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この世がアナログな理由
いっつも思うのですが我々が住んでいる世界は1cm~2cm 1cm~1.5cm、1cm~1.1cm、1cm~1.01cm、1cm~1.0000000…0001cm という具合に永久にミクロ化できるのでしょうか?
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14. 23.です んと、カントールの話でずっと続いてます。 あまり物理では考えないでくださいね。 クォークは小さいですね。 二つ並ぶと、境界があります。 二つは、一致ではない以上、距離があります。 距離は、線距離の概念でいいですか? ご質問がセンチメートルでしたから、いいですね。 線は点の集合ですから、点のかずを数えます。 距離が近ければ近いほど、点のかずは少ないでしょうか? いえ、少なくないどころか、 距離が遠い場合と、ちっとも変わらないことが証明されています。 ロンドンー東京間とさえ変わりません。 不思議。。。 この点、何者でしょう? わかりませんねえ。しかし、これが点というものです。 tenntennsevengooさんが2cmの羊羹の切れ端を1cmに近づけていくあいだ、減らないんですよ。 1cm削っても、また5mm削っても、結果1cmの羊羹「らしきもの」にたどり着いても、 微妙~なクォークの誤差のなかに、正気が狂うほどまだまだ、含まれているんですよ。 仏教では、最小の数を、涅槃 というんですよ。 人間ですから、便利な言葉で茶を濁すことも大切です。カントールは気がふれてしまいました。 詩人のイヴ・ボヌフォワという人も、この問題の専門家です。 ミクロやマクロは、仏教や、文学のほうが、うまく処理できる世界になってくるようですね。
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ふたつのクォークのあいだにふくまれる 点の総数と ひとつのクォークにふくまれる 点の総数は、同じ。 同じだってば。 涅槃でいいっしょ。最小値。ここでオシマイのはず。
補足
というかクオークの境界線ってあるでしょ? ないの? 良くわかんないだけど。 もしあったとするならばその境界線は永久に小さくなりませんか?
>では物質の境界線はどうなっているのですか? ご質問の趣旨がよく分からないのですが物質の境界線とはどのような意味でお使いですか? たとえばクオークどうしの境目はどうなっているのか、と言う疑問でしょうか?
補足
>クオークどうしの境目はどうなっているのか、と言う疑問でしょうか? そういうことです。
ANo.20です。 プランク定数の1/2という物は思考の世界では一向に構いませんが物理の現実の問題としてなら有り得ない、となります。 通貨の最小単位が現代では1円ですが計算上は50銭という物も考えられます、しかし50銭通貨は2個集まっても1円としては使えませんね、それと同じかと。 物質をどんどん小さく分けて行くと遂にはクオークになりますがこれ以下の状態は今のところ確認されていません。 思考実験なら何でも有りですが現実世界はプランクの定数を最小単位としてそこから物事が始まっている訳ですね。 時間の最小単位というものが感覚的に受け入れ難いのですがこれが事実ならこの世界はアナログではなくデジタル的に変化しているのでしょうか。 たとえばCDはサンプリングビット数は16ですがこの世界では80ビットとかいう風に遥かに緻密に出来ているのかも知れません、まあ数字は適当ですが。この世はカクカク、ギザギザで出来ているのかも知れませんね。
補足
では物質の境界線はどうなっているのですか?
どんどん無限に小さくできるか、無限に小さい状態は存在するかという疑問なら終着点があります。 プランクの定数と呼ばれるものがそれでエネルギーにせよ物質にせよ時間すら最小単位があるのです。 プランク定数h=6,63×10マイナス34乗という想像を絶する小ささ、これが物事の最小単位です。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
一つ質問してもよろしいですか? プランク定数の1/2というのは考えられませんか?
お礼文いただきありがとうございます。 >2センチを定義して2センチの定規を作ったとしても1.999999…9~2.000000000…1と成ってしまうのは何でだろうか? 概念というのは知覚表象の符牒だからです。 つまり流動する意識(変化そのもの)を固定したものが概念ということです。 固定した概念をもって意識の具体的な流動を再構成することは不可能です。 だから数学的理念と経験的な観測結果は近似的であるということですね。 もっもレーニンのような唯物論者からすると、 「意識は存在の反映に過ぎず、最もましな場合でも近似的に精確な反映に過ぎない」 ということらしいですが(笑い。
お礼
なるほどねw 実在→意識→概念だから実在=意識=概念にはならないということですね。 祖算差を考えてみると実在<意識<概念ということだから 実在を2センチと考えると 2センチ<2センチに近いラフ<2センチに近いラフのラフ といったところでしょうかw 回答ありがとうございました。
- agrippa
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プラトンがアカデミィを作ったとき 門に掲げてあった 幾何学を学ばないもの この門をくぐること無かれ。
どうもお礼文いただきありがとうございます。 哲学のように特殊な概念を取り扱うカテゴリーでは質問の意図を伝えるのも逆に理解するのもなかなか困難なものですね。 >直接経験には点という概念が存在しないこれは良くわかるのですが やはりなぜその概念が存在しないのか?これが判りませんね? 点を無限小と考えると、それは知覚の対象にはならないだろう、つまりそういった感覚データーは存在しないだろうという意味です。 概念としては存在するとして、それが客観的に実在するかどうかはわかりません。 ボルツァーノやフレーゲのように実念論の立場もあるようですが。 しかしそういった実念論は論理的思考に客観性を与える為の仮定であるとされているようです。 ご質問の意図を理解しているかわかりません。 ただ、ご質問文にあるように「1cm~2cm、1cm~1.5cm、1cm~1.1cm、1cm~1.01cm、1cm~1.0000000…0001cm」といった具合に次から次へと枚挙していこうとすればにこの作業は「永久に終了しない」ということになります。 しかし「なぜ永久に」になると「なぜ人間は数を数えるのか」といった人間の抽象化能力の根拠を問う問題になると思います。 もし連続の問題であるとすればゼノンのパラドックス、カントールの集合論などを考慮しなければならなくなりますが。 かなり厄介です。
お礼
ん~自分の意図では2センチの定規を作ったとしてそれを実際の2センチの物体と合わせると必ずズレますよね?それはどうしてなのか?という質問なのです。 2センチを定義して2センチの定規を作ったとしても1.999999…9~2.000000000…1と成ってしまうのは何でだろうか? という質問です。 回答ありがとうございました。
補足
もし実念論としてあったとして考えたならばアナログ的にこの世の中が動いているのはなぜでしょうか?
世界は、「ある意味」無限なので。 点の総数は1センチでも1ミリメートルでも 無限における点の総数と同一なので。 ただ、 そこに、点の一と一の対応があるだけで。 濃度がさまざまなだけで。 世界を有限と思うなら、 話はまったく違うだろうね。 カントールの証明をここに引用する気は起きないけど。
お礼
なるほど世界はミクロ的にもマクロ的にも無限だからですね。 とても納得のいく説明ありがとうございました。 ですがやはりなぜ無限なのかというところが判りません。 回答ありがとうございました。
- agrippa
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心は 連続した 空なる てん 空は空 大いなる浩然の気。
- agrippa
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ユダヤ教において ソドムとゴモラが滅びるとき 数直線の切断が起こる。 ある者は滅ぼされ ある者は生かされる。 整数においては切断は生か死かの表象として現れるが その切断の境目は何処にあったのであろうか。 それは各自の心の在り方にあったであろう。 ある者は限りなく生かされる側に近くても 神に見放され 生かされる側に行けなかった人もいる。 その差とは一体なんであったか。 ユダヤ教の話でしかないんだけど。 解析のでだしでそんな馬鹿なことを考えた。 心はミクロでありマクロ。 部分を持たない てん
お礼
やはりそうだったんですかー この世の中はデジタル的現象には至らないわけですね。 なるほどーー回答ありがとうございました。