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鉄砲を1年未満で真似して作り上げるとは、日本の鍛冶技術はすごかったのか
komesの回答
- komes
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当時既に日本では日本刀を製造する技術がかなり普及していました。 日本刀は異なる成文の鉄を合わせ鍛造する事が必要でそれ以外の国にはなかった技術でした。 従って日本刀はアジアの国々で輸入され、称用されました。 独特の切れ味が理由です。 鉄砲の製造にも鍛造技術が必要で、また細かい製品の部品の製造技術も必要です。 さらに多数の優秀な職人が存在しました。 これらの条件が揃っていたのは日本だけと言えましょう。 韓国では当時木製の銃に鉄の鍔をはめて強化した位の銃しかありませんでしたから豊臣秀吉の唐入りの際に日本軍に有効な抵抗が出来ませんでした。 しかし朝鮮軍に降伏した者から鉄砲製造の技術を学び、装備するようになったのです。 中国は当時既に銃の知識はありましたが、日本製のような強度はなく、射程や命中精度が劣っていました。 その他のアジア諸国の事情は知りませんが、日本製のような銃の製造技術は持っていなかったと思います。
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