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中国史について
zinchanの回答
- zinchan
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私が知っている限りの、古代中国(殷~周(戦国時代))までのお話しをします。 殷代では、殷王は神を祭り、神の言葉を伝える者としてあがめられ、それにより国を治めておりました。全ての活動・政治も祭祀の意味の元行われております。 殷は黄河中流域の一地方(それでも相当の広さ!)を治めていたに過ぎない、現在からすると最も規模の大きい豪族的意味あいが強かったのでしょうが、その当時の政治・軍事体制が他より抜きん出て優れていた点、農耕が取り入れられ発達し、また、物流も盛んであり、他国との戦で勝利していたことで、敗戦国の民を奴隷として時刻に連れ帰った結果、奴隷も多く、人口規模も他の都市(国)より多かったようです。 さて、殷の都市について本題になりますが、殷は何回か遷都しており、邑(ゆう)と呼ばれる町(国)を複数持っておりました。最後の首都は商と呼ばれ、首都のある邑を大邑商、首都でない町(国)は小邑と呼ばれていました。邑にはその地区を治める王(王族の兄弟、親戚)や、有能な家臣がその邑の行政・司法・軍事等を取り仕切り、邑民はその保護下にあったようです。 最初にお話ししたとおり、当時は殷が中国全土を統一支配していたわけでなく、殷に従わない一族も多数おりました。戦に備え、邑を守るために土を押し固めてハンチク(土累)を邑周辺にぐるりと囲んでいたようです。その土累は、初期の頃はさほど高くなかったようでしたが、祭祀国家ですから、土累を乗り越えるとたたりにあって死ぬと信じられており、ケツ(門)からしか出入りできないと思われていました。他の部族も信じていたようです。邑の中にまた行政府(王宮)があり、そこも同様に土累で囲まれていたようです。 農地は邑の外にあり、日の出、日没とともに邑に戻っていたようです。 殷に限って言えば、殷代後半、宝貝を貨幣として、流通も盛んに行われていたようで、農地以外は邑の中で生活可能な状態と考えられます。 邑は町と言うよりは、都市国家として機能していたと考えられます。 よって、そのころは、よく世界史の地図で領土範囲が図示されていますが、実際は邑単位で、殷王族の邑、家臣の邑、属国の邑の連合国家的なイメージであったと思われます。当時の周辺国では、それほどの発達はなかったようです。特に農耕文明が入ってない国(豪族)は、特定の邑さえ持っていなかったようで、狩猟・採集、略奪等で一族郎党の生活を支え、支配、管理していたようです。 その後、春秋戦国時代になると、戦が盛んになり、邑を土累ではなく、城壁で囲む必要が出てきました。特に戦国時代になると、邑の城壁を拡大し、高く積み上げ、都市国家としての位置づけの他、要塞的な意味合いも強まってきました。
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