくるのです。 お互い社会人ともなれば、恋人でも特別仲がいい分けでもない人というかむしろ知り合ったばかりの人と、1~2週間後という頻度で会いたいものなんだろうかという疑問と、本がお金に関する事で何故か読む事を強要されている感じがあるので、次会う時には怪しいセミナーに勧誘されるのではないかと危険を感じるのです。 また、キャッシュフローゲームを大勢でやってるんだけど、是非ご一緒にという方もいまして。 実際セミナーに誘われたり、しつこくされた事はないのですが、何だか金持ち父さん、という単語だけで警戒してしまいます。 こういうパターンで近づいてくる方はやはり勧誘が目当てなのでしょうか・・? 何か見分け方とか、決まり文句的な物があれば教えてください。

  • 前の職場の同期に金持ち父さん貧乏父さんを勧められた

    私は27歳男です。 先日。 前の職場の同期(同じく27歳男)から約3年ぶりに連絡があり、 「会社辞めたいと思ってるから、先に会社辞めた私に相談に乗って欲しい」 とのことで飲みに誘われました。(実際には4年程度業務外でも雑談したり付き合いがあるので、他にも色々話したいし久々に飲もうよ!ぐらいのノリです) その同期は元気だけが取り柄で、発言などおそらく上司からも結構から回ってるな、と思われているタイプです。 (私が偉そうに言える人間ではありませんが、客観的に見て、そうだと思っています。) そして当日、雑談を交えつつ、会社辞めてどうお金を得るのか?など色々聞いていると「投資」「株」などの単語が出てきました。確かに同期は過去に、できれば楽をして稼ぎたいというような発言はしていたのですが、私も同期も学歴的にも実際にも頭が良い方とはとても言えないため「???」という状態でした。 一応同期は株やFXなどで生活できたら良いが、やはりそんなに甘いものではないのでまずは普通の仕事と並行してやればいいかと思っているとは言っていました。 そして、金持ち父さん貧乏父さんを鞄から取り出し、「とても参考になった」と言い、君にも読んでほしいと言われました。彼と何かの貸し借りをしたのは初めてです。 また、「感想を聞かせて欲しい」と言われ、別れ際にも「感想を聞かせて欲しい」と強調されました。 そしてすぐまた今度飲みに行こうよ、とも言われました。 疑問に思い家に帰ってから本のタイトルで検索し、『金持ち父さん貧乏父さんはマルチ商法によく利用されている』という情報を知り、この質問を致しました。 私はマルチ商法自体はどのようなものか詳しく知らないのですが、できれば関わりたくないものと思っています。 私自身薄情な人間だと思っていますが、最悪ミイラ取りがミイラになるようなことになってはいけないと思ったので質問致します。 質問としましては、ここまでの情報で 1.同期はマルチ商法を行なっていると判断して良いのでしょうか? 2.その場合、同期はマルチ商法を行なっていることに気づいているのでしょうか? 3.また、同期をマルチ商法に引き込んだ人がいるのでしょうか? 4.また、同期は私に悪意を持っているのでしょうか? 拙い文章ですがよろしくお願い致します。

  • 金持ちの貧乏アピール

    お金持ちのはずなのに『金が無い金が無い』『我が家は貧乏』とアピールする人が職場にいます。 貧乏アピールする人は、周りから『金持ってるくせに…』と思われないための“煙幕”でしょうか?

  • 日商簿記2級を取得したいのですが。。

    「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで、お金の動きについて勉強したいと思いました。 そこで、日商簿記2級を取ろうと思うのですが、近くに詳しい人がいないため、独学で取ろうと思っています。 どんな本で勉強すれば良いのでしょうか? 日商簿記2級をお持ちの方、オススメの本があればご紹介下さい。